2015年5月20日水曜日

刑務所に行ってきました!

昨日は実に希有な体験をしたのでちょっとシェアをしたいと思います。
生まれて初めて(そして最後であって欲しい)刑務所を訪れたのです。

教会の慈善活動の一環として、日本の刑務所に収容されているフランス人服役者と話をする、というのをやっているフランス人の知人から頼まれて、の訪問でした。フランス語の会話を日本語に通訳して警務員に伝えるというのが私の役目です。

正直言って、最初から気乗りしなかったのですが、この知人の熱意に圧されて行ってきました。気乗りしない理由は、

まず、そういうおどろおどろしい精神が集まっているところに行きたくない。ネガティブな「気」に私を侵略されたくない。

知人の言っていることに同調できない。
彼女は、服役者である「老人」が孤独で知らない言葉を話す国にて投獄されているのがかわいそう、かわいそう、という。
私は、「大人」なんだし、海外で犯罪を犯し捕まったらこういうことになる、ということを分かっているべきだ、と思うのです。

こんなに自己中で冷たい私がなぜ、こんな賛同できない慈善活動に付き合わなくちゃいけないの?と思いつつも、断り切れなくて行ってきたのです。とほほ。

さて、遠方はるばる日本の最大の刑務所というところの面会室に到着してみれば、「ネガティブな気」すら感じることできないような、簡素で消毒されきった建物です。

面会に来ている方々、数名とすれ違いましたが、皆さん、色々な、実に色々な背景から来ていることが一目瞭然です。

待合室、いかにも場慣れしている方たちのことは置いておいて、
小柄な身体にマスク姿の若い女性、誰が投獄されていて、どんな事情があったのだろう、と考えるだけで胸がちくっと痛みます。

年配のおばあさんは、泣き顔のような表情で缶コーヒーをすすり、待合い室のテレビから流れるワイドショーのしょうもないジョークに、泣き顔のままで笑みを浮かべます。長い人生を送っているうちに、気づいたら泣き顔のような顔になってしまったのでしょう。顔面マッサージでもして元に戻したくなる......。

私の横で、初めから興奮気味だった知人はますます落ち着きをなくし、ぶつぶつとお祈りを唱えるわ、「あ、鍵がない!」「ここにある(私)」、「担当官にああ言え、こう言え、これ訊いて」「必要に応じて訊く(私)}ともうメンドクサイ!

幸い、余り待つことなく、面会となりました。
知人より、散々「気の毒な」服役者のことを聞いていたから、よぼよぼのおじいさんが出てくるのかと思いきや、がっしりとした初老の男性です。フランスの街角によくある「何でも屋」をやっていそうな、ちょっと愛嬌があるけれど、おつりをしっかり確かめたくなるような、下世話なジョークとか言いそうな、そんな、どこにでもいそうなおじさんです。

でも、もちろん辛そう。始めから涙を流しながら、自分の苦境を話します。
彼の顔を見ると、私も胸が詰まるので見ないようにして、会話内容を警務員に伝えます。

早くフランスに戻りたい、自分はここで日々死につつある、と言います。
家族に会いたいと言います。
希望を持っていたフェーズは過ぎ、今は絶望の中にいる、と涙流します。
孫を抱きたいと言います。
子供たちに、母の日(フランスでは5月末)に、奥さんに薔薇の花を贈るように伝えて欲しい、と言います。
僕のために、神に祈ってほしい、と言います。

それを聞きながら、知人は、一生懸命励まし、希望の光を一緒に探そう、と言ってます。

そんな知人の優しさ、明るさに胸を打たれながら、
服役者に対しては、「このバカモノが!」という怒りと、どうしようもない同情が同時に湧き上がり、感情の渦です。

このバカ!こんなに「辛い辛い」というような状況を自ら作って、大馬鹿者。家族がどんなに悲しい思いをしているか。辛い辛いと自分のことしか言わないけれど、家族がどんな思いをしているか、考えたことあるのか。何をしたか知らないけれど、被害者のことを考えたことあるのか。
何が薔薇の花。何が絶望。ばかばか。

