2012年8月25日土曜日

子猿達よ!


夏休み中の子猿達を義理の両親に託し、田舎の家で面倒見てもらっている今日この頃。昨夜パリを出発し一週間ぶりに会いました。久しぶり会ったら大きくなっているかも、なんて思ったけれど変わりありません(当たり前か)。大勢の従弟たちと一緒で、「楽しい時もあれば、そうでないときもある、けれど、そういう時は兄弟手をつないで頑張る」そうです。再会の瞬間は有難がられたけれど、「お礼は!」「ひじつかない!」「ピアノ練習は!」「挨拶、聞こえない!」と母猿のガミガミが始まると「ちっ」という顔して散っていきました。 

母猿といえば、この一週間の間、山崎豊子著の「二つの祖国」という、第二次世界大戦の後半から直後までの日系二世の物語を読んでいました。 
主人公は、カリフォルニアに住む日系二世。まっすぐで勇敢でりっぱな青年で周りからも尊敬されています。それが日本がアメリカを攻撃するあたりからジャップ、ジャップと差別を受け、強制収容所、そして忠誠を見せるためにアメリカ軍に属して、最終的には東京裁判の通訳のモニターをする。その間に、屈辱があり、弟の戦死があり、広島があり、そして東京裁判があり。「正義」の裁判が、結局のところ政治的な陰謀・復讐で、当時の国際法にも准じていなかったと。日本の残虐行為を罰するならば、原爆は?原爆後のアメリカの対応も非人道的と非難すべきではないか。 
ドストエフスキーもびっくりの大河ドラマに、夜は枕を濡らし、通勤のメトロの中でもひっくひっくとむせび泣く、奇異な目で見られながらもやめられない止まらない、で昨夜やっと読み終えました。 

最後の方で、「戦犯」らに対する家族の最期の交信のくだりは胸打つものがありました。 
まだ18歳の、木村兵太郎という、この本においては不運から極刑に処されるという解釈をされている人の息子が、獄中の父親に送った手紙には、 
「父上を奪い去れることは実に悲しむべき事実です。然し徒(いたず)らに悲しみますまい。それは父上が望むことでないでしょうから。……遺憾なのは、お父上と接し、愛する貴方の人格をもっと深く知るには私が幼すぎたことです。」 
東北震災の時の「こんなむごい運命が何故自分たちに降りかかったのかわからない。それでも天を恨むことなく、精進したい」と答辞した中学生を思い出しました。子供って、時折、思いのほか強くて気高い。こうして一機に大人にさせられるのですね。 

別れを伝えることなく戦死した兵士、帰還できたけれど手足を失った兵士など、本人、家族は、もっとつらいこともあったでしょう……とにかく胸が詰まります。 

この本から気づかせて頂いたのは、「東条が悪かった、軍国主義が悪かった、南京大虐殺、捕虜拷問は悪かった」と短絡的に学んできましたが、何故そうなってしまったか、と掘り下げて考えること。 
日本は米英蘭からの経済制裁等から挑発されたところもあるのではないか、考えてみたら、ほんの百年足らず前まで、士農工商の下、恐怖政治を引かれていた民族が、本当の民主主義をわかっていたのか、そんな不条理な憲兵政治(=恐怖政治By 東条etc)の下であったこともない天皇のために命を捨てる覚悟で戦ってきた無教養の兵士の狂気的ストレス、そして半狂乱に虐殺に至る心理、パールハーバーは本当に奇襲だったのか。 

いつか、子猿達に、「これが近代日本の歴史なんだよ、こんなに苦しんで、一所懸命考えて「こうしよう、するしかない」と選んだ道が間違えていて死んでった人たちがいて、狂気の中でも前に進もうとして生きた人たちもいて、復興したのが日本なんだよ、ということを知ってもらうためにも、読んでもらいたい本です。 

Allez、文盲の我が子猿達よ! 
そのためにはまず宿題ね。まだ絵日記も音読も終わってないじゃない。漢字ドリルというのもあったっけ。どうすんの! 
もうすぐ夏休み終わりますよ~。 

2012年8月13日月曜日

子猿達のいない日々



週末はサルト地方というパリから200キロちょっとの田舎に行ってました。24時間耐久レースのルマンの近くです。 

行きは家族4人、帰りは夫と私だけ。これから新学期の始まる9月2日まで、子猿達は祖父母、従弟達と過ごします。私と夫は週末などに顔を出しますが、初めて、親がいない環境で過ごす予定。 

