2019年10月30日水曜日

女はなぜ媚びる

森はセップ茸と狩猟の季節

秋休みで田舎に来ております。
今回は、義理の両親と、義理の妹の子供達、そしてうちの子猿たちというメンバーです。

ちなみに、夫は仕事、義理の妹夫婦は、イタリアに旅行に行ったりしているようです。
子供は親に預けてでも夫婦は夫婦の時間を持とう、というのは、フランスでは良くあること。
日本でもそういう慣習が普通に受け入れられるといいですね。



子猿たちはこの別荘で従兄弟達と遊ぶのが大の楽しみです。
裏の森で小屋作りに着手したのは三年前。今や11階建て(枝ごとにフロアを数えるらしい)のツリーハウスになりました。

こういうボーイズな遊びばかりのため、10歳の義姪は退屈気味です。
いとこ達の中で、一番下で唯一女の子、遊び相手がいなくてツマンナイ。

でも女の子、めげません。
精一杯男子達に絡み、お祖母様、お祖父様には砂糖菓子のように甘え、お手伝いもやる気があるときはやる。私にも、「おば様~、大好き~!」といって抱きついてきます。

でも、ひねくれ者の私には、これが哀しく映る。
10歳という若さで、媚びを学んでしまっている義姪。
大好き~、と抱きつかれるほど、彼女と接点を持ったことがないです、私。
義両親は、いつもの威厳はどこへ、という相好の崩し方で、それで義姪も、おそらくお友達の間では使わない声色でもっともっと甘えを見せます。

私も、10歳の頃はあんなだったのかもしれません。いや、デブで色黒なアヒルの子であることは重々知っていたから、やりたくても出来なかっただけ、か。

そう、こういう媚びを売る女子というのは、得てして可愛い子なんです。
自分のセールスポイントは知っている。それだけの頭はある。
まあるい青い目のお人形さん、
でも、その目に光は宿っていない。



そして私は考えるのです。何故、女は媚びるのだろう、と。
喜ばせて上げたい、と思う気持ちは間違ったことではありません。
問題は、それに対する見返りを求めていること。

そこに、せこい計算が見えるから哀しい。
そこに、自分の価値を見限っていることが見えるから哀しい。

なぜ、媚びてまで、受け入れて貰いたいのか。
どうして、そんな風に、女は自分を見下すのか。

先日、その理由の一つが分かりました。
きっかけは、この動画。


TEDは、価値ある考え方を広めよう(ideas worth spreading)というスローガンを持つ非営利団体です。
サラ・バーマク氏による、女性のセクシュアリティーについての講演の動画です。
この写真のオブジェ、なんだと思いますか?
飛び立つ鳥をモチーフにしたもの?それとも宇宙の異星人?

これ、女性のセンシティブなところなんです。
いきなり性的な話になって、お茶を噴き出している方がいたらスミマセン。
これは、クリテラシー(リテラシー(理解)との掛詞)という運動をしているソフィー・ウォレスというアーティストによる作品なのです。

人体解剖当たり前、DNAまで分析される科学の時代となって久しいというのに、このフォルム、2009年になってようやく分かったそうです。女性のセクシュアリティーが如何にタブー視されてきたか、良く分かりますよね。

私、これの写真を見たときに、わぁー!と思ったのです。
私達女性はこんな美しい形の臓器を持っているんだ、って。

講演の内容もよかった。ウォレス氏のTED動画も良かったんですが、こちらは英語のみとなっています。


10月はピンクリボン月間。
このシックで楽しいスローガン・アクセサリーは、
ケルシャンスで買えます!
この動画で言われているように、女性のセクシュアリティーは、男女共に恥ずかしいのか、秘密ごと扱いされてきました。そもそもセクシュアリティーはとてもプライベートなこと。おおっぴらに語ることではない、とは思います。

でも、この「恥ずかしいこと」とされてきた点は罪深い。
恥ずかしいこと≒やましいこと。
女性のセクシュアリティはやましいこと、という、そんなボワーンとした認識に繋がっていたと思う。

