2019年1月31日木曜日

家作り ① 台所編、キャロー・ド・シモン

今年二度目の雪が降りました
皆様、今年になって初めてのお便りとなります。
2019年も、こちらベルサイユから、ふと思ったこと、考えたことなどをお伝えしていきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。

今年の第一便は、家の改装について、です。


昨年6月よりスタートしました。それ以来、ずっと家のどこかに穴が空いている、もしくは、瓦礫が山積みとなっている、そんな状態のわが家です。

周りの方からは「大変ね」と同情を寄せていただいているのですが、私としては、イメージが形になっていく様子を見ることが、何ともエキサイティングで、楽しい数か月を過ごしています。


例えばこんな穴。
これは12月、50年来の古い窓を
二重窓に変えたときの窓からの(?)風景です。寒かったなぁ。
そんなこんなのハウス・リノベーションなのですが、
今回は、台所の床材についてお話しをしたいと思います。

家を改装するにあたって、私の望みは2点のみ。
一つは、暖炉にレンガを使うこと、二つ目は、家のどこかに、横浜山手西洋館のベーリックホールのテラスルームのような、格子模様の床を作ることでした。

私は、何かこういうノスタルジックなデザインに引かれるのです。
エレガントでもなく、ミニマリストでもない。
モダンでもなく、そして和風でもない。
何か思い出の匂いがする、そういう空間にほっとします。

夫は、もっとエレガントなデザインも好きなのですが、うちは、本当に素朴でさっぱりとした建物なので、張り切ってエレガント風にすると滑稽だね、ということで、「コージー&ノスタルジック」を合い言葉に、内装選びをしています。

ベーリックホールは、子猿たちが2年間通った
横浜の学校の目の前にありましたっけ。
「私の願望一点目」の暖炉については次回に回すとして、まずは台所の床材についてお話ししたいと思います。

家中に樫材のフローリング(Parquet パルケ)を敷くことは早々に決め、でも台所は違ってもいいね、ということになりました。

そこで、格子模様(これはヴィトンでお馴染みのDamier ダミエと呼びます)をお願い!と切望しましたよ。私の夢でしたからね。

モダン好きの建築家のムッシューは、「後悔しませんか? 考え直しませんか?」と抵抗しましたが、私も頑固に譲らず、何とか説き伏せました。

ちなみに、こういう時、男はダメですね。夫は、何かと無難なデザイン・色になびくんです。それで結果後悔するという・・・・・・。

私が「私達はダミエが好きなんです!」と言い張ったときは、夫も「そうだ、そうだ」と声を出した癖に、建築家のムッシューが「でもね、...」と反対の理由を述べられると、180度方向転換して、「なるほど、考え直す?」って。

ま、そんな遣り取りもありましたが、ダミエ決行となり、

次の問題は、どんな材質のタイルを使うべきか、です。
これはブルゴーニュ地方で作られる石材によるダミエの変形、カブション模様
石材は高いし、脂染みに弱そうですし、素朴な拙宅には荘厳過ぎる。

大理石も高いし(←ま、結局はこれなんですけどね)、照明の下に映ったときの、あのつるつるした感じが、アンチ・コージーな気がする。
こちらは大理石、@ベルサイユ宮殿!

そこで勧められたのが、セメント材のタイルでした。フランス語ではCarreaux de ciment キャロー・ド・シモン。

昨今フランスでは復古人気でして、インテリア雑誌や友人宅、お店などでも良く見かけます。また本物ではないかもしれませんが、色柄が独特の味わいなので、壁のアクセントに使われているのもよく見かけます。
マレ地区にある専門店。主にモロッコやポルトガルで生産されていましたが
こちらのは、ベトナム産だそう。
もちろん、古い邸宅でもよく使われていて、義理の両親の別荘のエントランスもキャロー・ド・シモンです。
2cm弱と、結構な厚みなので、床材にしても割れにくく、色も上部何ミリまで染みこませているので、かすれて柄が消えちゃった!ということも少ない、ということです。
200年くらいは経っているのかな?
それでも損傷なし。
ただ、手入れはそれなりにしなくてはなりません。
セメントは粒子が細かいのですが、表面が完璧なツルツルではない分、汚れが入り込んでしまう。
また、防水塗料のようなものを定期的に塗らないと、台所であればなおのこと、脂染みもつくし、色落ちも、ないとは言えない、などなど。

色々と考えたのですが、やってみることにしました。下の写真です。

写真では良く映りませんが、白と汚れた深緑の格子模様に縁取りも付けて、というシンプルなものにしました。キッチン以外、玄関も居間もパルケ、茶色一色なので、よいアクセントになったかなぁ、と自己満足中。