多分大丈夫だと思うのです。ちび猿は5歳半で「あまったれお」だけど、そろそろこういう体験も大切かと。 

昨日の帰途から夫が「静かだね、さびしいね」とうるさ いのをそっと無視して、今日のところ、母猿は解放感に浸っています。子離れ、親離れ、上手く行くかしら。 

そんなことを思うのも、先日、友人が過去の男について分析をしていたときに気づいたことがあるのです。 
「……要は、あの人は持ち上げてあげなくちゃいけなかったンだと思う」というのを聞いたときに、私もそういう男の人知ってるなぁ、と。友の前夫も、私が知ってた人も、共通点は父親不在の環境で育っていたこと、そしてその母親は同じ女としてとても好感も尊敬も持てるタイプの方。 

想像するに、母親は、上手に持ち上げながら、いわゆるポジティブフィードバックで子供のやる気、自信を養っていたのでしょう。今の時代、多くの人、そして私もやってることです。 

でも、何かが欠けていたがため、この男の人達は、歳をとってからも、「すごい!上手ぅ!」とほめられないとヘソを曲げてしまうという幼稚さを捨てられずに育ってしまったよう。 

きっと、普通なら色々な人(何と言ってもまず父親)と接するうちに、現実が見えてきて、刺激を受けて、その子の人格形成がされていくのでしょうが、この人達の場合、身近な大人が主に母親だったこと、そしてその母親が立派な人だったがために影響力も強かったのでしょうか。 

「ばかばかしいよね、そんなの」「大人同士なんだからさ」「日本人家庭にも多いよね、このパターン。父親不在だからさ。お母さんのクローン化している子供、よくみるよ」などなど散々身勝手にしゃべったあと、ふと振り帰る我が身。うちの子猿達、大丈夫だろうか。 

二人とも外見も性格も夫側のDNAの方が強いようで安心していたけれど、最近になって、たとえば兄猿の発言は私に似てきました。話し方に至っては、何といっても日本語は私の影響が90%以上ですから、似てること!「~じゃん」というはすっぱなところ、「はいはい」「わかったわかった」と繰り返すところとか。すぐきれるところとか、言い訳がましいのとかも似てる似てる。 

私の影響が強すぎないだろうか。実は私もマザコン男を培養しているのではないか。うぅ~、嫌だ嫌だ。 

まぁ、そんなに立派に生きてませんから、影響力もほどほどであると思うけれど。夫も子供と接する時間が少なくはないから、大丈夫だと思うけれど…… 

そんなことを思った最近でしたので、義母の申し出にも「どうぞどうぞ、お願いします」と子猿達を引き渡したのですよ。 

どうか神様、子猿達のこと、よろしく見守ってやってくださいまし✝

2012年8月8日水曜日

日本の変なとこ

今回は日本で感じた「変なの」シリーズです。

一番苦手だったのは、テレビのテロップ。
なぜどうでもいいような発言までショッキングピンクの大文字で確認させられなくてはいけないのかわからないです。この風潮が始まったのは、1990年頃だと思うのですが、同時に私のテレビ離れが始まりました。テロップで、「笑え!」「驚け!」と強制されるのは嫌ですし、目がチカチカするのでやめてほしいです。
いつかの内田樹ブログに、日本ではメディアが役割分担をしていて、新聞は政治的に正しいことをいう媒体、テレビはどうでもいいことを言う媒体となっているとありましたが同感ですね!
そして驚いたのは、女性達の日焼け対策ファッションです。
あの暑さの中、腕には黒いレッグウォーマー風のものをし、足はスカート、ショートパンツの下にレッギング、もしくは黒タイツを履き、ダースベーダーのようなサンバイザーを被るの。また暑いのに重ね着も多く、ワタシにはわからなかったです、このファッションセンス。そして、そんなに恰好してまで守るその肌は一体誰のため?女性なら、見られること、そして自己満足のために美しくするのだと思うのですが、ショーウィンドーに映る、体の線、肌を隠しきった自分の姿に喜びを感じることができるのでしょうかね。

あと、ショックだったのは、自虐的営業法。
例1.日本のユニクロで、女性販売員がチラシをそのままパネルにしてサンドウィッチマンみたいに首からかけて働いていました。そんなの、小さくて見にくいし、人の身体の上に置かれているチラシをじっとみるような不躾な客もいないと思うし、効果なし。そして何より人として、販売員として、社員としての尊厳を損なっているから、やめなさい、と何故上司はいわないのか。指示されてやっているのか。ユニクロの企業体質を見たように感じました。偶然か、これが理由かは自分でも不明ですが、帰省時恒例となっていたユニクロでの大量買い、今回は一切しませんでしたわ。

例2.品川駅前のパチンコ屋で、本当に意味不明なのですが、一人用のお立ち台が作られ、炎天下の日中、はっぴにねじり鉢巻き、短パンの若い男性ニタニタしながら立ち、音楽なし(本人は聴いているのかもしれないけどスピーカーはなく)ちょっと「痛い」感じの踊りをしていました。その背後で若いねーちゃんが彼に合わせた動きをしているときもある。一見劇画マンガチックな絵でしたので、それがマンガ世代のパチンコ客に受けるの?でもこれ、なに?奇異でしかないです。また本人はいくらバイト代をもらえるのか知りませんが、心を削られませんでしたか?労働とは何?見ていていたたまれない思いがしました。

その他としては、相変わらずですが、個装・包装の過剰サービス。あとスーパー袋も、決してエコ先進国ではないフランスと比べてもスゴイ使われよう。右に倣えの国ならば、こういうのを廃止する条例を作るべし。

外野からうるさく言ってごめんなさいね。どうぞ悪しからず!