そして、やましいものを持っているという潜在的な罪悪感が、女が自らを過小評価するところに繋がっているのではないか、というのが私のセオリーです。

もちろん、それが「女が媚びる理由」の全てだ、とは思っていませんよ。
日本やフランスでは、女は愛でられてなんぼ、と育てられ、女は愛嬌、気が利く女がもてはやされる、そんな社会に過剰に呼応した結果でもある、とは思う。

大体、10歳の姪っ子はセクシュアリティーから起因するやましさなど、知る由もありません。
でも、母親や周囲の女性を見て、父親や他の男性の女性に対する視線を見て、なんとなく分かっちゃったんだと思うんです、聡い子だから。


季節感なしの木蓮の写真で失礼。
私にとって一番女性を感じる花はこれなんです。
女性のセクシュアリティーは、こんなに美しいフォルムを持っているんだ。
これを知っただけで、私、とっても清々しい気持ちになりました。

タブー視するような恥ずかしいものでもなく誇りに思える。
だってこんな美しいんですよ。

貴女は、存在自体が美しいんだから、堂々としてて。
強いんだから、傅かないで。
内から自分を磨いて、健全に生きて。
知性で瞳を輝かせて。

そんなことを思う、おば様の秋、なのでした。
また行きますね!


去年のです。明日、今年バージョンができあがります。









2019年10月28日月曜日

地頭力をつける方法

兄猿企画でノルマンディーに行ってきました。
D-dayの足跡を辿るというのがテーマ。
まずは地図を作製するところから始まりました。
「ミキさん、地頭力って言葉、知ってる?」
パリで日本語教授をされている友人から聞かれました。

知りませんでしたよ。「じあたまりょく」と読むそうです。
自分の頭で考える力、という意味らしい。
でも「自頭」ではなく、地頭。
の「地」でしょうか。

地頭力で検索すると、ビジネス系のサイトが殆どです。
学歴重視で採用してきたけれど、現場で問題にぶつかったときに柔軟かつ現実的に解決できる能力がない人が多かった。
今の時代は、「地頭力」が求められている!
ということなのでしょう。
こんな静かな海で、何万もの命が果てました。
オマハ海岸より。
でも、地頭力って、ビジネス界だけでなく、
これからの子供たちの教育ゴールでもありますよね。

AI時代が目前に迫る中、ロボットでは代用が利かない、解決力、創造力を持つ人間に育てたい。
幸せとか、生きる意味とかを、探求し続けるスタミナを持つ人間に育てたい。いや、育てなくては。
これは、14歳の兄猿を持つ私の関心ごとです。


黄昏はピンク色
ノルマンディーの海は砂浜が広々としていて大好き。
兄猿、最近は新フェーズに入っています。

ありがとう、が言えるようになりました。
挨拶も、まだ声が小さいけどするようになった。
何でも食べるようになった。
勉強やピアノも、自らやる。

ようやく、人間としての最低限のことはできるようになりました。
で、ここからですよね、難しいのは。

どうやって彼の自主性を前に出すように仕向けるか。
ガミガミ作戦はもう通じないでしょうし、やってはいけないこと。(やりたくもない)

夜は作戦会議です。
今回のAirBnBは少し外れだったかな。
でも子猿たちは、「いいんだよ、寝床なんてどうでも」
と気分はすっかり兵士です。
好奇心いっぱいの兄猿は学校休みの度に、「どこか行こうよ」とせっついてきます。
でもわが家の運転手、夫はお疲れ気味で腰が重い。
私も、フランスの地方のことはよくわからない。

そこで秋休みの旅行は、子猿たちで行きたいところを決めて計画書にまとめて提出せよ、と言い渡しました。

これからの子育てキーワードは「自主性」ですからね。
もう何から何まで親任せ、というのは卒業ね、って。
(え? 母猿、調べるのが面倒だから押し付けただけじゃないかって?)

