2019年10月1日火曜日

私のフランス観 その③、フレンチ・エリートの作り方

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今年の九月は色々あった一ヶ月だったように思われます。

日本では台風の被害が大きかったとのこと。未だに停電しているところも残っているそうですね。家屋の修繕など、その費用・労力を思うと胸が痛みます。

フランスでは、9月が学校曆の始まりとなり、父母会やら、ママ友との集いやらで忙しくしておりました。

先日は、とても優秀なお嬢さんを持つ友人とお茶をし、
「これぞフランスのエリートを囲む環境・そしてマインド・セットだわ
と思うことがあったので、今日はそれをシェアしたいと思います。


セーヌ川右岸より

このお嬢さん、ナタリーは、兄猿と同じ
14歳。中学部の最後の年で、フランスでは、3emeトロワジエムと呼ばれます。

今は、兄猿と同じ私立校に通っていますが、高校からは、フランスでも何本かの指に入るベルサイユの名門校、リセ・オッシュに移りたいそうです。
何故かというと、ナタリーは特に理系科目が得意らしく、オッシュ校は、理系のレベルの高さで知られているので、
「私、そういうところに入って、もっと自分を高めたい」
んですって。
14歳でこの志!兄猿に、爪の垢を飲ませたいですよ、ほんとに。


このナタリーちゃんは、本当に良い子なんです。
見た目も麗しい上に、性格が良い! 
控えめで、努力家で、礼儀正しいし、友達思いだし。
勉強だけでなく、バレエは飛び級するほどのレベル、ピアノに至っては、この夏、ベルサイユのコンセルバトワール(以下、音楽院)のコンクールで優勝したとか。

先日の会話は、この音楽院に関する話でした。

※コンセルバトワール音楽院について
フランスの学校は、バカロレア科目に重点を置いているので、音楽教育は日本よりも質も時間割り当ても低いのです。その分、ではないのかもしれませんが、音楽をやらせたいなら、行政が運営する音楽院に通わせなさい、というスタンスです。
音楽院は、フランス全国各地に国立、地域圏立、県立、そして市や区立など、規模や難易度は異なりますが、200院近くあります。

公立のなので月謝も安く、低所得者にはさらに優遇処置があります。
そんなことからも、入るためには夜を徹して並ばなくちゃいけない、とか、画一的な指導しかしない、とか、先生によっては厳しすぎたり、やる気を削ぐような人もいる、という批判的な声も聞きます。

モンマルトルの丘から見たパリ
ナタリーちゃんは、ベルサイユ音楽院に通って早9年目。
ベルサイユは地域圏立音楽院なのでレベルも結構高いらしい。パパが頑張って、志願書を持って夜中から並び、ベルサイユの音楽院に入れたそう。

ナタリーちゃん、音楽院では、かつて良い先生に就いてたこともあったんだけど、この何年は厳しくてネガティブ指導する先生に担当され、ぐっと辛抱しているそう。

この前のナタリーのママ、マリーとのお茶では、夏休み明けから、ナタリーちゃんがこの先生に、理不尽な仕打ちを受け、才能を否定するようなことも言われてガックリしている、という話でした。

私「ひどい!それも夏のコンクールに優勝したばかりなのに、意味不明じゃない?」
と私が憤ると、
マリー、以下、マ「そうでしょう? 」
私「ほかにも先生はいるんでしょう?だったら、音楽院の上に訴えて、別の先生にして貰えば?」
マ「私もナタリーにそう言ったんだけど、ナタリーは、『このままでいい、だって、試験のときに、この先生に当たったら意地悪で厳しい点数つけられちゃうかもしれないから』っていうの。」
私「え~?でも、ナタリーは別にプロのピアニストになろう、とか、そういうのじゃないんでしょ?」
マ「うん、ただピアノ好きだっていう、それだけなんだけど・・・・・・」
私「だったら、仮に運悪くその先生が試験官になって悪い点数つけられたとしても、どうだっていいじゃない? もちろん、目に余るような不公平があったら、上に訴えればいいんだし」
マ「うーん、やっぱりそう思う?」
私「思う!」
マ「でもね、ナタリーはそれは嫌なんだって。やっぱり高評価が欲しいんだって。夫も、下手なリスクは取らない方がいいっていうし。それに、あと一、二年もしたら勉強で忙しくて音楽院も辞めると思うから、それまでの辛抱だし。」
私「・・・・・・」

