2022年2月24日木曜日

遠い街角~フォンテーヌブローにて




夢でも訪れる街

心の片隅に想うばかり

気づくと口ずさんでいました。桑田佳祐さんの「遠い街角 The Wanderin’ street」という曲です。

今から20年以上も前のこと、フォンテーヌブローで学生をしていたことがあります。一年だけのMBAプログラムは、30代に入って人生の厳しさに呑み込まれていたわたしにとって、ターニングポイントとなった一年でもありました。

その街を訪れた月曜日。
夫と息子達が宮殿を訪れている間、わたしは街中をぷらぷら。店は入れ替わっていたけれど、街並みは変わらず。

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あの角のパティスリーキャフェはそのままか。小さな街の小さな店なのに、ケーキのレベルが高かったよね、とショーウィンドーを覗き込みます。

あら、店の中も20年前と変わらない。
奥の席にはY子さんがいて、わたしに手を振ります。
そう、ここは日曜の朝も空いているからと、時々Y子さんとモーニングをしたね。「ここのクロワッサン美味しすぎる!」と悶え、わたしはカフェオレ、カフェイン苦手なY子さんは薄い紅茶だったよね。

お互いの恋愛観を戦わせたこともあったっけ。あれは今日と同じ、薄曇りの日だった。「美紀さんは甘いのよ」と言われて、心の中で「ううん、わたしは合っている」と負けを認めなかったわたし。恋愛に勝ち負けなどないというのにね。

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瞳の奥に見慣れた顔が
浮かんで消える秋なのに
あの頃に戻れない

道を渡るS君。わたしを見て手を振っています。相変わらず調子よさそうな顔しちゃって。わたしも心の中で手を振り返します。

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……でも、S君はもういません。Y子さんもいない。
彼らが若くしてこの世を去ったことが哀しさを通り越して、不思議に思えて仕方ない。
ううん、彼らだけではありません。たった一年だけの同級生達、みんな世界に飛び散ってしまった。二度会うことがない人が殆どでしょう。たとえ再会しても、あれから20年以上も経ったのです。それぞれの人生があって、もうあの頃のわたしたちではない。

Oh oh, the wanderin'street
Oh oh, just never to meet
夢の迷い道 The time has gone
いつまでも心に……

(桑田佳祐、作詞作曲、遠い街角(The wanderin' street) 1992年)


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そんなセンチメンタル・ジャーニー。
でも、それは脇に置きましょう。
フォンテーヌブロー、宝石のように素敵な城下街ですので、いつか是非訪れて頂きたいです。
お城も、正面の階段はまだ修復中ですが、中の公開エリアが増えました。装飾が素晴らしかったよ、とは、かつての同級生、夫君の言葉。

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↑ 誰の部屋、何のための部屋なのか、ワカリマセンが装飾が素晴らしいことは分かっていただけますでしょうか。

***

最後に、またこちらを紹介させてください。ルームツアー第3弾です。もしよろしければご視聴くださいませ。

A bientot!



2022年1月6日木曜日

New Year Wishes

 


明けましておめでとうございます。
2022年もブログもエッセイも小説も、
沢山書いていきたいと思っております。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

年末は子ども達が田舎の家に行ってしまったので、ぽっかりと時間が空きました。今年こそは一緒に年末年始を過ごすはずだったのに、諸事情から家族別々に新年を迎えることになってしまって、正直な気持ち、寂しかった!

でも「寂しさ」っていいですね。時には、だからだとは思いますが。
寂しいと、いつもより少し先までものを考える。寂しさに寄り添ってくれる読みものや音楽、景色、食べ物、匂いを求める。そんな風にして出会ったものは気持ちを慰めてくれるだけでなく、何か真の部分を満たしてくれるような気がします。

私が書くものが、そんな風に、どこかの誰かの寂しさを慰めることができる日が来ると良いのですが、先は遠く。(でもがんばります!)

せめて今は、家族のお腹をほかほか料理で満たしてあげられるよう、せっせとご飯を作るとします。長男はあと一年ちょっとで家を離れることになるでしょうし、子育てさせて貰える残り時間もチクタク。大切にしなくては。

最後にPRを。
MyStoriesのアカウントにて、創作小説「ニセモノ」というのを載せました。こちらもよろしければ覗いて下さいませ。

2022年が皆様にとっても笑顔多き一年となりますよう、心よりお祈りしております。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

ドメストル美紀

2021年11月15日月曜日

Zと言えば……フランスの今①

 


Zと言えば、何を思い浮かべますか? フェアレディーZ? それとも漫画?

