2019年10月30日水曜日

女はなぜ媚びる

森はセップ茸と狩猟の季節

秋休みで田舎に来ております。
今回は、義理の両親と、義理の妹の子供達、そしてうちの子猿たちというメンバーです。

ちなみに、夫は仕事、義理の妹夫婦は、イタリアに旅行に行ったりしているようです。
子供は親に預けてでも夫婦は夫婦の時間を持とう、というのは、フランスでは良くあること。
日本でもそういう慣習が普通に受け入れられるといいですね。



子猿たちはこの別荘で従兄弟達と遊ぶのが大の楽しみです。
裏の森で小屋作りに着手したのは三年前。今や11階建て(枝ごとにフロアを数えるらしい)のツリーハウスになりました。

こういうボーイズな遊びばかりのため、10歳の義姪は退屈気味です。
いとこ達の中で、一番下で唯一女の子、遊び相手がいなくてツマンナイ。

でも女の子、めげません。
精一杯男子達に絡み、お祖母様、お祖父様には砂糖菓子のように甘え、お手伝いもやる気があるときはやる。私にも、「おば様~、大好き~!」といって抱きついてきます。

でも、ひねくれ者の私には、これが哀しく映る。
10歳という若さで、媚びを学んでしまっている義姪。
大好き~、と抱きつかれるほど、彼女と接点を持ったことがないです、私。
義両親は、いつもの威厳はどこへ、という相好の崩し方で、それで義姪も、おそらくお友達の間では使わない声色でもっともっと甘えを見せます。

私も、10歳の頃はあんなだったのかもしれません。いや、デブで色黒なアヒルの子であることは重々知っていたから、やりたくても出来なかっただけ、か。

そう、こういう媚びを売る女子というのは、得てして可愛い子なんです。
自分のセールスポイントは知っている。それだけの頭はある。
まあるい青い目のお人形さん、
でも、その目に光は宿っていない。



そして私は考えるのです。何故、女は媚びるのだろう、と。
喜ばせて上げたい、と思う気持ちは間違ったことではありません。
問題は、それに対する見返りを求めていること。

そこに、せこい計算が見えるから哀しい。
そこに、自分の価値を見限っていることが見えるから哀しい。

なぜ、媚びてまで、受け入れて貰いたいのか。
どうして、そんな風に、女は自分を見下すのか。

先日、その理由の一つが分かりました。
きっかけは、この動画。


TEDは、価値ある考え方を広めよう(ideas worth spreading)というスローガンを持つ非営利団体です。
サラ・バーマク氏による、女性のセクシュアリティーについての講演の動画です。
この写真のオブジェ、なんだと思いますか?
飛び立つ鳥をモチーフにしたもの?それとも宇宙の異星人?

これ、女性のセンシティブなところなんです。
いきなり性的な話になって、お茶を噴き出している方がいたらスミマセン。
これは、クリテラシー(リテラシー(理解)との掛詞)という運動をしているソフィー・ウォレスというアーティストによる作品なのです。

人体解剖当たり前、DNAまで分析される科学の時代となって久しいというのに、このフォルム、2009年になってようやく分かったそうです。女性のセクシュアリティーが如何にタブー視されてきたか、良く分かりますよね。

私、これの写真を見たときに、わぁー!と思ったのです。
私達女性はこんな美しい形の臓器を持っているんだ、って。

講演の内容もよかった。ウォレス氏のTED動画も良かったんですが、こちらは英語のみとなっています。


10月はピンクリボン月間。
このシックで楽しいスローガン・アクセサリーは、
ケルシャンスで買えます!
この動画で言われているように、女性のセクシュアリティーは、男女共に恥ずかしいのか、秘密ごと扱いされてきました。そもそもセクシュアリティーはとてもプライベートなこと。おおっぴらに語ることではない、とは思います。

でも、この「恥ずかしいこと」とされてきた点は罪深い。
恥ずかしいこと≒やましいこと。
女性のセクシュアリティはやましいこと、という、そんなボワーンとした認識に繋がっていたと思う。

そして、やましいものを持っているという潜在的な罪悪感が、女が自らを過小評価するところに繋がっているのではないか、というのが私のセオリーです。

もちろん、それが「女が媚びる理由」の全てだ、とは思っていませんよ。
日本やフランスでは、女は愛でられてなんぼ、と育てられ、女は愛嬌、気が利く女がもてはやされる、そんな社会に過剰に呼応した結果でもある、とは思う。

大体、10歳の姪っ子はセクシュアリティーから起因するやましさなど、知る由もありません。
でも、母親や周囲の女性を見て、父親や他の男性の女性に対する視線を見て、なんとなく分かっちゃったんだと思うんです、聡い子だから。


季節感なしの木蓮の写真で失礼。
私にとって一番女性を感じる花はこれなんです。
女性のセクシュアリティーは、こんなに美しいフォルムを持っているんだ。
これを知っただけで、私、とっても清々しい気持ちになりました。

タブー視するような恥ずかしいものでもなく誇りに思える。
だってこんな美しいんですよ。

貴女は、存在自体が美しいんだから、堂々としてて。
強いんだから、傅かないで。
内から自分を磨いて、健全に生きて。
知性で瞳を輝かせて。

そんなことを思う、おば様の秋、なのでした。
また行きますね!


