2014年12月23日火曜日

風は冬色

先週は兄猿でしたが、今週はちび猿が風邪で寝込んでいます。

そんなこともあり、せっかくの冬休みですが、旅行もせず、のんびりしています。
これはこれで好き。
家族で、日本で、日常的なフツーの冬を過ごすなんて、夢にも思っていませんでした。
今頃、フランスでは、義理の家族が集まっているかと思うと、何故かニヤニヤしてしまう私です。

昨日は、ママチャリで所用をこなし、気づけば20キロほど走りました。
自転車道を走るとき、頬を冷たい空気がこすって行く、そして風景が流線になって後ろへ後ろへと流れていくと、ああ、こういうの、昔よくあったな、と子供の頃を思い出します。

それは子供の時の自転車なのか、「トムは真夜中の庭で」の一シーンなのか。
「トム……」では、最後の方に、川が凍っているのを子供たちがアイススケートしながら下って行くという場面があります。

冷たい空気を切るようにビュンビュン滑る。頬は真っ赤になり、耳がちぎれそうなのも感じない。転んだらすごいことになるけれど、転ばないと信じて飛ばす飛ばす。

このシーンはまるで自分が滑っているかように、ドキドキして、凍てつく空気を実感しながら読んだっけな。

(ここまで書いておいて、これ「トム…」じゃないかもしれない。「ハヤ号セイ川をいく」かも、です。確認しておきます。)

約40年後の今、ママチャリに乗り、買い物袋をかごに入れて、風を切る母猿。
でも、もう子供の頃のような無鉄砲な乗り方はしない。
どこか、おびえた走りをするようになっちゃった。

後方に続く兄猿をチェックすると、頬も耳も真っ赤、目はスリルに輝いている。
一度この快感を知ってしまったら、もう止められないね。

今日はイブですね。ちび猿の熱が下がれば、山手カテドラルの聖夜御ミサに行く予定です。

皆様はどうされるご予定ですか?
Wish you a Merry Christmas!
すてきな聖夜を~♪



2014年12月15日月曜日

最近の兄猿

今年も登場、聖歌隊のネズミどん。
ご無沙汰しております。師走に入り、文字通り、クリスマス・ショッピングやら、学校の用事やらで走り回っておりました。

子猿たちも学期末でイベントが続き忙しくしてましたが、冬休みに入った途端、緊張の糸が切れたのか、日曜日に兄猿が熱を出しました。

最近また背が伸び、すっかり少年と化した兄猿も、熱にうなされ寝ている姿はまだまだ幼く何故かほっとする母猿。


熱を出した前日は、こちらに来て以来仲良くしていた友達に、冷たくされて、とまどい、悔し涙まで浮かべていました。


それでも、翌朝は、熱っぽい顔をしながら、

「きっと、昨日は、自分の家に大勢の人が来て、大きいコもいたから、興奮して変だったのかも。きっと今度会うときにはいいコになってると思う」
といつもながらのポジティブ・シンキングです。

2014年、兄猿にとって絶好調すぎるくらい楽しい一年だったと思います。最後にちょっとがっかりすることがあって、そして熱のおかげでちょっとスローダウンするくらいでちょうどいいのかな?


夏に日本に来て、英語環境のインターに放り込んで「どうかなぁ」と思ってたけれど、インターの子供たちは、のどかというか、穏やかというか。また一クラス12名前後と少人数なこともあり、みんなやさしく、お誕生日にはクラスの男の子全員を招いてくれるし、みんなに受け入れられて、兄猿、とてもうれしかったと思う。


パリの学校も良かったけれど、私立とはいえ、1クラス30名以上いれば、グループ化するし、グループ化すると孤立するコもいる、フランス人は小さな意味でコンペティティブなコが多いと思うし、勉強に対するプレッシャーも強かったし、......今振り返ると、なんていうか、もっと緊張を強いられる環境だったと思う。


今の学校は、この点においては、まさに逆。プレッシャーをかけない、自信を養う。これを徹底しているよう。

一つの例を挙げると、小学校4年生(日本のシステムでは3年生)では、まだスペルについてうるさく言いません。私のように、それ違う!汚い!と怒鳴っていると、書く喜びをしぼませてしまうらしい。今は、想像力のまま、思ったままに、自由に書くことが大切とか。(それにしても、字汚いし、解読不可能なんですけど……)


カリキュラムも、算数と音楽、日本語こそあれ、他の、国語、社会、理科という科目はなく、代わりに「読むアトリエ」「書くアトリエ」「課題」というクラスがあります。
読むアトリエでは、グループで本を決め、それぞれに読んでは、疑問に思ったこと、面白い表現と思ったところ、語彙の発見などを話し合うようです。
書くアトリエでは、小説を書いているようです。登場人物のキャラクター構築とか、指導があるよう。
「課題」というのは、たとえば、最初の課題は「脳」。脳の各部位の働きなどをグループで調べていましたっけ。その次には、人の感情について調べたのかな?最後にはいっちょ前に、パワーポイントを使ってプレゼンしたようです。

この学習法が、兄猿にはとても楽しいようで、先生やクラスメートもポジティブなコメントを寄せてくれるもんだから、やる気が出て、最近は「ボクは小説家になるかも」とか、「発明家になるのもいいかも」などと言ってます。以前は「パン屋になる、そしたら食いっぱぐれないから」と手堅い(?)こと言ってたけど、今はもう少し自分の可能性を信じる気になってきたのかな。

だじゃれ好きのちび猿
一方、家ではダラダラ、永遠のベイビーなチビ猿も、学校ではそれなりに集中力を持ってやってるよう。「彼は言葉もままならないのに、いつも果敢にユーモアのセンスを発揮しようとしているのが素晴らしい」とコメントを頂きました。
……これが「素晴らしい」ことかどうかは分かりませんが、英語できなくても、ふざけようとする、アヤツのふてぶてしさが、ある種、うらやましかったりもします。

……さて、こんな兄弟猿をイメージして書いた子供向けの小説、ついに紙での出版準備が整いました。第一巻は1月中に紙の本としてアマゾンにて発売される予定です。

児童書なので子供には紙版がいいと思うのですが、もし「読んでみたい」という大人の方がいらっしゃるのでしたら、Scribdという米大手サイトに電子書籍版をアップロードしました(無料)。これをEbook リーダーなり、スマホなり、PCなどで見て頂ければ幸甚でございますです。

ただ、このサイトは、ルビに対応していなく、たとえば、「対応たいおうする」という風に漢字とひらがながダブルで表示されています。ウチの子猿たち向けに、小2以降の漢字全てにルビを振ってあるので、読みにくいようでしたら悪しからず....。

何卒よろしくおねがいいたしますです。
電子書籍版のURLはこちらです↓
イサムとタケルのミラクルジャーニー 

お風邪など召しませぬよう、ご自愛くださいね!
また行きます!