フランスでは、少し前まででしたら、Zといえば、怪傑ゾロ(Zorro)でした。ゾロは立ち去るときに「Z」の文字を書き残すのです。夫は子どもの頃にアメリカのTVシリーズで親しんだとかで、わざわざDVDを買って息子達が幼い頃に見せていましたし、義妹などは、子どもにディエゴ(ゾロの平常時の名前)と命名したほど、ゾロは国民的英雄なのです。

でも、今フランスで「Zと言えば、何を思い浮かべますか?」と尋ねられたら、ゾロではなく、Zemmourと答える人が圧倒的に多いと思います。エリック・ゼムールは、最近政界に急浮上した政治評論家。どのような顔立ち、いずまいの方かというと、こんな感じです↓。ぜひ動画で、その語り口や所作を観てみて下さい。

いかが思われましたか? 小柄で、お世辞にもハンサムとは呼べない初老の男性ですが、言葉に淀みがなく、冷静かつ自信たっぷりでしょう? 私はただただ圧倒されてしまいました。(好き・嫌いはまた別)
フランスでは半年後に大統領選がありますが、ゼムール氏の人気はうなぎ登りで、今では現職マクロン氏に次ぐ支持率を得るまでになっているのです。

現代の怪傑ゾロ、それとも、危険な扇動家?

ゼムール氏は、元はフィガロ紙のジャーナリスト・批評家でしたが、昨今ではニュース番組を持つなど、テレビでも論客として活躍していました。

そこにコロナ禍があり、市民の政府への不満が高まる。また外出禁止期間中、家にいるのでテレビを見る人も増え、ゼムール氏は持ち番組にて、多大な知識とデータを駆使した持論を繰り広げファンを増やしていきます。意外なことに、かなり懐古主義というか反リベラルな主張が多いのですが、若者層の心を掴みます。
ちなみに、ゼムール氏の政治スタンスは、ドゴール主義ーーー外国の影響力から脱し、フランスの伝統的なアイデンティティーを追求すること、だそうです。

ーーーここまで読まれて、「何か恐いなぁ」と思われる方も多いのではないでしょうか。「雄弁で」「扇動的で」「若者を魅了して」と来ると、かつての残酷な独裁者を彷彿してしまうのは私だけではないでしょう。それに「『外国の影響力を脱し』って、反グローバリゼーションじゃないの? 時代錯誤のナショナリストですか」、と。ちなみにゼムール氏は、人種差別的発言をしたとして懲罰を受けたこともあります。本当に、まだまだ分からないところが多いのです。
ここで取り上げた理由は、ゼムール氏を推すためでも、アンチを増やすためでもありません。ただ、日本のメディアでは、「ゼムール=極右」として報道されていて、それでは「ルペン(極右政党主)の二番煎じか」と受け取られ兼ねません。「大統領選も、決戦では極右が落選するのは毎度のこと、大丈夫なんでしょ」と軽視されそうで気になってしまって。

というのも、私の感触ではゼムール氏はルペンより手強いと思うのです。フランス人がどうしてこの極端で反リベラルなゼムール氏に魅了されているのか、私なりの考察と感触をお伝えしたくて書いています。

Zと言えば、「ジェネラシオンZ」

若者にも人気があると触れましたが、ゼムール氏の思想を支持する若者層の有志グループ「ジェネラシオンZ」の活動は目を引くものがあります。96~2010年生まれのジェネレーションZとゼムール氏のZを掛け合わせたグループ名が利いていますよね。ゼムール氏を22年の大統領選で当選させようと、街にポスターを貼ったり、メディアで氏の思想について語ったり、SNSで拡散したり、ビラを配ったりと、熱心なこと!(サイトのサムネールはこんな感じです)

実は私も、16歳と14歳というZ世代の息子達を通してゼムール氏の存在を知りました。わが家は新聞もテレビもみない家なので、ゼムール氏の人気者ぶりを知りませんでした。それがある日、息子達が夕飯に降りてこないので呼びにいくと、「ゼムール聞いているから」とネット配信を見ていて、「誰それ?」となり、知ったという。長男も次男も、学校で「ジェネラシオンZ」に参画しているクラスメートがいて、それで興味を持ったようです。子ども達が政治に関心を持ったことが嬉しくて(日本でも是非そうなって欲しい!)、と同時に、ゼムール氏が危険人物でないことを確認したくて、ゼムール・ウォッチを始めたところがあります。