丸裸の台所。壁のタイルも「変えたら?」と勧められたけど、
良い感じにセピアがかってきたので、そのままにして、とお願いしました。

遠目でみれば、傷も気にならない!
ただですね、やっぱりメンテナンスが大変です。
すぐ汚れますし、傷もつきやすい。朝起きると、夜遊び好きなマエストロの足跡がそこら中にあって、朝から雑巾掛けです。

それでも大人気のキャロー・ド・シモン。
ここに、フランスと日本の違いを感じています。

このキャロー・ド・シモンを知ったときには、
「こんなにきれいなもの、絶対日本でも人気になるだろうな、皆にお勧めしたい!」
と興奮したのですが、こうやって使ってみて、傷がついたり、色も均等でなくて、手入れが大変なものは、今の、街中ピカピカ、室内は無傷・全自動の日本では許容されないだろうな。それくらいなら、頑強で手入れが楽な素材の方が好まれるだろうな、と、押し売りすることを思い留まったのです。

目移りしてしまって選ぶのが大変でしたっけ。
ちなみにパルケも同じです。樫材のパルケも、傷はつくし、ワックス掛けがマストだったりと、要ケア材質。
そして、横浜時代の家で使われていたような、つるっとした床材は、こちらフランスでは格が下のもの、とされているという・・・。
日本は湿気の問題もあるから、考慮すべき点も異なってくるでしょうし、
何ごとも、所変われば、ですね。

キャロー・ド・シモンに戻ると、
フランスでは、「タイルの傷? Ca va ça va、どうってことない。かえって味が出ていいじゃない」と、気にしない人多し。
「そんなことよりも、セメント材ならではの、このマットな感じとか、色の深み・渋みがたまらない!」
と、魅力の方が重視されています。

ちなみに工事の人も、
「ちょっと!傷つけたわよ、ほら、ここここ」
と私が目くじら立てても、
「どこどこ? けっ、そんなの気にしてたら始まらないよ」
と笑って流されてしまって、これはこれでムカつくのですが。

マエストロ近影
まだ床以外はwork in processですが、それでも日々愛着が増しているわがキッチン。
完成した暁には、また報告したいと思います。

日本でもインフルエンザが流行っているようですね、どうぞご自愛されますよう。
今年もどうぞご贔屓に!


2018年12月18日火曜日

私のフランス観、その二

寒中お見舞い申し上げます。

今年のペースだと、今回が恐らく最後のブログ更新となることでしょう。更新頻度がゆっくりとなった一年でしたが、そんな怠け者ブログにお付き合い頂きましてありがとうございました。


この一年を振り返ると、

仕事面では、自費出版ではないという意味では初の書籍出版という夢を実現出来ました。沢山の方に読んでいただき、感謝の気持ちで一杯です。
編集を担当して頂いたO氏とも、何回かお会いし沢山のメールを交わす中で、信頼が深まり、そういう関係性の構築ができたこともとても嬉しく、
また、読者からも、レビューや手紙などで感想を寄せていただき、私が書いたものが人様の心に何らかの影響があった、ということに感無量の思いです。

装丁も素敵でしょう?

夏には日本経済新聞の取材のお手伝いを、そしてそこから発展して、今月初めには、同社が主催するWoman Expoにもお声をお掛けいただきました。

これらのご縁を通して、聡明かつ勇敢かつ寛容で明るく・・・・・・と賛辞尽きない素晴らしい方々との出会いがあり、応援に駆けつけてくれた旧友らとの再会があり。
本当に恵まれた一年となりました。


日経ウーマノミクスは、「女性が今よりもっと活躍できる環境づくりの応援」
を目的とするプロジェクトだそうです。
そんなイベントに参画できたことを光栄に思っております。
画像は、トークショーの様子です。リード役は、ジャーナリストの木村恭子氏。
こちらにも沢山の方に足を運んで頂き、誠にありがとうございました。

プライベート面では、なんと言っても家の改装工事に振り回された一年でした。こちらはまた来春まで続くので、いつかまたレポートしたいと思っております。

台所の床は、昨今フランスで復古人気のセメントタイルに。
このあと、職人さんが大きな間違いをして大変なことになったのですが
そんな話はまた別の機会に。

さて、最近のフランスは騒がしく、ゴーン氏逮捕も忘れられるほど黄色ベスト・デモ一色でした。

傍観しているだけで、鋭い洞察など一切ないのですが、一丁噛(いっちょかみ)として一言。

まず、フランスでは忘れられているところあるゴーン氏逮捕。

ゴーン氏に限らず、雇われCEOの莫大な報酬というものには、常々疑問を持っていました。自分のお金を投資して創立した人とかならまだしも、大企業の雇われCEOは、個人的なリスクをとっていないのに、何故あのような報酬を要求できるのか、その根拠が私にはわかりません。この逮捕劇が欧米のCEOの高額報酬を考え直す機会となると良いんだけどなぁ、と思っています。

そして黄色ベスト!