2014年12月2日火曜日

ちょっと自己分析

花はいいですね。わぁ-、という気持ちになる
皆さんは、子どもの時に何になりたいと思っていましたか?
どのくらい強く、そう思っていましたか?

私は特に何かになりたい、と思った記憶がないです。
「こういうのって自我がない」というんだよなぁ、あれ、そういえば自我ってなんだろう、と思ったところから、今朝の自己分析が始まりました。

「自我」で検索すると、まず、心理学的な意味の自我として、フロイトの考え方がトップにでます。

私の、「5分間ネットリサーチ」で、いい加減に理解したフロイトの自我論は以下の通り。

人間の性格・性質は、「エス」「自我」「超自我」の3層により作られている。ふむふむ。


学校のプレゼンテーションのために
兄猿が書いたスケッチ。(女性は私らしい)
「人は自己表現できないとどうなるか」
という、深く哲学的な題目だったけれど、
結論は、「ボクだって話したい」
という単純なものでした
・「エス」というのは、本能的な部分。分かり易い例は、赤ちゃん時代。コントロールされていない、動物のような精神レベルのこと。

・「自我」というのは、エスの「~がしたい、欲しい」という欲求を、現実見据え、諦めさせたり、できる方法を探したり、という判断する機能らしい。

・「超自我」というのは、親や先生、社会から植え付けられる道徳観だそうです。

この3層が幼児期に発達し、精神形成をしていく、という……
なるほどねぇ。

ただ、果たして3種の自我はバランス良く相互作用しているのでしょうか。

たとえば、私はエスが強い人間だと思う。眠くなると我慢できないところとか、空腹になると機嫌悪くなるのとか。

こういうエス型人間って、周りに結構いない?
そうやって考えると、3種の自我のアンバランスさが性格の特徴となっているとも言える?

エス型--ま、私みたいな、動物的な人ですね。暴力を抑えられない人というのもエス型でしょう。
一説には、人が戦争をするに至る理由は、自我や超自我に押さえつけられたエスを解放したいという人間の本能がゆえ、といわれているようです。

自我型--「現実的な感覚を持っていて、自分の欲求を実現させてあげよう、と調整に努力する機能」を持っている人というのもいるいる。夫はこれだな。友達にもいるいる。
自我をしっかり持っている人は、現代の理不尽な社会の中で 自己実現に苦しむ宿命なんだと思う。頑張って欲しいです。

超自我型--親などの道徳観、価値観が強過ぎて、その呪縛に苦しんでいる人って、老若男女、国籍問わず、いると思う。
そして、子育て中の身としては、親の意見を押しつけ過ぎないようにしよう、と思いました。

さて、始めに戻ると、子どもの頃、なりたいものを聞かれ、漠然とイメージしたのは、家族を持つ自分でした。要は、主婦ってやつです。

それだけ。

自我がないでしょう? 心理学的にいうなら、まさにエス(子孫を残したいという願望)と超自我(親と同じようになろう)に支配されている感じ?

その後も、明確な自我を持たずに時間が経ってしまった。
これはイヤ、ああ言うのもイヤ、といった、否定の自我はあるんだけど、「こうしたい!」というのが中々見つからない。
いろいろと仕事もしたけれど、どれも良い経験ではあるけれど、でもがむしゃらさがないんだよねぇ、私って人は。

それが最近になって、書くことが好きってことに気づき、自分のエス(だらけたい、昼寝したい)をたしなめながら、せっせと書いています。
この年でようやく芽生えた自我ですからね、大切にしないと。
子ども向け児童書はこんな表紙の予定です
皆さんは、エス型、自我型、超自我型、どれですか?
上手に三層が機能しているタイプですか?








2014年11月19日水曜日

子供に何を伝えよう

横浜の紅葉は12月初旬が盛り。
今は銀杏だけ、黄金色。
横浜に来てから、ブッククラブに入ったことはもう書きましたっけ。

みんなで何を読むかを決めるので、自分の偏向と異なる本を読む機会を得るし、他の方の読後感想を聞くのはEye Openingなことが多いので、楽しく参加しています。

すでに、ブッククラブのおかげで興味深い本たちに出会っており、そのうちの一冊が、この「Battle hymn of the Tiger mother」です。

これについて思ったことがあって、長々と書いていた矢先に、高倉健さんが亡くなったと知り、それまでに書いた文章がどうでもよいように思えたので書き直しです。


それでも一応、「タイガーマザー」について書いておくと、この本は、中国系アメリカ人ママ、Amy Chuaが書いた何年か前のベストセラーです。


同書を著者の言葉を借りて説明すると
「これは母親と2人の娘の物語である。本来は、中国(系)の親たちが子育てにおいて、いかに欧米の親たちよりも優秀であるかを示す話(後略)」です。失敗談もあるのですが、主となるのは中国系親の教育に対する姿勢についての本です。涙あり、笑いあり、激しい衝突あり、のジェットコースター級ドラマです。

この本で何に感心したかというと、このタイガーママの子供への献身ぶり。著者は忙しいワーキングマザーなのに、娘のピアノの練習にはつきっきりだし、良い先生のためには往復4時間の距離でも連れて行く。全体的にやり過ぎと感じることも多いのですが、それにしても、自分の身体・心にむち打ってまで、本当に熱心に子供の教育をしているのは分かる。私のぐーたら子育てにカツを入れられ、私ももっと教育に力を入れよう、と感化されつつありました。


そんな矢先、高倉健さんの訃報が...。
陰ながら健さんファンだった私。寂しいです。
その高倉健さんの座右の銘は
「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」
生きるというのは努力すること、その人生には悔いはない、という意味でしょうか。
まさにそのようにして生きた方だったんだろうな。

また高倉健さんのお母様は、健さんに「辛抱ばい」と教えたそうですね。
なんと厳しく、真実なる言葉。

人生って耐えがたきを耐え、ということが多いよね。才能、能力、そして誠意がある人ほどそうなんだろうな。多くの壁にぶち当たって、辛抱して、努力して、辛抱して、それでも前に進もうとする。

