2018年10月20日土曜日

ベルサイユ便り


皆様、大変ご無沙汰しております。
いつの間にか、かぼちゃの写真がフィットする季節となっていました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は元気にやっておりました。ここまでブログをサボっていた理由は、一重に、書きたいときはインターネットが調子悪かった、というそれだけです。
一昨日から順調に接続できるようになったので、急いでブログ書きをしている次第です。

どこからご報告すべきなのか、空白が多すぎて分かりませんが、写真の方でこれまでのご報告をすることにして、文章では、私の直近の関心事について書きたいと思います。

本を出版してからは、光栄にもメディアより
インタビューを受けることもありました。
こちらは7月はじめ、
ウエブマガジン、プレシャス誌の記事
https://precious.jp/articles/-/6556


そして、日本経済新聞の日曜版、
The Style, 通称ザスタ。
「こんな日曜が待ち遠しい」、
というキャッチフレーズがいいですね。
7月終わりの号「フランス貴族のエシカルな暮らし」という特集では
では私も案内役としてこっそり登場させて頂きました。
素敵な方々との出会いもあり、貴重な体験をさせて頂きました。
夏後半はブルターニュ、ノルマンディ、ドルドーニュをドライブ旅行しました。
これはノルマンディーの浜辺


これはドルドーニュのお城からの風景
この夏特記すべきは、兄猿が私より背が高くなったことです。現在13歳。
チビ猿は11歳、フランスの制度は日本と少し異なるので、9月から中学生になりました。
お陰様で二人とも楽しそうに過ごしています。

この夏は、家の工事で忙しくしていました。
これは義理の両親の別荘の、エントランスの床です。
近年は、このセメント・タイル人気が復古していて、
うちも、台所の床はこれに近い感じにしました。
出来上がりはどうなることか。

そうそう、愛猫マエストロも元気元気、です。
目下、6.2キロ。獣医さんの忠言に従い、
えさにズッキーニのみじん切りを混ぜたダイエット食を試しているところです。


最近は、家に籠もりがちでした。
またもや、陽の目をみないかもしれない小説書きです。飽きもせず「ようやるわ」と自分でも思います。
でも、やっぱり好きなことだと続きますね。
今回書いているのは、ベルサイユを舞台に、一日本人妻である「私」が密接に遭遇した殺人事件を、私小説風に描いたミステリーです。今の時代、上流階級がどう受け取られているか、またフランスといえば「エガリテ(平等)」精神ですが、それが現代フランスではどう理解されているか、など、あまり知られていないフランスの一面を描いています。
・・・・・・出版各社、各位殿、御興味ありましたら、ご連絡くださいませ。

出版不況と言われて久しいですが、世の中には面白い小説が沢山あるのに、読まれないのは残念で仕方がありません。
この夏は、松本清張を再読し、仏・英語の小説も何冊か読み、久々に梨木香歩も読んだし、ウンベルト・エコも井上靖も読み直し、と乱読を楽しみました。これらの本はゲームやSNS、ドラマに負けて消えていくのかしら。
私が書く拙い話も、ある少数の方には共感、興味、娯楽のひとときをもたらすかもしれない、でもそれをどう届けたらよいのか。考えるこの頃です。

10月20日発売のアンド・プレミアム誌(紙媒体)に
インタビュー記事が掲載されます。
素敵な写真(私はダメダメですが)が沢山です。
どうぞご贔屓に・・・・・・。
https://magazineworld.jp/premium/

さて、一か月後の11月下旬に日本に行きます。沢山の方々にお目にかかれると良いのですが。

12月1日には、日本経済新聞主催の、働く女性を応援するイベント、Woman Expo Tokyoにて、テレビにも出演されている、ジャーナリスト、木村恭子さんのセッションに出演させて頂く予定です。https://www.woman-expo.com/tokyo-winter/
参加費無料ですが、事前登録をお願いしています。
色々と興味深いプログラムとなっています。どうぞふるってご参加下さいませ。

・・・・・・久しぶりのブログ書き。近況報告と宣伝で終わってしまいました。
次回から、少しずつ、家の改装工事について、紹介したいと思っています。
インテリア、奥が深いです。
でも、取りあえず、今は書き作業に戻るとします。

季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますよう。
また行きます!

追記: 相変わらず、コメントを頂いてもお返事が出来ないという状況が続いています。
コメントには返信を心がけているのですが、折角記入しても消えてしまうのです。
心苦しいので、もしコメントを残して下さる場合は、etranger137@gmail.com までメールの形でお送りいただいてもよろしいでしょうか。また、それゆえに、コメント欄は状況が改善されるまで、非表示にします。今まで頂いたコメントは保存されています。
大変もうしわけございません!!!


