2020年6月10日水曜日

ベルサイユ便り、寂しいフランス人


雨が降ると思い出す人がいます。
三年前のことです。あの日、友人の車に乗ってベルサイユ右岸駅の先にあるマルシェ・ノートルダムに向かっていました。本降りになってきちゃったな、と歩道を見ていると、涙を流しながら歩いているマダムがいたのです。それがマリーでした。
その時のことを書いてみました。
あれは火曜日のこと。
子どもが同じ学校に通う親御さんとして見知っているマダム、マリーが、涙を流しながら歩いている姿を車窓から見かけました。
隣で運転しているナタリーにそのことを伝えると、
「旦那さんが出て行っちゃったらしいわよ」
とのこと。
それはお辛いだろうな、と同情しましたが、励ましの声を掛けるほどの仲ではありません。
私の中ではそれでおしまいでした。
そして木曜日。
朝、ちび猿を校門まで送り届けたあと、いつものように図書室のボランティアに行くと、あれ、雰囲気がいつもと違う?
フランチェスカ、ガエル、アリアン、シルヴィ、ソフィー。いつもはワイワイにぎやかなメンツが、輪になってしんみりと話しています。見ると、そこにマリーもいました。
木曜日チームは、その日は古くなった本の修理や、新書にビニールカバーを付けるという作業をします。他の曜日には子供たちに読み聞かせたり、先生と一緒にアトリエを手伝う日もあり、マリーはそこで活躍している、と、そう言えば聞いていました。
だから、マリーが図書室にいても不思議はないのだけど・・・・・・。
この日もマリーは目を腫らして泣いていました。
私は遠慮すべきかな、と戸惑っていると、
「ミキ、ほら、ここ空いているわよ。マリーの話を聞いてあげて」
と図書室長で、皆の「ボンママン(おばあちゃん)」的存在のアリアンがいつもの優しい気配りで私を仲間に入れてくれます。
マリーも、「ミキも私のために祈って。もうくじけそうでね」と、そこで泣き崩れました。
言葉にならないマリーの代わりに、隣にいたクレールが事の次第を説明してくれました。
うわさ通り、マリーのご主人は「ほかに好きな人が出来た。君とは暮らせない」といって出て行ってしまったそうです。それが3カ月前のこと。今は弁護士も入って、養育権のこと、財産分与などについて話がつきつつある、と。
今の住居にマリーとお嬢さんはそのまま住み続け、ただし、月に10日はご主人が娘と過ごすために来るので、その間、マリーは家を明け渡さなくてはならないそう。
確かに、子供が移動するより親が動く方が正しいとは思うけど、マリーにしてみると月の1/3は家に戻れない。それもむごいなぁ、と胸が痛みました。
この木曜日はマリーが家に戻ってはいけない10日の4日目で、マリーはご実家いても何をしたらいいのか分からず、気づいたら学校に来てた、ということでした。(でも火曜日も近くに来てたよね?)
なんという悲劇でしょう。
「私が強くなれるように、祈って」というマリーに、
「ええ、ええ、もちろん」と涙を堪えて頷きましたよ。
……でも同時に、なんとオープンな悲劇なんだろう、とも思いました。
私が同じ立ち場だったら、こんな風に、みんなに周知したのだろうか。噂に尾鰭をつけないためにはそうした方が得策なのかも? 
それで思い出したのですが、マリーだけでなく、近所の方でも同じケースがありました。あの時も、当該マダムは近所の方のお宅で催されたコーヒー・モーニングで滔々とご自分の心中を語られていました。当時、私はベルサイユに引っ越して間もなかったので、「そんなプライベイトな話、新入りの私が聞いていいのかしら」とドギマギしましたっけ。
拙書、「フランス伯爵夫人に学ぶ...」にも書きましたが、フランス人は、用心深いところがあります。
自分のプライベートな話や弱みを見せるような話を余りしません。
強気で、万事上手くいってるわ、と鼻高々なことしか話さない。
これがプライドの問題なのか、見栄っ張りと呼ぶべきなのかわかりませんが、とにかく日本人のように「正直ベースの話」など、滅多にしません。
そんな私の「フランス人観」を真っ向から否定するマリーの公開悲劇。
超プライベートだし、超オープンに話すし、これは何を意味しているんだろう、と考えてしまいました。
そこで思ったこと。
みなさん、実は寂しいのかな、と。
ベルサイエ・マダム達は、社交バタフライのように、いつも友達に囲まれているようだけど、実は、心が通い合っている友達がいなくて、こういう大悲劇を前に混乱し、取りあえず誰かに聞いて貰いたい、と、しゃべりまくっているのではないか。

いや、昔の友達にも聞いて貰おうと連絡したのよ。だけど、「久しぶり」と挨拶を交わし、「今大丈夫?」と気を遣ったりしているうちに、どう切り出したらよいのかわからなくなったの。
昔は沈黙も気にせずに一緒に時間をやり過ごすことができたんだけど、彼女、スマホの時刻チェックしているの、気づいちゃったし。
もう昔のように心が通い合わなくなっていることに気づいたのよ。
それで寂しくなっちゃって、でも一人で抱えていると気が狂いそうだから、とにかく聞いてくれる人がいたら、話しているの。
……妄想癖は私の悪い癖です。

寂しいのはフランス人だけではありませんよね。
大人になると、友情を育むのも一筋縄ではいきません。
相手の結界に踏み入らないように。いや、時には敢えて踏み込んで近づくことも大切かな。
相手が歩んできた道程がどんなものだったのか想像力を働かせ、
できるだけ理解するよう努める。
でも、決して理解した、と思い込んではだめ。そういう思い上がりはダメ。
そんな心遣いをフル回転に遣って育むのが大人の友情。

もう学生時代のように、無遠慮にお互いをさらけ出し、ぶつかり合う友情は無理なんだと思う。
少し寂しい気もするけれど、寂しさは大人であることの必須条件でもあるわけで。
年を重ねた人だけができる、互いへの労りと相手への理解をもって、友情を大切に継続したいな、と思います。
あれから三年。
マリーは娘さんと一緒にパリに越したと聞いています。
元気だといいな。もう泣いていないといいな。
いや、アムールの国の人ですものね。新しい彼がいたりして。

長くなりました。また行きます!