以下、ジェネラシオンZのサイトより、「ああ、これは確かに共鳴する人が多いだろうな」と思ったトピックを取り上げたいと思います。

理解できる点

まず教育。ゼムール氏は、政府は教育にイデオロギーを盛り込み過ぎだ、と批判しています。
この点に関しては、以前より息子達から同様の不満を聞いていました。
たとえば歴史。「共和国主義」をインプットしたいために、そのスタート地点であるフランス革命への時間配分が多く、中世からいきなり革命に飛ぶような感じだそうです。近年、フランス革命に関しては批判も多いというのにそこは飛ばし飛ばしで、革命の次には大戦時代にまた飛ぶという。王政時代やナポレオン時代もフランス史の上で重要なはずなのにバランスが取れていない、と歴史オタクの息子達は不平タラタラ。その上、革命では王をギロチンに掛けた、大戦時代の植民地政策では悪いことをした、とフランスを下げるようなことばかり押しつけられるから嫌になる、「もっと自分の国に誇りを持ちたいのに」と言います。Z世代はポジティブ大好きなのです。
これは自国を美化して欲しい、ということではないようです。息子達は通常のクラスに加え英国式のカリキュラムをオプションで取っているのですが、そこで習う英国史では、王政が好き放題をやっていた頃から各革命、議会制大戦も全部均等に扱われているそう。そこから英国の素晴らしさを知るとともに、当然、現代の倫理観と照らし合わせた批判も生まれる。「それでいいじゃないか、自由に考えさせて欲しい」と息子達は言います。

近年のイデオロギーといえばLGBTQやフェミニズムですが、これも授業に取り込まれています。これもゼムール氏はこの2点は教育と関係ない、と批判します。私は「関係ない」というのは強すぎると思うのですが、一方で、フランスの、この2点への取り組み方が唐突かつトゥーマッチで戸惑っているというのは本当です。でも、「やり過ぎじゃないの?」と声を挙げられずにいる、何故ならLGBTQとフェミニズム自体に疑問を呈しているのか、と間違った受け取られ方をされそうだからーーーそういう人は私だけではないと感じています。

では、どんな風に教育に盛り込まれているか。フェミニズムを例を挙げると、長男の高校では、昨年一年フランス語の授業はフェミニズム文学ばかり読まされました。秀逸なフランス文学は沢山あるのに、何で文学的には中庸な仏フェミニズム文学を優先的に取り上げるの? とうんざり顔でした。
LGBTQについても、中学生の次男は、「『差別はやめましょう』と繰り返されるのだけど、元々差別する気もないし、LGBTQは個人的なこと。差別心を持つ生徒がいたとして、授業で上辺だけの教えを聞いて『そうか差別やめよう』と心変わりする人なんていない。もっと個人的な経験がなければ、人の気持ちなど変わるものか」と言います。
頭でっかちで尊大な物言いの息子達に、なに生意気言ってんの!と思うと同時に、私も肯かざるを得ないものを感じています。

次に移民対策。ゼムール氏は移民に対して非常に厳しくて、移民受け容れを休止すべきといいます。理由として、フランス国内には莫大な人数の違法・合法移民がいて国民の生活を圧迫しているとし、データを挙げて説明します。例えば生活補助を受ける世帯の43%はフランス国外で生まれている(≒移民)とか、亡命・移民申請の6割強が却下されるのだが、実際に送還されるのは15%ほどだ、とか。ちなみに不法移民や罪を犯した移民を母国に送還したくとも、母国が受け容れ拒否するので実質上無理だそうです。

移民に関しては、多くのフランス人はオブラートに包んで呑み込んでいるところがあると思います。昨今は「移民反対」と声を挙げるルペン氏の極右政党が台頭しているとは言うものの、それでも正面切って「反移民です」と言い切るフランス人は少数派でしょう。難民が舟で地中海を漂流してやって来るニュースをみて、心痛めないフランス人はいないと思います。
でも一方で、社会保障・徴税に関して、多くのフランス人は不満を抱えているという現状もあり。特にサラリーマンやミドルクラスは、税回避策を取るほどの資産はないのでガッツリ取られる。だけど恩恵を受けるのは貧困層で、その多くは「移民」。ミドルクラスも、家賃・ローン、教育費、食費と家計は苦しいのに、何故なけなしのお金で膨大な人数の移民を養わなくてはならないの?と、何年も何年も不公平感を抱えプスプス燻っているのです。

膨大な人数……政府の移民政策が寛容なこと(日本に比べたら絶対に!)もありますが、加えるに、フランスの移民は大家族なイスラム系が殆ど。一人受け容れてしまうと、家族を芋づる式に母国から呼び寄せるので一人が五人、十人となります。稼ぎがなくとも、フランスは社会保障が手厚いのでそれで何とか暮らせるのです。それ狙いの移民も多いと言われています。働いて稼ぎたい移民ももちろんいるでしょうが、受け入れキャパを越える数でくるから、言葉や職業訓練も追いつかない。よってゲットーができ、犯罪率も増えます。