2018年6月25日月曜日

寂しいフランス人

フランスの6月は花盛り。普通の自転車道も花・花・花!
皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
こちらはベルサイユに越してきてから、2度目の初夏を迎えています。

気づくと、地元にも友達と呼べる人が何人も出来ていました。ベルサイエ(ベルサイユ人のことをそう呼ぶそうです)は、日本でいう京都の人のように、「コンサバよ、お高くとまっているわよ、外様は馴染めないわよ」と言われていたのですが、中々どうして、ベルサイエ・マダムは、オープンでフレンドリーなのです。


そんな中最近、友情というものについて、少し考えることがありました。

長くなると思うので、番号を付けます。小見出しも付けちゃおう。
普通のブログだったら3日分くらい書きそうな予感がしています。


6月生まれの兄猿。
パーティではスイカのポンチが好評でした。
親愛なるN家のレシピです。スイカとセブンナップ。
①別れはある日突然。

友情について考えた理由の一つ。
それは、先日読んだ村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」という小説に、ある記憶を呼び起こされたから。
私はアンチ・ハルキストなのですが、この人のストーリーテリングの巧さにはシャポーですね。好きでないのに読まされてしまう。

この小説を読み、ふと昔自分に起きたことや、友情の心地よさを思い出したのです。

主人公の多崎つくるは、高校のときに完璧なまでに気の合う仲良しグループに属していたのですが、大学に入ってしばらくしたときに、突然彼らより絶縁されたトラウマを持っています


みなさんはそういう経験ありませんか?突然、仲良しに嫌われて、ワケわからないという。

私はあります。
その昔、その頃には15年も付き合ってきた仲良しの女友達に、突然、嫌われたのです。
すっかり分かり合えている仲だと思っていたので当時は本当にびっくりしました。
理由を聞いても、「自分の胸に聞いてみて」と、まるで小説の多崎つくると同じようなセリフを投げ渡されましたっけ。
何故嫌われたのかは未だにわかりません。
随分長いこと気になっていましたが、十年ほどすると、「しょうがない」と諦めることもできました。
多崎つくる風にいえば、
「スコッチの水割りを二回スターし、寂しい苦笑いを浮かべページを繰った。店ではビーチボーイズの ”God only knows”が流れていた(村上春樹風のつもり☺)」

今は彼女に対して、怒りや不愉快さもなければ、「知らずに傷つけていた」ことを反省する気持ちもありません。

ただただ、残念だという。
折角、縁あって15年も付き合っていたのに、ブツっと切れてしまったことが残念です。

このまま、すれ違ったままとなるか、それともまた縁あって再会できるかは、
ほんと、God only knows、です。
また、フランスは、学年始まりが9月、終わりが6月。
初等部卒業のチビ猿のために、こんなのを作ってみました。
何か分かりますか?アメリカの大学の卒業式風に、
学帽を被っているカップケーキのつもり

②大人になると友情は難しい

小説に戻ると、多崎つくるにとっては、この決別が大きなトラウマになっている。そこで彼は、小説の後半で「巡礼」の旅にでます。5人グループだった4人のところに個別に訪れ、あの時はどうしてボクとの縁を切ったのか、尋ねるのです。そしてそれぞれと和解をします。

クロという女性とは、心のうちを全て明かし、つくるは自分の過去、今の悩みを話します。

そこの部分を読んでいたら、何とも温かい気持ちになりました。
若かったころはこんな風に、自分の全てを見せて話せる相手がいたなぁ、話す時間があったなぁ、と過去の友情が懐かしくなったのです。

今でも友達付き合いしていますが、とにかく、今は忙しいです。

皆それぞれ一生懸命なフェーズだし、私はフランスなんぞに住んでいるし、中々そういう時間が持てずにいます。

帰省したときには逢っていますが、学生時代のように、胸の内を上手に開くのは意外と難しく。

神様の思し召しというか、タイミングや気運、場所、時間が大切で、たとえ信頼している相手でも、言葉スムーズに出てこない、何か気が散ってじっくり話す気になれない、聞く心が持てないこと多々。
とにかく時間も限られているので、元気確認をしたところで、「また来年ね!」となります。

