2011年7月29日金曜日

親にできること

バカンス中、義理の叔母と一緒でした。昨年もそう、一昨年もそうだったかも。
この叔母、親戚からは、いわゆるお荷物扱い。

60過ぎた今まで生涯独身、子供はいない。ちょっとヒステリー傾向、被害妄想の気あり。良家の出身ということに誇りも持ち、プライドはメチャ高いけど、そのケチなのには度が付くほど。話は長く愚痴っぽい。家事能力はびっくりするほど欠如している。

他の家族が敬遠するのもわかるでしょ?
でも、バカンス中、ずっと一人なのも気の毒だし、バカンス中、気が向くとうちの子猿達に本を読んで下さったりもするし(それも抜群の演出力あり、なので子猿達大喜び)、長い話も自分のことを中心に家族の話などよく好むのですが、時折、意外なほど洞察力を見せるので面白いときもある。「えっ、また一緒?やられたなぁ」っていうくらいの負担です、私達としては。
笑える(泣ける?)ことに、バカンス前になると叔母から「貴方たちの予定は?」という打診があり、いついつどこへ、と答えると、「あら、偶然!私もその予定なの」っていう。素直に一緒していいかしら、と言えないのでしょうね。もしくは今までにそう聞いて断られたことがあるのかもしれません。



Anyway、
彼女お得意の家族の「サガ」話。これが本だったら今10巻目くらい、話が進んできました。結構面白い。

彼女の両親から始まって、兄弟の生い立ち、教育、巣立ち、仕事、と詳細にわたって語ります。間に戦争あり、離婚あり、破産、海外逃亡あり。

この彼女の両親も、兄弟も面識ある程度ですが、どの方も、品が良くって、感じよく、社会的に合格、成功しているように見える人達です。でも叔母の話を聞いていると、うん、確かに暗い側面も持ってそうだし、そんな楽勝人生なんて存在しないですものね。

そして叔母本人については、というと、

「幸せな子供時代を過ごさせてもらった」と珍しく前向き。自分の両親は人間としては不完全だったけど、親としては素晴しかった、と。母からは素晴しい教育や人生の指針を受けたし、父からも愛情も沢山受けたっていう。

でも本当にそうかしら。
生前の彼女の両親からは、そんな印象は受けなかったけどなぁ。いつも叔母をドン臭い娘としてうざったそうにしていたと思う。
それに、人生の指針って何?叔母は何回か恋に似たことがあったそうだけど、その度に、ブランド意識強い母親が「そんな家の出の人なんて駄目です」「そんな外国人なんて駄目です」(←これ、共に私に当てはまるんですが…)とひねりつぶしたって、お陰で結婚のチャンスを逃したって、恨みがましく言っていたじゃない。両親のことを美化したいのでしょうが、そんなの、もういいよ、正直になっていいよ、と思ってしまいます。
それにしても、叔母の話は僻みも混じっているから話半分なのでしょうが、どの人も見事に不幸というか、不完全というか。皆人生の落後者、もしくは「ひでぇ奴」ですよ。叔母の語りはその人達の親、先祖の代から始まり、その人達が人生の終焉を迎えている今、で最終回を迎えます。



そんなのを聞いていて思ったことは、

親が子供にしてあげられることって、何か?

ってことです。

叔母の話聞いていてもそうですし、私の少ない見聞でも、親が子供によかれと思って、指導したり影響を与えていることが、かえって、その子供の可能性を狭めていたり、コンプレックスや洗脳となっていたり、自由に考えたり感じたりすることに足かせ掛けられていることが多いように感じられます。
じゃ、せめてお金でも残すこと目指すか?

いや、程度によるけれどお金を持っていても、それが必ずしも子供の幸せに繋がっていない。不幸の種のことの方が多いのでは。

また立派な見本、背中を見せているだろう人格者の子供が、健康に成長しているかというと、必ずしもそうでもないし。


教育熱心ねぇ。ある程度は大切かもしれないけれど、お受験的な熱心さは、プラスの量より、マイナス要因の方が多い気もします。なんというのですか、子供の幸せにつながっている感じがしない。

一方、反面教師的な親を持つことは、子供にとっては不幸なようでいて、その不幸を乗り越えたときの見返りが大きい気がする。ま、かといって、悪い親を目指すってのも変な話だし。

とウダウダ。
いや、一応結論はあるんですよ。

親が、大人が、子供にしてあげられることは、愛情を注ぐことしかない。

愛情をいっぱい注いで、「愛される自信」を身に付けさせ、あとは勇敢に自分の人生を漕いでいくのを見送るしかない。失敗しても彼の人生だから、と、ある程度切り離して見守るしかないのだと思う。
具体的には、というと、余計な口出しはせず、子供達の意思を尊重して、だまされる覚悟をもって信頼する。

さて、バカンスも終わり近づくと叔母の話も、片耳に耳栓して挑みます。
反動か、夫と二人っきりになると、妙に無口になってしまうこの頃です。