先週と先々週の土曜日は、子猿たちの日本語補習校もクローズし、凱旋門付近はメトロも停まらず、商店は閉店を余儀なくされた、黄色ベストのデモ。

色々と記事も見かけますが、どれも後づけの理由のように感じられ、なるほど!と説得される解釈には出会っていません。

そんな私の、無責任なセオリーを書いてみたいと思います。

「全然違う」と思われる方も多いでしょうが、小説家志望の妄想だ、と思って見逃して下さいますよう。

今回のデモでは、火事場泥棒や、車に火をつけたり、破壊暴力も沢山あったと聞いています。


それで思い出したのは、先日母から聞いた、江戸時代の話です。

東京にいる母は、近年古文書に凝っていて、読めるようになると、色々な発見があってとても興味深いといっています。

ウィキペディアより

古文書 とは、広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は、特定の対象へ意思を伝達するために作成された近世以前の文書を指す。特定の相手に向けたものではない文書、例えば日記や書物などは古記録と呼んで区別される。

「例えばね、天明の大飢饉のときに打ち壊しとかあったでしょ? あれも無作為に打ち壊して、米を盗もう、ということではなくて、ちゃんとルールがあったのよ。

まず、米は盗まなかったの。蔵を壊すだけ。あと、放火も広がったら迷惑だから厳禁。目的は悪徳米商人を懲らしめることで、それ以外の行為は許されなかったの。ちゃんと律せられた暴動だったのよ。そういう、当時の人々の考え方や暮らしぶりが古文書を読むと分かるわけ」

ちょっといい話でしょ? 江戸時代の町人や村民は無学な人が多かったろうに、こういう倫理感や分別を持っていたなんて、誇らしくなりませんか。


これは日本人がフランス人より優れている、と言っているのではありません。


フランスでも、数年前の同性愛結婚法に対する反対デモでは、暴徒化することなく、分別もって明確にメッセージを発信しながらデモを行いましたし。

・・・・・・でもそれがゆえ、あんなに反対派が多かったのに無視され、横暴な形で法案は通りました。

それが、今回の黄ベストデモでは、何でもあり、となっている。そしてそれに対して、政府も懐柔策を提案している。


盗みも暴力も人様への迷惑も、すべて「しょうがないじゃねえか、政治が悪いからだ」と許容を無理強いさせ、政府も「しょうがない」と妥協する。声が大きいものが勝つ。
これ全て、今のフランスそのものだと思うのです。

道徳感が崩れすぎ。自分勝手過ぎ。力で押し倒しすぎ。

そして、それがフランスの人々の気持ちを暗くしているのだと思います。


人にはネガティブな本能も沢山ありますが、もっと良くありたい、良いことをしたい、という本能もあると思う。それなのに、周りがズルするから自分もしないと損する、という感じで、ずるずると引き摺られてネガティブ行動を取る。

みんな、そんな自分や社会にうんざりしている、怒りすら感じている。そんなところがあると思う。

今回のデモは、そんな行き場のない怒りが、燃料税を契機に爆発したのではないか。


これが私のセオリーです。

ここで、ドゴールのような国父的指導者が居て上手くまとめてくれたらいいのですが、残念ながら国父どころか、生意気な頭でっかちの息子のような人が大統領ときた。

マクロン大統領は発言こそ真っ当ですが、説得力に欠けるし、胡散臭さもある。
そして、彼だけでなく内閣にいる人達も、投資銀行やらコンサルやら、リアルで働いたことがない人達ばかりだから、燃料税を上げる、などという唐突なアイデアを出してしまう。地方の、車が頼りの人々の生活を、現実的にイメージできないのでしょう。

そこで行き場のない民衆の怒りが、「じゃこいつをリンチするか、元々気に入らなかったんだ」、とマクロン政権に向かったのはないか。


デモ参加者の中には、「フランス革命を再現するんだ!」と息巻き、革命のシンボル、バスティーユにも行進したそう。

やればいい、と思います。現代の目・価値観の中であの革命を見直す機会になるのなら。血糊の革命を全面肯定しそこから生まれた「共和国精神」の、欠点にも目を向けてもよい時が来ているのでは、と思います。



今回のデモで膿を少し出したから、2019年は、反省し、内省し、自らを正そう、律しよう、という、ポジティブな空気が生まれるのでは。


そんな希望を抱きつつ、色々考えさせて貰った2018にさよならを。

2019年が皆様にとっても喜び多き年となりますように。

どうぞ良いお年をお迎え下さいませ!