去年のです。明日、今年バージョンができあがります。









2019年10月28日月曜日

地頭力をつける方法

兄猿企画でノルマンディーに行ってきました。
D-dayの足跡を辿るというのがテーマ。
まずは地図を作製するところから始まりました。
「ミキさん、地頭力って言葉、知ってる?」
パリで日本語教授をされている友人から聞かれました。

知りませんでしたよ。「じあたまりょく」と読むそうです。
自分の頭で考える力、という意味らしい。
でも「自頭」ではなく、地頭。
の「地」でしょうか。

地頭力で検索すると、ビジネス系のサイトが殆どです。
学歴重視で採用してきたけれど、現場で問題にぶつかったときに柔軟かつ現実的に解決できる能力がない人が多かった。
今の時代は、「地頭力」が求められている!
ということなのでしょう。
こんな静かな海で、何万もの命が果てました。
オマハ海岸より。
でも、地頭力って、ビジネス界だけでなく、
これからの子供たちの教育ゴールでもありますよね。

AI時代が目前に迫る中、ロボットでは代用が利かない、解決力、創造力を持つ人間に育てたい。
幸せとか、生きる意味とかを、探求し続けるスタミナを持つ人間に育てたい。いや、育てなくては。
これは、14歳の兄猿を持つ私の関心ごとです。


黄昏はピンク色
ノルマンディーの海は砂浜が広々としていて大好き。
兄猿、最近は新フェーズに入っています。

ありがとう、が言えるようになりました。
挨拶も、まだ声が小さいけどするようになった。
何でも食べるようになった。
勉強やピアノも、自らやる。

ようやく、人間としての最低限のことはできるようになりました。
で、ここからですよね、難しいのは。

どうやって彼の自主性を前に出すように仕向けるか。
ガミガミ作戦はもう通じないでしょうし、やってはいけないこと。(やりたくもない)

夜は作戦会議です。
今回のAirBnBは少し外れだったかな。
でも子猿たちは、「いいんだよ、寝床なんてどうでも」
と気分はすっかり兵士です。
好奇心いっぱいの兄猿は学校休みの度に、「どこか行こうよ」とせっついてきます。
でもわが家の運転手、夫はお疲れ気味で腰が重い。
私も、フランスの地方のことはよくわからない。

そこで秋休みの旅行は、子猿たちで行きたいところを決めて計画書にまとめて提出せよ、と言い渡しました。

これからの子育てキーワードは「自主性」ですからね。
もう何から何まで親任せ、というのは卒業ね、って。
(え? 母猿、調べるのが面倒だから押し付けただけじゃないかって?)

「沖縄の平和公園みたいだね」と兄猿。
もう延々と続くのです、
アメリカ墓地。
母猿も色々学んだ旅行でした。
資金や運転は夫、宿や食べ物は私がオーガナイズした旅ですが、それでも提案から旅程、そしてナビを経験した兄猿、旅の醍醐味を少し味わったようです。
これで味をしめて、外へ外へと行動しよう! と思ってくれるといいな。

前回書いたように、放っておくと、小さくまとまりそうなフランス教育。
地頭力の真逆目指してどうすんの? と突っ込みたくなること多々です。
どうしたら、そこを超えられるのか。

アイデア募集中です。よろしくお願いします!



2019年10月1日火曜日

私のフランス観 その③、フレンチ・エリートの作り方

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今年の九月は色々あった一ヶ月だったように思われます。

日本では台風の被害が大きかったとのこと。未だに停電しているところも残っているそうですね。家屋の修繕など、その費用・労力を思うと胸が痛みます。

フランスでは、9月が学校曆の始まりとなり、父母会やら、ママ友との集いやらで忙しくしておりました。

先日は、とても優秀なお嬢さんを持つ友人とお茶をし、
「これぞフランスのエリートを囲む環境・そしてマインド・セットだわ
と思うことがあったので、今日はそれをシェアしたいと思います。


