2018年12月18日火曜日

私のフランス観、その二

寒中お見舞い申し上げます。

今年のペースだと、今回が恐らく最後のブログ更新となることでしょう。更新頻度がゆっくりとなった一年でしたが、そんな怠け者ブログにお付き合い頂きましてありがとうございました。


この一年を振り返ると、

仕事面では、自費出版ではないという意味では初の書籍出版という夢を実現出来ました。沢山の方に読んでいただき、感謝の気持ちで一杯です。
編集を担当して頂いたO氏とも、何回かお会いし沢山のメールを交わす中で、信頼が深まり、そういう関係性の構築ができたこともとても嬉しく、
また、読者からも、レビューや手紙などで感想を寄せていただき、私が書いたものが人様の心に何らかの影響があった、ということに感無量の思いです。

装丁も素敵でしょう?

夏には日本経済新聞の取材のお手伝いを、そしてそこから発展して、今月初めには、同社が主催するWoman Expoにもお声をお掛けいただきました。

これらのご縁を通して、聡明かつ勇敢かつ寛容で明るく・・・・・・と賛辞尽きない素晴らしい方々との出会いがあり、応援に駆けつけてくれた旧友らとの再会があり。
本当に恵まれた一年となりました。


日経ウーマノミクスは、「女性が今よりもっと活躍できる環境づくりの応援」
を目的とするプロジェクトだそうです。
そんなイベントに参画できたことを光栄に思っております。
画像は、トークショーの様子です。リード役は、ジャーナリストの木村恭子氏。
こちらにも沢山の方に足を運んで頂き、誠にありがとうございました。

プライベート面では、なんと言っても家の改装工事に振り回された一年でした。こちらはまた来春まで続くので、いつかまたレポートしたいと思っております。

台所の床は、昨今フランスで復古人気のセメントタイルに。
このあと、職人さんが大きな間違いをして大変なことになったのですが
そんな話はまた別の機会に。

さて、最近のフランスは騒がしく、ゴーン氏逮捕も忘れられるほど黄色ベスト・デモ一色でした。

傍観しているだけで、鋭い洞察など一切ないのですが、一丁噛(いっちょかみ)として一言。

まず、フランスでは忘れられているところあるゴーン氏逮捕。

ゴーン氏に限らず、雇われCEOの莫大な報酬というものには、常々疑問を持っていました。自分のお金を投資して創立した人とかならまだしも、大企業の雇われCEOは、個人的なリスクをとっていないのに、何故あのような報酬を要求できるのか、その根拠が私にはわかりません。この逮捕劇が欧米のCEOの高額報酬を考え直す機会となると良いんだけどなぁ、と思っています。

そして黄色ベスト!

先週と先々週の土曜日は、子猿たちの日本語補習校もクローズし、凱旋門付近はメトロも停まらず、商店は閉店を余儀なくされた、黄色ベストのデモ。

色々と記事も見かけますが、どれも後づけの理由のように感じられ、なるほど!と説得される解釈には出会っていません。

そんな私の、無責任なセオリーを書いてみたいと思います。

「全然違う」と思われる方も多いでしょうが、小説家志望の妄想だ、と思って見逃して下さいますよう。

今回のデモでは、火事場泥棒や、車に火をつけたり、破壊暴力も沢山あったと聞いています。


それで思い出したのは、先日母から聞いた、江戸時代の話です。

東京にいる母は、近年古文書に凝っていて、読めるようになると、色々な発見があってとても興味深いといっています。

ウィキペディアより

古文書 とは、広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は、特定の対象へ意思を伝達するために作成された近世以前の文書を指す。特定の相手に向けたものではない文書、例えば日記や書物などは古記録と呼んで区別される。

「例えばね、天明の大飢饉のときに打ち壊しとかあったでしょ? あれも無作為に打ち壊して、米を盗もう、ということではなくて、ちゃんとルールがあったのよ。

まず、米は盗まなかったの。蔵を壊すだけ。あと、放火も広がったら迷惑だから厳禁。目的は悪徳米商人を懲らしめることで、それ以外の行為は許されなかったの。ちゃんと律せられた暴動だったのよ。そういう、当時の人々の考え方や暮らしぶりが古文書を読むと分かるわけ」

ちょっといい話でしょ? 江戸時代の町人や村民は無学な人が多かったろうに、こういう倫理感や分別を持っていたなんて、誇らしくなりませんか。


これは日本人がフランス人より優れている、と言っているのではありません。


フランスでも、数年前の同性愛結婚法に対する反対デモでは、暴徒化することなく、分別もって明確にメッセージを発信しながらデモを行いましたし。

・・・・・・でもそれがゆえ、あんなに反対派が多かったのに無視され、横暴な形で法案は通りました。

それが、今回の黄ベストデモでは、何でもあり、となっている。そしてそれに対して、政府も懐柔策を提案している。


盗みも暴力も人様への迷惑も、すべて「しょうがないじゃねえか、政治が悪いからだ」と許容を無理強いさせ、政府も「しょうがない」と妥協する。声が大きいものが勝つ。
これ全て、今のフランスそのものだと思うのです。

道徳感が崩れすぎ。自分勝手過ぎ。力で押し倒しすぎ。

そして、それがフランスの人々の気持ちを暗くしているのだと思います。


人にはネガティブな本能も沢山ありますが、もっと良くありたい、良いことをしたい、という本能もあると思う。それなのに、周りがズルするから自分もしないと損する、という感じで、ずるずると引き摺られてネガティブ行動を取る。

みんな、そんな自分や社会にうんざりしている、怒りすら感じている。そんなところがあると思う。

今回のデモは、そんな行き場のない怒りが、燃料税を契機に爆発したのではないか。


これが私のセオリーです。

ここで、ドゴールのような国父的指導者が居て上手くまとめてくれたらいいのですが、残念ながら国父どころか、生意気な頭でっかちの息子のような人が大統領ときた。

マクロン大統領は発言こそ真っ当ですが、説得力に欠けるし、胡散臭さもある。
そして、彼だけでなく内閣にいる人達も、投資銀行やらコンサルやら、リアルで働いたことがない人達ばかりだから、燃料税を上げる、などという唐突なアイデアを出してしまう。地方の、車が頼りの人々の生活を、現実的にイメージできないのでしょう。

そこで行き場のない民衆の怒りが、「じゃこいつをリンチするか、元々気に入らなかったんだ」、とマクロン政権に向かったのはないか。


デモ参加者の中には、「フランス革命を再現するんだ!」と息巻き、革命のシンボル、バスティーユにも行進したそう。

やればいい、と思います。現代の目・価値観の中であの革命を見直す機会になるのなら。血糊の革命を全面肯定しそこから生まれた「共和国精神」の、欠点にも目を向けてもよい時が来ているのでは、と思います。



今回のデモで膿を少し出したから、2019年は、反省し、内省し、自らを正そう、律しよう、という、ポジティブな空気が生まれるのでは。


そんな希望を抱きつつ、色々考えさせて貰った2018にさよならを。

2019年が皆様にとっても喜び多き年となりますように。

どうぞ良いお年をお迎え下さいませ!