2020年9月11日金曜日

思い出に寄せて


 

その昔、ニューヨークで暮らしていたことがありました。

新卒以来働いていた全日空を退職し、ニューヨークに姉がいたので、渡米したのです。無計画で迷えるアラサーだった私。流れで4年ほどミッドタウンで仕事もしました。

最初は邦銀、その後米系の投資銀行部門へ移りました。この仕事運に喜んでいたのは束の間のこと。この世界では、私の日本の学歴や職歴は全く役立たないことを痛感しました。勉強嫌いなのですが、このままではマズい、と考え、MBA留学することに。
このように流されるままに、人生のコマを進めていますが、MBA留学が決まるまでも山あり谷ありでした。ようやくフランスにある、INSEADという経営大学から合格通知が来てからも留学費用を貯めるべく、ギリギリまで働いていました。2000年の夏のことです。

そんなときに、高校時代の同級生のスミさんがニューヨークに転勤で来ていることを知りました。たぶん、盟友あっこちゃんが繋いでくれたのだと思います。もうそのあたりは覚えていません。

私の高校はごく普通の都立高です。少子化前の世代ですので、各クラス40名はいたと思う。各学年8組までありましたから、一学年320名+。それでも、一年も過ぎると、学年の男子女子の名前と顔は一致できたのは若さゆえ、でしょうか。
スミさんのことは初年度から知っていました。鉛筆のように細く、ボタンダウンのシャツが良く似合う男子でした。国立校から来ただけあって、如何にも優秀そう。このように存在は目を引くのですが、穏やかで物静かな雰囲気で、ずっと好感持っていました。
でも、3年間クラスが一緒になることがなかったので、言葉を交わす機会もなく卒業しました。

「すみさんに連絡先上げていい?」
「もちろん、いいけれど、私なんかに会いたいかな」
高校時代に接点がなかったし、私のことメンドクサイと思っているに違いない。
「ううん、スミさん、すごく会いたいって言ってる」
「うん、じゃ、もちろん」
と答えつつ、すみさんは連絡しないかもな、と思っていました。

でも!
スミさんは、ちゃんとメールをくれました。早速「会おう」となり。
待ち合わせは、グランドセントラル・ステーションにある名物のオイスターバーに。私は牡蠣が食べられないのですが、あそこの雰囲気が好きなのです。スミさんは、「まだ行っていないけど、行ってみたかった」と。

15年ぶりに会ったスミさんは、立派な青年になっていて、それがとても嬉しかった。誇らしいといっても言いかも。変ですよね、同級生なのに。
オイスターバーも、「いいなぁここ。すごくいい」と喜んでくれて、それも嬉しかったな。
スミさん、私が溺愛している甥っ子に似ていたこともあり、すっかり叔母さん目線が入ってしまった私。「あれ食べてみて、これも食べて。子供がいるの?写真見せて、かわいい!」と煩い!
それでもスミさんは高校時代と変わらない穏やかな笑みを浮かべて私を受け容れてくれました。
私がもうすぐフランスに留学することもあっこちゃんから聞いていて、
「すごいよ、羨ましいな。オレもそれしたかったんだよ。INSEADも見てたんだ。でも、銀行がニューヨーク行けっていうから諦めたんだ。オレの分も楽しんでほしい」
と言われました。その率直な言葉が、すごく嬉しかった。私達は同志なんだ、と思いました。同じ時代を生きて抜くためにもがいている同志。

高校時代は、誰もがそうであるように、私も不安定なところがありました。自信がないから男子とは上手く交流できず、その上時折尖ったことを言うから、ちょっと距離を置かれていたと思います。
それが、時を経て、スミさんと再会し、高校時代に戻ったかのように話が出来て嬉しかった。
「うん、頑張ってくる。すみさんの分も楽しんでくるよ」
と答えました。

別れ際、すみさんは、大きな笑顔でもう一度、「応援しているからな」と送り出してくれました。あの時のすみさんの大きな白い歯、今も目に浮かびます。

9月11日、私はパリにいました。
あのニュースを見たときは、現実と繋がらず、私がまだニューヨークにいると思っている旧友らからの「大丈夫だよね?」というメールで、逆に、ニューヨークにいる家族・友人らが心配になったくらい、茫然としていました。

そんなとき、あっこちゃんから、すみさんの訃報を受け取ったのです。
まず同僚達を脱出させて、と活躍したそうです、すみさん。

当時もショックでしたが、何故か今年は一段とすみさんに想いが行きます。

運命って意味があるのかしら。
すみさんが若くしてこの世を去らなくてはならなかった、その意味は永遠に分からないけれど、
私とすみさんがあの時に接点を持ったこと。あれはどんなメッセージを持っているのだろう。
今日はそんなことを考えています。

すみさん、生きていたら、きっと穏やかで優しいおじさんになっていたに違いありません。
すみさんは、イタリアが大好きだったので、サルディニアに行ったこととか、話したかったな。

あの日の犠牲者の方々と残されたご家族の方々の鎮魂を心よりお祈り申し上げます。Love&Peace