(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう
これは伊藤静雄という方が書いた詩の一節だそうです。大江健三郎氏の「僕が本当に若かった頃」の冒頭に出てきました。大江氏の難解な文章を斜め読みして、「あぁ、こういうことを詠った詩なのかな」と思い出したのは、先日、手に戻ってきた中学の時の卒業アルバムのことです。
うちは昔から引っ越し家族でして、私も独立してからもそのDNAを発揮し、転々としてきました。そして引っ越し料金をケチって、多くのものを見捨ててきたのです。なので、卒業証書やアルバムなど、遠い昔に失くしている。それを、父が亡くなり身辺整理をしていた母が見つけてくれました。おぉ、目黒区立第八中学校、懐かしい、忘れてた!
それが、開いてみるとびっくりするほど全てが蘇ること!全部で160名いた同級生達の顔と名前、あだ名、何部にいたか、とか、どこに住んでいたとか、全部(ほんとか?)思い出せる。修学旅行の写真では、法隆寺は覚えていなかったけれど(ほらね)、清水の舞台に立った時の驚き、その時に料亭で食べたお弁当の、ひょうたん型に抜かれた炊き込みご飯の味など、鮮明に覚えている。
この伊藤氏の詩は「老人の詩」というタイトルだそうです。
大意は幼いとき、若いときのことをすっかり忘れて老人になっているのに、ここにあるのは私の魂だ、なんていえやしない、ということかと理解したのですが、どうでしょう、ちがったかな?
もし私の理解でいいのなら、これはまさに私かな、って思ったのです。だって、こんなに深く刻印された中学の想い出達を普段はまるっきり忘れて生きてきたのです。じゃぁ、私は誰なのよ!って、愕然としました。
アルバム、末尾のブランクページには何人かのサインがありました。大きく書いてもらったのは、誰だろう、と考えること5秒、そうか、欽どこファミリーのタマエちゃんこと高橋真美ちゃんか!芸能人っぽいサインだもんね。彼女とは小学校からの同級生だったっけ。
あと、大好きだったマー坊からの一言には驚き。そののち、大人になってから何回も言われたことのある私の印象を述べ、「高校に行ってもその性質をくずさないように」と願ってくれています。当時は元気でユーモア一杯の普通の中学生だと思っていたマー坊が、既に将来の私のキャラを把握していたことに30年近く経って気づくなんて。マー坊スゴイ。君の願いを裏切っていないといいなぁ。
……どうか皆が元気に幸せに生きていますように。
あぁ、私の魂よ。
大急ぎで、私の魂を築いてきた瞬間達をかき集めてみます。
子供の頃にかいだ雨上がりの匂い、友人と親の介入なしで、二人っきりで作って大成功だったみたらし団子(レベル高いでしょ?)、叔母のうちで作ったドーナツ型コロッケ、お正月の小さな集まり、冬の朝の冷たさ、歩道橋から見えた富士山、海外でのこと、家族との想い出
……これらを忘れないで暮らす、そういう生き方をしたい、いや、しなくちゃですね。
最期のときに、
「ここにあるのは私の魂と言へる、その証拠を見せてあげる」
そういうヒトにワタシもナリタイ、そんなことを思った金曜日です。
どうぞ良い週末をお過ごしください♪