セーヌ川右岸より

このお嬢さん、ナタリーは、兄猿と同じ
14歳。中学部の最後の年で、フランスでは、3emeトロワジエムと呼ばれます。

今は、兄猿と同じ私立校に通っていますが、高校からは、フランスでも何本かの指に入るベルサイユの名門校、リセ・オッシュに移りたいそうです。
何故かというと、ナタリーは特に理系科目が得意らしく、オッシュ校は、理系のレベルの高さで知られているので、
「私、そういうところに入って、もっと自分を高めたい」
んですって。
14歳でこの志!兄猿に、爪の垢を飲ませたいですよ、ほんとに。


このナタリーちゃんは、本当に良い子なんです。
見た目も麗しい上に、性格が良い! 
控えめで、努力家で、礼儀正しいし、友達思いだし。
勉強だけでなく、バレエは飛び級するほどのレベル、ピアノに至っては、この夏、ベルサイユのコンセルバトワール(以下、音楽院)のコンクールで優勝したとか。

先日の会話は、この音楽院に関する話でした。

※コンセルバトワール音楽院について
フランスの学校は、バカロレア科目に重点を置いているので、音楽教育は日本よりも質も時間割り当ても低いのです。その分、ではないのかもしれませんが、音楽をやらせたいなら、行政が運営する音楽院に通わせなさい、というスタンスです。
音楽院は、フランス全国各地に国立、地域圏立、県立、そして市や区立など、規模や難易度は異なりますが、200院近くあります。

公立のなので月謝も安く、低所得者にはさらに優遇処置があります。
そんなことからも、入るためには夜を徹して並ばなくちゃいけない、とか、画一的な指導しかしない、とか、先生によっては厳しすぎたり、やる気を削ぐような人もいる、という批判的な声も聞きます。

モンマルトルの丘から見たパリ
ナタリーちゃんは、ベルサイユ音楽院に通って早9年目。
ベルサイユは地域圏立音楽院なのでレベルも結構高いらしい。パパが頑張って、志願書を持って夜中から並び、ベルサイユの音楽院に入れたそう。

ナタリーちゃん、音楽院では、かつて良い先生に就いてたこともあったんだけど、この何年は厳しくてネガティブ指導する先生に担当され、ぐっと辛抱しているそう。

この前のナタリーのママ、マリーとのお茶では、夏休み明けから、ナタリーちゃんがこの先生に、理不尽な仕打ちを受け、才能を否定するようなことも言われてガックリしている、という話でした。

私「ひどい!それも夏のコンクールに優勝したばかりなのに、意味不明じゃない?」
と私が憤ると、
マリー、以下、マ「そうでしょう? 」
私「ほかにも先生はいるんでしょう?だったら、音楽院の上に訴えて、別の先生にして貰えば?」
マ「私もナタリーにそう言ったんだけど、ナタリーは、『このままでいい、だって、試験のときに、この先生に当たったら意地悪で厳しい点数つけられちゃうかもしれないから』っていうの。」
私「え~?でも、ナタリーは別にプロのピアニストになろう、とか、そういうのじゃないんでしょ?」
マ「うん、ただピアノ好きだっていう、それだけなんだけど・・・・・・」
私「だったら、仮に運悪くその先生が試験官になって悪い点数つけられたとしても、どうだっていいじゃない? もちろん、目に余るような不公平があったら、上に訴えればいいんだし」
マ「うーん、やっぱりそう思う?」
私「思う!」
マ「でもね、ナタリーはそれは嫌なんだって。やっぱり高評価が欲しいんだって。夫も、下手なリスクは取らない方がいいっていうし。それに、あと一、二年もしたら勉強で忙しくて音楽院も辞めると思うから、それまでの辛抱だし。」
私「・・・・・・」

私にはワカラナイ。
そりゃ、人間、評価が高い方が嬉しいですよ。でも、だからって、14歳にして理不尽を受けいれるのって、どうよ。それも、ナタリーちゃんの将来に、そんなに大切なことでもない、というのに。私だったら、あと一、二年も嫌な思いしなくちゃいけないなんて、勿体ない、と思うんだけど、

マ「私も、ミキと同じ意見だったんだけど、夫に任せることにしたのよ。私、地方育ちだから、こういうシステム、イマイチ分かってないの。夫が僕に任せなさいって。あの人は、ベルサイユ育ちだし」
私「そうだったんだ!」
マ「そうなの、リセ・オッシュだったのよ」

ああ、そこで分かりました。ご主人がオッシュ校だから、ナタリーもオッシュ校希望なんだ。

マ「それもあると思うけど、うーん、でもやっぱりナタリーの性格だと思う。長男はオッシュに興味なさそうだもの。ナタリーは、本当に負けず嫌いだから、ベルサイユではオッシュが一番なら、そこに行きたいと思っちゃうんじゃないかな。」
私「すごいね。私、そういう志持ったこともない。」
マ「フフフ、それは貴女がジャポネーズだからでしょう。フランスは、みんな上を狙うのよ」
私「・・・・・・(夫はそうでもなさそうだけど、あの人は変わり者だからね)」