人生はつらく、それでも道を歩まなくてはならない。
そんなことを、私にまだ子猿たちに言えない。
人生は楽しいもの、と信じて疑わない、未来に対して希望しかもっていない、能天気なあいつらに、そんなシビアな現実を伝えられない。
でもそのうち、伝えるときが来るんだろうなぁ。

タイガーママのような、大騒ぎな子育て法もあれば、 
「人生、辛抱ばい」と一言伝え、全てが伝わる親子もいる。 


私の子育てのゴールは、努力をする子になってもらいたい。真摯に生きて欲しい。

そのため、今は子猿たちにもっと努力してもらいたい、努力する習慣を付けて欲しい……ということ。
それには母猿も努力しないとね。
具体的には、今までより時間を割いて子猿の勉強に向き合い、自分もいろいろなことに対して、もっと真摯に努力しようと思った次第です。

三日坊主にならないようにね~、という皆様の声が聞こえてきそう。

頑張りますです~。

2014年11月15日土曜日

ヨコハマ便り



隣の垣根の山茶花咲きほこる横浜よりお便りいたします。


先月まではキンモクセイ(これも隣の垣根)の芳香に目覚める毎朝だったのが、いつの間にか、「さざんかさざんか咲いた道♪(「たき火」)」の山茶花に取って代わっていた。
ウィキペディアをみると、山茶花は秋から冬にかけ咲くそう。
……季節は冬に近づいているのですね。

横浜に来て、早5ヶ月。
梅雨 → 初夏 → 盛夏 → 初秋 → 晩秋と、季節お移り変わりをしっかり堪能してきました。
写真でみるとこんな感じ。
6月下旬。まだ家の(これは自分の)あじさいも半開きでした。
すでに暑かったけれど、
まだ光をカメラに収める気にになった7月。
これは鎌倉の報国寺
8月、四国は金比羅さんにて氷に群がる子猿たち。
暑かったね。
今年は秋が早かった。
9月、本牧山頂公園にて。
台風がよく来た10月でした。
上のは嵐前夜、大桟橋にドックインする客船日本丸。
下は同夜、ロイヤルウィングにて
これは10日ほど前に三渓園で撮ったもの。
まだ紅葉3分咲き、って感じでした。
今日辺りは満開(?)かな
今は、朝も少しずつ冷え込んできました。
先々週まで子猿たちはユニフォームのシャツの上に、薄手のフリースを着てたのが、
先週あたりはセーターになり、
今週はその上にウィンドブレーカーを来たり着なかったり。
来週はそれをしっかりジッパーあげて著て、
その次はもうちょっと厚手のブルゾンを着て、となるのでしょう。

季節の変化がドラスティックなパリでは、ある朝、突然、秋と冬が一緒に来て、みんなが一斉にダウンを羽織り、やがて、少しでも太陽がでてくるころになると、みんながいきなりタンクトップになる、靴も、ブーツかトングか、という。
あの情緒を残さない季節の移り変わりも、ある種、未練たらしくなくて好きでしたが、
関東地方の季節の到来は、楽しむ・惜しむ余裕をくれるところが「あわれなり」ですね。

朝といえば、毎朝会う兄妹がいます。
小2、小4くらいの幼い兄妹です。
二つ先のバスの停留所から乗ってくるのですが、この妹の目が印象的。鷹のような目なの。
乗ってきた瞬間にその鷹の目で空いている座席を探します。狙いを定めるのも早く、まっしぐらに進む。お兄ちゃんが「ここなら一緒に座れる」と後部座席を示しても、出口に近い、自分が決めたところに行きます。
ランドセルをみると、中華なんとかと書いてある。たぶん、元町中華街にある中国の学校に通っているのでしょう。

この女の子の真っしぐらさに惹かれる。ちょっと怖くもあるけれど。

もう一人、よく乗り合わせる少年がいます。制服もきちっと着て、とても端正で愛らしくも凜々(りり)しい顔立ちの少年。こちらは小さく見えるけれど4年生だそうです。なぜ知っているかというと、ある日、バスが混んでいた朝、この坊やに席を譲ろうとしたら、「いえ、大丈夫です」ときっぱりと遠慮され、それがあまりにも颯爽としていたし、前から目を付けていた(怖いですね、おばさんって)のでこれをきっかけに話かけたのでした。
時代が時代だったら、「若様」と呼ばれる方だったにちがいない。そんな正統派、日本男子です。  

そうそう、前に、先の中国人兄妹にも席を譲ろうとしたことがあって、そしたら、お兄さんが「いいです」といって、妹の分まで遠慮されました。そのとき、妹は兄の顔を斜めに見上げ、「どうして?」と、不服そうな顔をしてたっけな。その正直さにもやっぱり惹かれる。本性を偽らない、小細工なしの少女。

そのほか、バスの朝の風景といえば、横浜ならでは、外国人もちらほら。金髪のマダムも、背高のっぽのムシュウも、降りるときや体が触れてしまったときなど、「スミマセン」と日本人のように日本語で謝っています。
横浜の外国人はとてもナイスな感じなのです。

あぁ、横浜、大ファンになりました。去る日が来るのが今から悲しい……。

悔いなく過ごそう、大切に過ごそう。

どうぞ良い日曜日を~!

2014年11月5日水曜日

10才の壁とは

ご無沙汰しております。
秋は行事が多くて、まだバタバタしています。

まず、10月後半、子猿が通うインターナショナルスクールでは英米の学校にならって1週間お休みがありました。ハーフブレイクと呼ばれる、この秋休みはこんな風に ↓ 過ごしました。


これじゃ何かわかりませんね。
箱根に行ったのです。
仙石原では子猿も私もすすきの海の中でおぼれそうになったり……
息をのむほど美しい芦ノ湖畔を散歩したり……
あとは、ようやく蚊が少なくなったわが家の庭で初BBQをしたり
(これはマシュマロをあぶったもの)
……のんびりブレイクに続いて、ハロウィンがあって、
元町・本牧と横浜のハロウィンはすごかったですよ~。
東京ディズニーランドさながらでした。
元町ユニオンで見つけた北海道産の西洋カボチャ。(高かった!)
フランスの義母に写真を送ったら、
「これは偽物?」
林檎でもカボチャでもきれい過ぎるくらいきれいなのよねぇ。
一昨日、文化の日は運動会でした。
フランスの学校では運動会がなかったっけ。そう思うと、フランスってほんと、学校行事が少ないですね。
綱引きはしたよ!
日本の運動会と比べると、インターの運動会はシンプル。
競技数も少ないし、子供たちも事前練習をしていないようだし、半日イベントだったし。
でも、そのせいか、子供も親もストレスなく、純粋に楽しんでいたように見受けられます。