それでも、移民批判すると非人道的だとバッシングされるからぐっと口を噤んできたフランス人。プスプスと胸の中で煙が溜まっていく一方でした。

そこにゼムール氏が現れ、タブーを恐れずに、「移民政策、おかしいでしょう」ときっぱり明解に言語化してくれた。「ああ、息が出来る!」とほっとした人が多いのだと思います。

……長くなってきましたので、次に賛同できない点に行きましょう。

理解できない点

ゼムール氏はとにかくタブーを恐れずに挑発的というか、揺らぎがないというか、「ええーっ、そこまで言う?」と思うこともしばしば。

たとえば、移民政策に関しては、ゼムール氏は経済的理由だけでなく、文化的にもフランスのアイデンティティーを脅かしていると攻撃します。宗教の自由は結構だけど、フランスの文化と同化できないのであれば、国民となることは許されるべきではない、というのです。
その中で、嘲笑に晒されているものに名前の問題があります。ゼムール氏は、移民は、フランス国民になるのであれば、ファーストネームもフランスらしい名前ーーキリスト教の聖人や聖書、もしくはフランスの歴史に出てくる名前にすべきだ、というのです。
これを初めて聞いたときは唖然としました。余りにも時代錯誤!今さら「フランスらしい名前ではくてはダメ!」なんて無理です。私も、もし将来フランス国籍を取得した場合、フランスらしい名前に改名しなさい、と言われたらかなり困惑することでしょう。この主張に多くの人が笑ったように私も失笑しましたよ。

でも、息子達は笑いません。「あれはゼムール、引っ込めるべきだ」とは言いますが、「言いたいことはわかるんだ」と。「どういうこと?」と聞くと、息子達は逆に、
「どうしてママは僕達の名前をフランスらしい名前にしたの?」
と聞くのです。その名前が好きだから、恩を感じている聖人の名前だから、などそれぞれ理由はあります。
「でも何で、和名はセカンドネームにしたの? 」
と追求されます。それは、息子達はフランス、もしくは西洋社会で生きて行くことになるだろうから、フランスらしいファーストネームを選び、和名はセカンドネーム扱いでいいか、と考えたのです。
「でしょ? ゼムールもそういうことを言いたいんだと思うよ。フランスで生きて行くなら同化する姿勢を見せるべきだ、って。ーーーでも、いずれにせよあれは引っ込めるべき。そういう時代じゃないんだから。ディエゴ(冒頭で触れた、息子達にとっては従兄弟)も笑っていた。『今さらジャックとか呼ばれたくないよ(ディエゴは十二使徒ヤコブのスペイン語版で、フランス語だとジャックと変わります)』って。ゼムールは子どもっぽいんだよ。喧嘩売られると一々買って引っ込めないんだから」
と意外と冷静な彼ら。これもZ世代の特徴なのでしょうか。

命名事情 1993年までは、フランスに子どもの命名に関しては「フランスらしい名前をつけること」が義務化される法律があったようです。結構最近まで命名の自由はなかったのですね。なので、これを覚えている世代のフランス人には意外と受け容れられる主張なのかもしれません。

ーーーさっきから、「理解できない」といいながらも肯いているじゃないか、と指摘されそうですが、そこなんですよ。ゼムール氏の主張は、一瞬「何それ!」と身構えさせられるのですが、氏の理由付けを聞いていると「うーむ」となってしまうのです。言いくるめられているのか、それとも、彼は真実をついているのか。

ちなみにゼムール氏は二重国籍にも反対だそうです。正直私は、もう国境とか愛国心とかは、ない方が健全な気がするのですが、どうなのでしょう。またイスラム系については、女性が頭や身体を隠す布、ヒジャブの着用も許しません。女性蔑視がベースにあるから、だそうです。

ゼムール氏自身はアルジェリアからのユダヤ系移民2世で、両親はフランスに同化するのに苦労したそうです。だからゆえ、同化しようと努力せずに、社会保障のベネフィットにたかる移民達が許せないのでしょう。
逆に言えば、同化する努力をして社会に貢献している移民に関しては穏便に扱ってくれるのか、一移民の私としては大いに気になるところです。

フランス大統領選は2022年5月!

