このところ、色々と出かける機会があります。感動・驚きを忘れないうちに書き留めておかなくちゃ。
先日は夫の幼馴染のお宅に招かれていきました。Compiègneだったけな?パリから80キロほど北に行ったのどかな田舎です。素敵なお庭のある、広々としたメゾン・ド・カンパーニュに、子供3人の家族5人で暮らしている、あぁ、憧れの生活。
と、思ったのは最初だけ。実は、ちょっと不思議な時空に入っちゃった、そんな感じのご訪問だったのです。
うちの夫はいわゆる上流階級の出身で、この幼馴染も伯爵のタイトルを持つ良家の坊ちゃん。奥様も、やはりベルギーの伯爵家のお嬢です。同じ階級が混じわって縁組するという傾向は、ラリーについて書いたこのリンクを観てください。
まずご主人は、片道2時間近くかけてパリに通勤しています。ストも多いフランスで田舎電車、郊外電車、メトロ、バスを乗り継いでの通勤はさぞかしストレスフルでしょう。でも、パリの不動産高騰で、とても家族五人が住めるようなアパルトマンなど借りれないので、空き家同然だったこの田舎の家に住もう、ということになったらしいです。
奥様はちょっとデリケートな感じの女性。敬虔なカトリックで、会話は信仰について、もしくは彼女のご実家の栄華在りし頃の思い出話。でも決して自慢話って感じではないのです。本当に懐かしんでいるんだとおもう。
「○×での夏は素敵だったわ」(夫がここで私に耳打ち。○×というのは割りと有名なシャトーのことらしい)「×○公爵がそのときいらしてね」(夫がここでも耳打ち、この公爵は彼女の大叔父)、そんな話をひとしきりして、「でも、これも今は昔の話。あの○×も屋根の修繕費用がないからって今や廃墟同然だし・・・。パパって経営センス、ゼロだったから、フフッ。」ってどう突っ込んでいいのか分からない〆。
そのあとの会話も、壁の絵画やアンティークの皿などを見せてくれて、別にいいんだけど、私達、まだアラフォーでしょう?ほかに話すことあるじゃない。まるで義理の両親の世代と話しているような気になります。くどいようですが、これ、自慢ではないのです。自然な会話をしようとして、こういうクラシックなテーマになってしまうって感じ。
また邸宅は大きいだけにメンテナンスも大変なようで、壁紙が禿げていたり、「この前は雨漏りで大変だったわ、でも修繕も大変だから、テープ貼って済ませているの、ほら。ほほ。」って、そんなのばっかり聞いていると、なんか悲しいな上流階級、って、そんな邸宅も持たない身で同情することはないのですが、ついしちゃう。
帰りの車中、「 子供達はとっても可愛くて良い子だけど、あんな時間軸ゆがんでいる親(失礼ですねぇ)に育てられちゃうと、将来現実社会で苦労するんじゃない?」と、ミドルクラスの観点で発言をしてみると、夫は、「う~ん、でもああいう人、フランスにはまだまだ残っていると思うから、何とかなるんじゃないか。」って。
そういわれてみれば、先月会ったやはり夫の幼馴染夫婦も、ちょっと浮世離れしていて、子供の教育などに関しては、昔ルイ何世かの家庭教師らに由縁のある、かなりオリジナルな学校(フランスの教育法に準じていない)に通わせていました。そこに入るのは頭もだけど、何より家柄がモノを言うらしい。今の時代もそんな学校があるなんて、驚いたものです。
そう思うと、フランスってやっぱり懐が広いのではないでしょうか。
現代のフランス社会を語るとき、BOBO(ブルジョワ・ボヘミアン)とか、低所得者層に対する社会保障、移民の多さなど、「共和国」方向に目が行きがちですが、こういう「アンシャン・レジーム(旧制度)」体質の人も受け入れているわけだし。
ちなみに、旧貴族らのゴシップマガジンは、常時、全仏雑誌売り上げ上位に入るそうです。