2018年10月20日土曜日

ベルサイユ便り


皆様、大変ご無沙汰しております。
いつの間にか、かぼちゃの写真がフィットする季節となっていました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は元気にやっておりました。ここまでブログをサボっていた理由は、一重に、書きたいときはインターネットが調子悪かった、というそれだけです。
一昨日から順調に接続できるようになったので、急いでブログ書きをしている次第です。

どこからご報告すべきなのか、空白が多すぎて分かりませんが、写真の方でこれまでのご報告をすることにして、文章では、私の直近の関心事について書きたいと思います。

本を出版してからは、光栄にもメディアより
インタビューを受けることもありました。
こちらは7月はじめ、
ウエブマガジン、プレシャス誌の記事
https://precious.jp/articles/-/6556


そして、日本経済新聞の日曜版、
The Style, 通称ザスタ。
「こんな日曜が待ち遠しい」、
というキャッチフレーズがいいですね。
7月終わりの号「フランス貴族のエシカルな暮らし」という特集では
では私も案内役としてこっそり登場させて頂きました。
素敵な方々との出会いもあり、貴重な体験をさせて頂きました。
夏後半はブルターニュ、ノルマンディ、ドルドーニュをドライブ旅行しました。
これはノルマンディーの浜辺

これはドルドーニュのお城からの風景
この夏特記すべきは、兄猿が私より背が高くなったことです。現在13歳。
チビ猿は11歳、フランスの制度は日本と少し異なるので、9月から中学生になりました。
お陰様で二人とも楽しそうに過ごしています。

この夏は、家の工事で忙しくしていました。
これは義理の両親の別荘の、エントランスの床です。
近年は、このセメント・タイル人気が復古していて、
うちも、台所の床はこれに近い感じにしました。
出来上がりはどうなることか。

そうそう、愛猫マエストロも元気元気、です。
目下、6.2キロ。獣医さんの忠言に従い、
えさにズッキーニのみじん切りを混ぜたダイエット食を試しているところです。


最近は、家に籠もりがちでした。
またもや、陽の目をみないかもしれない小説書きです。飽きもせず「ようやるわ」と自分でも思います。
でも、やっぱり好きなことだと続きますね。
今回書いているのは、ベルサイユを舞台に日本人女性の「私」が事件を追うミステリーです。今の時代、上流階級がどう受け取られているか、またフランスといえば「エガリテ(平等)」精神ですが、それが現代フランスではどう理解されているか、など、あまり知られていないフランスの一面を描いています。
・・・・・・出版各社、各位殿、御興味ありましたら、ご連絡くださいませ。

出版不況と言われて久しいですが、世の中には面白い小説が沢山あるのに、読まれないのは残念で仕方がありません。
この夏は、松本清張を再読し、仏・英語の小説も何冊か読み、久々に梨木香歩も読んだし、ウンベルト・エコも井上靖も読み直し、と乱読を楽しみました。これらの本はゲームやSNS、ドラマに負けて消えていくのかしら。
私が書くつまらない話も、ある少数の方には共感、興味、娯楽のひとときをもたらすかもしれない、でもそれをどう届けたらよいのか。考えるこの頃です。

10月20日発売のアンド・プレミアム誌(紙媒体)に
インタビュー記事が掲載されます。
素敵な写真(私はダメダメですが)が沢山です。
どうぞご贔屓に・・・・・・。
https://magazineworld.jp/premium/

さて、一か月後の11月下旬に日本に行きます。沢山の方々にお目にかかれると良いのですが。

12月1日には、日本経済新聞主催の、働く女性を応援するイベント、Woman Expo Tokyoにて、テレビにも出演されている、ジャーナリスト、木村恭子さんのセッションに出演させて頂く予定です。https://www.woman-expo.com/tokyo-winter/
参加費無料ですが、事前登録をお願いしています。
色々と興味深いプログラムとなっています。どうぞふるってご参加下さいませ。

・・・・・・久しぶりのブログ書き。近況報告と宣伝で終わってしまいました。
次回から、少しずつ、家の改装工事について、紹介したいと思っています。
インテリア、奥が深いです。
でも、取りあえず、今は書き作業に戻るとします。

季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますよう。
また行きます!


2018年6月25日月曜日

寂しいフランス人

フランスの6月は花盛り。普通の自転車道も花・花・花!
皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
こちらはベルサイユに越してきてから、2度目の初夏を迎えています。

気づくと、地元にも友達と呼べる人が何人も出来ていました。ベルサイエ(ベルサイユ人のことをそう呼ぶそうです)は、日本でいう京都の人のように、「コンサバよ、お高くとまっているわよ、外様は馴染めないわよ」と言われていたのですが、中々どうして、ベルサイエ・マダムは、オープンでフレンドリーなのです。


そんな中最近、友情というものについて、少し考えることがありました。



6月生まれの兄猿。
パーティではスイカのポンチが好評でした。
親愛なるN家のレシピです。スイカとセブンナップ。
一つには先日読んだ、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」という小説に、ある記憶を呼び起こされたから。
私はアンチ・ハルキストなのですが、この人のストーリーテリングの巧さにはシャポーですね。好きでないのに読まされてしまう。