「沖縄の平和公園みたいだね」と兄猿。
もう延々と続くのです、
アメリカ墓地。
母猿も色々学んだ旅行でした。
資金や運転は夫、宿や食べ物は私がオーガナイズした旅ですが、それでも提案から旅程、そしてナビを経験した兄猿、旅の醍醐味を少し味わったようです。
これで味をしめて、外へ外へと行動しよう! と思ってくれるといいな。

前回書いたように、放っておくと、小さくまとまりそうなフランス教育。
地頭力の真逆目指してどうすんの? と突っ込みたくなること多々です。
どうしたら、そこを超えられるのか。

アイデア募集中です。よろしくお願いします!



2019年10月1日火曜日

私のフランス観 その③、フレンチ・エリートの作り方

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今年の九月は色々あった一ヶ月だったように思われます。

日本では台風の被害が大きかったとのこと。未だに停電しているところも残っているそうですね。家屋の修繕など、その費用・労力を思うと胸が痛みます。

フランスでは、9月が学校曆の始まりとなり、父母会やら、ママ友との集いやらで忙しくしておりました。

先日は、とても優秀なお嬢さんを持つ友人とお茶をし、
「これぞフランスのエリートを囲む環境・そしてマインド・セットだわ
と思うことがあったので、今日はそれをシェアしたいと思います。


セーヌ川右岸より

このお嬢さん、ナタリーは、兄猿と同じ
14歳。中学部の最後の年で、フランスでは、3emeトロワジエムと呼ばれます。

今は、兄猿と同じ私立校に通っていますが、高校からは、フランスでも何本かの指に入るベルサイユの名門校、リセ・オッシュに移りたいそうです。
何故かというと、ナタリーは特に理系科目が得意らしく、オッシュ校は、理系のレベルの高さで知られているので、
「私、そういうところに入って、もっと自分を高めたい」
んですって。
14歳でこの志!兄猿に、爪の垢を飲ませたいですよ、ほんとに。


このナタリーちゃんは、本当に良い子なんです。
見た目も麗しい上に、性格が良い! 
控えめで、努力家で、礼儀正しいし、友達思いだし。
勉強だけでなく、バレエは飛び級するほどのレベル、ピアノに至っては、この夏、ベルサイユのコンセルバトワール(以下、音楽院)のコンクールで優勝したとか。

先日の会話は、この音楽院に関する話でした。

※コンセルバトワール音楽院について
フランスの学校は、バカロレア科目に重点を置いているので、音楽教育は日本よりも質も時間割り当ても低いのです。その分、ではないのかもしれませんが、音楽をやらせたいなら、行政が運営する音楽院に通わせなさい、というスタンスです。
音楽院は、フランス全国各地に国立、地域圏立、県立、そして市や区立など、規模や難易度は異なりますが、200院近くあります。

公立のなので月謝も安く、低所得者にはさらに優遇処置があります。
そんなことからも、入るためには夜を徹して並ばなくちゃいけない、とか、画一的な指導しかしない、とか、先生によっては厳しすぎたり、やる気を削ぐような人もいる、という批判的な声も聞きます。

モンマルトルの丘から見たパリ
ナタリーちゃんは、ベルサイユ音楽院に通って早9年目。
ベルサイユは地域圏立音楽院なのでレベルも結構高いらしい。パパが頑張って、志願書を持って夜中から並び、ベルサイユの音楽院に入れたそう。

ナタリーちゃん、音楽院では、かつて良い先生に就いてたこともあったんだけど、この何年は厳しくてネガティブ指導する先生に担当され、ぐっと辛抱しているそう。

この前のナタリーのママ、マリーとのお茶では、夏休み明けから、ナタリーちゃんがこの先生に、理不尽な仕打ちを受け、才能を否定するようなことも言われてガックリしている、という話でした。