ここでようやく主題に入ります。10才の壁です。キーワードは、「楽しむ」ということ。

いやね、子供中心の催し物が連続する中で、親の役割って、「お膳立てしてあげる」ことなんだな、とつくづく思ったのです。何をお膳立てするかというと、子供たちが楽しめるよう、楽しい想い出をたくさん持てるよう、セッティングしてあげることなんだな、って。
旅行然り、ハロウィンでも、何でも。

何甘やかしたこと言ってるの!って思われる方もいらっしゃるかもしれないけれど、こういう楽しかった記憶というのが子供たちの財産になるんだと思うのですよ。

どこかで聞いたことですが、9・10才までで脳みその形成の第一段階が終わるそう。これ以降は、その脳みそをベースに、更なるシワを刻みながら人生の複雑さに挑むことになるらしいです。

だとしたら、楽しい記憶をたくさん蓄積している脳みそは、先々つらいことがあったとき、めげる前に、「昔はあんなに楽しいこともあったわけだし、きっとこの坂道の向こうにも楽しいことがあるかもしれない」という風に考えるかなぁっと思ったのです。

さらに、この10才という脳みその発達の観点から考えるに、「10才前の子供に、あまりプレッシャーも与えない方がいいんじゃないか」とも思ったり。
それよりも、自信を持たすことにフォーカスした方が得策ではないか、と思ったのです。
自信って、持った者勝ちなところあるし、成長とともに自問自答が多くなり「さぁ自信持て!」っていわれても、なかなかそうはいかなかったりするしね。

……というのは、インターの運動会で、そんなにスポーツ得意じゃない子供たちも、みんなすごくいい笑顔で楽しんでいるのを見て、ふと自分の悲惨な運動会を想い出し、この結論に至った次第で。

運動音痴なのはもう言いましたっけ。
運動会の前は体育の時間が増えて、行進やら競技の練習練習。学校全体でテンションが上がってきて、言わずもがなのプレッシャーを感じたものでした。
運動会当日はといえば、みんなの親御さんが必死な顔で応援している中、子供だった私は心臓バクバク言わせながら、もうそれはぶ様な姿をさらしたもの。徒競走では緊張のあまり、転んだこともあったっけ。
当時の大人は、結構残酷で「あ~あ」とか「みきちゃん、体大きいのに駄目ねぇ」とか言うし、級友らは遠慮なく罵る、先生も「なにやってんだ!」と怒鳴る、そういう気風でした。
ま、昭和ですからね。

今思うのは、あの手のプレッシャーは不要だったし、ああいう評価は子供にしちゃいけない、ということ。大体、たかが運動会じゃない、ねぇ?

これら幼少のトラウマより、ワタクシメ、もうスポーツ、そして体を動かすことに対して苦手意識に拍車がかかり、内気な人間になっちゃってねぇ(!?!?)

そうではなく、もしあの頃に、「スポーツはマイペースに楽しめばいいんだよ」と諭してくれる人がいて、学校でも、運動神経が鈍いコ向けのスポーツ(散歩とかゆっくりマラソンとか?)を紹介してくれてたら、劣等感なく、また苦手意識なく、気長にスポーツを楽しめる若者となっていたかもしれない、と思う。
(今はもう大丈夫。開き直りのオバサンパワーで、できなくても、ぶざまでもやりたきゃやっちゃう)

あと、周囲の子供もね、あまりきついこと言わないように、大人が環境を作ってあげるべきだと思う。
子猿たちの今の学校では、意見言うときはポジティブなことだけ、という約束があるというのもすでにお伝えしましたっけ。批判、アドバイス的なことはいわんでよろしい、とのこと。
これを聞いたとき、最初は「それじゃ勘違い人間を育成しちゃうんじゃないの?」と危惧したけれど、今は、「いんや、それでいいんだ」と思うようになりました。

今は現実を見据えるよりも自信を積み上げる時ですからね。
兄猿は来年10才、そのあとにはちび猿がいるしね、踏ん張りどころです。
そういうわけで、母猿は今日もせっせとお膳立てを続けるのでした。


次のイベントはクリスマスバザー
お近くにいらしたらお立ち寄りください。

2014年10月21日火曜日

丸の内ものがたり

昔のビクトリア風赤煉瓦の三菱一号館美術館がある一角。
後ろには新品の高層ビルがくっついています。
先週金曜日は、一般公開が始まったばかりのミレー展を観に、三菱一号館美術館に行ってきました。
同行してくれたのは、高校からの友人でAKちゃん。
ミレーといえば、フォンテーヌブロー。フォンテーヌブローといえばInsead、我が母校だし、農民の絵には何故か惹かれるし、バルビゾンにも何度か足を運びました。
そしてAKちゃんといえば、パリ大美術史の博士号を持つ才女。
下手な写真で申し訳ございません、ミレー氏よ。
是非、上のミレー展のリンクで正しく撮られた名画「種まく人」を観てください。
展示会初日に、遠方から観にいったのです。
素晴らしいでしょ?この芸術欲。それはそれは造詣深い話になったかというと……

ミレーの描く、力強い農民の働く姿を観てたら、働いてもいないのにお腹が空いちゃってね。
三菱一号館美術館に併設されているオシャレなブラッセリーに招いてくれようとするAKちゃんを、強引にオヤジくさい牛タン屋に引き込み、AKちゃんの、「何故遅刻しちゃったのか」というのに、「いいよいいよ、東京駅、わかんないもんね、もう年だからなんでも時間がかかるよね(?!)」という、たわいもない話となったのでした。

東京駅、丸の内辺りは、そこで働く機会がなかった人には、たとえ生粋の東京人だろうとも迷路のようです。
特に今の丸の内は、もうディズニーランドのようにピカピカで美しく、オシャレで、日中は人混みも少ないので、映画のセッティングに入ってしまったような不思議な感覚。