まだ政治国際情勢の項目に触れていませんが、長くなりましたので割愛します。それにジェネラシオンZのサイトでは、ゼムール氏を大統領に推しているというのに、この二つの項目の扱いが短いのです。その上「経済」や「国防」についてのページもないという。
甘いなぁ、と苦笑いすると同時に、それほどに若い層は、フランス人としてのアイデンティー問題に危機感を持っているのかな、とも考えたり。

思うに、マクロン政権は、やたらに「EU、EU!」と推しているけれど、「EUって何?27カ国も加盟しているけれどイギリスは抜けたし、よくわからない。それにEUの存在がフランスの国としての色を希薄化してない?」と皆が不安になってきたのではないでしょうか。その中で「ドゴール将軍の頃のように、愛国心が強い、古き良きフランスに立ち返りたい」と思う人が増えていたのかもしれません。

最後になりますが、実は、ゼムール氏は、大統領選に立候補していません。十中八九立候補するだろう、と言われています。発表をギリギリまで焦らすのは何故なのか。選挙権を持たない私は外野でしかありませんが、今回の大統領選は面白くなりそうです。
(カボチャ対決の写真は本記事と無関係です!)


2021年9月10日金曜日

喪失について


 

今朝、大失態を犯してしまいました。まだそのショックの中にいます。わが家のアンティークの置き時計を壊してしまったのです。

この度、暖炉の上の壁面に鏡をはめ込むことにしたのですが、職人さんが来る前に、その大きさを決めようと、ああでもない、こうでもない、と鏡代わりの薄い板を夫といじっていたところ、それが倒れて、マントルピース上にあった置き時計が床に落ち、壊れてしまったのです。

すでにひびが入っていた置き時計だったので、見事に木っ端みじんに飛び散りました。そのショック。心臓が痛いまでにズキッとして、さーっと何かが引いていく。一瞬、心の中が真空状態になったかのようでした。

これが喪失感というやつか、と思いながら、ふと、先日読んだ、石井麻依氏の『貝の続く場所にて』が呼び起こされました。
ドイツの幻想的な街に住む仙台出身の「私」が、震災で失った人への想いを昇華していく道行きが描かれている、と理解しましたが、それで合っているかな。
「言う」「聞く」「思う」といった動詞すらも暗喩で表現する濃厚な文章を追ううちに、震災や病で失われた命に宿っていた記憶たちの声が聞こえてくるようでした。(と、私も下手な比喩を使ってみる)
物語の途中、ドイツの森に、杖、縫いぐるみ、壊れたガラス細工、貝殻といったゴミが現れる、という下りがあり、いやでも津波が去ったあとの東北地方太平洋沿岸部が目に浮かびます。そういった「ゴミ」の一つ一つに、誰かの記憶が宿っているというのは、10年前のあの光景を見た人なら知っていること......。胸が掴まれたような苦しさを覚えました。

私も、今朝、置き時計の破片を拾いながら、そんな記憶に思いを馳せました。夫の祖母のものだった、と聞いています。どんな時を刻んできたのでしょう。それが、今朝、止まった。ごめんね、ごめんね。

それにしても、ものが壊れる、なくなるというのは、実にあっという間なんだな、と、今朝の小さな事故で知りました。あっ、と思った次の瞬間には、粉々に壊れている、という。何か、人生の教えを賜ったのではないか、と考えたり、同時に、この置き時計は夫のものでしたが、いつの間にか、私の中で「私達のもの」と認識が変わっていたことに夫婦というものを感じたり、失ってしまった哀しみを噛みしめると同時に、あまりの木っ端みじんな終わり方に、さばさばする気持ちもあったりと、色々なことが頭を巡っています。

そんな今朝の心のスクリーンショット。
波は続いていますが、Life goes on. 
買い物にも行かなくてはなりませんし、取り敢えず、コーヒーでも淹れることにします。
読んでいただき、感謝しつつ、
Allez, bon weekend!!

追伸:石井麻依氏の『貝の続く場所にて』は、今年の芥川賞の受賞作です。同時受賞の、李琴峰氏の『彼岸花の咲く島』も読みました。どちらも、物語性があって、個性があって、素晴らしかったです。

2021年5月27日木曜日

幸せとか。

 

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今日は、考えがまとまらずに空中分解する可能性大のお題、「幸せ」にチャレンジしてみたいと思います。大仰なことを書こうとは思っていませんのでご安心を。ふーんふーん、とお気軽に読み流して下さいませ。