マ「ナタリーは、学校で小テストがある度に、猛勉強するの。満点とりたいんですって。」

私は、満点回答をみたことがないです。フランスではそれくらいレアなものなんだけど。

マ「ナタリーは、もし満点でないとしても、クラス一番を目指している。
テストの朝とか、もう『ああ、どうしよう、良い点数取れなかったらどうしよう』ってストレス一杯なの。
普通は親がせき立てるものなのに、ナタリーの場合は逆。私が『大丈夫よ、それにいいじゃない、少しくらい失敗しても』っていうんだけど、『でも嫌なのよ。私、良い点数取りたいの』って」
日射しは秋
こういうのをコンペティティブというのでしょうね。自分自身にコンペティティブ。
素晴らしいと思うと同時に、ちょっとかわいそう。いつもプレッシャーがあるなんて。
まだ14歳なのに。

そのうち、ご長男さんの留学の話に移ったので、
私「ナタリーも外国で伸び伸び勉強楽しみたい、とか言わないの?」
マ「あの子は言わないわね。音楽院もそうだけど、このフランスのシステムが心地よいのよ。優位に立っているし。」
私「ストレス一杯なのに心地よいの?」
マ「うーん、心地よいというか、慣れというか。で、その中で闘うのが好きなんだと思う。」
私「闘い・・・・・・」
マ「そう闘いなの。あの子の口から、勉強が楽しいなんてセリフ、聞いたことないもの。私も疑問を感じることがあるんだけど、夫もそういうところがあるし、フランスって、特にパリとか大都市ってそうなんじゃないの? 点数点数、順位順位っていう。そんな中で育ったから、ナタリーも、夫も、闘っちゃうんじゃない?止められないんだと思う。」
私「なるほどね-」
マ「トップに立ったときの快感とか、たまらないみたい。ナタリーも、コンクールで優勝したとき、すごく嬉しそうだった」
私「アドレナリン」
マ「そう、そんな感じ。中毒にならないといいけど、ハハハ。」
私「(笑えない)」

これがフランス人なんだ、エリートなんだ。
日々闘い。日々上昇。一つ一つのゲームで確実に勝ちを取っていこうという。
ファイティング・マシーン。

マクロン大統領なんて、まさにこんな感じで大統領まで上り詰めたんだろうな。上へ上へ、と求めずにはいられない。その理由とか、あんまり考えていなさそう。ただ単に、自己実現。自己達成、それだけ。
そして、そのための手段も選ばなさそう。でも頭良くて良い子だから、これ見よがしに法は犯さないかな?

先日亡くなられたシラク大統領やサルコジ大統領は、自身の上昇志向も勿論あっただろうけど、それでも、フランスという国に対するリスペクトや愛が、彼らの政治的決断の背景にあったと思うんですが、どうでしょう。


マエストロと義妹の黒猫君
毎回仲良くなるのに時間が掛かるんです
最後にもう一つの現代フランスの典型的なエピソードを。

多くのフランスの中学校では、最終学年で、一週間ほど、社会経験をする事になっています。インターンシップってやつです。獣医さんや花屋さんに行くコ、親御さんの会社を見学するコ、行く場所がないコは、学校の給食配膳を手伝うらしいです。

ナタリーちゃんは、どうするかというと、
マ「あの子は理系だから、○×研究センターに夫が知っている人を通して申し込んでOKもらった。もしかしたら将来、何か役立つネットワークができるかもしれないから。写真とかも、ちょっとそれ風に白衣着せてさ、可笑しいでしょう? メールも夫が書いたと思う。」

インターンシップは、社会人となる準備体操なのに、コスプレさせていいんだ、そして、そこまで親がかりでいいのだろうか、と思ってしまうのですが、夜、夫にこの話をすると、
「フランスの社会はそうやって動いているんだよ」
と驚きもせず。

「従妹のイザベルは、子供達4人の勉強をいつも手伝って、テストの出題傾向も、バカロレアも、インターンシップも、全部フォローしてグランゼコールに入れたっていうのが自慢なんだ。内申を上げるため、宿題をやってあげたこともある、って高笑いしてたよ。『内申上げる裏技なんていくらでもあるのよ』ってさ。」