それはそうとして、友情って難しいな、と思います。
これからどんどん難しくなるんだろうな、とも思います。

友達関係って、慣れが必要なものなんだと思う。

子供のころ、そして学生のころ、職場によるけれど新卒のころは、しょっちゅう顔を合わせて、遊び、しゃべり、時間を共有するから、友達という関係にも「慣れてて」、自然に自分のことを話し、相手のことを知り、よって友情が更に育まれる。
でも大人になると共有する時間はぐっと少なくなり、
お互い知らない世界を築き、知らないしがらみがあって、
久しぶり逢うと、そんな知らない一面を見てしまって、でも、それを乗り越えて友情を継続しようと努力する。
でも努力って続かない。
いや、そんなことを言ってはいけない。
頑張ろう。
でも疲れる。
一人でいいっかな。
・・・・・・となりかねません。


写真を花にもどします。
今は薔薇が終わってシャクヤクの季節。
このシャクヤクは珊瑚という名前で、どんどん色が変化すると聞き購入。
マルシェで12ユーロ、換算すると1500円くらいかしら?
③寂しいフランス人

さて、話変わって二か月くらい前のこと。

ある雨降りの火曜日、子どもが同じ学校に通う親御さんとして見知っているマダム、アンが、涙を流しながら歩いている姿を車窓から見かけました。

そのあと、アンの涙の理由が、そんなに親しくない私の耳にも入ってきました。
何やら旦那さんが出て行っちゃったらしい。それはお辛いだろうな、と同情しましたが、励ましの声を掛けるほどの仲ではありません。
私の中ではそれでおしまいでした。

それが、先月、図書室のボランティアに行くと、何やら雰囲気がいつもと違う。フランチェスカ、ガエル、アリアン、シルヴィ、ソフィー。いつもはワイワイにぎやかなメンツが、輪になってしんみりと話しています。見ると、そこにアンもいました。

私は木曜日チームで、その日は古くなった本の修理や、新書にビニールカバーを付けるという作業をします。他の曜日には子供たちに読み聞かせたり、先生と一緒にアトリエを手伝う日もあり、アンはそこで活躍している、と、そう言えば聞いていました。
だから、アンが図書室にいても不思議はないのだけど・・・・・・。

この日もアンは目を腫らして泣いていました。

今日は私は遠慮すべきかな、と戸惑っていると、
「ミキ、ほら、ここ空いているわよ。アンの話を聞いてあげて」
と図書室長で、皆の「ボンママン(おばあちゃん)」的存在のアリアンがいつもの優しい気配りで私を仲間に入れてくれます。そしてアンも、
「ミキも私のために祈って。もうくじけそうでね」と、そこで泣き崩れました。
言葉にならないアンの代わりに隣にいるクレールが、事の次第を説明してくれます。

うわさ通り、アンのご主人は「ほかに好きな人が出来た。君とは暮らせない」といって出て行ってしまったそうです。それが3カ月前のこと。今は弁護士も入って、養育権のこと、財産分与などについて話がつきつつある、と。


今の住居にアンとお嬢さんはそのまま住み続け、ただし、月に10日はご主人が娘と過ごすために来るので、その間、アンは家を明け渡さなくてはならないそう。
確かに、子供が移動するより親が動く方が正しいとは思うけど、アンにしてみると月の1/3は家に戻れないというのもむごいです。


この木曜日はアンが家に戻ってはいけない10日の五日目で、アンはご実家いても何をしたらいいのか分からず、気づいたら学校に来てた、ということでした。

なんという悲劇。ショッキングでもある。

「私が強くなれるように、祈って」というアンに、
「ええ、ええ、もちろん」と頷きましたよ。

……でも同時に、なんとオープンな悲劇なんだろう、とも思いました。
私が同じ立ち場だったら、こんな風に、みんなに周知したのだろうか。うわさに尾鰭をつけないためにはそうした方が得策なのかも? 


これが上のシャクヤクのその後です。Day4とDay6。色がどんどん変化します。
もう今日で終わりかな。この淡黄色のが優しくてじつは一番好きかも。

拙書、「フランス伯爵夫人に学ぶ...」にも書きましたが、フランス人っていうのは、実に用心深いところがあります。

自分のプライベートな話や弱みを見せるような話を余りしません。
強気で、万事上手くいってるわ、と鼻高々なことしか話さない。
これがプライドの問題なのか、見栄っ張りと呼ぶべきなのかわかりませんが、とにかく日本人のように「正直ベースの話」など、滅多にしません。

そんな私の「フランス人観」を真っ向から否定するような、アンの公開悲劇。
超プライベートだし、超オープンに話すし、これは何を意味しているんだろう、と考えてしまいました。

それで思い出したのですが、実は、アンだけでなく、近所の方でも同じケースがあったのです。
そのマダム、旦那さんが女を作り家を出てしまった、と、近所の方のお宅で催されたコーヒー・モーニングで滔々と語られていました。
当時、私はベルサイユに引っ越して間もなかったので、「そんなプライベイトな話、聞いていいのかしら」とドギマギしましたっけ。