だけど、目の前にはしょぼくれたおっさんが涙を流している。その涙を見ちゃうとこっちだって辛い。

子供がグレかかったら、こういう情けないおっさんを見せてやったら効果高いと思う。
道を外したら、どんなことになるのか。自由を失うことというのがどういうことなのか。どれだけの人を悲しませることになるのか。あんな惨めなのみたら、いい加減に生きるのは止めよう、と思うと思う。

あのおっさんに、心の平安が訪れますように。



帰り道には、この服役者のために気持ちがどよーんとしている知人の気持ちを切り替えるべく、彼女の話、彼女との共通の知人の近況などに話題を振ります。

今まで、ちょっとした集まりでしか話したことがなかった彼女だけど、明るく、一直線なキャラな一方で、色々と苦労されているよう。
共通の知人らの話も、普段は楽しく歌歌ったり、勉強したりという付き合いでしたが、皆さん、色々、本当に色々な想いを抱えていることを聞き、何だか心がしーんとしました。
普段会う彼女らは、カルチャーオバサンとでもいうか、あれやこれやと学習欲旺盛、知的好奇心旺盛、楽しむことに貪欲な明るい方たちなのに......。

皆さんの苦労の大きさに、胸がずきずき痛むと同時に、そんな重荷を背負いつつ、人生を楽しもうとする不屈の精神力に大リスペクト、人間の底力にひれ伏したくなり。

大馬鹿で自分のことしか考えられない情けない罪人も人間なら、こんなに壮大なドラマを傷つきながらも生き抜いている彼女らも人間。

心の振り子がブンブン振れた帰途でした。

そんなかんなで、昨日は、怒り、悲しみ、感動とジェットコースターの一日で、昨夜は9時過ぎにバタンキューでした。

今日は休養日。外出の予定がない一日でほっと一息つけそうです。
皆さん、週の後半戦も頑張りましょう!
また行きます!

2015年5月15日金曜日

インターナショナル・スクール便り③ イベントが続いています


新緑が美しい季節となりました
ご無沙汰しております。
ゴールデンウィークが終わり、今はもうすぐ学年末を迎えるので、子猿たちの学校の行事が多く、加えて夏休みを前に最後の一人時間を堪能すべく、あちこちへ走り回っています。
…そうなのです、インターナショナルスクールは、なんと6月初旬には学年末となるのです。
早すぎますよね。

さてインターナショナルスクール、どんな行事があるかというと、
まず、4月29日はFood Fairなるものがありました。
2年生のチビ猿はポップコーン担当
各国が、ブースを立ち上げ、自国の食べ物、飲み物を売ります。
私はフランスセクションにタルトとキッシュを寄贈。
日本セクションには現金を寄付し、担当の方々が、それで、焼き鳥や炊き込みご飯などを作って販売して下さりました。
この売り上げは、学校に寄付されるとのこと。
ブラスバンドあり、ゲームあり、コンサートあり、出店もあり、と大盛況でした。
この日は帰ってから寝込んでしまいましたっけ。(メキシコブースで巨大なカクテルを飲み干した私がいけないんですけど!)


ゴールデン・ウィークの間、なぜかインターナショナル・スクールは平常運転でしたが、兄猿は6日は都近郊のインターナショナルスクールが合同で行う合唱大会に行ってましたっけ。
早朝にお弁当作って、学校まで送ってって、とまるでゴールデンウィークらしくないゴールデンウィークでした。
このお弁当作り、最近は週に2回くらいやっています。
学校にはカフェテリアがあって、そこで作られたメニューを食べてもいいし、家から持ってきたお弁当を食べても良い。

カフェテリア、実は今日初めて食べて来たのですが、結構素晴らしいメニューなのです
例えば今日はメキシカン。
サラダはタコサラダを含め3種類以上あったかな? 
メインにはチキン・ティンガ?(Tinga)という、鶏肉を裂いたものがたくさん入ったトマト風味のスパイシーなシチュー風のもの、あと空豆、その他3,4種の豆が入ったメキシコ風シチュー、コーンブレッド、ご飯、豆スープ、ジャガイモその他根菜の炒め煮みたいなの、飲み物付き。
すごくないですか?