2018年11月8日木曜日

読書録 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」



田舎では初霜が降りました
秋休みを終え、田舎から戻ってきました。
朝夕、わが家の前を、重いバックパックを背負った子供たちが、あっちの高校、こっちの学校へと行き交う日常に戻りました。
笑顔のこ、寝ぼけ顔の子、遅刻気味で焦った顔の子、チャリ、トロティネット(キックボード?)、駆け足、ノロノロ足。
パリ地方、ベルサイユは、これからぐんぐん日が短くなります。



そうだ、本題に入る前にお知らせ事項を一つ。
この度、光栄にも、日経グループが主催する女性のためのお祭りウーマンエキスポ にて、フランス貴族 の暮らしのエレガンスをお伝えする、メッセンジャーとしてお話する機会を頂きました。リード役は、新聞・テレビで活躍されているジャーナリスト、木村恭子氏です。 
2018年12月1日(土)16:20~17:00
参加費は無料ですが、事前申し込みをお願いしています↓
https://www.woman-expo.com/tokyo-wi…/session/session-detail…
東京ミッドタウン でお待ちしています

久しぶりにウォーキングに出発!

では、本題に戻り・・・・・・
秋といえば読書。久々に読書感想文、いきます!

最近読んだ本で、考えさせられたのは、小説好きの私にしては珍しい教養本。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」by 新井 紀子氏
電子書籍で読みました。

・・・・・・早速脱線しますが、キンドルなどの電子書籍端末はよくできていること!お陰でフランスに居ながらにして、日本で話題の本をすぐ読め、有難い限りです。

ただ、この二、三年、日本語・英語の小説をキンドルで読みましたが、実用・教養本などは電子書籍でもよいけど、小説や女性誌は紙媒体が読み易い、というのが私の結論です。やっぱり、心への残り方が違う気がします。
女性誌も、私の場合は、記事を読むと言うよりは、雰囲気に浸りたい。そういう「余韻」が味わえるのは紙ならでは、なのだと思います。

電子書籍の良いところは、フォントの大きさを変えられるので、老眼鏡なくても読めること。ですが、これがかえって、ページ感覚を損ない、集中力が削がれてしまう。

電子書籍は、文字に拘らず、画像・動画・音声と絡めた「作品」にしたら、よりバリューが高まるような気がしましたが、これはコストが掛かりすぎるのかな?


今まで、森の写真は難しかったのですが、
新しいスマホの自動修正機能によって、こんなにリアルに撮れました!
 さて、「AI vs・・・」
著者の新井氏は、数学者で、東大に合格するロボットを開発するプロジェクトを引導した方です。新井氏は、AI(人工知能)に対する誤解や過信が多いことを懸念され、理系でなくても分かる言葉でAIとは何か、と説明されています。
メインの話はそこよりも、東大ロボットを開発する過程で、東ロボのライバルたる現代の高校生達の学力を調べられたのですが、そこから判明した教育の問題点の方にフォーカスが当たっています。

まず、AIについて。
AI=人間と同格、もしくは超える知能、というのは未だ存在しないとのこと。
AI技術とはコンピューター技術、そしてコンピューターというのは計算機に過ぎない。人間の知能は持っていないということが丁寧に説明されています。

これは世間では常識なのかもしれませんが、私は知りませんでした。

私にとってAIというと、ペッパー君をイメージしていたのですが、ペッパー君も人工知能は持っていない。子猿たちにそれを伝えると、
「そうだよ、しゃべるiPadのようなものだよ」
と、彼らの方が良く分かっていること!

・・・・・・ちなみに著者は、人のようなロボットは好きではないと、どこかで述べてらっしゃいました。確かに、AIと聞くと何だか薄ら寒く感じる理由の一つには、マネキンのような人型ロボットをイメージするからではないでしょうか。私も、ロボットは是非ロボットらしい(R2D2とかBB8とか・・・・・・)容姿でいて貰いたいと思います。



そして教育問題に話は移行します。
現在の東大ロボットは、AI技術を使って、問題に対して正しい答えを選ぶところまでは開発が進んだのですが、問題の意味を「理解する」ことはできません。それがゆえ、東大レベルの試験問題だと、読解力がないがため、誤答が増えてしまうそう。

ただ、東ロボ君も、東大は無理だけど、MARCH(昔の六大学にようなもの?)は合格できるんですって。
でも、MARCHに合格できない高校生も沢山いるわけで、そうなると、高校生諸君の読解力はどうなってるの? と心配になりますよね?

そこで著者は調べられた。
すると、どうやら、多くの子供たちは、問題を読んでも、問題文の意味を正確に把握していない実情が見えてきた。例えば、数学の問題で、「○×を証明せよ」と問われているのに、結論だけをポーンと出してオシマイとか。問題が求めていることが「証明すること」だというのを、きちんと理解できていないのです。
うちの兄猿も、最初の頃、同じ間違いをやったなぁ、大丈夫かしら、と心配になってきます。
夕焼け、みたいでしょう?でも正解は、朝焼けでした!
息子だけではありません。漢字の読み違いについての調査の下りでは「これ、私だ」と冷や汗が・・・・・・。
中学生に、「学校、学習、勉学」など、小学校で習ったからもうテストでは問い正されない難易度が高くない漢字の読み方を聞くと、意外と読めないのだそうです。ある子は、全てに対して「がっこう」と答えたそう。何故?と聞くと、「『学』という漢字が出てくるときは、大概『学校』のことが多いから、一つくらいは当たる」、と答えたそう。
私は、ここまで酷くないですが、本を読むときなど、読めない熟語が出てきても、ちゃんと調べずに、「学がついているから、学校とか勉強って意味に違いない」と通り過ぎています。そうなると、私も、実は読んでいるつもりでも、正確に理解していない一人ではないか、と頭の中でアラームが鳴り始めました。