私「ひどい!それも夏のコンクールに優勝したばかりなのに、意味不明じゃない?」
と私が憤ると、
マリー、以下、マ「そうでしょう? 」
私「ほかにも先生はいるんでしょう?だったら、音楽院の上に訴えて、別の先生にして貰えば?」
マ「私もナタリーにそう言ったんだけど、ナタリーは、『このままでいい、だって、試験のときに、この先生に当たったら意地悪で厳しい点数つけられちゃうかもしれないから』っていうの。」
私「え~?でも、ナタリーは別にプロのピアニストになろう、とか、そういうのじゃないんでしょ?」
マ「うん、ただピアノ好きだっていう、それだけなんだけど・・・・・・」
私「だったら、仮に運悪くその先生が試験官になって悪い点数つけられたとしても、どうだっていいじゃない? もちろん、目に余るような不公平があったら、上に訴えればいいんだし」
マ「うーん、やっぱりそう思う?」
私「思う!」
マ「でもね、ナタリーはそれは嫌なんだって。やっぱり高評価が欲しいんだって。夫も、下手なリスクは取らない方がいいっていうし。それに、あと一、二年もしたら勉強で忙しくて音楽院も辞めると思うから、それまでの辛抱だし。」
私「・・・・・・」

私にはワカラナイ。
そりゃ、人間、評価が高い方が嬉しいですよ。でも、だからって、14歳にして理不尽を受けいれるのって、どうよ。それも、ナタリーちゃんの将来に、そんなに大切なことでもない、というのに。私だったら、あと一、二年も嫌な思いしなくちゃいけないなんて、勿体ない、と思うんだけど、

マ「私も、ミキと同じ意見だったんだけど、夫に任せることにしたのよ。私、地方育ちだから、こういうシステム、イマイチ分かってないの。夫が僕に任せなさいって。あの人は、ベルサイユ育ちだし」
私「そうだったんだ!」
マ「そうなの、リセ・オッシュだったのよ」

ああ、そこで分かりました。ご主人がオッシュ校だから、ナタリーもオッシュ校希望なんだ。

マ「それもあると思うけど、うーん、でもやっぱりナタリーの性格だと思う。長男はオッシュに興味なさそうだもの。ナタリーは、本当に負けず嫌いだから、ベルサイユではオッシュが一番なら、そこに行きたいと思っちゃうんじゃないかな。」
私「すごいね。私、そういう志持ったこともない。」
マ「フフフ、それは貴女がジャポネーズだからでしょう。フランスは、みんな上を狙うのよ」
私「・・・・・・(夫はそうでもなさそうだけど、あの人は変わり者だからね)」

マ「ナタリーは、学校で小テストがある度に、猛勉強するの。満点とりたいんですって。」

私は、満点回答をみたことがないです。フランスではそれくらいレアなものなんだけど。

マ「ナタリーは、もし満点でないとしても、クラス一番を目指している。
テストの朝とか、もう『ああ、どうしよう、良い点数取れなかったらどうしよう』ってストレス一杯なの。
普通は親がせき立てるものなのに、ナタリーの場合は逆。私が『大丈夫よ、それにいいじゃない、少しくらい失敗しても』っていうんだけど、『でも嫌なのよ。私、良い点数取りたいの』って」
日射しは秋
こういうのをコンペティティブというのでしょうね。自分自身にコンペティティブ。
素晴らしいと思うと同時に、ちょっとかわいそう。いつもプレッシャーがあるなんて。
まだ14歳なのに。

そのうち、ご長男さんの留学の話に移ったので、
私「ナタリーも外国で伸び伸び勉強楽しみたい、とか言わないの?」
マ「あの子は言わないわね。音楽院もそうだけど、このフランスのシステムが心地よいのよ。優位に立っているし。」
私「ストレス一杯なのに心地よいの?」
マ「うーん、心地よいというか、慣れというか。で、その中で闘うのが好きなんだと思う。」
私「闘い・・・・・・」
マ「そう闘いなの。あの子の口から、勉強が楽しいなんてセリフ、聞いたことないもの。私も疑問を感じることがあるんだけど、夫もそういうところがあるし、フランスって、特にパリとか大都市ってそうなんじゃないの? 点数点数、順位順位っていう。そんな中で育ったから、ナタリーも、夫も、闘っちゃうんじゃない?止められないんだと思う。」
私「なるほどね-」
マ「トップに立ったときの快感とか、たまらないみたい。ナタリーも、コンクールで優勝したとき、すごく嬉しそうだった」
私「アドレナリン」
マ「そう、そんな感じ。中毒にならないといいけど、ハハハ。」
私「(笑えない)」

これがフランス人なんだ、エリートなんだ。
日々闘い。日々上昇。一つ一つのゲームで確実に勝ちを取っていこうという。
ファイティング・マシーン。

マクロン大統領なんて、まさにこんな感じで大統領まで上り詰めたんだろうな。上へ上へ、と求めずにはいられない。その理由とか、あんまり考えていなさそう。ただ単に、自己実現。自己達成、それだけ。
そして、そのための手段も選ばなさそう。でも頭良くて良い子だから、これ見よがしに法は犯さないかな?