これが子供は580円だったかと思います。大人は700円くらいかしらね。生徒各々がアカウント番号を持っていて、それにチャージされていくシステムなので、今日の食事が幾らか聞いてくるのを忘れました!

ある日は和食、ある日はインド風、ある日はピザ、と、日替わりで、放射能テストを済ませた食品を使ってバランス良い料理を出してくれています。シェフ一同「サラダはマストだぞう」「たくさん食べて」と生徒一人一人に心を配って下さるし、本当にありがたいです。

それなのに、なぜお弁当?
本当にねぇ。
でも他のお子さんたち、半分くらいはお弁当を持ってきているらしいのです。日本人のお宅は特にそうされているようで、それを見ているうちに、子猿たちもお弁当が欲しくなったらしい。

始めは面倒だなぁ、と思っていましたが、子猿たちが「ほら、全部食べたよ」と空っぽのお弁当箱を誇らしげに持って帰ってくるのが嬉しく、また、こんなことしてあげられるのも短い期間だしなぁ、と思ったら「お弁当作りイコール想い出作り」なのかなぁって。



いきなりスミマセン!遠足は「宇宙博物館」でしたが、
良い写真がないので、先日の満月を…
その他、兄猿の社会科見学の付き添いというものありました。
学年末に入り、クラスでどこかに行こう!ということでフィールド・トリップが、この誰もがもっとも忙しい中、組み込まれるのです。

この付き添いでは、普段は接する機会がない女子たちとたくさんおしゃべりできて、楽しかったこと!
女子は、男の子よりずっと大人で感心しました。男子がしょうもないことしてもたもたしていると、「ほら、もう行くよ」って引っ張ってあげたり、「ほら、鞄忘れているよ」と持ってきてあげたり、ふくれている子がいれば慰めてあげたり。
クラス全体としても、誰かがバカなことやっても、冷たい視線~って感じじゃないのがいいな、と思いました。
あんまりとげとげしてなくて、ほんと、穏やかで良い感じなのです。

フランスはもっと厳しいというかキツいというか。公立校はよりそうで、私立校は少しマシだけど、でもキツい。
子猿たちからよく聞いた言葉は、「あざ笑う se moquer」。これが、バカにするっていうよりもうちょっとキツく聞こえるのは私だけなのか。
兄猿は先日、ふと「フランスの学校より、ここの学校の方がみんな優しい。」って言うのを聞いて、やっぱりそうだったか、と思いました。

社会科見学、それにしても、インターの先生方の時間感覚が緩くって、笑っちゃいました。
博物館の方が、「○×時からロケットショーを開演しますので、15分前には集合して下さい」
と仰るから、そう通訳する。
すると先生方は生徒らに、「OK!では○×時にはここに集合!」
って..。
「いやぁ、少し前に集まった方がいいんじゃないですか?」
というと、館員の方も必死に、「うんうん」と頷かれている。
「うーん、そうだね。(生徒に)じゃ5分前に!」
だって。
でも実際には子供たちはそんなに簡単に時間通りに集まらない。トイレに行ったり、遊具から離れなかったり、水飲んだり。
でも、でもですね、何とかなるの、これが!
なんだかんだ、時間通りに全て進んだし。
そうか、いいんだ、これで!
と思いましたね。


我が家のコーラス隊
そして今日は学校でのコンサート、日本でいう、合奏合唱大会。
正直言うと、私の小学校時代より気合い入っていなかったかも。
練習もそんなに時間を費やしていないと思うし。