少し前のこと。
夜、ティヨールという葉のハーブティを片手に、ふらふらとネット上で道草していると、ある女優さんのインタビューに出会いました。若い頃から活躍している方ですが、気づくと彼女も四十代後半の、確固とした大人の貫禄を纏う女性になられていました。
長いインタビューの中で、「貴女にとって、幸せとは何ですか」と訊ねられると、大女優は腕を組み、首を傾げ、言葉を探されること数秒。途中、あ、と閃いたようですが、次の瞬間また、うーん、と躊躇われる。長い睫毛を伏せた横顔は、皺すらも美しくて私も画面に見入ります。
そして、ついに心を決められたよう。カメラをじっと見据えられると、ゆっくりと、噛みしめるように答えられました。
「幸せとは、簡単に、使ってはいけない言葉」、と。

私、はっとさせられました。
美味しいものを口にしたとき、道端の小花の愛らしさを目にしたとき、素晴らしい小説を読み終えたとき、何かにつけて、「幸せ」を噛みしめていた私。まさに、幸せという言葉を、安易に、簡単に使ってきました。
だってそうよ。小さな幸せを確認しながら暮らしていかないと、くらくらするほどの悲劇一杯の世の中だもん、鬱になっちゃうわ、と、幸せを屑ダイアのようにかき集めてきたのです。

でも、彼女の言葉で考えさせられました。
幸せって、確かに、もっと尊いことなのかも、と。
幸せは、「嬉しい」「感動!」「心躍る~」というのとは別格の言葉であり、境地なのかも、と。
でも、じゃ幸せって何?

そんなことが頭の片隅にあった先日、日本の母に「母の日コール」すると、いつものフレーズ、「はいはい、ありがと。お陰様で幸せですよ。あなた達が幸せでいることが何よりも幸せ」と、繰り返します。
いつもなら、「はいはい、こちらは大丈夫ですからご安心を」などと、笑いながら答えるのですが、今年は、「ああ、なるほど!」と、膝を打つ私でした。
幸せって、自分のことではないのかも。大切な人のために喜ぶ気持ちなのかも、と。

ちょっと優等生過ぎる答えかもしれませんが、きっとそうなのだと思いますす。自分のことではなくて、大切な誰かのために喜ぶとき、一緒に祝うとき、温かい何かが湧きあがってくる、あれが「幸せ」。そうに違いない。
だから、大切な誰かが─── 家族でも、友達でも、一方的に想っている誰かでも、ペットでも、見知らぬ民に対してでも───そういう存在がいない人は、たとえ社会的に成功していて大金持ちだとしても、幸せを感じるのは難しいのだと思う。

私も大女優を見習って、これからは「幸せ」という言葉を「簡単」に使わず、貯金しようと思っています。そうすると、何か大きな幸せが、大切な人達に訪れそうな気がしませんか? そんな幸せを一緒に味わわせてもらえれたら、それこそ、至福ってやつですよね。

そして自分のためには、「嬉しい」「美味しい」「きれい」「素敵」「感激!」「有難い」「感謝」……数え切れないほどある喜びの言葉を使って、その時々の気持ちを表そうと思います。

さて、窓の外に目を遣れば、朝からの雨も上がったよう。また森を歩いてくることにします。ウォーキングは私の小さなし……じゃない、大きな喜びとなりつつあります。いつかそんな話も。

皆様、どうぞ引き続きStay safe。ご自愛下さいませ。

2021年5月7日金曜日

自由とか。



いつになく肌寒い5月。先ほどから雨も降りだしました。そんなベルサイユの書斎より、最近、頭の中で切れ切れに考えていることを、忘れないうちに書きつけておきたいと思います。しばし、徒然なる私の考え事にお付き合いくださいませ。

まずは自由について。

最近頭の中で繰り返される映像があります。
それは、あるピアニストが演奏する姿です。
ピアノが好きな長男のお陰で、その動画に出会いました。

日本だけでなく世界を代表するピアニストですから、他にも動画は沢山あり、コンサートのビデオなど、以前にも、幾度か観たことはありました。細面の、品のあるお顔立ちに物静かな表情を浮かべて音楽を奏でる姿。美しくて理知的な印象がありました。

ですが、それらは随分昔のものだったようです。私は、自分が年取ったことを忘れがちなのですが、ついでに、昔から知っている人も年を取らせない、という癖があり、時折、こんな風に歳月の流れに足元を掬われることがあります。
私の中では永遠に40代だったピアニストも、その動画では、グレイヘア世代になられていました。ウィキペディアをみると1948年生まれとあります。2017年の録画ですのでピアニストは、古希一歩手前、というところでしょうか。
元々スレンダーだったお姿は、さらにほっそりとされ、化粧っ気はなく、服装も、森を散歩するときのようなカジュアルな装い。この動画は、音楽の講義風景を録画したものですので、語りも多く、初めて彼女が話す様子を観ました。明確で歯切れ良く、大勢の方を前にしても固まることなく自然体で話される姿が、堂々とされていて格好良いこと!
私の頭の中では、もっと寡黙でしとやかな人だろう、と想像していたので、「ふーん、ふうん、こういう方だったんだ」と、その意外な実像に惹きつけられていきました。