ああ、だから、この前の父母会で、「もう『宿題点』というのはやめにしました」って言ってたのか、と腑に落ちましたよ。

「・・・・・・そういう親がかりの、節穴だらけのシステムのお陰で何が起きてるか、知ってるかい?
会社の若い人に、例えばデータ集計を頼むだろ。すると期日過ぎても何の提出もない。どうしたんだ、と聞くと、少しムッとした顔で、『だって、データ渡してくれないから何も出来なかった』って逆ギレされるんだ。
次回はこうやるんだよ、って手取足取り教えてやっても、『そういう些末なことをするためにグランゼコールに行ってこの会社に入ったんではないんで』って言うんだよ、いやほんとの話。
・・・・・・だそうです。

こういう若い人に比べれば、ナタリーちゃんはやっぱり立派。
自ら勉強し、自ら自分のベストにチャレンジし続けるんだもの。親の影響もあるだろうけど、親主導ではなく、あくまでも自主的に邁進しているし。
ナタリーちゃん、頑張って欲しいし、成功して欲しい。

・・・・・・と、同時に、もっと肩の力抜いて、ピアノも、勉強も楽しんで貰いたいなぁ、とも思う。

「秀でている」ことは、そんなに大切なことではない。「秀でている」から幸せになるものでもない。それに、秀でてていたい、と思うのはある意味驕りとも言える。
子供を秀でさせようとする親は、何でそうしたいのか、考えるべき。そうでないと、本末転倒なことが起きるかも。
……みんな分かっているんでしょうね。それなのに、ついつい、その落とし穴に落ちてしまう。

自戒を込めて、書いておきます。
子猿たちは、エリートでなくても良いです。でも、ハッピーでいて貰いたい。そして、苦境でも笑っていられるような逞しさを身につけてもらいたい、それだけです。

以上、フランスのエリートについて、でした!
また行きます!
 



2019年8月13日火曜日

ブログ再開です!

大変ご無沙汰しております。
皆様、お元気でいらっしゃいますか。
日本は今年も暑い夏を迎えていると聞いていますが、夏バテなどされていませんか。
どうぞご自愛されますよう。

こちら、ベルサイユでは、6月終わりに熱波がやって来て40度越えしたこともあるのですが、それも一週間で終わりました。日射しは強いものの、夏至を過ぎて以来、朝の訪れが少しずつ遅くなっていて、最早晩夏の趣あり。

そんな中、子供達は田舎で従兄弟達と、私と夫はベルサイユで日曜大工、そんな夏を過ごしています。

前ほど、ブログを書きたい、という気持ちがなくて、前回の更新からこんなに間が空いてしまいました。


理由は色々。

一つは、インスタグラムやツィッターで発信しているため、言葉が心の中に溜まることが少ない、ということ。

二つは、政治のニュースで気持ちがハイジャックされていることが多く、だからといって、浅い知識で政治批判をずらずらと書くことはしたくないことがあり、


三つは、ブログが私の中でどういう位置にいるんだろう、と考えていて、まだ答えが出ておらず、ということもあります。


台所のキャビネットがほぼ完成しました。
50年前に建てられたわが家。
そのときに大工さんに作って貰ったと思われるキッチンキャビネットです。
造りはしっかりしているから、壊したくないな、
と思って扉のペンキを剥がし、色々遊んでみました。
今は色んな媒体がありますね。
従来のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌のほか、各種ソーシャルネットワーク・サイト、あとユーチューブ、インターネットTV......。

ちなみに子猿たちは、古いトランジスタラジオがお気に入り。自室にいるときは、ラジオのスイッチを付け、ワグナーやラフマニノフを聞いているようです。

そんな品の良い(?)息子達を横目に、母猿である私は、最近、好きな「ユーチューバー」を見つけたばかりです。ユーチューバーたるものが何かは知っていましたが、興味が持てずにいました。そんな時に、「中田敦彦のYoutube大学」を知り、子猿たちのラジオではありませんが、この夏は、彼のレクチャーを聴きながら、ペンキ塗りやら、組み立て家具に取り組んだりしていました。

中田敦彦のYoutube大学は、漫才コンビの一人である中田氏が、政治や歴史、おふざけも時々あるのかな?ありとあらゆる分野を分かり易い言葉で講義をします。
中でも、文学の講義がとてもいい。漱石、太宰、三島の作品を各人が生きた時代と関連づけた中田氏の洞察に聴き入ってしまいました。
この方の番組はラジオでもいいかもしれませんが、やはり中田氏の顔が見えた方が、話に食いつきやすく、集中出来ます。ほんとに授業を受けているような感覚でノート取りたくなる時もあり、Youtubeの持つ力をあらためて知った思いです。