私にはワカラナイ。
そりゃ、人間、評価が高い方が嬉しいですよ。でも、だからって、14歳にして理不尽を受けいれるのって、どうよ。それも、ナタリーちゃんの将来に、そんなに大切なことでもない、というのに。私だったら、あと一、二年も嫌な思いしなくちゃいけないなんて、勿体ない、と思うんだけど、

マ「私も、ミキと同じ意見だったんだけど、夫に任せることにしたのよ。私、地方育ちだから、こういうシステム、イマイチ分かってないの。夫が僕に任せなさいって。あの人は、ベルサイユ育ちだし」
私「そうだったんだ!」
マ「そうなの、リセ・オッシュだったのよ」

ああ、そこで分かりました。ご主人がオッシュ校だから、ナタリーもオッシュ校希望なんだ。

マ「それもあると思うけど、うーん、でもやっぱりナタリーの性格だと思う。長男はオッシュに興味なさそうだもの。ナタリーは、本当に負けず嫌いだから、ベルサイユではオッシュが一番なら、そこに行きたいと思っちゃうんじゃないかな。」
私「すごいね。私、そういう志持ったこともない。」
マ「フフフ、それは貴女がジャポネーズだからでしょう。フランスは、みんな上を狙うのよ」
私「・・・・・・(夫はそうでもなさそうだけど、あの人は変わり者だからね)」

マ「ナタリーは、学校で小テストがある度に、猛勉強するの。満点とりたいんですって。」

私は、満点回答をみたことがないです。フランスではそれくらいレアなものなんだけど。

マ「ナタリーは、もし満点でないとしても、クラス一番を目指している。
テストの朝とか、もう『ああ、どうしよう、良い点数取れなかったらどうしよう』ってストレス一杯なの。
普通は親がせき立てるものなのに、ナタリーの場合は逆。私が『大丈夫よ、それにいいじゃない、少しくらい失敗しても』っていうんだけど、『でも嫌なのよ。私、良い点数取りたいの』って」
日射しは秋
こういうのをコンペティティブというのでしょうね。自分自身にコンペティティブ。
素晴らしいと思うと同時に、ちょっとかわいそう。いつもプレッシャーがあるなんて。
まだ14歳なのに。

そのうち、ご長男さんの留学の話に移ったので、
私「ナタリーも外国で伸び伸び勉強楽しみたい、とか言わないの?」
マ「あの子は言わないわね。音楽院もそうだけど、このフランスのシステムが心地よいのよ。優位に立っているし。」
私「ストレス一杯なのに心地よいの?」
マ「うーん、心地よいというか、慣れというか。で、その中で闘うのが好きなんだと思う。」
私「闘い・・・・・・」
マ「そう闘いなの。あの子の口から、勉強が楽しいなんてセリフ、聞いたことないもの。私も疑問を感じることがあるんだけど、夫もそういうところがあるし、フランスって、特にパリとか大都市ってそうなんじゃないの? 点数点数、順位順位っていう。そんな中で育ったから、ナタリーも、夫も、闘っちゃうんじゃない?止められないんだと思う。」
私「なるほどね-」
マ「トップに立ったときの快感とか、たまらないみたい。ナタリーも、コンクールで優勝したとき、すごく嬉しそうだった」
私「アドレナリン」
マ「そう、そんな感じ。中毒にならないといいけど、ハハハ。」
私「(笑えない)」

これがフランス人なんだ、エリートなんだ。
日々闘い。日々上昇。一つ一つのゲームで確実に勝ちを取っていこうという。
ファイティング・マシーン。

マクロン大統領なんて、まさにこんな感じで大統領まで上り詰めたんだろうな。上へ上へ、と求めずにはいられない。その理由とか、あんまり考えていなさそう。ただ単に、自己実現。自己達成、それだけ。
そして、そのための手段も選ばなさそう。でも頭良くて良い子だから、これ見よがしに法は犯さないかな?