でも、皆かわいく緊張していて、あれで十分!と思いました。
小学校でやたら歌わされた「山の息吹♪」や合奏でやった鉄琴が、私という人間の情操に何か影響を与えたとはとても思えない。
なら、この程度で十分じゃないか、子供も親も楽しんだし、と思うのです。

インターのちょっと緩い感じが、私という緩い親、そしてそれに育てられた子供にはフィットしているのだと思います。

来週以降は、ちび猿が遠足2回あり、兄猿はロボット大会なるものがあり、あとはピアノの発表会、ちびっこ駅伝、お誕生日会、子猿たち揃ってのファースト・コミュニオン(初聖体拝領)、そして兄猿の10才の誕生日、その間には親たちの集まり、日本を発つ方々を送り出す会、PTA内のカルチャー・サークルの納会と笑っちゃうくらいたくさんの催し物が続きます。

またしばらくブログが更新されなくても、それは元気に走り回っているからだ、と思ってご安心下さいね。

でもまだ書きたいから、きっとすぐまた行きます!

みなさん季節の変わり目、ご自愛下さいね!




2015年4月27日月曜日

インターナショナルスクール便り② 創造性をかき立てる教育法

ようやく春らしい気候になりました。
日陰はひんやり。
おはようございます。
いよいよ今週半ばよりゴールデンウィークですね。
海外在住の皆さんで同年代の方々、4月29日が、天皇誕生日 → 緑の日 → 昭和の日と名前が変わっていることをご存じでしたか?
祝日の名前も制度も、この20年の間に変わってしまって、毎回、日本のカレンダーで働くフランス人の夫に、日本の祝日を教えてもらっている有様です。
マシュマロを焼く子猿たち
インターナショナルスクールに通う子猿たち、その勉強へのアプローチが、日本やフランスとは違っていることはもう書きましたっけ。

例えば、4年生の時間割に、算数、国語、理科、社会という授業名はありません。くくり方が異なっていて、似たようなことはやっているのですが、取り組み方が異なります。

まず、懸念点を先に述べておくと、算数、理科、歴史の授業が少ないのが気になります。
ずっとこのインターナショナルな世界に居ることができるならいいんですけど、またすぐあの詰め込み式のフランス教育に戻らなくてはいけない子猿を思うと、遅れた分を取り戻すの、大変そう。
来たる帰国ショック、子猿たちよ、耐えるのだぞ。

一方、母猿が特に気に入っているのが、国語科目。
国語という授業の代わりに、「Writer's workshop」というのと「Reader's workshop」という授業があります。

「リーダーズ・ワークショップ」ではグループに別れ、読む本、そして読むスピードを決め、面白かった点などを付箋メモに記しては、それらを基に、定期的にグループ、そしてクラスで意見交換をしていたようです。

一方、「ライターズ・ワークショップ」では、なんと、生徒各自が創作小説を書くのです。
まず、各自にプロット、テーマを考えさせ、主人公、脇役1、脇役2などが必要なんだよ、と小説書きのポイントだけ教えたら、あとは自由に書かせます。
表紙も作っていましたっけ。みんな凝ったのを作ってましたよ。
兄猿の小説、私も見せてもらいましたが、Oh la la! もうそりゃ誤字だらけ!
でも先生に、「ぐっと我慢してください。あまりミスを指摘すると、子供の書く気をそぎます。今のフェーズでは、とにかく書く喜びを体感してもらいたいのです」
とのことでしたので、我慢しましたとも。


兄猿のクラスでは、先生が生徒各自のためにブログをセッティングしてくれました。
「Kidblog」というサイトでサイバー管理がよくできているようです。
書く能力を養うためだけでなく、先生と生徒、そして両親との

コミュニケーションツールにもなるし、グッドアイデアだと思いませんか?
これは兄猿のある日のエントリー。
この日は、あとに出てくる、私の本について書いてくれたようです。
閲覧は、先生、クラスメート、その両親に限られています。
自分や人の写真は載せないというルールも徹底されています。