そこで、ふと思ったこと。
みなさん、実は寂しいのかな、と。

ベルサイエ・マダム達は、社交バタフライのように、いつも友達に囲まれているようだけど、じつは、多崎つくるとクロのような、心が通い合っている友達がいなくて、こういう大悲劇を前に混乱し、取りあえず誰かに聞いて貰いたい、と、しゃべりまくっているのではないか。
いや、昔の学生時代の友達にも聞いて貰ったけれど、変なときに電話かけてしまったのか、昔のように心が通い合わなくて、それで寂しさも増長してしまって、聞いてくれる人がいたら話しているのだろうか。


これが日本の紫陽花だと分かった人は
フランス通。フランスの紫陽花は、水が違うのか土壌の問題なのか、
こういう蒼は出ないんです

・・・・・・長くなってしまうのが私の悪い癖。
以上、最近友情ということについてポロポロと考えていたことをまとめてみました。

多分この先も、学生時代のように、心の内側を全部見せ合う、そして感情の最後の一滴までを見せ合う、そういう友情の育み方はできないのでしょうね。

けれど、年を重ねた人だけができる、互いへの労りと相手への理解をもって、友情を大切に継続したいな、と思います。

少し寂しい気もするけれど、寂しさは大人であることの必須条件でもあるわけで。

最後まで読んで下さってありがとう。
不定期となりますが、また行きます!

追伸 最近何故だか、私自身がコメント欄になにも残せないようになってしまって、コメントに返信出来ずに申し訳ございません!
追記2: 相変わらず、コメントを頂いてもお返事が出来ないという状況が続いています。
コメントには返信を心がけているのですが、折角記入しても消えてしまうのです。
心苦しいので、もしコメントを残して下さる場合は、etranger137@gmail.com までメールの形でお送りいただいてもよろしいでしょうか。

大変もうしわけございません!!!

2018年6月13日水曜日

女であること



またまたご無沙汰してしまいました。
初夏のころ、いかがお過ごしでしょうか。
既に梅雨入りしている地域もあるのでしょうか。
こちらフランスは、夏のような快晴の日もあれば、雨ざあざあの日もあり、相変わらずの気まぐれなお天気に振り回されています。

このところ、珍しく忙しい日々を過ごし、その合間合間にニュースを拾い、インスタを覗き、小説を読んだり、書いたりしていました。


先日は、芥川賞を受賞された、若竹千佐子氏の「おらおらでひとりいぐも」を読む機会がありました。

桃子さんという、74歳の主人公の、その時々の心の声を綴ったお話。
時には母を、時には自分を重ねながら読みました。

桃子さんの東北弁混じりの回顧談の中で、その昔、オレオレ詐欺に引っかかった、という話があります。
桃子さんは、そのことを娘になじられると、
「母親というものは、息子にのし掛かってしまった、潰してしまったという、そんな罪悪感から、敢えて詐欺に引っかかってしまうものなのだ」
と罪の意識と自分のバカさに恥じ入ります。

この桃子さんの解釈に、母親の業をぶつけられ、同時に哀しみがつーんと来ました。


さっき、兄猿の日本語補習校のバッグより、
先月の、母の日用に学校がお膳立てしてくれたメッセージが出てきました。
絵文字ってマジ頭を退化させる、と確信するとともに、
こんなメッセージですら嬉しいと思ってしまう母猿たる自分に苦笑い。

私も、例えば夫に何かイライラするときなど、息子達のほうが私の気持ちを汲んでくれることもあって、それで救われるなぁと思ったりするのですが、こういうのって、良くないですよね。
私は母親だし、大人なんだから、子どもに救われてなんかいないで、自分でイライラを処理すべきだし、それを察することができない夫に対して、直接「察してよ」と話し合い・談判すべき。
これと似た感じで、息子に、夫の役割や家長の役割を求める母親って結構多いような気がします。


これはフランスの母の日に兄猿より贈呈された「作品」。
チビ猿は何くれたか覚えていないという薄情なる母猿です。

おらおらで・・・・・・に戻ると、

亡き夫の墓参りに行く道々に、桃子さんは過去の自分と対話します。次々と若かりしころの桃子さんが登場するのです。
その中で思い出せない時代がある、そんな下りがありました。

