2011年7月19日火曜日

フランスのバカンス実情①

「また来週ね」
今朝義母がそう言いながら車に乗り込んだとき、「やられた」と思いました。見送りの笑顔、固まったまま目尻、口尻が5ミリは下がったと思います。

何の話?バカンス、バカンスですよ!フランスといえばバカンスというくらい、フランス文化の象徴とも言える夏の長いバカンス。私達もバカンスに入って10日目です。今年も夫家族の持つ海の家にやって来たのです。

義理の両親、当初は二、三日だけ息子家族と滞在したら別の田舎に出発するはずだったけど、何だかんだ、ずれ込み、結局はバカンスの半分以上を一緒に過ごすことになったのです。

国際結婚ならではの文化の違いという以上に、気が合わない義理の両親と私。夫と義母もすぐ険悪になるし、「最初だけ我慢すればあとは自由になる」と目論んでいたのに落ち込みます。それがやっと、解放されると思って見送りしたのに、なんと、週末にまた来るなんて。荷物まとめてパリに帰りたい気持ちです。とほほ。
でも、まぁ子供達が祖父母などと一緒にのびのびと海辺の家で時間を過ごし、珠玉の思い出を持って成長して欲しい、と思うから、我慢です。

そもそも、バカンスって言葉が罪なんだと思う。
だって「バカンス」ってとても素敵な響きではありませんか?太陽が照っていて、波がざぶ~ん、とか、山が青々としているとか、空気が澄んでいて、心身ともにリラックス!みたいな。
でも実情は必ずしもそうでない。特に、家庭にいる女性にとっては。
フランスのバカンス、家族持ちの場合は、どちらかの実家の家族と一緒に過ごすことが多いのです。費用的にも助けてもらうことが多いのだと思う。また、たとえバカンス期間どっぷり一緒でなくても、実家に丸っきり顔を見せないとヒンシュクみたいな風潮はある。日本のお盆と若干似ています。
彼の実家とバカンス?そんなの、「嫁」にとってはちっともバカンスではないのです。

私も、少しは覚悟して来ましたが、いざ、海の家に到着し、薔薇とダリヤが美しく咲き誇る庭で、義母、義父、義理叔母らがシックに着崩した夏の装いでアペリティフしているのを目にしたとき、走馬灯のように、去年、そしておととしの、そして先一昨年のバカンスが思い出されました。

地元の名士という自負から、毎夏、義母は社交バタフライとなります。家でも、浜辺でも、魚屋でも社交です。もちろん、私達は来客がある度に駆り出されます。社交の場では、子猿達が静かにしているようにと、私は日本語で脅し(静かにしないと怒るよ!)と賄賂(チョコあげるから静かにしなさい)そしてネゴ(じゃ飴もつけて)の応酬をささやき、それでも子猿らがちょっと羽目を外すと冷ややかな目で睨まれる。
会話のトピックは得てして彼らの共通の知人の話や昔話中心なので、正直興味ないのですが、退屈していることを悟られないように微笑んだり合いの手を入れたりする。中座して本でも読みたいけれど、それは失礼な感じだしと同席するアペリティフや食後コーヒータイムが長く感じられること!
肝心な食事は子供達は別途食べさせる(よって私は二度手間)、話も詰まらないからワインでも呑んで陽気にしていたいけれど、男性陣(夫か義父)に注いでもらうのを待つしかない。
あぁ!
これを一サイクルしたところで、私の心は分厚い雲で覆われていて、開放感なんてとんでもない、どちらかといえば、とてつもない閉塞感に襲われているのです。

完全に愚痴になってますね。ごめんなさい!一旦切りましょう。