同ワークショックでは、海外にいる作家とスカイプを通して繋がり、生の作家の声を聞かせてもらったようです。
素晴らしいアプローチだと思いませんか?
子供たちもさぞかし刺激を受けたことでしょう。

そして、恐れ多くも、このライターズ・ワークショップに母猿も招かれ、拙書を披露しました。
そうなのです、ようやく製本されたのです、(タラーン♪)
拙書、「イサムとタケルのミラクル・ジャーニー」
これが最新版、3話全てを一冊にまとめたバージョン
「イサムとタケルのミラクル・ジャーニー 完全版」です。
完全版だと、200ページ余りとなり、子供がその厚さにひるむかなぁ、と思って、先に一話ごとに刷ってもらったのもあります。
第一巻、「海の家にて」
作中作、本の中に本が出てくる、みたいな出だしにしたのですが、
これが子供にはわかりづらかったようなので、
完全版ではそこら辺を切りました。
ブルターニュの海岸でのミステリーをイサムとタケル兄弟が解きます。
第二巻、「フランソワ城」
ちょっと情けない小父さん、フランソワのお城での
冒険物語です。
第三巻、「日本に来たよ」
イサムとタケルが日本で夏休みを過ごすべく、
海辺の村に来ました。
いつか、あそこがこんな村になったらな、
こんな風に悲しみが癒えたらいいなぁ、
という願いを込めて書きました
完全版にしたもう一つの理由は、一巻、二巻、三巻とばらばらに買うと高額になってしまう、という懸念があったのですが、今みると各巻セール価格になっていてお買い求め安くなっていますです。
用途に併せてお選びいただければ幸いかと……
なんて。
いいんです、別に。

兄猿のクラスでも話したように、この本は、うちの子猿たちのために、彼らが大人になって、ふと振り返りたくなったときにでも、、
「ああ、僕にもこんな幼い日が、こんなマジカルな少年時代があったっけ」
と、昔をことを思い出してもらえればいいな、と思って書いたものなので、とても個人的な本なのです。

でも、もしかしたら……
うちの子猿のように、二つのルーツを持ち、多文化で育っている子供たちも共感を持ってくれるかな。
また、ずっと日本で育っているけれど、ほかの国の海辺や食べ物や考え方もちょっと観て見たい、と思っている子供も興味あるかな。
......と思って、出版することにしたのです。

ちなみに、漢字にはしつこいほどルビを振ってあるので、「うちの子、読めるかしら」とご心配なお母様、お父様、その点はご心配なく。

そして、もし、私も出版してみたい!と言う方がいらしたら、メールください。私が持っている情報で良ければシェアします。
今の時代は、昔と違って手軽に自費出版ができるようになったのです。ありがたいですね。

と、最後は拙書の宣伝っぽくなり失礼いたしました。
どうぞ良い一週間を~!




 





2015年4月20日月曜日

めぐる季節の中で



皆様、お元気でらっしゃいますか。

前回の満開の桜のお便りより、2週間ほど経っただけなのに、こちら横浜の町は、色が変わりました。今は圧倒的な新緑の中、ツツジや五月がお菓子みたいな可愛さで紛れ込んでいます。
季節という本のページがどんどん捲られていく、という感じです。

まずは先週末の本牧山頂公園はこんな感じでした。
先週はまだ桜も残ってました
花びらの坂道
こんなとこ通ったの、忘れないでね
公園の花壇、
パリのセンスに敵うものはない、と思っていたけれど、日本もいい線行ってます
ま、こんな感じだったわけです。
それが一週間経っただけで、桜の木はピンクから緑に早変わり。
三渓園の緑
本牧通りも緑
うちの庭も緑
日本の春はすごいですね。季節がどんどん巡る。目で、肌で、匂いでそれを感じる。