2012年8月6日月曜日

日本の良いところ

灼熱の日本、今日は関東地方は気温が下がったと聞いてほっとしています。

こちらパリはさびしいほどの冷夏。時差も少しずつ取れてきた今朝、この度日本で購入した新しい富士通のPCに旅の写真を初ダウンロードしてみました。

このPCは、Made in Japanをセールスポイントにしています。出雲の工場で仕上がったそう。夫はそれだけで「買え、買え」と言うので買いました。5年前に日本で買ったデジカメにいたく感心している夫。このキャノンのデジカメもMade in Japanだったこと、そして韓国製のネットブックが1年余りで壊れたことから、夫の日本製に対する信頼は絶大です。確かに、今のところ快調です。最初ちょっとした不具合があって、サービスセンターに電話したときの対応も好感度抜群でしたし、まぁ満足。

一方、日本製は配慮が細かすぎるので、おおざっぱな私には使い勝手が悪かったりもすることもある。たとえば音声なども屋内屋外はもちろん、居間にいるか部屋にいるか、で設定を変えることができる。果して、日本における部屋の定義と居間の定義はフランスの一般家庭に当てはまるのか。そこそこの音声で言ってることがわかればいい私。でも、夫は凝り性だからやたらいじって、中々映画に入れなかったりする。
また、このフォトアルバムなども、勝手に日付ごとにファイリングしてくれるので、全部見るのが面倒。

とにもかくにも私としては長く持ってくれれば御の字です。

さて、何枚か、目についたよく取れた写真をアップします。


 どこなんだろう、これ。京都だと思いますが……京都は日本の宝ですね。ここに原爆を落としたら日本人は一生アメリカ人を憎むからやめろ、とアメリカ軍部に進言があったそう。
う~ん、どこに落としてもそれは同じだけど、でも日本に京都があることに誇りを感じました。



これはホテルの鐘かしら、それとも増上寺かしら。夫が撮っているからわからない。日本の庭園の美しさに参りました。自然に敬意をはらい慈しんでいるのが伝わること!


私にとって、日本のいいところは人のサービス。そしてサービスと言えば、ホテル。日本のホテルは素晴らしいですね。一流どころなると、美しい庭があってラウンジの窓は緑一色だったりするの、ほんとに素敵。
この可愛い桜の箱、さくらタワーというプリンス・ホテルに滞在したときに、ポーターの女性が、子猿達に、「ウェルカムボンボン」として下さいました。中には桜の花の金太郎飴が3粒。ニクい心遣いではありませんか!どんな質問を投げても誰もが回答してくれるし、このさくらタワーも、他のホテルもサービスが行き届いていて、間違いがなく、安心して滞在できました。

野田首相は、新しい日本の成長構想か何かを発表したらしいですが、このサービス分野の輸出を盛りいれているでしょうか。そうであって欲しい。先進国の中流以上は、もう中国製のあってもなくてもいいけれど、安いから買っちゃった的なモノには飽きてきたのではないでしょうか。それよりも、世知がない毎日の中で、人が自分をヒトとして扱ってくれる、そういうサービスを待ち望んでいると思う。オートマ化できるサービスはそうして、そうできないサービスは日本のきめ細やかなサービス技量のナレッジ・トランスファーとでもいうのでしょうか、そういうことしたらいいと思うんだけどなぁ。



2012年8月3日金曜日

私の魂

(私の魂)といふことは言へない

その証拠を私は君に語らう


これは伊藤静雄という方が書いた詩の一節だそうです。大江健三郎氏の「僕が本当に若かった頃」の冒頭に出てきました。大江氏の難解な文章を斜め読みして、「あぁ、こういうことを詠った詩なのかな」と思い出したのは、先日、手に戻ってきた中学の時の卒業アルバムのことです。

うちは昔から引っ越し家族でして、私も独立してからもそのDNAを発揮し、転々としてきました。そして引っ越し料金をケチって、多くのものを見捨ててきたのです。なので、卒業証書やアルバムなど、遠い昔に失くしている。それを、父が亡くなり身辺整理をしていた母が見つけてくれました。おぉ、目黒区立第八中学校、懐かしい、忘れてた!