この小説を読み、ふと昔自分に起きたことや、忘れていた安心感というのでしょうか、友情の心地よさを思い出したのです。

主人公の多崎つくるは、高校のときに完璧なまでに気の合う仲良しグループに属していたのですが、大学に入ってしばらくしたときに、突然彼らより絶縁され、
ショックを受けます。

みなさんはそういう経験ありませんか?突然、仲良しに嫌われて、ワケわからないという。

私はあります。その昔、その頃には15年も付き合ってきた仲良しの女友達に、突然、嫌われたのです。すっかり分かり合えている仲だと思っていたので本当にびっくりしました。理由を聞いても、「自分の胸に聞いてみて」と、まるで小説の多崎つくると同じようなセリフを投げ渡されましたっけ。
何故嫌われたのかは未だにわかりません。
随分長いこと気になりましたが、何年かすると、「しょうがない」と諦めることもできました。
多崎つくる風にいえば、
「スコッチの水割りを二回スターし、寂しい苦笑いを浮かべページを繰った。店ではビーチボーイズの ”God only knows”が流れていた(村上春樹風のつもり☺)」

今は彼女に対して、怒りとか不愉快さもなければ、私の何かが彼女にネガティブな気持ちを呼び起こしてしまったのだろう、ということに反省する気持ちもありません。

ただただ、残念だという。
折角、縁あって15年も付き合っていたのに、ブツっと切れてしまったことが残念です。
だって、人生という、限りある時間の、15年も繋がっていた縁なのに、こういう形で終わると、あなたと過ごした15ページは黒塗りかいな、という感じではないですか。
このまま、すれ違ったままとなるか、それともまた縁あって再会できるかは、
ほんと、God only knows、です。
また、フランスは、学年始まりが9月、終わりが6月。
初等部卒業のチビ猿のために、こんなのを作ってみました。
何か分かりますか?アメリカの大学の卒業式風に、
学帽を被っているカップケーキのつもり

小説に戻ると、多崎つくるにとっては、この決別が大きなトラウマになっている。そこで彼は、小説の後半で「巡礼」の旅にでます。5人グループだった4人のところに個別に訪れ、あの時はどうしてボクを切ったのか、尋ねるのです。そしてそれぞれと和解をします。


クロという女性とは、和解するだけでなく、つくるは心のうちを全て明かして自分の過去、今の悩みを話します。

そこの部分を読んでいたら、何とも温かい気持ちになりました。
若かったころはこんな風に、自分の全てを見せて話した相手がいたなぁ、話す時間があったなぁ、と懐かしくなったのです。

今でもそういう友達は幾人かいますが、とにかく、みんな忙しいし、今はそれぞれ一生懸命なフェーズだし、私はフランスなんぞに住んでいるし、中々そういう時間が持てずにいます。

珠に帰省したときには逢っていますが、こういう風に、胸の内を上手に開くのは、意外と難しい。神様の思し召しというか、タイミングや気運、場所、時間が大切で、たとえ信頼している相手でも、言葉スムーズに出てこない、何か気が散っていて、じっくり話す気になれない、聞く心が持てなかったりします。
それでもそういう友人らがいるというだけで、十分幸せなのですが。

でも、友情って難しいな、と思います。

これからどんどん難しくなるんだろうな、とも思います。

友達関係って、慣れが必要なものなんだと思う。

子供のころ、そして学生のころ、職場によるけれど新卒のころは、しょっちゅう顔を合わせて、遊び、しゃべり、時間を共有するから、友達という関係にも「慣れてて」、自然に自分のことを話し、相手のことを知り、よって友情が更に育まれる。
でも大人になると共有する時間はぐっと少なくなり、
お互い知らない世界を築き、知らないしがらみがあって、
久しぶり逢うと、そんな知らない一面を見てしまって、でも、それを乗り越えて友情を継続しようと努力する。
でも努力って続かない。
いや、そんなことを言ってはいけない。
頑張ろう。
でも疲れる。
一人でいいっかな。
・・・・・・となりかねません。


写真を花にもどします。
今は薔薇が終わってシャクヤクの季節。
このシャクヤクは珊瑚という名前で、どんどん色が変化すると聞き購入。
マルシェで12ユーロ、換算すると1500円くらいかしら?
さて、話変わって二か月くらい前のこと。

子どもが同じ学校に通う親御さんとして見知っているマダム、Aさんが、涙を流しながら歩いている姿を車道から見かけました。

そのあと、Aさんの涙の理由が、そんなに親しくない私の耳にも入ってきました。
何やら旦那さんが出て行っちゃったらしい。おやおやと同情し、私の中ではそれでおしまいでした。

