2020年9月23日水曜日

翼をひらくとき


つばさ初版

 初めて小説を書いたのは、今から11年前のことです。

読書が好きで、中でも小説が好き。ずっと読む側でしたが、夫が小説を書くこともあり、あるとき、私も書いてみようかしら、と思い立ち書いてみた、それが、この「翼をひらくとき」の第三話「シャルトルへ」です。

こんな風に言うと、「まあ、そういう書籍があるのね」と思われるかもしれません。いえいえ、上の写真の通り、手作りの小冊子があるばかり。

11年前に書いたときは、タイトルは「アラフォー・スチュワーデス物語」。実にライトに命名しましたっけ。
というのは、この短編集は、アラウンド30~50代のキャビンアテンダント達がヒロインなのです。七人のCAさんが主人公の、七話の短編集。各ストーリー、彼女達がターニングポイントに立ち、舵取りして進んでいく、そんな心のジャーニーを書いています。

初めての小説でしたが思いのほかサラサラと書き上げました。自分に文学的な感性や想像力が足りないということは哀しいほどに分かっている。だから気負いもなくて、友達に「職場にこういう人がいてさ、」と話しているような気楽さで書いたのです。
初めに「シャルトルへ」、その次は「ウィーンにて」、続いてロスが舞台の「風ニナリタイ」、と思いつくままに書くこと全7話。

こうして初めて書いた小説、少し経った頃に再度読んでみたら、もう唖然。そして自分の力量不足に愕然、でしたよ。
でも、それ以上に、ページの中のヒロイン達に「ごめんね、酷いよね」という申し訳なさを感じてしまって、手直し……というか書き直しです。

例えば「シャルトルへ」の早紀子。自分にも他人にも厳しいキツい性格と言う設定なのに矛盾がたくさん。
「早紀子はこういうときに、こういう笑い方しないよね」
「いや、待てよ。早紀子はそういう考え方しないか」
……こんな風に、早紀子の人格に入り込んでああでもない、こうでもない、と筆を入れまくり。

このように書き直すことが、この11年の間に幾度もありました。
初めて書いたときは42歳。
感動の味は知っている。涙の味も知っている。孤独だって覗いてしまったもの、知っていますとも。……と、そんな自信を持って書いたけれど Mais non!
書き直す度に、「分かっているつもりで分かってなかった、見えているつもりだったけど見えてなかった」と気づくことが多いこと! 

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さて昨今。
空の旅がままならなくなってしまいましたね。
今までは自由に旅のプランを立てられたのに、それを奪われてしまって何か悔しいな、と思っていると、
「でもさ、心の自由は自分のものよ。脳内ジャーニーはできるじゃない」
という声が。

早紀子達の声でした。
久しぶりに会う「早紀子」、前よりもっと深い悲しみを抱えていました。
「依子」は前より疲れていました。「ゆき恵」は崖っぷちにさらされていました。「薫」は、「マリエ」は……。
私も年を重ね、ヒロイン達の心のひだの一つ一つに入っていける、そういうタクティクスを少しは会得したのでしょうか。前回書き直したときより、踏み込んだ描写ができたような気がしています。
(ーーなんてね。本当のところは、忙しいのに私の悪文を読み込み批評してくれる友人らのコメントを反映したからです。Special thanks to 小雪!)

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この度はパリでワインサロンを主宰されている友人が、生徒さん向けに貸し出し文庫を作られる、と言うので、図々しく、早紀子達のストーリーを置かせて頂くことに。
タイトルも、今度は真面目に考えて、「翼をひらくとき」にしました。
せっせとプリントアウトして、製本する作業も楽しかった!
手に取って頂けるといいな。そしてコメントを頂けるといいな。厳しくても大丈夫。人間日々精進ですもの。

きっとまた数年後には、早紀子や依子達と再会し、ページの中の彼女らから、「ねえ、ここ辻褄合ってないと思うよ」「ここの描写、不自然じゃない?」などと厳しいことを言われるのでしょう。

いつの日か、本当に「翼をひらくとき」が来て書籍となり、より多くの方に読んで頂ける日が来るといいな。
……そんな夢を見ています。

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こちらの書籍も、書店で見かけたら手に取ってみて下さいませ。

2020年9月11日金曜日

思い出に寄せて


 

その昔、ニューヨークで暮らしていたことがありました。

新卒以来働いていた全日空を退職し、ニューヨークに姉がいたので、渡米したのです。無計画で迷えるアラサーだった私。流れで4年ほどミッドタウンで仕事もしました。

最初は邦銀、その後米系の投資銀行部門へ移りました。この仕事運に喜んでいたのは束の間のこと。この世界では、私の日本の学歴や職歴は全く役立たないことを痛感しました。勉強嫌いなのですが、このままではマズい、と考え、MBA留学することに。
このように流されるままに、人生のコマを進めていますが、MBA留学が決まるまでも山あり谷ありでした。ようやくフランスにある、INSEADという経営大学から合格通知が来てからも留学費用を貯めるべく、ギリギリまで働いていました。2000年の夏のことです。

そんなときに、高校時代の同級生のスミさんがニューヨークに転勤で来ていることを知りました。たぶん、盟友あっこちゃんが繋いでくれたのだと思います。もうそのあたりは覚えていません。

私の高校はごく普通の都立高です。少子化前の世代ですので、各クラス40名はいたと思う。各学年8組までありましたから、一学年320名+。それでも、一年も過ぎると、学年の男子女子の名前と顔は一致できたのは若さゆえ、でしょうか。
スミさんのことは初年度から知っていました。鉛筆のように細く、ボタンダウンのシャツが良く似合う男子でした。国立校から来ただけあって、如何にも優秀そう。このように存在は目を引くのですが、穏やかで物静かな雰囲気で、ずっと好感持っていました。
でも、3年間クラスが一緒になることがなかったので、言葉を交わす機会もなく卒業しました。