そして、いよいよ演奏。モーツアルトの協奏曲で、「ダダーン!」と始まります。
その時の彼女の身体。
全身が喜びに震えているように感じました。あの細い身体、両手から、どうやってあのようなパワフルな音楽が奏でられるのか。いや、無学なことは自覚していますので、音楽については口を噤みましょう。
それに、私、音楽どころではありませんでした。彼女の身体と手の動き、それだけで、私の小さな心はいっぱいいっぱい。鍵盤を叩く度に、ピアニストの身体が弦となっているかのように振動します。それを観る私は、うわーっ、うわーっ、と、それだけ。目尻さえも濡れてしまって、そんな自分に驚きました。

何といえば良いのでしょう。まるで、感受性という生き物が、自由に、そう、自由に自分を表現している。そんな印象を受けたのです。誰の評価も、誰の目も耳も気にせずに、制約一切なく、自分が感じたものを表現している。顔が、身体が、音を奏でるという至上の喜びを表している。
これが、自由というものなのか、と思いました。

コロナ禍で動き回る自由を奪われる日々の中、精神の自由を知るという、神様のいたずら。あれから、幾度となく、あの動画を見ています。時には音すら消して。音楽の動画だというのに、です。

その度に、考えます。ピアニストが持っている「自由」のことを。
きっとあの方は、少なくとも音楽に関しては、人に嫉妬するようなことは、ないでしょう。嫉妬心から解放された心ほど自由なものはない、と思いませんか。
きっと、認められたい、とか、そういうのもない気がする。
いや、ピアノを弾く喜び、それを人に伝えたいとか、教えたいといった願いはあるかもしれませんよ。でも、弾いているときは、ただただ嬉しくて、そのうち没頭し始めたときには、無心になっていると思います。
そうか、無心になっているとき、人は自由なのかな? 
自分の邪心や野心からも解き離れて、唯々もっと高いところに羽ばたいている、そんなイメージかな?

もちろん、自由の境地に達するために、ピアニストは、幼い時から死にものぐるいでピアノと向き合ってこられたのでしょう。そして、古希近くなって自由になった。ああ、なんて厳しい。なんて素晴らしい。

……と、勝手なシナリオを描いて、勝手に憧れています。
自由。
本当の自由。
自由な心。
ため息の午後……。

コーヒー淹れて一服することにします。
次は、幸せとか、そんなことについて書いてみたいと思っています。
ではまた!

2021年3月4日木曜日

読書日記*『絶望読書』頭木弘樹著

 


ご無沙汰しております。今年はここでもたくさん書きたい、と言っていたのに、一ヶ月以上経っていました。

何故かというと……
今回ご紹介する『絶望読書』(頭木弘樹著)という書籍に続く話なので、少し遠回りして、最近の、私の心模様について書かせてくださいませ。

皆さんは、絶望を感じたこと、ありますか?
多分、ありますよね。大人ですものね。
でも、私ったら、今までそういうことがなかったのです。
絶望未体験でここまできてしまった。

幸運に恵まれていたから、ではありません。今までの出来事を年表にしたら、失敗と挫折のオンパレード。それでも、毎回、タダでは起きるものか!と、立ち上がってきたのです。
この「タダでは起きるものか」と思う時点で、絶望は感じていないってことですよね。実際にはタダどころか、大赤字な状態で立ち上がってきたのですが、それでも絶望することなく、「この失敗を生かして」とか「次回こそ必ず」とか「この挫折はきっとどこかに続いている」と希望を胸にやってきたのです。

でも、今回は、そう簡単には希望を見いだせない。
いや、多分心の整理はついていて、覚悟も出来つつあるので安心してください。
何のことかというと、長年の夢だった「小説家になる」というのは、実現しないんだろうな、とようやく分かってきたのです。エッセイの方では、有難いことに出版させて頂く幸運に恵まれましたが、何せ物語好き少女のまま大人になったもので、創作小説でデビューしたい、と夢に見ておりました。
当たり前? ほんと、そうですよね。小説家になるだなんて何百何千分の一の確率ですものね。
それなのに、私はずっと、「いつかなれる!」と信じてきたのです。何度も小説賞に応募し落選しているのですが、それでも「ダメ元だったからね」と気にせず、「次こそは!」と立ち直ってきたのです。なんと能天気なことだったのでしょう。