ついでに他の媒体についても、一ユーザーとしての拙い感想を述べますと、

インスタグラムは、これ以上の発展が難しい気がします。もう綺麗な写真、驚きの写真に目が慣れちゃってて、驚かない自分がいます。もう飽きがきている。
友達の個人的な写真やストーリー性がない単なる画像は記憶に残りませんし、興味も薄くなっています。私がそうなのですから、若い方や感性鋭い方はもっとそうでしょう。

ツィッターは面白いと思います。ビジュアルは強い、と言いますが、いやいや、やはりビジュアルより言葉の方が力があるのだと思う。ただ、リツィート機能を作った人が後悔している、といっているように、非常に危険な媒体だとも思う。フェイク・ニュースが拡散することをどうやって防げるのか。言葉の暴力をどうやって取り締まるのか。

そして書籍。
出版界はまだトンネルの中にいる。
出版界、良い本を発掘するマンパワー不足ですし、それを的確にニーズがあるところに届けるマーケティング力不足。前者は人が必要だと思う。後者はAI技術を駆使したらもっと改善出来ると思う。
ただ、改善したところで、昔のようなバカ儲けはない、と思う。でも今という時代を描く小説が数冊しかない、そんな国ってどうよ。文学って大切。特に日本のように宗教がない同然の国にはとっても大切だと思います。

マエストロも元気です。現在6キロ弱までダイエットに成功。
何もかもド素人の私なのですが、媒体に限らず、時代が日々変わっていることを感じて止まない今日この頃。
各媒体や「何か」を作っている人達自身、それが今後私達の生活をどう変えていくのか、イメージすることできないまま、技術の進化に任せて「更新」を続けているのでは?

そんな将来がみえないことに、何か可能性が見えてくるかしら、とワクワクするとともに、書くことが大好きな私は益々路頭に迷うだけなのかしら、と憂うつにもなり。

でも、書こうと思います。それが好きなんです。止められない。
ということで、ブログももっと頻繁に書こうと思います。
ご静読ありがとうございました!!




2019年3月26日火曜日

時代のうねりの中で


ソメイヨシノ? 
皆様、ご無沙汰しております。
日本の桜前線はどこまで進んでいるのでしょうか。
ベルサイユは花の街、上を見れば、桜、桃、レンギョウが咲き乱れ、足元には、すみれ、水仙、ヒヤシンスが可憐に「こんにちは」と声をかけてくれる、そんな春を迎えています。

ですが、余り外に出掛けていません。

一つには、風が強いんです。それも結構冷たい風。春一番といいますが、現在、春三十番目くらい。
二つ目としては、花粉が辛く……。この一週間は私が苦手な何かが飛んでいて結構キテます。白樺の花粉かしら。

でもね、そんなの些細なことよね! 私も家族も元気元気でやっています。



花の写真は難しいですね。
代わりに、パステルカラー繋がりということで、
先日、子猿達の学校で、聖パトリック・デーを祝っての
ベークせールの写真です。飛ぶように売れました!
最近は書いたり、読んだりの日々。
本は色々読んでいます。知らない作家の本にも手を出しましたが、感受性が鈍くなってきたのでしょうか。どれも深い感動はなかったなぁ。

そんな中、感動ではないのですが、村上春樹氏の、オウム元信者へのレポートを綴った、『約束された場所で』は、意義ある読書でした。


一人一人の元信者のストーリーに、80年代終わりの頃の、あの空気がまざまざと蘇りました。

当時、私は二十歳過ぎ。少し不安定で、少し不幸で、少し危うい。
そんな何もかも「少し」だった精神状態にふーっと入りそうになりました。

グロテスクなシーンがある、とか、凄まじい精神論が繰り広げられている、とか、
ではないんです。
ごく普通の、少し頭がよくて、少し感受性が鋭くて、少し不幸だったがゆえに少し考え深くなった人が、少しだけ好奇心と行動力があって……という、そんな、当時の私と同じ、「少し」の人達が、オウム教団に近づき、ズブズブと取り込まれてしまった。
そういう話が殆どです。

今振り返れば、80年代の終わりは、魂が身体から出たり入ったりしているような人が多かった気がします。(たとえですよ、私はそういうの見えない人です)
悩んでいるとか、考え込んでいる、というのではなく、ただただ さまよっている、という。

最近は、不景気が続くために、バブルだったころを「元気だった時代」と回顧する傾向もありますが、私はそう思えない。不健全で不安定で不毛だった時代、だと思うのですが、皆さんはどうですか?