私もそう。


子どものころの自分は覚えています。

アルバムの写真から後付けされた思い出もあると思う。

中学、高校時代は鮮明に覚えている。


女子大時代もまあまあ覚えている。でも少し希薄でもある。サボってばかりいたからかもしれません。少々内省的だった時代だからかもしれません。

でも友達のことはよく覚えています。みんな刺激的でしたからね。

新卒で働いたANA時代も覚えている。同期と駆け抜けた時代だから、お互いのことを良く覚えている。


INSEAD時代も結構覚えているあたり、同志がいる時代は覚えているものなのでしょう。


NY、ロンドンの銀行時代もまあまあ。でも具体的に、自分がどんな容姿だったか、ヘアスタイルだったか、もう覚えていません。写真の有る無しで、記憶の鮮度が変わるのかも。


そして結婚し、子育てしてきた、この15年近く。

この期間の、自分というものの記憶が殆どない!
子猿たちのことは良く覚えているけれど、夫はその枠組みの中で覚えているけれど、自分のことは思い出せない。
ご飯を作って、家族が喜んでいる顔は思い出せるけれど、料理を作っている自分とか、食べている自分が思い出せません。
よく、出産にまつわるエピソードが話のネタになることがありますが、その時に自分はどんな様子だったか、時にはあの痛みすら思い出せない。

美化するわけではありませんが、それくらい、母親というのは、家族のことで頭が一杯なんだろうな、と思う。

そして、それくらい、幸せなんだと思う。

でもね、やっぱり、自分のこともちゃんと見てあげないとね、とも思う。

ボロ雑巾のようになって老婆になるのは、私も家族も望んでいないことですし、大体、「私の人生」に失礼だと思う。

そんなこんなで、女ってさ、と考える今日この頃。


最近の、ブルドーザーのように24時間を押し切る、そんな日々を反省し、
こんな本を書きました。
フランスで見聞した暮しの美学について綴っています。

もし、ご友人などで、こういう話にご興味がある方をご存じでしたら、この本をご紹介頂けると幸甚です。
プレゼントにも程よいサイズ・お値段かと。

なんて、最後は宣伝で恐縮です。
何卒ごひいきにお願いいたします。

「フランス伯爵夫人に学ぶ 美しく、上質に暮らす45のルール」

ドメストル美紀著
 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン 定価1620円


2018年5月4日金曜日

記憶ってなんだろう

兄猿が、藤棚の下を通ったときに、「これ、日本の匂いだ」と。
確かに甘すぎず、きつすぎず、強すぎず、
それなのにしっかりとした香りがあって日本なのかもしれない
新緑のベルサイユからお便りします。
今日は見事な快晴で、空気も澄んでいること! 晴れた高原のように、真っ直ぐな陽の光です。紫外線要注意ですね。

こちらフランスでは、4月後半に春休みがあり、そのまま、飛び石連休が続く5月を迎えています。ちなみに、フランス語では、「飛び石」ではなく「橋で繋がれた」連休ということで、Pont ポン (橋)と表現されるんですよ。

リラックスするのが上手なチビ猿
そんな休みの間に、久しぶりに本を読みました。
一冊は、ノーベル賞作家となった、カズオ・イシグロ氏の「忘れられた巨人 The Buried Giant」。この本は、「記憶」というものがテーマです。

村の向こうに閉じ込められた鬼が人々の記憶を食べているので、みんな昔のことを忘れてしまって、頭の靄(もや)が掛かったような、そんな状態で暮らしている。平和といえば平和だが・・・・・・という話。

記憶といえば・・・・・・
私のように海外で暮らして長い人は、記憶にある、今はもうない日本を恋しがり、夢見ているところがあるのではないかしら。
そして帰省する度に、変わったところ、変わってないところを指折り数え、変わったところは、かき消された思い出に胸がずきっと痛むことに気づかぬふりをして、新たに頭のコンピューターに上書き保存する。
そうしないと、ある日、完全なる浦島太郎となって、ふるさと日本に馴染めなくなってしまいますからね。
そうなんですが、
でもあるときふっと、遠い昔の記憶の中の日本が蘇るときがある。
そんなときは、今の日本、昔の日本、今の自分、昔の自分、そして今はここにいて、と、それこそ記憶の靄(もや)からポンと出てきてしまったような不思議な感覚に陥ります。
そんなことありませんか?