そんな中、ふと目に入ったのが東京會舘。
私が、「あぁ」と思ったのと同時に、
AKちゃんも、
「あ、東京會舘があった」
この「あった」は「見つけた! 」という意味の「あった」ではなく、「そうだった、東京會舘があるじゃない」という「あった」だったと思います。
AKちゃんの、プルーストのマドレーヌ的な東京會舘のプチフール。
これは秋バージョンです。
そして私の「あぁ」は、
「そうだった、日本に来たら、東京會舘に行くんだった」
というのを想い出しての「あぁ」です。
このことを、東京會舘を見かけるまで、まるっきり忘れていたというのでもありません。
パリから戻ってきて、東京駅に行くたびに、皇居を遠くに認めるたびに、「あの近くにあるんだよね、T會舘」って想ってて、いつ行くことになるんだろ、私、って気になっていたのです。

東京會舘は、井上靖の小説「化石」に、T會舘として登場しています。この大作のタイトルが「化石」というのの、理由がここにあるという、大切な場所なのです。

「化石」では、ガンに冒され、もうまもなくこの世と別れるだろう初老の主人公が、この何ヶ月もの間、死と会話し、死との対面の準備をしている、その道筋を記した話なのですが、そんなある日、主人公はT會舘の、化石が埋め込まれた大理石のロビーにて友人が来るのを待っている。すると、太古からの時の壮大なる流れが実感されて、その中にいる自分の死を自然なこととして受け止められる……
という、主人公が、死を受け入れる心境になる、読者も死とはそういうものなのか、と説かれる、そのステージがT會舘なのです。

もしお時間あるようでしたら、以前小説「化石」について書いたことがあるので、コチラを観てくだされば少しわかるかな。

そのT會舘が、映画のセットのような新・丸の内の脇道にふっと現れ、AKちゃんという、お互い高校時代からの30年という時間の重みを現実のものとして実感できずにいて、気持ちだけは永遠のティーンエイジャーなる、ふわふわマインドの同志と一緒に足を踏み入れ、ついに、あの「化石」のロビーを探した!

でも、ワカラナイ。
このロビーの、この壁のことを言っているような気がするけれど、どこかで違うって知っている。
「聞いてみなよ」とAKちゃんは言うけれど、
「え~、変だよ。なんて聞くの? 『つかぬことを伺いますが、私が生まれた頃に書かれた、ま、それって約50年も前のことなんですけどね、井上靖の「化石」という小説をご存じですか? その一場面に、こちらのロビーが出てくるのですが』……なんて聞いても、あんな若い人たち、『は?』ってなもんでしょ。」
なんていうやりとりをしていたら、とても真摯な印象の職員の方を見つけましてね、吸い寄せられるように、「あの~、つかぬことを……」というセリフがスラスラ出てきて、尋ねたところ、とても温かい対応を受け、実は・・・・・と教えていただいた話は……。

長くなるので、以下、第二部に回してもいいのですが、めんどくさいので一気に書きます。お読みになる方は、ここで一度閉じてくださってもかまいません。

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現在の東京會舘は、今から約40年前に谷口吉郎氏により建築されたので、実は、「化石」に出てくるロビーは、もう取り壊されたそうです。
ところで、谷口氏は、その頃としては先鋭なるアイデアを持っておられ、アーティストとのコラボを実現されたとのこと。ロビーのモザイクなど、猪熊弦一郎氏の作品が多く置かれています。マティスを彷彿させる、ポップなアートは40年経っても魅力があせないものですね。

猪熊氏のモザイク。©AKちゃん
さて、問題の化石ですが、旧館を取り壊すにあたって、あまりにももったいない、ということになり、一部を11階、12階のエレベータホールに移動されたそうです。今回は無理を言って、見せていただいてしまいました。

ジャジャーン!
という割には下手な写真でスミマセン。
コレニア大理石は、約6億年前の珊瑚の化石からなる大理石だそうです。
思わず両手をあててしまう。
目を瞑ると、ひんやりとした感触の奥に、何かが見える。
でも何にも見えない。
宇宙みたいな際限ないものを漠然と感じるのです。
すごいね、化石って。

そしてこの大理石で作られた旧館は、関東大震災にもびくともしなかったそう。
小説によると、当時は、こうして大理石を使った建物がいくつもあったそうです。
現代は、豊かになったようでいて、昔はできたことができなくなっている。
古いものを壊さずに、新しい技術を積み重ねていければいいのにね。

というのも、この建物も、丸の内ディズニーランド化の波の中、来年1月に取り壊しをはじめ、2018年頃に新しくなってお目見えとなるそう。新しい建物はどんな感じなのでしょう。

そのときにこの大理石を移築するのでしょうか。
もし、しないのなら、是非、一般の人々に買い取るチャンスを与えてほしいです。

ちなみに、現在のロビーも大理石で作られています。それも職人さんが手によって打ち均したという、現代ではあり得ない手の込んだものです。これはどうするんだろう。そして猪熊氏のモザイクは?

最後には現実的な気持ちにもなり。
でもやっぱり、この日は時空を超えた空間にトリップしたような、夢のような時間だったな。

でもね、家に帰ったら、掃除・洗濯・炊事・育児が待ち受けていて、ま、ショウガナイ。

長文にお付き合い頂き感謝です。
また行きますね。



2014年10月9日木曜日

インターナショナル・スクール VS フランス現地校

台風18号がここ横浜にも来訪し、去って往った今週。
金木犀も吹き散らされたかと思ったけれど、今朝あたりより また香しい匂いと共に再び開花しているようです。
それにしても、あっという間に10月なんですね。
10月といえば、ハロウィン。
日本でもすっかり定着したようですね。
子猿たちが横浜にあるインターナショナルスクールに通い始めて、2ヵ月近く経ちました。
もうすっかり慣れてきたようです。

まず英語。
兄猿は9歳ですので、インターでは4年生。
兄猿、パリの学校で2年、3年生のときに「英語特訓クラス」とやらを採っていたこともあり、意外なほどに、英語は苦になっていないようです。また兄猿は性格的に、好奇心が強く、
たとえ上手に話せなくても、周りに迷惑となっても、話してみたい、読んでみたい、書いてみたい派で、
私などはそのふてぶてしさにあきれることもありますが、
この新しい環境では吉と出ているよう。