家作りも続いていまして、
今も隣の部屋はこんな状態。
ここはバスルームになる予定です。
そして、時代といえば、もうすぐ平成が終わるんですね。

私にとって、平成という時代は、存在すらも希薄な31年でした。

平成という年号に馴染む前に日本を出てしまったから?
今、振り返ろうにも、感慨も愛着もなく、「平成の終焉!」というファンファーレが鳴る中、仲間に入れない寂しさを感じています。

時折、昭和初期の写真がネットで流れてくると、私が知らない頃の写真であっても、懐かしさがあったり、「戦後はああだったから、こういうライフスタイルが生まれたのね」など、何故そういうスタイルが生まれたのか、何故あれが流行ったのか、ということが想像でき、そして理解できる。


でも平成時代に関してはそれができません。

アイドルにしてもファッションにしても音楽にしてもワカラナイ。
コンテキストというか、なぜそうなったのか、という流れが見えないし、どうしてそれなの?というハテナマークだらけ。

みんながバラバラで、それぞれの世界の中にいて、共通項とかないのにも関わらず、誰かが仕掛けたものには、暗示に掛かったかのようにワーッと集まる。楽しいふりをする。

ワカラナイです。
これはただ単に、私が年取ったから、なのか。
それとも、このワカラナイところが平成だったのか。

倫理感も「平成ワカラナイ」シリーズです。

福島で原発の怖さを日々知らされているのに、原発再開するのとか、沖縄問題とか、改ざんシリーズとか。


さっきから本文と無関係な写真ばかりですみません。
これは、私の、お手製キッチンキャビネットです。

あとワイン4箱空けたら完成😊
こういう感じ↓

結構大変だった!ので見てもらいたく、
無理矢理挿入、悪しからず。

……なんて、偉そうかな。


一つだけ分かるのは、平成時代は、スピーディーになった時代だったということ。

私が学生の頃など、マニュアル君、と言う言葉が流行るくらい、「○×攻略本」とか、そういうハウツー本を読んで、それを実践する人が多かったけれど、今の時代は、そんなことしている時間はない。
技術は次々と次世代バージョンにアップデートされるし、昨日大儲け出来た金融商品が明日には規制対象になったり、今日の勝者にくっついて行こうと思っていたのに、明日は牢獄行きになっていたり。攻略本を読了したころには、場面が変わってそう。

そうなると、これからの時代は、もう自分の頭で考えて行動するしかないのかな、と思います。

考えて考えて考えて。
それで幸せに辿り付けるかはわからないけど、少なくとも、よく考えた人生だった、という……それ、だめ?

またそのうち書きます!どうぞ皆様ご自愛くださいね!


2019年1月31日木曜日

家作り ① 台所編、キャロー・ド・シモン

今年二度目の雪が降りました
皆様、今年になって初めてのお便りとなります。
2019年も、こちらベルサイユから、ふと思ったこと、考えたことなどをお伝えしていきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。

今年の第一便は、家の改装について、です。


昨年6月よりスタートしました。それ以来、ずっと家のどこかに穴が空いている、もしくは、瓦礫が山積みとなっている、そんな状態のわが家です。

周りの方からは「大変ね」と同情を寄せていただいているのですが、私としては、イメージが形になっていく様子を見ることが、何ともエキサイティングで、楽しい数か月を過ごしています。


例えばこんな穴。
これは12月、50年来の古い窓を
二重窓に変えたときの窓からの(?)風景です。寒かったなぁ。
そんなこんなのハウス・リノベーションなのですが、
今回は、台所の床材についてお話しをしたいと思います。

家を改装するにあたって、私の望みは2点のみ。
一つは、暖炉にレンガを使うこと、二つ目は、家のどこかに、横浜山手西洋館のベーリックホールのテラスルームのような、格子模様の床を作ることでした。

私は、何かこういうノスタルジックなデザインに引かれるのです。
エレガントでもなく、ミニマリストでもない。
モダンでもなく、そして和風でもない。
何か思い出の匂いがする、そういう空間にほっとします。

夫は、もっとエレガントなデザインも好きなのですが、うちは、本当に素朴でさっぱりとした建物なので、張り切ってエレガント風にすると滑稽だね、ということで、「コージー&ノスタルジック」を合い言葉に、内装選びをしています。

ベーリックホールは、子猿たちが2年間通った
横浜の学校の目の前にありましたっけ。
「私の願望一点目」の暖炉については次回に回すとして、まずは台所の床材についてお話ししたいと思います。

家中に樫材のフローリング(Parquet パルケ)を敷くことは早々に決め、でも台所は違ってもいいね、ということになりました。

そこで、格子模様(これはヴィトンでお馴染みのDamier ダミエと呼びます)をお願い!と切望しましたよ。私の夢でしたからね。

モダン好きの建築家のムッシューは、「後悔しませんか? 考え直しませんか?」と抵抗しましたが、私も頑固に譲らず、何とか説き伏せました。

ちなみに、こういう時、男はダメですね。夫は、何かと無難なデザイン・色になびくんです。それで結果後悔するという・・・・・・。

私が「私達はダミエが好きなんです!」と言い張ったときは、夫も「そうだ、そうだ」と声を出した癖に、建築家のムッシューが「でもね、...」と反対の理由を述べられると、180度方向転換して、「なるほど、考え直す?」って。