そんなことをやって来たこの10年余り。
それが年末頃に、「私って、ひょっとして才能がないのでは」という、当たり前な疑問が湧いた! 
幾ら能天気な私でも、文豪のような才能を持っている、とは露程も思っていません。でも、私なりのオリジナリティはあるし、書いていれば文章力も上がるだろうし、と10年以上、ずーっと書くことを優先させてきたのです。自分が書いた小説が書籍化されて、誰かが読んでくれて、それが小さくとも感動となってくれることだけを夢に見てきたのです。ずっとそう信じていたから、自分を持つことが出来た。
でも、そういう日は来ないんだな、ということが、或る日、すとんと見えてしまった。
血の気がさーっと引きましたっけ。ぽけーっとしちゃいましたっけ。
*********

そこでいよいよ本題に入ります。
頭木弘樹氏の『絶望読書』です。
この本のことを知ったのは、ちょうど、小説家の夢が遠のいているころのこと。ツィッターで見かけて、「ああ、ああ、呼ばれている」と吸い込まれました。実際、検索して調べると、次のようなメッセージが出てくるではないですか。

著者より
どういう本なのか、少しご説明させてください。
絶望をすすめる本ではありません。
絶望からの立ち直り方について書いた本でもありません。
立ち直りの段階の前の「絶望の期間」の過ごし方について書いた本です。
人は、絶望したとき、なるべく早く立ち直ろうとします。
周囲もなるべく早く立ち直らせようとします。
とはいえ、日常的な軽い絶望でも、一晩は寝込んだりするでしょう。
周囲の人たちも、「今日はそっとしておいてやろう」と、励ましの言葉をかけるのさえひかえるでしょう。
一晩ですまず、何日か、かかることもあります。
さらに何週間もかかることもありますし、何ヶ月もかかることもあります。
ときには、何年ということも。
絶望した瞬間から立ち直りが始まるわけではなく、絶望したままの期間というのがあります。
この「絶望の期間」をどう過ごすかが、じつはとても大切なのです。
そのことについて書かせていただきました。
絶望の最中にある方、絶望している人にどう接したらいいのかと悩んでおられる方などに、少しでもご参考になれば幸いです。
また、できることなら、絶望する前に、読んでおいていただけると嬉しいです。地震の本は、地震が起きる前に読んでおいたほうがいいように。
(アマゾンの『絶望読書』のページより引用しております)

これよこれ! まもなく絶望が来るという予感の中、ことが起きる前に読んでおかなくては、と、早速キンドルで拝読しました。

『絶望読書』ーー文章滑らかで品格があり、ユーモアもあり、優しさも厳しさもあって、するすると読めちゃう。絶望が絶望であることには変わりはないのですが、こうも冷静に絶望を語られてしまうと、何か吹っ切れてくるものがあります。

いや、この書籍、そして頭木氏の素晴らしい点は、絶望という話もさることながら、ここで紹介される文学やエッセイのセレクトの秀逸さかもしれません。
頭木氏はご自身を「文学紹介者」と名乗ってらっしゃいます。紹介作品はアングルとしては「絶望」なのですが、絶望とは、生と死に向かい合ったときに生まれる感情でしょう。そういう大きな問題を真摯に見つめた作品は、たとえ喜劇であったとしても(頭木氏は落語への造詣も非常に深い)深遠であること、間違いなしです。
『絶望読書』でも、カフカをはじめ、太宰やドストエフスキー、そして私も大好きな山田太一など、多岐に渡る書籍が紹介されています。未読の本はすぐにでも読みたくなる。既に読んだことがある本でも、そういう解釈があったのか、とより深い理解へと誘われます。まるで一冊の本を読んでいるのに、そこに紹介されている作品をも読んでいるような、何とも豊かな時間を過ごしました。絶望されていない方にもぜひお薦め致します。

私の絶望は、というと、この『絶望読書』を読んだら、乗り越えられてしまいました。そもそもが仮面絶望だったのかもしれませんね。
絶望にまで寄り添ってくれる小説やエッセイ。当書で頭木氏が書かれているように、「人生に何か起きたときには、じつは本というのは命綱になってくれる存在」。そんな素晴らしい山を目の前にして、登らずにはいられない。登り切れなくとも、チャレンジしたい自分がいる。「ふん、だめでもいい、書き続けよう」と、決意が新たになりました。
物書きの良いところは、音を立てるわけでなく、お金がかかるわけでもないところ。もう書きたいことがないわ、となる日まで書かせて貰います!

ではまた、不定期になりますが、更新します。
引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。