それが、先月、図書室のボランティアに行くと、何やらいつものメンツが、輪になってしんみりと話しています。見ると、そこにAさんもいました。

私は木曜日チームで、その日は古くなった本の修理や、新書にビニールカバーを付けるという作業の日。他の曜日には子供たちに読み聞かせたり、先生と一緒にアトリエを手伝う日もあり、Aさんはそこで活躍している、と、そう言えば聞いていました。だから、Aさんが木曜日であろうと図書室にいてもいいんだけど・・・・・・。

この日もAさんは目を腫らして泣いていました。

これは新参の私はお呼びでなかったのかも、と戸惑っていると、
「ミキ、ほら、ここ空いているわよ。Aの話を聞いてあげて」
と図書室長で、皆の「ボンママン(おばあちゃん)」的存在のアリアンがいつもの優しさと気配りで私を仲間に入れてくれます。そしてAさんも、
「ミキも私のために祈って。もうくじけそうでね」と泣き崩れました。
代わりに隣にいるクレールが、事の次第を説明してくれます。

うわさ通り、Aさんのご主人は「ほかに好きな人が出来た。君とは暮らせない」といって出て行ってしまったそうです。それが3カ月前のこと。今は弁護士も入って、養育権のこと、財産分与などについて話がつきつつある、と。今の住居にAさんと息子さんはそのまま住んでいいけれど、月に10日はご主人が息子と過ごすために来るので、その間、Aさんは家を明け渡さなくてはならないそう。

確かに、子供が移動するより親が動く方がいいとは思うけど、Aさんは月の1/3は家に戻れないというのもむごいですね。
この日は「戻ってはいけない10日」の中日で、Aさんはご実家で何をしたらいいのか分からずに、気づいたら学校に来てた、ということでした。

なんという悲劇。「私が強くなれるように、祈って」というAさんに、「ええ、ええ」と頷くつつ、

同時に、なんとオープンな悲劇なんだろう、とも思いました。
私が同じ立ち場だったら、こんな風に、みんなに周知したのだろうか。うわさに尾鰭をつけないためにはそうした方が得策なのかも? でも・・・・・・。


これが上のシャクヤクのその後です。Day4とDay6
もう今日で終わりかな。この淡黄色のが優しくてじつは一番好きかも。

拙書、「フランス伯爵夫人に学ぶ...」にも書きましたが、フランス人っていうのは、実に用心深いところがあります。自分の、プライベートな話や弱みを見せるような話を余りしません。強気で、万事上手くいってるわ、と鼻高々なことしか話さない。これがプライドの問題なのか、見栄っ張りと呼ぶべきなのかわかりませんが、とにかく日本人のように正直ベースの話など、滅多にしません。

もっと言えば、分裂症気味なところもあり、口で言っていることと、実際に思っていること、やっていることが見事に乖離していることも多い。
「なんかすごい勢いでフランス人を一般化している」、と思う人もいるでしょうが、この私の暴論に、うんうん、と頷いている在仏邦人も多いと思う。

そんな私の「フランス人観」を真っ向から否定するような、マダムAの公開悲劇。超プライベートだし、超オープンに話すし、これは何を意味しているんだろう、と考えました。

じつは、これに似たケースに既に遭遇していますし、何なんだろう、フランス人。やっぱり分裂症気味?

そこで、ふと思ったのは、みなさん、じつは寂しいのかな、ということです。


ベルサイエ・マダム達は、社交バタフライして、いつも友達に囲まれているようだけど、じつは、多崎つくるとクロのような、心が通い合っている友達がいなくて、こういう大悲劇を前に混乱し、取りあえず誰かに聞いて貰いたい、と、しゃべりまくっているのではないか。
いや、昔の学生時代の友達にも聞いて貰ったけれど、変なときに電話かけてしまったのか、昔のように心が通い合わなくて、それで寂しさも増長してしまって、聞いてくれる人がいたら話しているのだろうか。


これが日本の紫陽花だと分かった人は
フランス通。フランスの紫陽花は、水が違うのか土壌の問題なのか、
こういう蒼は出ないんです

・・・・・・長くなってしまうのが私の悪い癖。
以上、最近友情ということについてポロポロと考えていたことをまとめてみました。

多分この先も、学生時代のように、心の内側を全部見せ合う、そして感情の最後の一滴までを見せ合う、そういう友情の育みかたはできないのでしょうね。
けれど、年を重ねた人だけができる、互いへの労りと相手への理解をもって、友情を大切に継続したいな、と思います。

少し寂しい気もするけれど、寂しさは大人であることの必須条件でもあるわけで。

最後まで読んで下さってありがとう。
不定期となりますが、また行きます!

追伸 最近何故だか、私自身がコメント欄になにも残せないようになってしまって、今津してなのか、調べているところです。コメントに返信出来ずに申し訳ございません!