一方、2年生のちび猿は、当初は、
「ボク、英語は話せないんだ」
「フランス語セクションに行きたい(このインターには、小さいながらもフランス学部があるのですよ)」
と少しだけおじけついてましたが、先生のサポートのお陰で、この何週間は、急に自信がついたみたい。

そして、子供は語学に強い、という神話は本当だと思いました。

ちび猿は毎晩、30ページ程の簡単な絵本を読まなくてはならないのですが、元々、ほとんど文盲だったのに、毎日上達しているし、英語の発音も本格派です。

とにかくにも学校側の援助なしではここまで来れなかったでしょう。
兄猿・ちび猿2人とも、現在は、普通の授業の合間に、毎日30分、英語の先生に特訓してもらっています。まずはこれを8週間やってみて、その効果をみてもっと必要があれば、続行するそうです。

それに加えて、ちび猿は先生の計らいで、授業中にミニiPadを貸与されていて、それに言いたい言葉をフランス語で書いて、英訳させるという試みもしてくださっているよう。
ただこれは効果があるのかしら。……ガジェット好きのちび猿は、そりゃ憧れのiPadに大喜びだけど、何しろ、フランス語の綴りもままならない子猿だからインプットする時点で誤字フランス語でしょう。
翻訳ツールは機能するのでしょうかね。

…...とにかくこの英語に関する援助には、学校に感謝感謝です。



その他、フランスの学校と比べて違うなぁ、という点を挙げますと、

・ とにかく「ファンタスティック!」
……噂には聞いていた、アメリカのポジティブ・フィードバックは予想以上にそうでした。
「うちのコ、どんな感じでしょうか」と聞けば、「He is ファンタスティック!いい感じいい感じ!」ってなもんで、
体育の先生とすれ違えば、「今日もちび猿君、よーく走ってた!He's グレイト!」。
図工の先生に会えば、「兄猿君は天才ね!ちび猿君の色のセンスはファンタスティックよ」

……とまぁ、実際を知っている母猿からすれば、色んな事象の中から見つけ出した褒めどころを10倍以上誇張して褒める褒める。
母猿が、「でも、うちのコ、綴りがだめでしょ、字が汚いでしょ」など言って、ほんとのところを聞き出そうとしても、「あらぁ、そんなのいいのいいの! それより、聞いた?兄猿君の達成度チェック。すごい進捗状況よ」と、とにかくポジティブな点にフォーカスを当てているようです。

母猿、最初は、この「褒めすぎ」傾向に戸惑ったものでしたが、今では、徹底的なポジティブ思考に、ある種の爽快感を感じています。

私は子猿たちに対して、「よーやった。でもここは全然だめ。改善するように」と、現実を見据えて説教するタイプで、それは、もちろんその方が子供のためになるだろう、と思っていたからなのですが。
徹底したポジティブ精神は、確かに子供に自信を植えるだろうな、と、認めざるを得ないようになりました。
考えてみたら、短所なんて、本人が一番知っているだろうし、また他人から指摘されたところで本人がそう認識していなければ、ガタガタいってもしょうがないのかもしれないし。

フランスの学校はどうだったっけ、と思い起こすと、私と同じ程度のポジ・ネガ混合フィードバックだったかと。ネガティブな意見も、歯に衣着せずに「字が汚すぎ!やり直し!」という感じ。ま、私もきついタイプだから、「そうそう、汚い! 書き直しなさい!」と追撃してましたっけ。あれは良くなかったのかもなぁ。



・チームワーク重視
これも噂には聞いていたことですが、本当に、チームで色々プロジェクトを組むようです。例えば、算数などという、個人で問題を解いて訓練するしかないでしょ、と思われる科目でも、「解き方をグループごとに考えて発表する」らしい。このアプローチが学習能力にどうなのかは不明ですが、少なくとも、友達とワイワイ考えるのが楽しいみたいです。家に帰ってきても、「誰々がこんなこと言ってね」とか「そのときに僕がこう提案したんだ」という話が多くて、特に兄猿は社交的でないので、受け入れてもらえてよかったね、友達と楽しい時間が持ててよかったね、と思いますし、兄猿はこの経験より少し自信がついてきたように見受けられます。

フランスの学校ではまだ学年が若かったこともあり、チームでやるプロジェクトはなかったような……。個人主義ってやつですかね。

・プレゼンテーションも多い
兄猿のクラスでは早速、科学の授業でプレゼンテーションがありました。親も観に来ていいよ、ということだったので行ってきましたが、あらあら、リッパだこと! コンピューター使ったり、模造紙に資料を書いたりと、やってるヤッテル! これらプレゼンはチームでやってよし、一人でやってよし、という鷹揚な姿勢もいいな、と思いました。

また小2のちび猿たちも、週に一度くらいはクラスメートの前で、自分の好きなものについて話すとか、あるトピックに対する意見を述べるなど、パブリック・スピーチの練習をしています。
フランスの学校ではこういう機会はなく、それがあのフランス人のプレゼン下手に繋がっているような気がします。
かぼちゃシリーズのネタがつきましたので、小花を一つ……
・ 父兄参加型のイベントが多い
多いどころじゃない、すごく多いです。既に、しょっちゅう授業参観があるし、朝礼にもどうぞ、っていうのもあった。そしてまもなく、ハロウィンのべークセール、体育祭、クリスマスバザーなどもあるようですし、2週間に一度はイベントがあるんじゃないかな。その準備のために駆り出されること多くて、その他にも親のためのクラブ活動というのも盛んだから、四六時中子猿の学校にいる気がします。子猿たちも、もう「ママもここにいる人」という感じなのか、学校ですれ違っても、「Oh,hi!」ってなもんです。
働いていたら、こうはいかないと思うけれど、学校と家庭の敷居が低いのは子供にとってはいいことなのではないか、と思います。一体感というのかな、なんか安心するんじゃないかしら。
フランスの学校では年に1、2回しか、子供達の教室に入る機会がなかったですし、「家庭は学校の方針に口出すな」という感じありですし。

……と長くなりましたが、その他にも、一クラス少人数制、音楽・美術教育重点的、イジメゼロ!という姿勢、先生は夜でもメールでやり取りに応じてくれるほど親身、あと日本語教育も週2時間ある、給食がおいしい、放課後のクラブも充実している、など、いまのところ、新しい学校に満足の親猿・子猿です。 