宮殿へ繋がる大通り。
街路樹が緑の壁のようなのです
記憶って宝物。デジカメで撮った写真のフォルダーを見るとき、もしこれが全部消えてしまったらどうしよう、と不安になります。ずっと、あの瞬間の兄猿、この瞬間ちび猿を覚えていられるかしらって。

イシグロ氏の本では子どもがいたときの記憶を取り戻そうとする老夫婦の旅路を、哀しみたっぷりに描いていて、たとえ幸せなシーンでも涙がに滲んでしまいました。

緑、緑、緑の五月

「記憶」で思い出す小説に、山田太一氏の「異人達との夏」があります。
子どもの頃に亡くなった両親に、大人となった主人公が再会し、一夏だけ、一家団らんの時を持つというファンタジー。
ページを繰る度に、サンマを焼く匂いがしてきそうな、そんな昭和な雰囲気が懐かしく、庶民の暮らしぶりが愛らしく、そして哀しくて、と、そんな小説でしたっけ。

記憶というのは、どうやら哀しみと同意語なのかな。
どんな幸せな記憶も、過ぎてしまっているし、もう二度と戻らないんだものね。


最後にもう一冊、「記憶」で連想した本、ジンジャーツリーについて。
この本は、戦前に日本に生まれ育ったスコットランド人のワインド氏による作品です。

ふとした出会いから、明治時代の日本に住み着くことになったスコットランド人女性の半生を描いています。
著者のワインド氏は、英国兵として出征し、第二の故郷である日本の軍隊に囚われ非情に辛い体験をしています。それでも、日本を切り捨てきれなかったのでしょう、そんなビタースィートな想いが、この小説に反映されています。

小説では、東京暮らしを経たヒロインが、後年、横浜に移ります。ブラフ界隈・・・・・・まさに、子猿たちが通っていたインターナショナルスクールや、私達家族が住んでいた辺りが話に出てきて、その場面が目に浮かぶようでした。
横浜は昔の記憶を上手に残した街造りをしているので、
記憶がぶつ切りなることがなくて好き。
優しい街なんだと思います。

ワイルド氏は、戦後日本を訪れることはなかったそう。
記憶の日本に、今の日本を上書きしたくなかったのでしょう。

横浜といえば氷川丸!
初めに戻ってイシグロ氏。
あるインタビューで、
”小説を書くということは、真実を伝えること。
「事実」ではなく「真実」を、どう伝えるか。”
と話されていました。
そして、今回の小説は、記憶がテーマ。
事実と真実の間に記憶があるのかな、とそんな気がしました。

とにもかくにも、将来も記憶を持ち続けていられるように、これからウォーキングに行ってきます。酸素運動し、脳の活性化させないと!

皆さんも、どうぞ良い週末を!

2018年3月20日火曜日

リセットの春

それでも春は来る

残雪が光る今朝のベルサイユです。

春分の日まであと少しだというのに、先週末は雪が降りました。
東京、横浜はいかがでしょう。
この冬は、パリ/ベルサイユと東京/横浜の天気が面白いほど似ていて、あちらが寒波だと聞くと、こっちも来るな、と覚悟し、こっちが雪だと、「そっちも降るかもよ」と東京にいる母に警告しています。


先週まではこんなに春爛漫でした

最近、わが家の話題といえば、家のリフォームです。
ボロボロの家に住んでいるのですが、今年は思い切って大改造をすることにしました。
フランスでは、日本のように建て替えることは稀で、古い家をリフォームして住み続けるのがスタンダードです。
よってデマンドは高いのに、それでもリフォーム業者は切磋琢磨せず、サービスはすこぶる悪い。昔からの職人など滅多にいなく、訓練されていない人ばかり。「お金だけ貰ったらトンズラした」「間違った資材を使われた」などなど、恐ろしい体験談をよく聞きます。

日本であれば、多分二、三か月で終わる工事なのでしょうが、
ここはフランス。倍くらいかな、と思いきや、
「半年? マダム、ご冗談でしょう。一年は見た方がいいですよ」
とは、建築家さん。鼻高々に笑顔でそう通達されて、私は一瞬気絶するかと思いました。


リフォームしたらこうなる予定。
私の妄想で終わりませぬよう…・

これは一つの例でして、
フランスで暮らしていると、こんな感じで、コトが進まない、予定が立てられない、思い通りにならないことばかりです。仕事でも、銀行でも、学校でもそう。
「では、近日中にご連絡しますので」
と言われて電話が掛かってきたためしがありません。
いつもこちらからプッシュしないとことが運ばない。こちらがお金を払う側なのに、でもです。
コミュニケーションもほころびだらけで、正確なところが分からず終いなことが多い。

そんな日々が続くと、時々倦怠感のようなものに襲われます。
落ち込んだときは、このドリームハウスの写真をみます。
昨年の夏訪れた、中禅寺湖畔にある旧イタリア大使別荘
人と言うものは、心のどこかで新しい展開を望んでいるところがある。
家のリノベーションや引っ越しというのもそうだし、転職もそう。もっと気軽なところでは、旅に出るとか、新しい本を読むとかもそう。