2018年6月13日水曜日

女であること



またまたご無沙汰してしまいました。
初夏のころ、いかがお過ごしでしょうか。
既に梅雨入りしている地域もあるのでしょうか。
こちらフランスは、夏のような快晴の日もあれば、雨ざあざあの日もあり、相変わらずの気まぐれなお天気に振り回されています。

このところ、珍しく忙しい日々を過ごし、その合間合間にニュースを拾い、インスタを覗き、小説を読んだり、書いたりしていました。


先日は、芥川賞を受賞された、若竹千佐子氏の「おらおらでひとりいぐも」を読む機会がありました。

桃子さんという、74歳の主人公の、その時々の心の声を綴ったお話。
時には母を、時には自分を重ねながら読みました。

桃子さんの東北弁混じりの回顧談の中で、その昔、オレオレ詐欺に引っかかった、という話があります。
桃子さんは、そのことを娘になじられると、
「母親というものは、息子にのし掛かってしまった、潰してしまったという、そんな罪悪感から、敢えて詐欺に引っかかってしまうものなのだ」
と罪の意識と自分のバカさに恥じ入ります。

この桃子さんの解釈に、母親の業をぶつけられ、同時に哀しみがつーんと来ました。


さっき、兄猿の日本語補習校のバッグより、
先月の、母の日用に学校がお膳立てしてくれたメッセージが出てきました。
絵文字ってマジ頭を退化させる、と確信するとともに、
こんなメッセージですら嬉しいと思ってしまう母猿たる自分に苦笑い。

私も、例えば夫に何かイライラするときなど、息子達のほうが私の気持ちを汲んでくれることもあって、それで救われるなぁと思ったりするのですが、こういうのって、良くないですよね。
私は母親だし、大人なんだから、子どもに救われてなんかいないで、自分でイライラを処理すべきだし、それを察することができない夫に対して、直接「察してよ」と話し合い・談判すべき。
これと似た感じで、息子に、夫の役割や家長の役割を求める母親って結構多いような気がします。


これはフランスの母の日に兄猿より贈呈された「作品」。
チビ猿は何くれたか覚えていないという薄情なる母猿です。

おらおらで・・・・・・に戻ると、

亡き夫の墓参りに行く道々に、桃子さんは過去の自分と対話します。次々と若かりしころの桃子さんが登場するのです。
その中で思い出せない時代がある、そんな下りがありました。

私もそう。


子どものころの自分は覚えています。

アルバムの写真から後付けされた思い出もあると思う。

中学、高校時代は鮮明に覚えている。


女子大時代もまあまあ覚えている。でも少し希薄でもある。サボってばかりいたからかもしれません。少々内省的だった時代だからかもしれません。

でも友達のことはよく覚えています。みんな刺激的でしたからね。

新卒で働いたANA時代も覚えている。同期と駆け走った時代だから、お互いのことを良く覚えている。


INSEAD時代も結構覚えているあたり、同志がいる時代は覚えているものなのでしょう。


NY、ロンドンの銀行時代もまあまあ。でも具体的に、自分がどんな容姿だったか、ヘアスタイルだったか、もう覚えていません。写真の有る無しで、記憶の鮮度が変わるのかも。


そして結婚し、子育てしてきた、この15年近く。

この期間の、自分というものの記憶が殆どない!
子猿たちのことは良く覚えているけれど、夫はその枠組みの中で覚えているけれど、自分のことは思い出せない。
ご飯を作って、家族が喜んでいる顔は思い出せるけれど、料理を作っている自分とか、食べている自分が思い出せません。
よく、出産にまつわるエピソードが話のネタになることがありますが、その時に自分はどんな様子だったか、時にはあの痛みすら思い出せない。

美化するわけではありませんが、それくらい、母親というのは、家族のことで頭が一杯なんだろうな、と思う。

そして、それくらい、幸せなんだと思う。

でもね、やっぱり、自分のこともちゃんと見てあげないとね、とも思う。

ボロ雑巾のようになって老婆になるのは、私も家族も望んでいないことですし、大体、「私の人生」に失礼だと思う。

そんなこんなで、女ってさ、と考える今日この頃。


最近の、ブルドーザーのように24時間を押し切る、そんな日々を反省し、
こんな本を書きました。
フランスで見聞した暮しの美学について綴っています。

もし、ご友人などで、こういう話にご興味がある方をご存じでしたら、この本をご紹介頂けると幸甚です。
プレゼントにも程よいサイズ・お値段かと。

なんて、最後は宣伝で恐縮です。
何卒ごひいきにお願いいたします。

「フランス伯爵夫人に学ぶ 美しく、上質に暮らす45のルール」

ドメストル美紀著
 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン 定価1620円


2018年5月15日火曜日

伯爵夫人のマナーブック「フランス人を家に招く その1」



以前別の媒体で掲載された「伯爵夫人のマナーブック」というコミカルな指南書を、隔週にて、エトランゼ♪ブログで再放送しております。
フランスのコンテスと日本人嫁のやり取りを通して上流階級のエチケットについてご指導してもらおう、という趣旨の文章です。100%フィクションです。

ウィットに富んだイラストは、小川健一(インスタやFBは Kenichi Ogawa )画伯作。
お時間あるときにでも!


3章 フランス人を家に招く その1

 先日は慌てましたあ。というのも、コンテスが「主導」するディナーを「私」が拙宅にて主催する羽目になったのです!