これも朝7時過ぎの風景
さっきから、「文章と関係ない写真が出てくるんだけど」、と思っている方、いえいえ、ここで繋がります。

田舎からベルサイユに帰る道々。(ね、繋がったでしょ?)
車窓からは、菜の花畑や緑の葉っぱばギュッと詰まって生えている畑などが続きます。夏の終わりには、黄金色のトウモロコシや大麦畑だったのに「二期作」ってやつ?と昔倣った熟語が思い浮かびます。

夫が子猿たちに質問します。「こういう畑のサイクルは何て言う?去年学校で習ったよね?一年目には麦、二年目には別の作物、三年目は休耕させ牛たちを放つ、そうやって土地を疲弊させない」・・・・・・そんな会話を聞きながら、日本でも同じようなことしているのかしら、思い出せないわ、と話すと、
「もしかしたら日本は狭いから休耕するできないのかも」「日本はとにかく水田だから色々育てられないのかも」「日本は土地が豊かだから休ませる必要がないのかも」とフランス人3人は口々に自分の推察を口にします。
・・・・・・それを聞きながら私の頭の中に「関東ローム層、赤土」という言葉が蘇る。でも、それって何?思い出せません。確か、それがゆえ、農業は難しかったような。
でも男子らは、「火山によって、ミネラル豊富な土地になるんじゃないの?」という。確かに美味しいワインができそうだけど、そういうものなの? 私、分からない。

次のトピックは男子三人のお得意、歴史。そして何故かチューダー朝の話となります。私はこう見えて史学科出身、それも英国史専攻なのですが、笑っちゃうくらい全てを忘れています。マグナカルタ、清教徒革命、名誉革命と名称と年号も覚えているけれど、それが歴史上、何を意味したのか、まるで覚えていません。その昔、その意義を丸暗記したと思われますが、理解はしていなかった、いやしようとしなかった。それゆえ、11歳のチビ猿にすら何も教えて上げられないのです。

著者は「今の子供たちは読んだものをリアルに想像できない」と述べられていましたが、
いえいえ、子供たちだけではありません。私もです。

やはり、丸暗記の詰め込み勉強は意味がない、と痛感しました。
沢山の言葉・熟語を覚えましたが、それが、何を意味しているのか、現実と繋がっていません。
フランスでは、子供のうちに沢山暗記すると記憶力が育つと言われていますが、私は信憑性が薄いと思います。小学校の時から学校では詩を丸暗記させますが、その叙情が感じられないのなら、意味がないと思う。
少なくとも、それよりも考える力をつける方が優先度高し、だと思う。


どうしたの?
最後に、この本を読んで、だから私は筆が遅いんだ、と分かりました。
語彙が少ない、そして正確性に欠けるから、文章を綴っても、言いたいことと微妙にズレていく。読解力は発信力に繋がっていますからね。
グワーン、グワーンと頭の中で警鐘が激しく鳴りました。

でも、大丈夫です。能天気なことが唯一の取り柄のワタクシ。
こうして、自分の足り無さを知ることは、一歩前進するための、土壌造り。
気を取り直して、物書き、続けます。

それにしても、勉強になりました。
子育て中の方、教育者の方、また、仕事で「若い人とコミュニケーションが何か噛み合わないなぁ」、と思っている方などなど、お薦めします。


「水野晴郎」の画像検索結果
いや~、読書って本当に良いですね
また行きます!




2018年10月20日土曜日

ベルサイユ便り


皆様、大変ご無沙汰しております。
いつの間にか、かぼちゃの写真がフィットする季節となっていました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は元気にやっておりました。ここまでブログをサボっていた理由は、一重に、書きたいときはインターネットが調子悪かった、というそれだけです。
一昨日から順調に接続できるようになったので、急いでブログ書きをしている次第です。

どこからご報告すべきなのか、空白が多すぎて分かりませんが、写真の方でこれまでのご報告をすることにして、文章では、私の直近の関心事について書きたいと思います。

本を出版してからは、光栄にもメディアより
インタビューを受けることもありました。
こちらは7月はじめ、
ウエブマガジン、プレシャス誌の記事
https://precious.jp/articles/-/6556


