2013年9月5日木曜日

化石のように

みなさま、お元気でらっしゃいますか?
フランスでは2カ月もの長い夏休みが終わり、子猿たちも無事に新学期を迎えています。
ちび猿は今年から小学生1年生にあたる、CP。兄猿は3年生にあたるCE2です。
日本で買ったリュックサックをランドセル代わりにしたのですが、身長120センチのちび猿が大人用のリュックを背負った後ろ姿は、まるでリュックが歩いているみたいです。それでも、大人用でないと入りきらないほどの教科書、ノートを持ち帰ってきますので、慣れてもらうしかありません。

私はというと、また本の世界に入っていました。
今週はこの本、

「化石」という井上靖の本です。1965年より新聞の連載小説として書かれたそう。

アマゾンには、「社用と保養を兼ねたヨーロッパ旅行で思いがけず十二指腸癌の病魔のため余命一年と宣告され、一切の希望を断たれた中年実業家。迫りくる死と向かい合うきびしい孤独を描く問題長編」とありますが、私には、この「厳しい」という言葉を外した「孤独」、普遍なる人間の孤独を書いたものだと思いました。「孤独」という言葉に修飾語はいらない。

映画にもなっていたようで、マルセラン夫人という、フランスの富豪と結婚している日本人女性を岸恵子さんが演じられたというのはイメージにピッタリ。見てみたいなぁ。佐分利信という役者さんも井上靖に似ていていい感じですし。

というのは、この話、私てっきり井上靖の体験から生まれた半ば私小説だと思っていたのです。それくらい、死を宣告された後の、揺れる気持ちや研ぎ澄まされていく精神がリアルに描かれているのです。ところが実際には、この小説を書かれた二十何年か後にガンになり闘病3年にしてこの世を去られたようですから、これは完全なるフィクションか……。すごいなぁ。

ある日は絶望に、ある日はふと見かけた夫人に希望を見る。またある日は見知らぬ老人の姿に涙が止まらなくなるほど感傷的になる。死んでもいいと思ったり、まだ生きたいんだ!と強く思ったり、という心の移り変わり。また「人間は死ぬときになって、『自分の人生は失敗だった』と認めたくないものなんだ」と「認める」ところなど、読んでいる側は、なんて人間って人間臭いんだろう、って人間というものに愛情愛着がぐわんぐわん湧いてきて、759ページもあっという間に読み終えてしまいます。

また「化石」と言うタイトルもいいな、と思いました。

実際にそうなのか、知りたいところですが、T会館……東京會舘のことでしょうか、のロビーは大理石で作られていてサンゴ礁の化石が混じっているそうです。そこにいると、サンゴの化石の林の中にいるような気になって気持ちが落ち着くという下りがあります。
太古からの流れの中で人は生きて死んで、もしかしたら新しい生命として生まれ変わっていく。そういう時の流れの中に今死にゆく自分がいるというのを想像してみたら、確かに雄大な気持ちで死を受け止められるような気がしました。

もう一つ、自分の備忘録のためにも「いい」と思った文章を書き記します

「その女性の身近いところに自分を置くことだけで、永遠なものに触れ、充実した安息感を覚え、満ち足り、そしてそこに迫っている死さえ、たいして怖くなくなるのだ。愛というものは、本当はこういうものではないのか。」

読んでいるだけで、こちらにも安息感が伝わって来て、いいな、と思ったのです。

さてさて、我が家のテラスにて、またテッセンが咲きました。5月に満開したのが、8月に一輪、そして今日一輪気まぐれに花ひらいた。

オマケよ、って言ってるみたいじゃない?
なんだかうれしいものです。
どうぞ良い日、良い週末をお迎えください♪


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