 どうしてこんなことになったかというと、コンテスは日本人のBelle fille(ベル・フィーユ:嫁)を持ったことがうれしくてしょうがないよう。「かわいい」とか「自慢」とは違うのです。「ねぇねぇ、ちょっと珍しいものがあるの! 」ってなニュアンスかと。
 それはそれで良しとしましょう。ただねぇ、勝手にうちに人を招くのはやめてほしいと思うのです。それも結婚式以来会ったことのない大叔母とか、自分の友達とか……。「だって、アナタ、みんな行ったことのない家を見てみたいのよ。みんな年寄りでしょう。楽しみがないんだから、シュン……」と都合が良いときだけ年寄りぶるコンテス。
 ま、起きてしまったことはしょうがない。今回は、そのときにコンテスより叩き込まれた学んだフランス人を自宅に招く際の注意点を皆様とシェアしたいと思います。

ディナーには何人招くべきか
 コンテスいわくディナーの頭数は、
 「8人がベストなの。それ以下なら6人は最低必要。4人? ダメダ~メ! 4人なんて、会話がディープにならざるを得ないでしょ。アナタ、ゲストの生い立ちから全て聞いてどうするの。社交はね、その人の一面を知るだけでいいの。全部知っちゃったらがっかりするだけよ」
とのこと。
 ふむ、そういうものかしらね。意外とドライなコンテスです。

テーマを決める
 「そんな大それた料理を出すわけでもないし、招待状なんて必要ないかな」と考えていたら、すでにコンテスが送っていたようです。こういう社交的な事務に関するコンテスの早業には舌を巻きますデス。
 「大丈夫よ。『La soiree de Marco Paulo(マルコ・ポーロの宴)』というテーマのカードを出したわ。RSVP(折り返しの返信)はアナタ宛にしておきましたから」
 ……何、そのテーマって?
 「あら、こういうディナーはテーマがあった方がいいのよ。マルコ・ポーロについての本について語ったり、その時代の歴史について語ったり、装いも芸者風なコスチュームにしたりするの。共通の話題があった方が盛り上がりやすいでしょ? 食事はもちろん、ジパングな感じでお願いね」
 ……えっ? ジパング? ナニそれ~?!



献立の掟
 日本人として困るのは、拙宅に来る人は得てして和食を期待していることです。でも和食って、新鮮さがキーでしょう。そうするとホステス(女主人)が台所に入りっぱなしになってしまう。コンテスによると、これはホステス失格らしいのです。ホステスとは、お客様がくつろげるように、会話を盛り立て、おもてなしするのがお仕事。台所に引っ込んでる場合じゃないということなのです。そうなると献立の方は、揚げたてがおいしい天ぷらはダメ、蕎麦は伸びてしまうし。お寿司もねぇ。また、焼き魚は匂いが強いからダメ、煮魚・煮物は地味だし……。コンテス日く、人を呼んだときには「あっと驚かせるような一皿」が必要だとか。家庭料理しか作ったことがないワタクシメに多大な要求をするコンテスなのです。
 そこで見つけた逃げ道は、前菜か主菜のどちらかは、和風にこだわらず、作り置きが利く一皿にすることです。例えば、マグロのわさびしょうゆタルタル風(レモンでマリネして臭みを一切残さないことがコツ)を前菜にしたら、メインは、子牛のロティ(ロースト)でも、魚のオーブン焼でもいいのです。また、逆に前菜を洋風にしたのなら、主菜のローストビーフはソースだけ和風にするなど、ちょっと「ジパング(ちがうか)」な感じにすればよいかと。全然「あっと驚く」一皿じゃないって? そうなのですが、あとは漆器や和皿を使って「ジパング」を演出すれば、まぁ何とかお茶を濁せます。
 そうそう、以前、ディナーに豚の角煮を出したことがあります。味付けがしっかりしているし、醤油味だけど、フランス人も食べやすい一品だろうし、煮込んでおけばあとは出す前に温めるだけでOKですからおもてなしにピッタリ、と思ったのです。果たしてお客様には大好評でした。

 ……が! 後でコンテスに叱られたのです。なぜか、おもてなし料理に豚肉はダメだというのです。別に宗教上の理由で食べられない人がいたわけでもないのに、「変!」と抗議しましたが、「Cest comme ca(こういう決まりなの)」 とコンテス。そのときは憤慨しましたが、確かに、他のお宅に招かれたときに出てきたことがないのです、豚料理。どうやら豚料理は「都会の街、パリ」でのディナーにふさわしくないというのは本当らしい。理由? 誰も明言してくれませんが、察するに、まずハム、サラミ、パテなどシャルキュトリ(豚肉加工食品)として日常的に多く食べていること、そして食材として他の肉より安いことがお客様を「手厚くもてなす」のにふさわしくない理由なのではないでしょうか。要はちょっと気取った食事の席にアジの干物が出てくるようなものかと。豚さん、かわいそうにね、差別されちゃって。