フランスにも季節の変化はもちろんあって、もう少しすると、街路樹のマロニエの白とピンクの花が咲くのかな?
あの夕方にかけて吹く、ひんやりとした爽やかな風が思い出されます。

でも日本のは、もっと強烈です。まるで科学番組などでみる生物の成長の超早送り画像のように、日一日、一刻一刻、緑が生まれ、深まっていく。
つぼみが膨らみ、ほころんでいきます。

また匂いも、フランスのように、積極的にかぐと、「あぁ、ステキ。薔薇の香りね」なんていうのではなく、日本では、そこら中にもわんとした緑と甘い花の匂いが充満しているのです。

湿った空気の、その目に見えない水の粒子の中に、緑の匂いが籠もっていて、それが顔に触れる度にプチンと割れて、匂いがモワーンと広がるとでも言いますか。
そこら中が生きてるって感じです。
地球に生命体が宿ったのは酸素と水があったから、というのも、うんうん、と納得させられる、そんな説得力ある春です。

昔もこうでしたっけ。
きっとこうだったのよね。それが当たり前だと思ってたから気づかなかったんだと思う。
それとも、自らが生命力の塊だったから、この新しい生命の誕生なんかに構ってられなかったのかも?

そんな週末、なんと、うちの小さくて雑草が生い茂る庭に、モリーユ茸らしきモノを発見しました。
和名、編笠茸とはよく言ったもの。
フランスでは高級茸として、干して乾燥したモノをまた戻して、生クリームベースのソースの風味付けに使われています。
これを初めて食べた人は勇気があると思いませんか。
モリーユ茸すらも誕生させてしまう、日本の春。すごいパワーですね。
こんなに小さくて資源がない土地なのに、生命力はすごい。
圧されないように、このエネルギーを享受できますように。
花粉もあと少しだと言うし、頑張るゾ。

どうぞ良い一週間を~!


2015年4月7日火曜日

春、桜、イースター

昨日とは打って変わって、肌寒い今日の横浜です。
午後3時現在、気温は11℃。空はグレー。
まさに花冷えです。

そんな時こそ、桜の花をお見せしましょう。
お約束(?!)の、本牧界隈の、満開なる桜たちの写真をアップしますよ~。
根岸森林公園にて
この日もグレー掛かった空で、うすピンクが上手く撮れませんでした。
桜、桜、桜!
アップにも見事に耐えられる美しさ。(うらやましい)
森の中には花びらの小道
イースターの食卓にも
これは子猿たちがみなとみらいで拾った落ち桜
ちゃんと水が上がった!儚いなんて言われながらもしっかり生命力。
エライぞ、桜ちゃん。
ひよこチョコもウサギチョコも整列させられ
ジェダイの戦士にされていました……
本牧桜通り
昨日、遅すぎるよねぇ、と思いつつも三渓園にママチャリ飛ばして行きました。
いやぁ実に遅かった。悔しいから桜以外の花をパチリ。
雪柳
そして山吹
三渓園への桜道は薄ピンクのトンネル
今まで、どんなに勧めても良いカメラを持ちたがらなかった夫が、桜の美しさにやられて、
「次のプレゼントはカメラを頼む!」
ですって。
気持ちわかる。本物はこの写真より、もっと美しく、なんというか圧倒的で、あでやかで、息できないような迫って来るものがありました。
それにしても、日本の春は素敵過ぎます。

さて、桜はもう散ってしまい、イースターも終わり、新しい一年が始まりましたね。
イースターのミサで、
「復活、復活と言うけれど、生きるという苦行をもう一度やる、その気持ちが分かりますか」
と、ある老いた神父が言ったそうです。
何だか考えてしまいました。
復活だ、新学期だ、新しいスタートだ、と浮かれがちですが、実際にはそれがどんなに大変なことなのか、分かっている癖に、ついつい、春だ、何かいいことあるかな、と浮き浮きしてしまう。
浮き浮きしている場合ではない。
気を引き締めて、色々なトライに挑もうぞ。

みなさん、明日あさっては少し冷えるようですが、どうぞ風邪など召しませぬよう。
また行きます!





