唐突ですが、昔から私は「半分ガイジン」とか、「変ジャパ」とか呼ばれることがあります。どこか一般的な日本人的発想がかけているらしいのです。そりゃ元帰国子女だけど、人生の大切な部分は日本で育っているから、自分としてはりっぱに日本的視点を持っていると思っているですが、最近ふとしたことから、やっぱり違うのかな?と思うことが……
ここ何年か、「婚活」と騒がれていますよね?結婚したいのなら、積極的に活動せよ、という。
私はあれがよくわからない。婚活がんばれ~、っていうけど、結婚したら幸せなの?って思ったのです。
婚活は組織的に出会いの機会を作って、そしてその中で上手く「合う」縁があったら結婚するのです、ってことのように受け取ったのですが、違うでしょうか。見合いに代わる手段を自分で生み出せ!っていう。
そんな結婚、幸せなんだろうか、一緒にいるうちに愛情が高まればいいけれど、今の時代そう簡単に行くの?
結婚って、恋に落ちて、この人と一緒にいたい、という所から始まるものじゃないの?それが上手く成就して結婚して、縁があれば子供も出来て、もしくはそうじゃない選択もあって……
と思っていたわけです。
それが或る日閃きがありました。
きっと、私の結婚観、家族観が日本のそれとズレているんだ!と。
日本の家族、大切なのは調和とか、バランスとか、安定とか、そういう要素が揃えば、一緒にいることから生まれる愛情が育まれるもので、その鎹(かすがい)として子供もいた方がよくって、だから、「幸せ」という言葉は「安定」と置き換えられる?などなど思ったのです。
ここからは変ジャパ(変な日本人ということだと思います)の独断的意見として聞いてください。
私は、こういう安定志向の結婚って、今の時代はワークしない可能性高いと思います。
何か弱いと思う。今年のキーワードは「絆」らしいけれど、こういう結婚の絆は弱いと思うのです。
やはり絆≒愛でしょう?
昔、キリスト教の教えに興味があって、教会が無信者に対して講義する会に参加したとき、ある神父様がこんなことを言っていました。
「人は私に、何故神を信仰するのか、と聞きます。何かためになるからですか?(Does it do you good?)と聞きます。私の応えは、『多分、私にとって信仰とは、皆さんの結婚のようなものです。何か徳があるからこの人と結婚したのではないでしょう?愛せざるにいられないから結婚したのでしょう?』と。私もそんなものです(I cannot help loving Him.)』
それを聞いて、正直私は目からうろこでした。その時代は「三高」という言葉が騒がれていたし、無謀な恋の終わりの渦中にいた私に「次はもっと将来とか、自分のメリットとか考えた方がいい」と諭してくださる方もいて、そうなのかも?と揺らいでいた頃です。
私はこの神父様のおっしゃるとおりだと思う。結婚って、損得計算ではない、特別な恋愛だと思う。
まぁ恋愛結婚が上手く行かないとか、言うけれど、人間だもん、そういうこともあるさ、しょうがないじゃない、って思うのです。見合いの方が離婚率低いって言うけれど、それは一昔前の環境だったからそうであって、今見合い制度が残っていてもそうなのかしら。それに、離婚しない結婚=幸せな結婚か?なんか裏がありそうじゃないですか。
愛があって、安定もある結婚なら最高だし、子供がいるならそうあるよう努力すべきだと思う。でも愛があって、安定がなかったらそれもしょうがないじゃない、って。一緒に死に物狂いでサバイバルすればいいじゃない、って。そういう生き方を見せることも子供にとって良い教育だと思うんだけど。
そもそも、今の時代は女性も社会的に、経済的に独立している/or出来るのだから、結婚しなくたっていいし、婚活しなくてもいい、子供がいなくてもいい、そういう選択があってもいいと思う。独身だっていい、煩くしないで。彼女達は結婚、家庭とは違う形で愛情を捧げる対象がいると思うし、そうでなければ、それを探しているのだろうから。
今、国挙げて婚活・少子化防止って言っても空回りするだけだと思う。この時代はそういうフェーズということで、政府はそれに合わせた社会のインフラを整えてくれるべきだと思う。
……思わず、力が入ってしまいました。
是非皆さんの結婚観、幸福観などお聞かせいただきたいです。