ま、今はね、年齢的にも進路とか考えなくてもいいし、プレッシャーもない、少年時代の黄金期。
この時代を謳歌してもらうとします。

2014年10月5日日曜日

フランスの味を日本で……

今週は買い物が楽しい一週間でした。
ここ横浜にも秋が訪れたようで、スーパーに行けば、柿、みかん(もう!)、さんま、秋鮭がお買い得な値段に下がり、栗はあるわ、神奈川県産のサツマイモはあるわ、季節が夏から秋に移ったことを確認させられる品揃えでした。

食の国、フランスの農産物、肉、魚のおいしさは、日本より勝ると思います。でも日本には日本ならではの作物や魚があって、例えば、小松菜のように、えぐみというかアクっぽい野菜、歯ごたえが楽しい野菜(日本のキュウリ、もやしなど)はフランスでは手軽に使うことはできない。
たとえば、小松菜、葉唐辛子、三つ葉、水案、茗荷といった
冷蔵庫にたむろってた青野菜を
友人からもらった茅の舎のだしでさっと煮ただけの
香川県産の細うどん。

アラフィフの腹にぴったりの味だこと。
日本ならではの一人ランチメニューです。
あとなんといっても魚が新鮮で種類が豊富。
浅利、ホタテ貝柱といったものも、20分並ばずとも(カールフール、オトィユ店調べ)気軽に新鮮なものが買える。そして、産地も細かく表示されているから、自分で安全リスクを確認しながら購入できる。(放射能って言葉は、タブーなんでしょ?「安全」という言葉に置き換えることになっているらしい昨今の動きに倣ってみました)
パリでだったら、北海水産、マルシェを動員して
100ユーロするかもしれない手巻き寿司も
徒歩5分圏内、コストは半分以下で調達できる。
兄猿よ、今だけのご馳走だからね、食いだめするのよ。
一方、フランスの方が有利なものは、たとえばビフテキなどの肉のおいしさがキーの肉料理。
牛・豚・羊・鶏、どれとってもフランスの方がおいしいと思います。コクが違う、野趣味が違う、熟成度が違う。

また、じゃがいも、ニンジンといった根菜類もフランスの方が甘味が強くて好みです。フランスの土壌は肥沃なんでしょうね。レタス類もフランスのはもっと葉っぱの味がすると思う。果物もそうだけど、フランス産の方が味が濃いと思う。

パリの週末と言えば、何かのローストかビフテキ、そして添え物にはポンムドテール・ソテー(詳しくはコチラを)だったのですが、これを日本のジャガイモでやっても、甘味に欠けるのでイマイチです。
日本のジャガイモはどの種を使っても、パサパサしている。そこで、ポンムドテールエクラゼと呼ばれる、ゆでたジャガイモをフォークの背でつぶし、バターをたくさん乗せるという、いい加減なマッシュポテトの様なものを作ってみたのですが、甘味が少ないので、塩バターとのコントラストがイマイチで、ツマンナイ味。そこで、今旬のサツマイモを混ぜてみたんですが、そうしたら、結構フランスのに近づいてきました。

反対に、敢えてア・ラ・ジャポネーズをやってみたのが、このシリアルバー。
もともと適当な私の料理ですが、シリアルバーはその究極でして、
オーツ麦、2合
ナッツ 1合 (「合」なのは、長いこと計量カップすらないままお菓子作りをしていたからです)
……これらはざっくりとフードプロセッサーで細かくしておく。

オリーブオイル大匙2
はちみつやメープルシロップ 大匙2
砂糖 大匙2
水 大匙2
塩 小さじ1/2

と言う基本型の材料をただ混ぜ、
天板に敷き詰めて
130℃のオープンで焼く。

のですが、
今回は、ナッツをアーモンドにして、さらに1/2合の煎り大豆、大匙2のイリゴマ、そして塩の代わりに味噌を小さじ1強混ぜてみました。さらに、糖分として黒蜜を大匙1加えたり、と日本ならではの応用をしたのです。
さて、いざ焼こうとしたら、新居のオーブンがガスオーブンで、最低温度が170℃ということに気づき、でもま、しょうがない。170℃でやってみたら、30分程で、カリッとなり、「なぁんだ」と、ますます「いい加減でもいいんだ」と危ない確信を得。

大豆が入ると、急にひなびた味になりますね。私的には大変美味しゅうございましたので、
「超いい加減料理」をシェアさせて頂いた次第で。

大雨の今日、台風、参りましたね。
どうか皆さん、ご無事に、そしてご自愛を!

2014年9月27日土曜日

「女」である喜び

今日の横浜は最高気温が21℃、垣根からは金木犀の香りが夕風に乗って漂ってきてて、梅雨入り宣言ならぬ、秋入り宣言。
秋始まってますね。

先ほどはお風呂場にて蚊の死体を見つけました。25℃以下だと蚊は生息できないとか。
この調子、この調子……。

今夜は近くのパスタ屋に行くことを子猿たちに約束させられたので、家事からも解放され、お気楽な夕暮れです。
影法師も長くなり……
さて、秋と言えば、読書の秋。
外食ウッシッシ、手抜きだウッシッシ、と喜ぶは私とは対照的な、女の鏡、働き者の代名詞、幸田文さんにはまっています。

幸田文といえば幸田露伴の娘さんです。
恥ずかしながら露伴を読んだことないのですが、幸田文さんの本は通して、読者に対し、「私は露伴の娘だというだけで、大した文筆家ではないのです」という明確な立ち位置を念押ししてきます。いやいや、露伴さんもすごいのでしょうが、文さん、素晴らしいです。
でも、そういう、控えめな姿勢が素敵。
「控えめ」であり「謙遜」スピリッツ蔓延なのですが、「自信がない、弱気」というのとは違います。
強いです、幸田文。この微妙な加減、すてきです。

そして、なんという才能なんでしょう。
ほとばしる感受性が一語一語にはじき出ている。
きっとその生涯においては、露伴の娘だから得られた縁もあったでしょうが、家族愛に恵まれなかった幼少があり、あの時代に子連れ離婚もしているし、けっして幸福なお嬢さん人生を歩まれなかったようです。
いつか、宮沢りえちゃんが、インタビューで「大切なものは何か」と尋ねられ、
「悲しいことがあると、嬉しいことがある、とても悲しいことのあとにはとても嬉しいことがある。この感情の振り子を大切にしたい」
と答えているのを聞いたことがあります。
感受性って、やはり悲しみの中で磨かれるのかな。