 その他、フランス人を食事に招くときに気をつける点としては……
① ニンニク、カレーなど匂いが強いものを使うときは少量で。
② 玉ねぎは好まない人が多いようです。フランスのたまねぎは日本のより強いから胸焼けするのでしょうか? それとも口臭が残るからかしら。
③ 郷に入っては郷に従え、です。フランス人にとって食習慣を変えることは難しいようですので、和食メニューであっても、前菜、主菜、サラダ、チーズ、フルーツ、デザートというフランス式の流れに沿った献立が喜ばれるかと思います。

 とにかく、完璧な和食を作ろうなどと意気込むのは危険かと。適当に肩の力を抜いて挑んでくださいね。

 ワインの選び方、席順、テーブルセッティング、そしていよいよお客様登場の際の歓迎の仕方など、コンテスのマナーレッスンはまだまだ続くのですが……疲れましたね。
 ここらで一服しましょうか。続きはまた次回ということで、A bientot!


2018年5月4日金曜日

記憶ってなんだろう

兄猿が、藤棚の下を通ったときに、「これ、日本の匂いだ」と。
確かに甘すぎず、きつすぎず、強すぎず、
それなのにしっかりとした香りがあって日本なのかもしれない
新緑のベルサイユからお便りします。
今日は見事な快晴で、空気も澄んでいること! 晴れた高原のように、真っ直ぐな陽の光です。紫外線要注意ですね。

こちらフランスでは、4月後半に春休みがあり、そのまま、飛び石連休が続く5月を迎えています。ちなみに、フランス語では、「飛び石」ではなく「橋で繋がれた」連休ということで、Pont ポン (橋)と表現されるんですよ。

リラックスするのが上手なチビ猿
そんな休みの間に、久しぶりに本を読みました。
一冊は、ノーベル賞作家となった、カズオ・イシグロ氏の「忘れられた巨人 The Buried Giant」。この本は、「記憶」というものがテーマです。

村の向こうに閉じ込められた鬼が人々の記憶を食べているので、みんな昔のことを忘れてしまって、頭の靄(もや)が掛かったような、そんな状態で暮らしている。平和といえば平和だが・・・・・・という話。

記憶といえば・・・・・・
私のように海外で暮らして長い人は、記憶にある、今はもうない日本を恋しがり、夢見ているところがあるのではないかしら。
そして帰省する度に、変わったところ、変わってないところを指折り数え、変わったところは、かき消された思い出に胸がずきっと痛むことに気づかぬふりをして、新たに頭のコンピューターに上書き保存する。
そうしないと、ある日、完全なる浦島太郎となって、ふるさと日本に馴染めなくなってしまいますからね。
そうなんですが、
でもあるときふっと、遠い昔の記憶の中の日本が蘇るときがある。
そんなときは、今の日本、昔の日本、今の自分、昔の自分、そして今はここにいて、と、それこそ記憶の靄(もや)からポンと出てきてしまったような不思議な感覚に陥ります。
そんなことありませんか?

宮殿へ繋がる大通り。
街路樹が緑の壁のようなのです
記憶って宝物。デジカメで撮った写真のフォルダーを見るとき、もしこれが全部消えてしまったらどうしよう、と不安になります。ずっと、あの瞬間の兄猿、この瞬間ちび猿を覚えていられるかしらって。

イシグロ氏の本では子どもがいたときの記憶を取り戻そうとする老夫婦の旅路を、哀しみたっぷりに描いていて、たとえ幸せなシーンでも涙がに滲んでしまいました。

緑、緑、緑の五月

「記憶」で思い出す小説に、山田太一氏の「異人達との夏」があります。
子どもの頃に亡くなった両親に、大人となった主人公が再会し、一夏だけ、一家団らんの時を持つというファンタジー。
ページを繰る度に、サンマを焼く匂いがしてきそうな、そんな昭和な雰囲気が懐かしく、庶民の暮らしぶりが愛らしく、そして哀しくて、と、そんな小説でしたっけ。

記憶というのは、どうやら哀しみと同意語なのかな。
どんな幸せな記憶も、過ぎてしまっているし、もう二度と戻らないんだものね。


最後にもう一冊、「記憶」で連想した本、ジンジャーツリーについて。
この本は、戦前に日本に生まれ育ったスコットランド人のワインド氏による作品です。

ふとした出会いから、明治時代の日本に住み着くことになったスコットランド人女性の半生を描いています。
著者のワインド氏は、英国兵として出征し、第二の故郷である日本の軍隊に囚われ非情に辛い体験をしています。それでも、日本を切り捨てきれなかったのでしょう、そんなビタースィートな想いが、この小説に反映されています。

小説では、東京暮らしを経たヒロインが、後年、横浜に移ります。ブラフ界隈・・・・・・まさに、子猿たちが通っていたインターナショナルスクールや、私達家族が住んでいた辺りが話に出てきて、その場面が目に浮かぶようでした。
横浜は昔の記憶を上手に残した街造りをしているので、
記憶がぶつ切りなることがなくて好き。
優しい街なんだと思います。

ワイルド氏は、戦後日本を訪れることはなかったそう。
記憶の日本に、今の日本を上書きしたくなかったのでしょう。

横浜といえば氷川丸!
初めに戻ってイシグロ氏。
あるインタビューで、
”小説を書くということは、真実を伝えること。
「事実」ではなく「真実」を、どう伝えるか。”
と話されていました。
そして、今回の小説は、記憶がテーマ。
事実と真実の間に記憶があるのかな、とそんな気がしました。

とにもかくにも、将来も記憶を持ち続けていられるように、これからウォーキングに行ってきます。酸素運動し、脳の活性化させないと!