私の憂鬱の理由の一つは、フランスでは、こういう新しい展開が展開されないところ!仕事を探すにも、社会システムがためにポストが少ない。引っ越しするにも、これ、という物件が少ないこと! 家の売買に伴う手続きとコストがために余程のことがないと踏み切れないようです。本だって、新しいものにチャレンジしてイマイチだったことが続きすぎて、勇気が出ずにいます。旅に出るには拘束が多いし・・・・・・。

愚痴が多いですって? そう、憂鬱のもう一つ大きな理由は、アラフィフという年齢でもあるのだと思う。
能天気に、ずっとずっと夢見がちに生きてきたけれど、もうすぐお年寄りになってしまう。それなのに何も成し遂げられていないと言う衝撃の現実。参ったなぁ。落ち込むなぁ、という......。これが色々なことをポジティブに流せない理由の根底にあるのかも。

でも、ね。Life goes on ですからね。
時には憂鬱を受け入れてあげることも大切だけど、そろそろリセット。

一日一日一喜一憂、二歩進んだと思ったら一歩下がる、
そういうものだと腹をくくって淡々と暮らすしかないんだな、という、覚悟のようなものが出来つつあるこの頃。

ついでに。
これはドリーム邸宅の縁側から見える中禅寺湖
ため息……
日本でも不動に見えた政権がようやく揺らいできましたし、腐敗していると思ったメディアもゾンビのように生き返ってきましたし、待っていれば、コトは起きる。

私も大人ですから、がっかりシリーズなどにマケズ、ジッと待てというのであればキれずに待とうじゃありませんか。

雪を被っても、明日はきっとまたふんわりと咲き続けるだろう野花のように、むんずと踏ん張って、毎日リセット、毎日再スタート。

皆様も、季節の変わり目、どうぞご自愛くださいませ。
また行きます!





2018年2月3日土曜日

私の一月


年初の、田舎の朝日です
La vie en rose、薔薇色の2018年でありますように。
2018年初のブログが、2月にずれ込んでしまいました。
こんなだらしない私ですが、本年度も何卒ご贔屓にお願いいたします。



この一月を振り返ると、「再会の一月」だったように思われます。

まず元旦翌日の二日には、横浜時代の知人夫婦とベルサイユで再会しました。
温かくてフェアで誠実なミスター・へイグは兄猿の5年生の時の担任でした。
その奥様、ジャネットは、横浜で二年間に渡って、柔軟性や身体能力が欠けている私にプレッシャーを掛けることなくヨガを教えて下さった方。
イギリス帰省中に、Mr. へイグからジャネットへの誕生日プレゼントとしてパリへの小旅行をアレンジされたんですって。素敵じゃありませんか!

どちらも大好きな方でしたが、個人的なお付き合いがなかったので、横浜を去ってしまったらお会い出来ないもの、と思っていました。

それが、こうしてまた会えた! 
このことは、何というのでしょう、運命に対して自信のようなものを抱かせてくれました。
「好きな人とは、また会えるもんなんだ!」、みたいな。
どれ、縁とか、絆を信じてみよう、という気持ちになれますね、こういうことがあると!

ベルサイユ庭園の運河沿いをご一緒に散策しました。
この日は寒かった!

こうして幸先良く2018年が始まり、翌日には家族4人、久々にユーロスターに乗ってロンドンへ小旅行に出ました。
そうそう、このユーロスターの出発時に、北駅で、またMr.へイグ夫妻に会ったのですよ。すごーい人混みで、電車も彼らは一時間後の出発だったのに! 
私はすごく驚いたけど、兄猿は、まるで当たり前のように、「ママ、ミスター・へイグが手振ってる」と、普通に手を振り返している。「何でそんなに平常心なの?普段は横浜に住んでいる方達よ」と肩を揺すりたくなる私に、「だってまた会えると思ってたから」と応える兄猿。彼の太々しいまでの楽観的思考に、またまた驚いた母猿でした。

さて、ロンドン。
一二年ぶりかな、ロンドン、と思っていたのですが、よく考えてみたら4年ぶり。間に二年の横浜が入っていますからね。
ロンドンの中心部はアラブ色が強くなっていて驚きました。カタールが投資していると聞いていたけれど、ここまでとは。ハロッズには、金銀の鷲のオブジェとか、馬のクリスタルといった、カタール人好みのものばかり。私はロイヤル・スポードが見たかったんだけど……。

リージェント通りのストリート・イリュミネーション
本当に天使が飛んでいるみたいでした!