2015年4月5日日曜日

20年ぶりの中国旅行

西湖、靄が似合います
春休み、中国は杭州に行ってきました。
杭州は西湖で有名な街、中国では、10大美景地とされています。
そんな杭州を、フォトログをどうぞ!
しっとりとした緑。
日本のそれより少し濃いめです
ソメイヨシノもあちこちに…
柳が綺麗で綺麗で……
龍井(ロンジン)茶が有名。
茶畑は日本と似ている?
ご覧の通り、風光明媚な杭州。
私達は上海から新幹線で移動しました。1時間15分くらいです。
街には中国各地から見えたと思われる中国人観光客で混み合っていました。
中国にも、こうして観光旅行ができるミドルクラスができたのですね。
昔この地に住んでいた夫は、人ごみや車の多さに驚いていました。
こういう石仏のほか、お寺には金ぴかの大仏もおられます
そうそう、杭州には、中国には珍しくお寺が残っています。文化大革命の時に、見落とされていたため、壊されなくて済んだとのこと。拝観料がやたら高いのがむかついたけれど、東大寺サイズの境内に、ところ狭しと仏像があり、見応えありました。

帰りに上海も一応見ておこう、と一泊しました。
ロンドンのレスタースクエアのような南京通り
金ぴかのお寺(その名も静安寺)に苦笑し・・・
小籠包は押さえなくてはね
上海は、あまり好きじゃないな。
以前は自転車の洪水だったのが、超高級車が時折混ざっているけれど、基本ぼろ車の洪水に取って代わっただけで、その他、あまり20年の進化を感じることができませんでした。

それにしても、本当に、フェースブックやグーグルが繋がらないんですね、中国。
街中には、「愛国」と書かれたポスターがあり、ふと付けたTVでは間抜けな顔した日本人役の兵隊が、悪いことして、リッパな中国兵にしてやられるというドラマが放映されてました。
こういう教育は良くないと思うんだけど。

それでも個人レベルでは、私が日本人だと分かると、みんなが好意と好奇心を持って接してくれているように感じました。傲慢に聞こえるでしょうけど、中国人は日本人が好きだと思います。ただ言えない雰囲気なだけだと思う。

この国はこの先どうなるんでしょうね。富の分配が余りにもいびつなのが目に付くせいか、このままいくのかなぁ、と疑心暗鬼になりました。

ほかにも思ったことがありましたが、今はとりあえず、ここで筆を置きます。

明日から新学期。
頑張りましょうね!





2015年3月24日火曜日


ポップコーンのはじけ始めのようなソメイヨシノ殿
上の写真は、先ほど元町公園で撮ったものです。
でも、肌寒いパリ、そして諸外国にお住まいの皆さん、羨むなかれ。
「寒いよ~」って嘆いているのはアナタだけではありません。
見た目とは裏腹に、なかなかダウンを手放せない、肌寒い今年の日本です。
オキーフの絵のような構図ですね
それにしても、日本の春がこんなに芳しく、花だらけだったことを忘れていました。
というより、こんな豊かさは知らなかったというべきか。
若い頃は、東京でしたし、ゆったりとした気持ちで花を愛でることもなかったように思われます。
これはコブシ?それとも木蓮?
近くの横浜本牧通りは、街路樹にソメイヨシノとコブシと木蓮が平行して植えられているという贅沢さ。
近くの公園も、見て、この華やぎかた!
Allez, もう一枚!
このフリスビーは、この後、なんと、まさにサンドイッチを頬張ろうと
したある方に直撃して、お昼を台無しにしてしまったのでした。
本当に申し訳ございませんでした。