先日亡くなられたシラク大統領やサルコジ大統領は、自身の上昇志向も勿論あっただろうけど、それでも、フランスという国に対するリスペクトや愛が、彼らの政治的決断の背景にあったと思うんですが、どうでしょう。


マエストロと義妹の黒猫君
毎回仲良くなるのに時間が掛かるんです
最後にもう一つの現代フランスの典型的なエピソードを。

多くのフランスの中学校では、最終学年で、一週間ほど、社会経験をする事になっています。インターンシップってやつです。獣医さんや花屋さんに行くコ、親御さんの会社を見学するコ、行く場所がないコは、学校の給食配膳を手伝うらしいです。

ナタリーちゃんは、どうするかというと、
マ「あの子は理系だから、○×研究センターに夫が知っている人を通して申し込んでOKもらった。もしかしたら将来、何か役立つネットワークができるかもしれないから。写真とかも、ちょっとそれ風に白衣着せてさ、可笑しいでしょう? メールも夫が書いたと思う。」

インターンシップは、社会人となる準備体操なのに、コスプレさせていいんだ、そして、そこまで親がかりでいいのだろうか、と思ってしまうのですが、夜、夫にこの話をすると、
「フランスの社会はそうやって動いているんだよ」
と驚きもせず。

「従妹のイザベルは、子供達4人の勉強をいつも手伝って、テストの出題傾向も、バカロレアも、インターンシップも、全部フォローしてグランゼコールに入れたっていうのが自慢なんだ。内申を上げるため、宿題をやってあげたこともある、って高笑いしてたよ。『内申上げる裏技なんていくらでもあるのよ』ってさ。」

ああ、だから、この前の父母会で、「もう『宿題点』というのはやめにしました」って言ってたのか、と腑に落ちましたよ。

「・・・・・・そういう親がかりの、節穴だらけのシステムのお陰で何が起きてるか、知ってるかい?
会社の若い人に、例えばデータ集計を頼むだろ。すると期日過ぎても何の提出もない。どうしたんだ、と聞くと、少しムッとした顔で、『だって、データ渡してくれないから何も出来なかった』って逆ギレされるんだ。
次回はこうやるんだよ、って手取足取り教えてやっても、『そういう些末なことをするためにグランゼコールに行ってこの会社に入ったんではないんで』って言うんだよ、いやほんとの話。
・・・・・・だそうです。

こういう若い人に比べれば、ナタリーちゃんはやっぱり立派。
自ら勉強し、自ら自分のベストにチャレンジし続けるんだもの。親の影響もあるだろうけど、親主導ではなく、あくまでも自主的に邁進しているし。
ナタリーちゃん、頑張って欲しいし、成功して欲しい。

・・・・・・と、同時に、もっと肩の力抜いて、ピアノも、勉強も楽しんで貰いたいなぁ、とも思う。

「秀でている」ことは、そんなに大切なことではない。「秀でている」から幸せになるものでもない。それに、秀でてていたい、と思うのはある意味驕りとも言える。
子供を秀でさせようとする親は、何でそうしたいのか、考えるべき。そうでないと、本末転倒なことが起きるかも。
……みんな分かっているんでしょうね。それなのに、ついつい、その落とし穴に落ちてしまう。

自戒を込めて、書いておきます。
子猿たちは、エリートでなくても良いです。でも、ハッピーでいて貰いたい。そして、苦境でも笑っていられるような逞しさを身につけてもらいたい、それだけです。

以上、フランスのエリートについて、でした!
また行きます!