皆さんも、どうぞ良い週末を!

2018年4月10日火曜日

伯爵夫人のマナーブック「装いの掟」

イラストは、小川けんいち画伯
Instagram@ kenichi_ogawa

 前回に引き続き、以前別の媒体で掲載された「伯爵夫人のマナーブック」というコミカルな指南書を、隔週にて、エトランゼ♪ブログで再放送しております。
フランスのコンテスと日本人嫁のやり取りを通して上流階級のエチケットについてご指導してもらおう、という趣旨の文章です。100%フィクションです・
お時間あるときにでも!

******************

前回のソワレについての手ほどきでも見られるように、装いに関してカジュアル化が進んでいるフランスです。
 では現代において装いのプロトコールはないのか? とコンテスに聞いたところ、
 「いいえ、あります」 ときっぱり!
 コンテスは年甲斐もなく、ミニスカートははくし、遊び心満載なファッションも好きだし、年相応、もしくはTPOという語彙は「コンテスの辞書にはな~い! 」のだろう、と思っていたから、この返答には内心びっくり。
 「では、どのような決まりでしょう?」
と問うと、一言、
 「貧乏くさくない格好」
という、実に高飛車かつ明快な回答を頂きました。
 そう言われればコンテスは、「遊び心」を纏わないときは、シャネルスーツや色鮮やかな服を好み、カバンはプラダやエルメスなど高級品ということが一目瞭然の物を持ちます。そしてその上、「肩、凝らないかしら」と思うほどたくさんのジュエリーを細い首に巻き付け、指には華奢な手に不釣り合いなほど大きな石の指輪を何個も付けます。地味好きな私は、正直「やり過ぎ」と思っていました。

見掛けで判断するフランス人
 そんな疑問を投げかけると、義母は急にコンテス顔になり、
「アナタね、『人は見掛けによる』といってね、外見が大切なの。社交の場では、見下されることがないよう、誰が見ても高級品と分かるものを着るべきです」
と言うのです。
「で、でも、お義母さま、日本には清貧が美徳とされていましてね……」
などと口答えすると、
「『清貧』? フランスにもあったわねぇ、そういう言葉。まっ、心の中に秘めていればよござます」
と先人の知恵をあっさり切り捨てます。
「で、でもですね、私の育った東京には『江戸っ子』文化というのがあって、これ見よがしなのは『野暮』って言ってですね、どういうことかというと……」
と食い下がろうものなら、
「アナタはいつも何が言いたいのか分かりません! さぁ、ワードローブ、そして持っている限りのジュエリーをお見せなさい!」
……ってなもんで、私の趣向などお構いなしです。

大和男子たちよ、目標とすべきはチャールズ皇太子ですと
 愚痴はこのくらいにして、まず「装いの掟、服装編」、行きましょうか。
 コンテスの毒舌名言を引き続きシェアさせて頂きますと、

 一つ、「ドレスアップ、アップし過ぎることはない」.
 「アナタねぇ、『着崩す』というのはワタクシくらい歳と経験を重ね、Savoir Vivre(サヴォア・ヴィーヴル、マナーや生活美の知識)を理解する粋人だけの特権ですよ。アナタのような(と見下した視線を向け)のは、ちょっと堅苦しい、やり過ぎくらいの方が無難です」 というのです。
 例えば、昨今のレセプション・パーティなどでは、フラットシューズやサンダル履きの人、またジャケットを着用しない人も見掛けます。
 でもコンテスは、「ヒールを履きなさい、スーツを着なさい」 と言います。気を抜いてはダメ、ということのようです。

 また、男性に関しては、スーツ姿の日本男子を見掛けるたびに
 「アナタの国には仕立て屋がいないの? 」
と辛辣に批判します。
 曰く、「目標は高く、チャールズ皇太子を目指すべき」
とのことです。
「男性たるもの、チャールズ皇太子のように身体にフィットしたスーツ、品のあるネクタイに投資すべき。男性は、装いで目を引くべきではない、自分が醸し出すオーラ、存在感で注目されるべき。ですから、洋服が目立たず、自分が引き立つようなしっかりした仕立て、そしてシックな色を選ぶべきです。その点、チャールズは(と殿下を呼び捨てするコンテス)完璧ざます。いつもジャケットがしんなりとフィットしていて、ネクタイなんて、どんなのをしているか、思い出せないでしょう? でも改めて見てみると、実に粋な色、柄なんですよ。日本男子の『あ、アルマーニが歩いている』『エルメスのネクタイが踊っている』というは失格も失格、大失格です!」
というのがラ・コンテスのご意見です。