ロンドンでは、まず初日に、私達が14年前に結婚式を挙げたロンドン・オラトリーにて、わが家のファミリー・ドクターならぬ、ファミリー神父様、ファーザー・パトリックと再会しました。

時や距離の感覚が実感持てないときがある私。高校時代が昨日のことのようだったり、日本がすごく近くに感じられたりすることがある。今回も、Frパトリックには出発前々日に、さらーっと、まるでオラトリーの向かいのフラットに住んでいた頃のような感覚で、
「ミサの前にドアをノックしますね~」
っていうメールを出したのですが、よくよく考えてみれば、前回お目にかかったのが4年前、私がロンドンのあのフラットに住んで、ちょくちょくFrパトリックとお会いしていたのは、16年も前のことでした。

それなのに、Frパトリックは、以前と全く変わらない親しさを持って、お茶に招いて下さり、暖炉の前で、子供たちに合わせてスターウォーズ話で盛り上がって、とっても愛しい時間を過ごしました。

Frパトリックと私たち夫婦の共通点は、同じ年ということと、アレック・ギネスのファンだということです。
アレック・ギネスとは、最初のスターウォーズでオビワン・ケンノビを演じた名優です。

アレック・ギネスはオラトリーに来ていた時期があり、Frパトリックは惜しくもすれ違ってしまったらしいのですが、先輩神父様から、色々漏れ聞いていらっしゃるエピソードが幾つかあるのです。

今回聞いたのは、アレック・ギネスが、スターウォーズに出演した際のエピソード。
アレック・ギネスは、ジョージ・ルーカスが資金難だとを知り、「ギャラは要らない。この映画の興行売り上げの1%(かもっと少ないかも)でもくれればいいよ。そしたらコスト抑えられるだろう」と気を遣ったらしいのです。この映画は売れないと思っていたらしい。そして、撮影中は、資金繰りに忙しいルーカスに代わって、監督業を殆どやってあげたそうです。
で、蓋を開けたらスターウォーズは大ヒットしました。
そこでルーカスは、アレック・ギネスに感謝の気持ちを込めて、約束の何倍ものパーセンテージをギャラとして渡したそうな。

アレックギネスの映画で、私が好きなのは、もちろん、これ。

その後、ロンドン在住の横浜時代のママ友、そしてANA時代の後輩とお茶を楽しみました。
クリスマス前から、どっぷりと2週間24時間、男子3名+雄猫マエストロに囲まれ、母、妻、家政婦、料理人、ツアーガイド、AirBnBの連絡役と様々な役どころを演じてきた私でしたが、このひと時は思いっきり、無責任発言ばかりの素の私に戻れ、ふーっと息抜きできました。Vive la 女友達、です。

この日はコーヒーとスコーンにしました。
アメリカンで、と頼んだのにトリプルエスプレッソだった!

滞在中は、一年ぶりにロンドン在住の義理の妹家族とも夜を一緒し、色々と本音トークができて義姉妹、新たなフェーズに入った感ありです。一緒に年を取りましょうね

パブでは美味しいビールを飲んだし、本格シェパーズパイも食べたし、子猿たちは横浜時代のご学友たちとスリープオーバーもしたし、ウィンザーにも、グリニッジにも行った!夫はシャツやらハンティング帽やら、ロンドンに来る度にオトコ買いするという伝統を繰り返したし、みんなそれぞれに満足して帰途に就きました。

そして、その翌日から新学期で子猿たちは平常運転に戻り、私は、少しお仕事。
今回三回目になる企業さんの展示会出展のお手伝いで、ご担当者や関係各位とも半年ごとにお目に掛かります。「お元気でしたか!」「元気そうではありませんか!」と再会を喜ぶ。
展示場では、他の出展社の方々とも顔なじみになっていて、「お元気でしたか、頑張りましょうね」のご挨拶が嬉しく。

サロン会場ではシャンパンが振る舞われますの。
おフランスでしょう?

このところ、しみじみ思うのは、ご縁とか、絆とか、細くとも繋いでいきたいな、ということ。学生時代のような濃い繋がりは出来なくとも、たとえ、フェースブックでたまに繋がるだけでもいい。
そんな縁でも、知り合えたことが嬉しく、時折元気な姿、頑張っている様子を聞くだけでも、何だかとってもポカポカするのです。
年ってことかしらね、これも。

年初なのに緑の田園風景
暖冬多雨のフランスなのです。

日本は雪が降ったり、寒い冬を迎えていると聞いています。皆さんどうぞご自愛くださいね!
では今年もどうぞ宜しくお願いいたします!
ドメストル美紀