それが、開いてみるとびっくりするほど全てが蘇ること!全部で160名いた同級生達の顔と名前、あだ名、何部にいたか、とか、どこに住んでいたとか、全部(ほんとか?)思い出せる。修学旅行の写真では、法隆寺は覚えていなかったけれど(ほらね)、清水の舞台に立った時の驚き、その時に料亭で食べたお弁当の、ひょうたん型に抜かれた炊き込みご飯の味など、鮮明に覚えている。

この伊藤氏の詩は「老人の詩」というタイトルだそうです。
大意は幼いとき、若いときのことをすっかり忘れて老人になっているのに、ここにあるのは私の魂だ、なんていえやしない、ということかと理解したのですが、どうでしょう、ちがったかな?
もし私の理解でいいのなら、これはまさに私かな、って思ったのです。だって、こんなに深く刻印された中学の想い出達を普段はまるっきり忘れて生きてきたのです。じゃぁ、私は誰なのよ!って、愕然としました。

アルバム、末尾のブランクページには何人かのサインがありました。大きく書いてもらったのは、誰だろう、と考えること5秒、そうか、欽どこファミリーのタマエちゃんこと高橋真美ちゃんか!芸能人っぽいサインだもんね。彼女とは小学校からの同級生だったっけ。
あと、大好きだったマー坊からの一言には驚き。そののち、大人になってから何回も言われたことのある私の印象を述べ、「高校に行ってもその性質をくずさないように」と願ってくれています。当時は元気でユーモア一杯の普通の中学生だと思っていたマー坊が、既に将来の私のキャラを把握していたことに30年近く経って気づくなんて。マー坊スゴイ。君の願いを裏切っていないといいなぁ。
……どうか皆が元気に幸せに生きていますように。

あぁ、私の魂よ。
大急ぎで、私の魂を築いてきた瞬間達をかき集めてみます。
子供の頃にかいだ雨上がりの匂い、友人と親の介入なしで、二人っきりで作って大成功だったみたらし団子(レベル高いでしょ?)、叔母のうちで作ったドーナツ型コロッケ、お正月の小さな集まり、冬の朝の冷たさ、歩道橋から見えた富士山、海外でのこと、家族との想い出
……これらを忘れないで暮らす、そういう生き方をしたい、いや、しなくちゃですね。

最期のときに、
「ここにあるのは私の魂と言へる、その証拠を見せてあげる」
そういうヒトにワタシもナリタイ、そんなことを思った金曜日です。
どうぞ良い週末をお過ごしください♪

2012年8月2日木曜日

旅の余韻

昨夜一か月の日本ステイより帰ってきました。 
今回は直行便チケットのあまりの値段の高さに、オーストリア航空を使ったのですが、よかったですよ~。何より、パリを青空の中出発できるのが良かった。というのもパリ発の日本行直行便は得てして夜発で、旅客・乗務員共々疲労感を漂わせ、窓の外は薄暗いし、と倦怠感いっぱいの出発に成りがちでした。「さわやかな旅立ち」であって欲しいのになぁ、と思っていたのです。今回は青空の中、元気に出発できました。 

また帰り便も昼前に成田をでるので至ってさわやか。昨夜もスムーズに帰ってくることができました。特に、パリでは入国審査で長い列にうんざりすることが多いのに、今回は乗り継ぎ先のウィーンでEU圏入り。入国審査もあっという間でした。パリでは降機したら荷物を拾い、そのままタクシーに乗り込むという、ストレスフリーな帰途を経験できました。 

往復とも乗り継ぎも良く、サービスはフツーだけど害はなし、マイレージもANAカードにつけてもらえるし、パリー東京間の格安をお探しの方にはお勧めです。 

(一時中断・・・) 

さっきこの日記を書き始めた時は、一人静かにカフェオレを飲みつつ、日本のセミ時雨や青々と茂っていた庭園などに想いを馳せ、このタイトルに決めたのですが、そのあと家族全員が早起きしてきたのでちょっと中断と思っていたら4時間経ってしまいました。 
ご飯、朝風呂、荷物整理、掃除、洗濯のスパイラルにはまり、冷蔵庫の中で化石化していたゆでポテトを捨てたあたりから、先ほどの旅の余韻はどこかに行ってしまったよう。残念! 
だって日本、本当に良かったのです。この国は歳を重ねた方が良さを享受できる文化なんだと思う。 
子供・若い人にはモノ・雑音が多すぎて気を付けないと害あるかも? 
愛しいふるさと、わが日本、どうかいつまでも青々とした夏が来る国であって欲しい。 

さてパリ。狭い我が家ですがやっぱりほっとする。Home sweet homeですわ。
今年は冷夏と聞いていましたが、今朝はさっそくグレー色の曇り空です。午前10時現在、19℃。うれしいような、さびしいような。 
しばらくはせみ時雨の幻聴と暑くて湿った太陽の蜃気楼に悩まされそうです。