幸田文さん、端々から、自分に正直に生きること、愛情や誠実を表すことに真摯にだったことが伺えます。……それは、時には、献立を考える、料理をするという「女っぽい」ことを通してだったりで、グータラ主婦の私ですが、「わかる!」「あ、一緒!」と共鳴すること多々。

自分の感情を出す、抑える、抑えきれない、でも抑えなくてはいけない、という、明治の終わりに生まれ、戦争をくぐり向けた、当時の女性の日常の葛藤を鮮やかに書き記してて、ま、言ってしまえばそれだけなんですが、これが立派な文学となっていることに目がウロコです。

何がって、そうだよね、日常って、小説よりも奇なりというくらい、小さなドラマがいっぱいあって、振り返ってみると、結構すさまじかったりするもんね。それをこんなに美しく鮮明に書き記したら、それは立派な文学、芸術だよね。
奇をてらう、最近の暴力的だったり性的で世紀末的な小説より、よっぽどいい。
よく生きよう、しゃんとしよう、という気持ちになります。


毎度おなじみ三溪園!
もうすぐこの深緑が色づいてくるんだろうな
幸田文さんを読むかたがた、18年ぶりにお花のお稽古を再開したところでもあり。
超不真面目な私をまた引き受けてくださった先生に感謝です。

第一回目のお稽古はこんな感じ。
先生、ごめんなさ~い!
真の枝を逆に入れてしまった
先生がお手本にと、花器に一本ずつ花を挿されると、まるで聖書の創世記のように、地が創られ、天が創られ、やがて生命が宿る。
鬱蒼とした緑、菊の香しさ、空の向こう側にまた小花が咲いている、そんな森羅万象が創られていく……私も歳ですかね、見てたら何だかグッときちゃった。


お稽古のあと、先生と二人で、「このお菓子、どう思う?」「この花器、素敵ですね」と、女ならではのトピックでおしゃべりする。もちろん、男の人でもいいんですけど、女の感性で意見を交わすときに、ドンピシャリな感じは、悪いけど、女同士ならでは。

あぁ、女っていい!
そんなことを思う初秋の夜。

明日からまた少し暖かくなるのかな?
いずれにせよ、どうぞ皆様ご自愛を~。

2014年9月17日水曜日

幸福論 (……大げさですが!)

ちょっと前に、子猿たちを学校に送り込んで帰ってきました。
風はもうすっかり秋。
朝夕はとても過ごしやすいこの頃です。

今年は強烈に暑い夏だったけれど、8月終わりから秋が始まったのはよかった。
振り返ると、どうやってあの暑く、忙しい夏をこなしたのか。
プールに動物園にとよくもまぁ動いたこと。

……などと顧みる余裕が出てきたあたり、新学期も落ち着いてきたということでしょう。

子猿たちの学校生活もリズムが見えてきました。
放課後活動も、剣道クラブとフランス語の補習があり、ピアノの練習も再開しましたし、多忙な子猿たちです。

登下校、保護者と一緒が原則のフランスの児童と違い、日本の子供たちは一人で学校に行きますが、それには相変わらず躊躇いが……。
ま、もう少し様子を見てみます。
それでも母猿とは交差点でグッバイ。
階段からは2人で登校するようになりました。
母猿も、少し落ち着いてきました。
先日は、パリに居る時から気になっていた本、日本語で書くということ というものと、日本語で読むということ、さらに、辻邦生氏との書簡集、手紙、栞を添えての三冊を入手したので、どっぷりと水村美苗さんの世界にはまっています。
水村美苗さん、やっぱりいいわぁ。

水村氏は、とにかく漱石などの日本文学がお好きとのことで、エッセーにはそれらの分析や思い入れが描かれている。それを読んでいると、日本文学に余り反応したことない私でも、読んでみたくなります。

水村氏、そして辻氏の話を読んでいると、その知性も素晴らしいのですが、こんなに好きな物があって良かった、そしてその喜びを分かち合える人がいて良かった、さらには、それを創りだすこともできて良かった、という、彼らの幸せを感じます。

水村氏の、ベッドに寝転がって、おせんべいかじりながら漱石を開くと、実際にはそこがアメリカであろうと、自分のマンションの一室であろうと、頭の中は、彼女が大好きな時代……七輪があって、着物姿のお延が佇む、といった世界に浸れる、その幸福感は、読書が好きな人なら大なり小なり似た体験をしたことがあるでしょう。

辻邦生氏は、学者だった奥様と、寝枕で芭蕉の歌の連想ゲーム(だっけ?)を楽しんだり、と、凡人とは違うレベルで文化に親しんでらして、なんと贅沢なことだろう、と思いました。

幸福、贅沢、と言ったものが、こういうことを指すんだ、と今、あらためて実感を持って確認した思いです。

というのも、いつの間にか、「幸福、贅沢 ≒ お金持ち」、という風に捉えるようになっていたようです。
また、金持ちになる=人生の勝者、という概念に呑みこまれかかっていたよう。

金持ちになれなかった自分は敗者とは思わなんでも、「ちっ、この程度の人生かい」と、心のどこかで自分を嘲笑う気持ちが潜んでいないとも言えない。

でも、水村美苗さんのエッセーや辻邦生さんの話を読んでいると、彼らにとっては、お金なんてほどほどあれば御の字で、自分の知性をストレッチさせてくれるような本やそれにまつわる人々と、どれだけたくさん出会ったか、という想い出が人生の宝物のようです。そして、お互いの「想い出カード」を競うかのように交換しているのが微笑ましく、羨ましく。

幸せとか贅沢とかって、きっと、好きなものを知ってって、それに没頭することができて、そうすることによって自分が高められることを感じている状態なのかな。

週末の三溪園。日差しが秋でしょう?
私の場合はなんだろう……。
今は子育てが筆頭かな。子猿たちが元気に成長している様子を見ると、何とも言えない喜びを感じます。そして見返りを求めない愛情を幾らでも注げる自分がいることに「すごいじゃん」と思う。
親だから当たり前のことですが、ちょっと前まで自分のことしか考えない若人だったことを思うと、私も進歩してるのかな、なんて思うのですよ。 

あとは、読書、書くこと。
でも好きなのにマジメに没頭していない!
もっと読もう、もっと書こう。

……ということで、この秋は、ブック・クラブなるものに入ってみました。その様子はまたいつかお知らせしますね。
皆様も、素敵な秋を過ごされますよう……。