そして、日本経済新聞の日曜版、
The Style, 通称ザスタ。
「こんな日曜が待ち遠しい」、
というキャッチフレーズがいいですね。
7月終わりの号「フランス貴族のエシカルな暮らし」という特集では
では私も案内役としてこっそり登場させて頂きました。
素敵な方々との出会いもあり、貴重な体験をさせて頂きました。
夏後半はブルターニュ、ノルマンディ、ドルドーニュをドライブ旅行しました。
これはノルマンディーの浜辺


これはドルドーニュのお城からの風景
この夏特記すべきは、兄猿が私より背が高くなったことです。現在13歳。
チビ猿は11歳、フランスの制度は日本と少し異なるので、9月から中学生になりました。
お陰様で二人とも楽しそうに過ごしています。

この夏は、家の工事で忙しくしていました。
これは義理の両親の別荘の、エントランスの床です。
近年は、このセメント・タイル人気が復古していて、
うちも、台所の床はこれに近い感じにしました。
出来上がりはどうなることか。

そうそう、愛猫マエストロも元気元気、です。
目下、6.2キロ。獣医さんの忠言に従い、
えさにズッキーニのみじん切りを混ぜたダイエット食を試しているところです。


最近は、家に籠もりがちでした。
またもや、陽の目をみないかもしれない小説書きです。飽きもせず「ようやるわ」と自分でも思います。
でも、やっぱり好きなことだと続きますね。
今回書いているのは、ベルサイユを舞台に、一日本人妻である「私」が密接に遭遇した殺人事件を、私小説風に描いたミステリーです。今の時代、上流階級がどう受け取られているか、またフランスといえば「エガリテ(平等)」精神ですが、それが現代フランスではどう理解されているか、など、あまり知られていないフランスの一面を描いています。
・・・・・・出版各社、各位殿、御興味ありましたら、ご連絡くださいませ。

出版不況と言われて久しいですが、世の中には面白い小説が沢山あるのに、読まれないのは残念で仕方がありません。
この夏は、松本清張を再読し、仏・英語の小説も何冊か読み、久々に梨木香歩も読んだし、ウンベルト・エコも井上靖も読み直し、と乱読を楽しみました。これらの本はゲームやSNS、ドラマに負けて消えていくのかしら。
私が書く拙い話も、ある少数の方には共感、興味、娯楽のひとときをもたらすかもしれない、でもそれをどう届けたらよいのか。考えるこの頃です。

10月20日発売のアンド・プレミアム誌(紙媒体)に
インタビュー記事が掲載されます。
素敵な写真(私はダメダメですが)が沢山です。
どうぞご贔屓に・・・・・・。
https://magazineworld.jp/premium/

さて、一か月後の11月下旬に日本に行きます。沢山の方々にお目にかかれると良いのですが。

12月1日には、日本経済新聞主催の、働く女性を応援するイベント、Woman Expo Tokyoにて、テレビにも出演されている、ジャーナリスト、木村恭子さんのセッションに出演させて頂く予定です。https://www.woman-expo.com/tokyo-winter/
参加費無料ですが、事前登録をお願いしています。
色々と興味深いプログラムとなっています。どうぞふるってご参加下さいませ。

・・・・・・久しぶりのブログ書き。近況報告と宣伝で終わってしまいました。
次回から、少しずつ、家の改装工事について、紹介したいと思っています。
インテリア、奥が深いです。
でも、取りあえず、今は書き作業に戻るとします。

季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますよう。
また行きます!

追記: 相変わらず、コメントを頂いてもお返事が出来ないという状況が続いています。
コメントには返信を心がけているのですが、折角記入しても消えてしまうのです。
心苦しいので、もしコメントを残して下さる場合は、etranger137@gmail.com までメールの形でお送りいただいてもよろしいでしょうか。また、それゆえに、コメント欄は状況が改善されるまで、非表示にします。今まで頂いたコメントは保存されています。
大変もうしわけございません!!!


2018年6月25日月曜日

寂しいフランス人

フランスの6月は花盛り。普通の自転車道も花・花・花!
皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
こちらはベルサイユに越してきてから、2度目の初夏を迎えています。

気づくと、地元にも友達と呼べる人が何人も出来ていました。ベルサイエ(ベルサイユ人のことをそう呼ぶそうです)は、日本でいう京都の人のように、「コンサバよ、お高くとまっているわよ、外様は馴染めないわよ」と言われていたのですが、中々どうして、ベルサイエ・マダムは、オープンでフレンドリーなのです。


そんな中最近、友情というものについて、少し考えることがありました。



6月生まれの兄猿。
パーティではスイカのポンチが好評でした。
親愛なるN家のレシピです。スイカとセブンナップ。
一つには先日読んだ、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」という小説に、ある記憶を呼び起こされたから。
私はアンチ・ハルキストなのですが、この人のストーリーテリングの巧さにはシャポーですね。好きでないのに読まされてしまう。