(そしてつい笑っちゃって申し訳ございませんでした)
こんな最近は、また読書に耽ってました。
ちょっと哲学めいた本を読んだあと、偶然手に取った「楡家の人々」が素晴らしくて、しばらくはもう北杜夫です。
秀作に出会うと、それがどんなに暗い本でも、希望が湧いてきます。こんな作品を生み出せる人間というものの可能性に感動するのです。
山鳩も美しいこと!
パリの山鳩と違い和風に見えるのは私の色眼鏡でしょうか。
偶然にも、読んだ本たちは、「死」に対する考え方、こだわりで通じているところがありました。

「楡家…」の第三部は、戦争末期、不肖の孫たちも戦争に捕られ、東京大空襲では次々とたくさんの人が死んでいきます。
北杜夫本人をモデルにしたと言われる孫の一人、周二というキャラクターは、いつもびくびくしている弱虫です。これからも生きるということを前提にしているから、不安が一杯なのです。
それが、皆死ぬんだ、戦争に負け、日本人は一人残らず死ぬんだ、とある日、気づき、思い込む。すると、急に生き生きしてくる。「どうせ死ぬんだから……」とどこかやけっぱちな感じだけど、自我を見せ始めるのです。

ちなみに、この周二は、終戦を受け「え、死なないの? 」と拍子抜けします。そういう選択肢があるとは考えてもいなかったのです。
こうして死なずに済み、周二は折角得た生を張り切って生きる!
かというと、そんなフェアリーテイルにはならず……。
人間ってフクザツですね。

……などなど、死ぬことに焦点を当てることで、生きるということの意味を考えさせられる本たちでした。

こんな本たちに出会ったのも季節的な必然だったのかもしれません。
春って、生と死の季節なんだと思います。
例えばイースター。
イエス様の死と復活。
お友達のお母様に頂いたお手製ひよこと
ちび猿製の和風エッグ

私はこの季節になると、以前、イースター前の四旬節コンサートのパンフレットでみた、「In the midst of life, we are in death」という一文を思い出します。

この一文を見たとき、「はっ」としましたっけ。
パンフレットを読みながら、この文のところでしばらくじっとしていた自分、Little Oratory のチャペルの床のタイルの凝った模様、聴衆の靴音しか聞こえない静かな空気……そんな情景が今も思い出されます。
「生のまっただ中に居ながらにして、私達は死んでいる」
生を受けたのに、真摯に生きていないという怠惰を戒められているように感じたのです。

でも、この言葉の真の意味は、分かるようで分かりません。解説読んでも、神父様の言葉を聞いても分かるようで分からず、なので放置してあります。
ダメですねぇ。
河津桜は週末に八分咲きとなっていました。
そして春といえば、桜。
桜もやはり、「In the midst of ……」の連想ゲーム上にあるのです。(私にはね)

わーっと咲いて、さーっと散る。実を残さずに散る。
「お茶の世界では、桜は死を連想させる花とも考えられているので、お茶席で桜柄などを使える時期は桜が咲く前まで」
と教えていただいた時も、やはり「はっ」としたことを思い出します。
あの頃は20代後半、まだ若くて、自分のことで頭がいっぱいでしたが、あの瞬間は、人生の翳りのようなものに、周囲の照度が落ちたような気がしたもの。

あの頃は、人生は長いと思っていたけれど、
いやいや。
人生なんて、桜のように、あっという間に終わりの時が訪れそう。
瞬きしている間に、あの頃から20年経ってしまった今は、そう思います。

「歳月とは何なのか。その中で愚かに笑い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮らしてゆく人間とは何なのか」
と、「楡家の人々」の解説で辻邦生氏が書かれていますが、これって、まさに私の歳月です。

こんなんでいいのかな、いいのかな。

あぁ、物事を掘り下げて哲学的に考えることができない私。
せめて、「惰性的に暮らす」のは極力避け、どうしょうもないときは、がむしゃらに頑張ろう、というのがとりあえずの思うところです。

次回は、満開の桜の写真を載せますぞ。乞うご期待!