ま、そんな遣り取りもありましたが、ダミエ決行となり、

次の問題は、どんな材質のタイルを使うべきか、です。
これはブルゴーニュ地方で作られる石材によるダミエの変形、カブション模様
石材は高いし、脂染みに弱そうですし、素朴な拙宅には荘厳過ぎる。

大理石も高いし(←ま、結局はこれなんですけどね)、照明の下に映ったときの、あのつるつるした感じが、アンチ・コージーな気がする。
こちらは大理石、@ベルサイユ宮殿!

そこで勧められたのが、セメント材のタイルでした。フランス語ではCarreaux de ciment キャロー・ド・シモン。

昨今フランスでは復古人気でして、インテリア雑誌や友人宅、お店などでも良く見かけます。また本物ではないかもしれませんが、色柄が独特の味わいなので、壁のアクセントに使われているのもよく見かけます。
マレ地区にある専門店。主にモロッコやポルトガルで生産されていましたが
こちらのは、ベトナム産だそう。
もちろん、古い邸宅でもよく使われていて、義理の両親の別荘のエントランスもキャロー・ド・シモンです。
2cm弱と、結構な厚みなので、床材にしても割れにくく、色も上部何ミリまで染みこませているので、かすれて柄が消えちゃった!ということも少ない、ということです。
200年くらいは経っているのかな?
それでも損傷なし。
ただ、手入れはそれなりにしなくてはなりません。
セメントは粒子が細かいのですが、表面が完璧なツルツルではない分、汚れが入り込んでしまう。
また、防水塗料のようなものを定期的に塗らないと、台所であればなおのこと、脂染みもつくし、色落ちも、ないとは言えない、などなど。

色々と考えたのですが、やってみることにしました。下の写真です。

写真では良く映りませんが、白と汚れた深緑の格子模様に縁取りも付けて、というシンプルなものにしました。キッチン以外、玄関も居間もパルケ、茶色一色なので、よいアクセントになったかなぁ、と自己満足中。

丸裸の台所。壁のタイルも「変えたら?」と勧められたけど、
良い感じにセピアがかってきたので、そのままにして、とお願いしました。

遠目でみれば、傷も気にならない!
ただですね、やっぱりメンテナンスが大変です。
すぐ汚れますし、傷もつきやすい。朝起きると、夜遊び好きなマエストロの足跡がそこら中にあって、朝から雑巾掛けです。

それでも大人気のキャロー・ド・シモン。
ここに、フランスと日本の違いを感じています。

このキャロー・ド・シモンを知ったときには、
「こんなにきれいなもの、絶対日本でも人気になるだろうな、皆にお勧めしたい!」
と興奮したのですが、こうやって使ってみて、傷がついたり、色も均等でなくて、手入れが大変なものは、今の、街中ピカピカ、室内は無傷・全自動の日本では許容されないだろうな。それくらいなら、頑強で手入れが楽な素材の方が好まれるだろうな、と、押し売りすることを思い留まったのです。

目移りしてしまって選ぶのが大変でしたっけ。
ちなみにパルケも同じです。樫材のパルケも、傷はつくし、ワックス掛けがマストだったりと、要ケア材質。
そして、横浜時代の家で使われていたような、つるっとした床材は、こちらフランスでは格が下のもの、とされているという・・・。
日本は湿気の問題もあるから、考慮すべき点も異なってくるでしょうし、
何ごとも、所変われば、ですね。

キャロー・ド・シモンに戻ると、
フランスでは、「タイルの傷? Ca va ça va、どうってことない。かえって味が出ていいじゃない」と、気にしない人多し。
「そんなことよりも、セメント材ならではの、このマットな感じとか、色の深み・渋みがたまらない!」
と、魅力の方が重視されています。

ちなみに工事の人も、
「ちょっと!傷つけたわよ、ほら、ここここ」
と私が目くじら立てても、
「どこどこ? けっ、そんなの気にしてたら始まらないよ」
と笑って流されてしまって、これはこれでムカつくのですが。

マエストロ近影
まだ床以外はwork in processですが、それでも日々愛着が増しているわがキッチン。
完成した暁には、また報告したいと思います。

日本でもインフルエンザが流行っているようですね、どうぞご自愛されますよう。
今年もどうぞご贔屓に!