この小説を読み、ふと昔自分に起きたことや、忘れていた安心感というのでしょうか、友情の心地よさを思い出したのです。

主人公の多崎つくるは、高校のときに完璧なまでに気の合う仲良しグループに属していたのですが、大学に入ってしばらくしたときに、突然彼らより絶縁され、
ショックを受けます。

みなさんはそういう経験ありませんか?突然、仲良しに嫌われて、ワケわからないという。

私はあります。その昔、その頃には15年も付き合ってきた仲良しの女友達に、突然、嫌われたのです。すっかり分かり合えている仲だと思っていたので本当にびっくりしました。理由を聞いても、「自分の胸に聞いてみて」と、まるで小説の多崎つくると同じようなセリフを投げ渡されましたっけ。
何故嫌われたのかは未だにわかりません。
随分長いこと気になりましたが、何年かすると、「しょうがない」と諦めることもできました。
多崎つくる風にいえば、
「スコッチの水割りを二回スターし、寂しい苦笑いを浮かべページを繰った。店ではビーチボーイズの ”God only knows”が流れていた(村上春樹風のつもり☺)」

今は彼女に対して、怒りとか不愉快さもなければ、私の何かが彼女にネガティブな気持ちを呼び起こしてしまったのだろう、ということに反省する気持ちもありません。

ただただ、残念だという。
折角、縁あって15年も付き合っていたのに、ブツっと切れてしまったことが残念です。
だって、人生という、限りある時間の、15年も繋がっていた縁なのに、こういう形で終わると、あなたと過ごした15ページは黒塗りかいな、という感じではないですか。
このまま、すれ違ったままとなるか、それともまた縁あって再会できるかは、
ほんと、God only knows、です。
また、フランスは、学年始まりが9月、終わりが6月。
初等部卒業のチビ猿のために、こんなのを作ってみました。
何か分かりますか?アメリカの大学の卒業式風に、
学帽を被っているカップケーキのつもり

小説に戻ると、多崎つくるにとっては、この決別が大きなトラウマになっている。そこで彼は、小説の後半で「巡礼」の旅にでます。5人グループだった4人のところに個別に訪れ、あの時はどうしてボクを切ったのか、尋ねるのです。そしてそれぞれと和解をします。


クロという女性とは、和解するだけでなく、つくるは心のうちを全て明かして自分の過去、今の悩みを話します。

そこの部分を読んでいたら、何とも温かい気持ちになりました。
若かったころはこんな風に、自分の全てを見せて話した相手がいたなぁ、話す時間があったなぁ、と懐かしくなったのです。

今でもそういう友達は幾人かいますが、とにかく、みんな忙しいし、今はそれぞれ一生懸命なフェーズだし、私はフランスなんぞに住んでいるし、中々そういう時間が持てずにいます。

珠に帰省したときには逢っていますが、こういう風に、胸の内を上手に開くのは、意外と難しい。神様の思し召しというか、タイミングや気運、場所、時間が大切で、たとえ信頼している相手でも、言葉スムーズに出てこない、何か気が散っていて、じっくり話す気になれない、聞く心が持てなかったりします。
それでもそういう友人らがいるというだけで、十分幸せなのですが。

でも、友情って難しいな、と思います。

これからどんどん難しくなるんだろうな、とも思います。

友達関係って、慣れが必要なものなんだと思う。

子供のころ、そして学生のころ、職場によるけれど新卒のころは、しょっちゅう顔を合わせて、遊び、しゃべり、時間を共有するから、友達という関係にも「慣れてて」、自然に自分のことを話し、相手のことを知り、よって友情が更に育まれる。
でも大人になると共有する時間はぐっと少なくなり、
お互い知らない世界を築き、知らないしがらみがあって、
久しぶり逢うと、そんな知らない一面を見てしまって、でも、それを乗り越えて友情を継続しようと努力する。
でも努力って続かない。
いや、そんなことを言ってはいけない。
頑張ろう。
でも疲れる。
一人でいいっかな。
・・・・・・となりかねません。


写真を花にもどします。
今は薔薇が終わってシャクヤクの季節。
このシャクヤクは珊瑚という名前で、どんどん色が変化すると聞き購入。
マルシェで12ユーロ、換算すると1500円くらいかしら?
さて、話変わって二か月くらい前のこと。

子どもが同じ学校に通う親御さんとして見知っているマダム、Aさんが、涙を流しながら歩いている姿を車道から見かけました。

そのあと、Aさんの涙の理由が、そんなに親しくない私の耳にも入ってきました。
何やら旦那さんが出て行っちゃったらしい。おやおやと同情し、私の中ではそれでおしまいでした。

それが、先月、図書室のボランティアに行くと、何やらいつものメンツが、輪になってしんみりと話しています。見ると、そこにAさんもいました。

私は木曜日チームで、その日は古くなった本の修理や、新書にビニールカバーを付けるという作業の日。他の曜日には子供たちに読み聞かせたり、先生と一緒にアトリエを手伝う日もあり、Aさんはそこで活躍している、と、そう言えば聞いていました。だから、Aさんが木曜日であろうと図書室にいてもいいんだけど・・・・・・。

