2021年3月4日木曜日

読書日記*『絶望読書』頭木弘樹著

 


ご無沙汰しております。今年はここでもたくさん書きたい、と言っていたのに、一ヶ月以上経っていました。

何故かというと……
今回ご紹介する『絶望読書』(頭木弘樹著)という書籍に続く話なので、少し遠回りして、最近の、私の心模様について書かせてくださいませ。

皆さんは、絶望を感じたこと、ありますか?
多分、ありますよね。大人ですものね。
でも、私ったら、今までそういうことがなかったのです。
絶望未体験でここまできてしまった。

幸運に恵まれていたから、ではありません。今までの出来事を年表にしたら、失敗と挫折のオンパレード。それでも、毎回、タダでは起きるものか!と、立ち上がってきたのです。
この「タダでは起きるものか」と思う時点で、絶望は感じていないってことですよね。実際にはタダどころか、大赤字な状態で立ち上がってきたのですが、それでも絶望することなく、「この失敗を生かして」とか「次回こそ必ず」とか「この挫折はきっとどこかに続いている」と希望を胸にやってきたのです。

でも、今回は、そう簡単には希望を見いだせない。
いや、多分心の整理はついていて、覚悟も出来つつあるので安心してください。
何のことかというと、長年の夢だった「小説家になる」というのは、実現しないんだろうな、とようやく分かってきたのです。エッセイの方では、有難いことに出版させて頂く幸運に恵まれましたが、何せ物語好き少女のまま大人になったもので、創作小説でデビューしたい、と夢に見ておりました。
当たり前? ほんと、そうですよね。小説家になるだなんて何百何千分の一の確率ですものね。
それなのに、私はずっと、「いつかなれる!」と信じてきたのです。何度も小説賞に応募し落選しているのですが、それでも「ダメ元だったからね」と気にせず、「次こそは!」と立ち直ってきたのです。なんと能天気なことだったのでしょう。

そんなことをやって来たこの10年余り。
それが年末頃に、「私って、ひょっとして才能がないのでは」という、当たり前な疑問が湧いた! 
幾ら能天気な私でも、文豪のような才能を持っている、とは露程も思っていません。でも、私なりのオリジナリティはあるし、書いていれば文章力も上がるだろうし、と10年以上、ずーっと書くことを優先させてきたのです。自分が書いた小説が書籍化されて、誰かが読んでくれて、それが小さくとも感動となってくれることだけを夢に見てきたのです。ずっとそう信じていたから、自分を持つことが出来た。
でも、そういう日は来ないんだな、ということが、或る日、すとんと見えてしまった。
血の気がさーっと引きましたっけ。ぽけーっとしちゃいましたっけ。
*********

そこでいよいよ本題に入ります。
頭木弘樹氏の『絶望読書』です。
この本のことを知ったのは、ちょうど、小説家の夢が遠のいているころのこと。ツィッターで見かけて、「ああ、ああ、呼ばれている」と吸い込まれました。実際、検索して調べると、次のようなメッセージが出てくるではないですか。

著者より
どういう本なのか、少しご説明させてください。
絶望をすすめる本ではありません。
絶望からの立ち直り方について書いた本でもありません。
立ち直りの段階の前の「絶望の期間」の過ごし方について書いた本です。
人は、絶望したとき、なるべく早く立ち直ろうとします。
周囲もなるべく早く立ち直らせようとします。
とはいえ、日常的な軽い絶望でも、一晩は寝込んだりするでしょう。
周囲の人たちも、「今日はそっとしておいてやろう」と、励ましの言葉をかけるのさえひかえるでしょう。
一晩ですまず、何日か、かかることもあります。
さらに何週間もかかることもありますし、何ヶ月もかかることもあります。
ときには、何年ということも。
絶望した瞬間から立ち直りが始まるわけではなく、絶望したままの期間というのがあります。
この「絶望の期間」をどう過ごすかが、じつはとても大切なのです。
そのことについて書かせていただきました。
絶望の最中にある方、絶望している人にどう接したらいいのかと悩んでおられる方などに、少しでもご参考になれば幸いです。
また、できることなら、絶望する前に、読んでおいていただけると嬉しいです。地震の本は、地震が起きる前に読んでおいたほうがいいように。
(アマゾンの『絶望読書』のページより引用しております)

これよこれ! まもなく絶望が来るという予感の中、ことが起きる前に読んでおかなくては、と、早速キンドルで拝読しました。

『絶望読書』ーー文章滑らかで品格があり、ユーモアもあり、優しさも厳しさもあって、するすると読めちゃう。絶望が絶望であることには変わりはないのですが、こうも冷静に絶望を語られてしまうと、何か吹っ切れてくるものがあります。

いや、この書籍、そして頭木氏の素晴らしい点は、絶望という話もさることながら、ここで紹介される文学やエッセイのセレクトの秀逸さかもしれません。
頭木氏はご自身を「文学紹介者」と名乗ってらっしゃいます。紹介作品はアングルとしては「絶望」なのですが、絶望とは、生と死に向かい合ったときに生まれる感情でしょう。そういう大きな問題を真摯に見つめた作品は、たとえ喜劇であったとしても(頭木氏は落語への造詣も非常に深い)深遠であること、間違いなしです。
『絶望読書』でも、カフカをはじめ、太宰やドストエフスキー、そして私も大好きな山田太一など、多岐に渡る書籍が紹介されています。未読の本はすぐにでも読みたくなる。既に読んだことがある本でも、そういう解釈があったのか、とより深い理解へと誘われます。まるで一冊の本を読んでいるのに、そこに紹介されている作品をも読んでいるような、何とも豊かな時間を過ごしました。絶望されていない方にもぜひお薦め致します。

私の絶望は、というと、この『絶望読書』を読んだら、乗り越えられてしまいました。そもそもが仮面絶望だったのかもしれませんね。
絶望にまで寄り添ってくれる小説やエッセイ。当書で頭木氏が書かれているように、「人生に何か起きたときには、じつは本というのは命綱になってくれる存在」。そんな素晴らしい山を目の前にして、登らずにはいられない。登り切れなくとも、チャレンジしたい自分がいる。「ふん、だめでもいい、書き続けよう」と、決意が新たになりました。
物書きの良いところは、音を立てるわけでなく、お金がかかるわけでもないところ。もう書きたいことがないわ、となる日まで書かせて貰います!

ではまた、不定期になりますが、更新します。
引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。