 あと、そうそう! 忘れてはならないのが靴。コンテス曰く、日本の女性は歩き方で分かるとのことです。上手に歩けないのなら、無理してピン・ヒールやファッション最先端に走らなくてよいから、「自然に歩ける靴、そして足元を目立たせない靴を選びなさい」 とのこと。「注目されるべきはアナタの顔でしょ? 靴が目立つのはそれこそ野暮」、だそうです。

 また男性は逆に、歩きやすさ重視の靴を選ぶ傾向があるけれど、
「目標はチャールズ皇太子であることを忘れてはいけません。少なくとも一足は質の良い革靴に投資すること。そして出掛ける前に磨くこと!」ですって。
読んでいるだけで靴擦れしそう?
まだまだ続きますよ~。

ジュエリーの掟
 お次はジュエリー。
 平民も平民、ド平民出身のワタシ、当然大したジュエリーは持っていません。
 その中で、唯一の宝物は日本が誇る養殖真珠のネックレスでした。
 それを見てコンテスは、
 「あら、よく光るわね。……でも粒が小さいこと! 」
とのたまいます。
 コンテスいわく、宝石類はある程度のクオリティーをクリアしていれば、あとはサイズがモノを言う、というのです。コンテスの南洋真珠、確かに粒は大きい。でも、もしかしたら値段は私のとそう変わらないのかもしれません。


 「いい? どんなに高品質なダイヤでも、くずダイヤは『くず』なのよ」
乱暴な発言を続けるコンテス。
 ふとご本人の指を見ると、
すさまじい大きさのダイヤの指輪を着けています。目が離せないでいる私の様子に、
「これ、すごいでしょう? 何カラットあると思う?」
といたずらっぽく微笑みます。
「見当もつきません」と降参すると
「アッハッハー! 」
と水戸黄門のように笑うコンテス。
「これ、ジルコニア(人工ダイヤ)よ! 」だって!
唖然とする私に、
「こんなの本物のはずないの、識者には一目瞭然よ。遊び心ってやつね。でも華やかでいいでしょう? この小指のはもちろん、本物のサファイアよ。このルビーもね。この本物の方はカジュアルに重ねて小指に着ける、これが粋なのよ」
とコンテスのか細い小指が隠れそうな大粒のサファイアとルビーを見せます。
そ、そんな、重ねてつけて傷はつかないのだろうか、と心配する平民の私。
 「いいこと、どんなに高級な宝石でも、人に見てもらわなければ意味なーし! 」
 ハハーッ、コンテス様! とひれ伏したくなる私なのです。

見せ所は見せる!
 そしてコンテスは続けます。
 「アナタはねぇ、もっとデコルテの服を着て、鎖骨付近にぶら下がるペンダントをすべき」
 え~ぇ! 私、貧相な胸だし、そんなの、首元がスースーして風邪引きそう、と拒否すると、
 「アナタね、他に何をアピールしたいの? (と頭のてっぺんから足元までじろり)足がきれいな人は足を見せる(この日もコンテスはミニスカです)、首がきれいな人は髪をアップにまとめてうなじを見せる、グラマーな人はボディーコンシャスな服を着る。そういうものです」
 コンテスいわく、アジアの女性は肌がきれいなのだからそれを見せるべきだ、と言うのです。
 確かにねぇ、地中海焼けしてソバカスが目立つフランス人よりはシミも少ないかな。

いざ実践!
 さて、コンテスに言われた通り実践してみると、悔しいかな、どんな場面でも安心して振る舞える自分に気付きます。早速コンテスに「行ってらっしゃい~」と背中を押されながら、例のレセプション・パーティに行ってきたのです。初めて会う方と「ボンソワール、マダム」とあいさつを交わすと……そう言えば、 「初対面のときの挨拶は、『Enchante アンシャンテ、はじめまして』という」、と語学本にありますが、コンテスによると、それは「庶民の習慣です。アンシャンテなんて田舎くさいことは言わなくてよろしい。 Bonsoir Madame, Monsieurだけでよし! 」とのことです。
 ……さて、元に戻りますね。
 レセプション・パーティ、他の出席者とご挨拶を交わしたら、毎度がごとく、皆さん、私の頭から爪先まで鷲のような目でCTスキャンをかけてきます。これが結構露骨なのです。
 でも、もう私は揺るがない。
 一張羅のスーツに、これしか持っていないハイヒール、そして鎖骨にぶら下がるは一粒だけど大粒真珠。指には「給料3カ月分」のエンゲージリングをつけ、腕には若いころの病で買ったブランド・バックで鎧を固めていますもの。ええぃ、どうだ!
 お、どうやら無事マダム達のご承認を受けたようです。皆さん私を見る目線が柔らかくなりましたもの。
 そして少し話をしたところで、
 「あぁ、アナタ、マダム・ラ・コンテスの義理の娘さんなのね、やっぱり!」
 やっぱり?

 これはどう受け止めたらよいのでしょうか?! フクザツです。