この日もAさんは目を腫らして泣いていました。

これは新参の私はお呼びでなかったのかも、と戸惑っていると、
「ミキ、ほら、ここ空いているわよ。Aの話を聞いてあげて」
と図書室長で、皆の「ボンママン(おばあちゃん)」的存在のアリアンがいつもの優しさと気配りで私を仲間に入れてくれます。そしてAさんも、
「ミキも私のために祈って。もうくじけそうでね」と泣き崩れました。
代わりに隣にいるクレールが、事の次第を説明してくれます。

うわさ通り、Aさんのご主人は「ほかに好きな人が出来た。君とは暮らせない」といって出て行ってしまったそうです。それが3カ月前のこと。今は弁護士も入って、養育権のこと、財産分与などについて話がつきつつある、と。今の住居にAさんと息子さんはそのまま住んでいいけれど、月に10日はご主人が息子と過ごすために来るので、その間、Aさんは家を明け渡さなくてはならないそう。

確かに、子供が移動するより親が動く方がいいとは思うけど、Aさんは月の1/3は家に戻れないというのもむごいですね。
この日は「戻ってはいけない10日」の中日で、Aさんはご実家で何をしたらいいのか分からずに、気づいたら学校に来てた、ということでした。

なんという悲劇。「私が強くなれるように、祈って」というAさんに、「ええ、ええ」と頷くつつ、

同時に、なんとオープンな悲劇なんだろう、とも思いました。
私が同じ立ち場だったら、こんな風に、みんなに周知したのだろうか。うわさに尾鰭をつけないためにはそうした方が得策なのかも? でも・・・・・・。


これが上のシャクヤクのその後です。Day4とDay6
もう今日で終わりかな。この淡黄色のが優しくてじつは一番好きかも。

拙書、「フランス伯爵夫人に学ぶ...」にも書きましたが、フランス人っていうのは、実に用心深いところがあります。自分の、プライベートな話や弱みを見せるような話を余りしません。強気で、万事上手くいってるわ、と鼻高々なことしか話さない。これがプライドの問題なのか、見栄っ張りと呼ぶべきなのかわかりませんが、とにかく日本人のように正直ベースの話など、滅多にしません。

もっと言えば、分裂症気味なところもあり、口で言っていることと、実際に思っていること、やっていることが見事に乖離していることも多い。
「なんかすごい勢いでフランス人を一般化している」、と思う人もいるでしょうが、この私の暴論に、うんうん、と頷いている在仏邦人も多いと思う。

そんな私の「フランス人観」を真っ向から否定するような、マダムAの公開悲劇。超プライベートだし、超オープンに話すし、これは何を意味しているんだろう、と考えました。

じつは、これに似たケースに既に遭遇していますし、何なんだろう、フランス人。やっぱり分裂症気味?

そこで、ふと思ったのは、みなさん、じつは寂しいのかな、ということです。


ベルサイエ・マダム達は、社交バタフライして、いつも友達に囲まれているようだけど、じつは、多崎つくるとクロのような、心が通い合っている友達がいなくて、こういう大悲劇を前に混乱し、取りあえず誰かに聞いて貰いたい、と、しゃべりまくっているのではないか。
いや、昔の学生時代の友達にも聞いて貰ったけれど、変なときに電話かけてしまったのか、昔のように心が通い合わなくて、それで寂しさも増長してしまって、聞いてくれる人がいたら話しているのだろうか。


これが日本の紫陽花だと分かった人は
フランス通。フランスの紫陽花は、水が違うのか土壌の問題なのか、
こういう蒼は出ないんです

・・・・・・長くなってしまうのが私の悪い癖。
以上、最近友情ということについてポロポロと考えていたことをまとめてみました。

多分この先も、学生時代のように、心の内側を全部見せ合う、そして感情の最後の一滴までを見せ合う、そういう友情の育みかたはできないのでしょうね。
けれど、年を重ねた人だけができる、互いへの労りと相手への理解をもって、友情を大切に継続したいな、と思います。

少し寂しい気もするけれど、寂しさは大人であることの必須条件でもあるわけで。

最後まで読んで下さってありがとう。
不定期となりますが、また行きます!

追伸 最近何故だか、私自身がコメント欄になにも残せないようになってしまって、コメントに返信出来ずに申し訳ございません!
追記2: 相変わらず、コメントを頂いてもお返事が出来ないという状況が続いています。
コメントには返信を心がけているのですが、折角記入しても消えてしまうのです。
心苦しいので、もしコメントを残して下さる場合は、etranger137@gmail.com までメールの形でお送りいただいてもよろしいでしょうか。

大変もうしわけございません!!!