先日亡くなられたシラク大統領やサルコジ大統領は、自身の上昇志向も勿論あっただろうけど、それでも、フランスという国に対するリスペクトや愛が、彼らの政治的決断の背景にあったと思うんですが、どうでしょう。


マエストロと義妹の黒猫君
毎回仲良くなるのに時間が掛かるんです
最後にもう一つの現代フランスの典型的なエピソードを。

多くのフランスの中学校では、最終学年で、一週間ほど、社会経験をする事になっています。インターンシップってやつです。獣医さんや花屋さんに行くコ、親御さんの会社を見学するコ、行く場所がないコは、学校の給食配膳を手伝うらしいです。

ナタリーちゃんは、どうするかというと、
マ「あの子は理系だから、○×研究センターに夫が知っている人を通して申し込んでOKもらった。もしかしたら将来、何か役立つネットワークができるかもしれないから。写真とかも、ちょっとそれ風に白衣着せてさ、可笑しいでしょう? メールも夫が書いたと思う。」

インターンシップは、社会人となる準備体操なのに、コスプレさせていいんだ、そして、そこまで親がかりでいいのだろうか、と思ってしまうのですが、夜、夫にこの話をすると、
「フランスの社会はそうやって動いているんだよ」
と驚きもせず。

「従妹のイザベルは、子供達4人の勉強をいつも手伝って、テストの出題傾向も、バカロレアも、インターンシップも、全部フォローしてグランゼコールに入れたっていうのが自慢なんだ。内申を上げるため、宿題をやってあげたこともある、って高笑いしてたよ。『内申上げる裏技なんていくらでもあるのよ』ってさ。」

ああ、だから、この前の父母会で、「もう『宿題点』というのはやめにしました」って言ってたのか、と腑に落ちましたよ。

「・・・・・・そういう親がかりの、節穴だらけのシステムのお陰で何が起きてるか、知ってるかい?
会社の若い人に、例えばデータ集計を頼むだろ。すると期日過ぎても何の提出もない。どうしたんだ、と聞くと、少しムッとした顔で、『だって、データ渡してくれないから何も出来なかった』って逆ギレされるんだ。
次回はこうやるんだよ、って手取足取り教えてやっても、『そういう些末なことをするためにグランゼコールに行ってこの会社に入ったんではないんで』って言うんだよ、いやほんとの話。
・・・・・・だそうです。

こういう若い人に比べれば、ナタリーちゃんはやっぱり立派。
自ら勉強し、自ら自分のベストにチャレンジし続けるんだもの。親の影響もあるだろうけど、親主導ではなく、あくまでも自主的に邁進しているし。
ナタリーちゃん、頑張って欲しいし、成功して欲しい。

・・・・・・と、同時に、もっと肩の力抜いて、ピアノも、勉強も楽しんで貰いたいなぁ、とも思う。

「秀でている」ことは、そんなに大切なことではない。「秀でている」から幸せになるものでもない。それに、秀でてていたい、と思うのはある意味驕りとも言える。
子供を秀でさせようとする親は、何でそうしたいのか、考えるべき。そうでないと、本末転倒なことが起きるかも。
……みんな分かっているんでしょうね。それなのに、ついつい、その落とし穴に落ちてしまう。

自戒を込めて、書いておきます。
子猿たちは、エリートでなくても良いです。でも、ハッピーでいて貰いたい。そして、苦境でも笑っていられるような逞しさを身につけてもらいたい、それだけです。

以上、フランスのエリートについて、でした!
また行きます!