「すみさんに連絡先上げていい?」
「もちろん、いいけれど、私なんかに会いたいかな」
高校時代に接点がなかったし、私のことメンドクサイと思っているに違いない。
「ううん、スミさん、すごく会いたいって言ってる」
「うん、じゃ、もちろん」
と答えつつ、すみさんは連絡しないかもな、と思っていました。

でも!
スミさんは、ちゃんとメールをくれました。早速「会おう」となり。
待ち合わせは、グランドセントラル・ステーションにある名物のオイスターバーに。私は牡蠣が食べられないのですが、あそこの雰囲気が好きなのです。スミさんは、「まだ行っていないけど、行ってみたかった」と。

15年ぶりに会ったスミさんは、立派な青年になっていて、それがとても嬉しかった。誇らしいといっても言いかも。変ですよね、同級生なのに。
オイスターバーも、「いいなぁここ。すごくいい」と喜んでくれて、それも嬉しかったな。
スミさん、私が溺愛している甥っ子に似ていたこともあり、すっかり叔母さん目線が入ってしまった私。「あれ食べてみて、これも食べて。子供がいるの?写真見せて、かわいい!」と煩い!
それでもスミさんは高校時代と変わらない穏やかな笑みを浮かべて私を受け容れてくれました。
私がもうすぐフランスに留学することもあっこちゃんから聞いていて、
「すごいよ、羨ましいな。オレもそれしたかったんだよ。INSEADも見てたんだ。でも、銀行がニューヨーク行けっていうから諦めたんだ。オレの分も楽しんでほしい」
と言われました。その率直な言葉が、すごく嬉しかった。私達は同志なんだ、と思いました。同じ時代を生きて抜くためにもがいている同志。

高校時代は、誰もがそうであるように、私も不安定なところがありました。自信がないから男子とは上手く交流できず、その上時折尖ったことを言うから、ちょっと距離を置かれていたと思います。
それが、時を経て、スミさんと再会し、高校時代に戻ったかのように話が出来て嬉しかった。
「うん、頑張ってくる。すみさんの分も楽しんでくるよ」
と答えました。

別れ際、すみさんは、大きな笑顔でもう一度、「応援しているからな」と送り出してくれました。あの時のすみさんの大きな白い歯、今も目に浮かびます。

9月11日、私はパリにいました。
あのニュースを見たときは、現実と繋がらず、私がまだニューヨークにいると思っている旧友らからの「大丈夫だよね?」というメールで、逆に、ニューヨークにいる家族・友人らが心配になったくらい、茫然としていました。

そんなとき、あっこちゃんから、すみさんの訃報を受け取ったのです。
まず同僚達を脱出させて、と活躍したそうです、すみさん。

当時もショックでしたが、何故か今年は一段とすみさんに想いが行きます。

運命って意味があるのかしら。
すみさんが若くしてこの世を去らなくてはならなかった、その意味は永遠に分からないけれど、
私とすみさんがあの時に接点を持ったこと。あれはどんなメッセージを持っているのだろう。
今日はそんなことを考えています。

すみさん、生きていたら、きっと穏やかで優しいおじさんになっていたに違いありません。
すみさんは、イタリアが大好きだったので、サルディニアに行ったこととか、話したかったな。

あの日の犠牲者の方々と残されたご家族の方々の鎮魂を心よりお祈り申し上げます。Love&Peace

2020年9月7日月曜日

フランスの今② Withコロナのバカンスを経て

 


すっかり秋めいてきたベルサイユよりボンジュール!

フランスでは、学校が9月から新学年が始まることもあり、今週は明るい雰囲気が街中に漂っていました。
拙宅は、5校の学校が徒歩圏内にあり、毎朝コーヒーを淹れながら、子供達や若者らが、以前と変わらない明るい顔で通学する姿を、ほっとしながら、でもどこか夢の中の光景を見ているような、そんな気持ちで眺めています。

というのも、フランスのコロナの感染者数は増加していて、9月4日の発表では一日で9千人近くの方々が感染されたとのことです。フランスの人口は、ざっくり日本の半分です。ということは……です。新学期だからといって本当に通学させて平気なのかな、と少し心配。

フランス政府も第二波(と呼んでいいでしょう)は致死率が低いので、静観しているところがあります。
とはいえ、新学期一週間目にして、すでに22校にて感染者が出たため、一時閉鎖しているとか。この先どうなるのでしょう。

以下のグラフは、こちら Worldometers.infoより。フランスの日々の新規感染者数です。このサイトは、分析もしっかりされていて本当に助かります。

無題

この急増の理由は、バカンスが一つの理由でしょう。
私の印象としては、この夏も、フランス人はしっかりバカンスを楽しんでいたように感じます。
もちろん、大陸間移動はせず、国内や欧州圏内と、距離的にはこぢんまりしていました。
でも例えば、次男のボーイスカウトのキャンプは野営ということもあり、通常通り実施されましたし(それも3週間と長期間!)、ノルマンディやブルターニュのビーチに行けば、いつも以上に混みあっていました。

私は、「コロナ禍なのにバカンスに行く」ということが悪いとは思っていません。これから最低でもあと一年はコロナと過ごすことを考えると、上手に息抜きする必要はあると思うのです。

実は私達も、この夏、ビーチで一週間弱を過ごしましたが、バカンス=感染する、ではないんだな、と実感しました。海辺では人ごみを避け、人通りがあるところと室内ではマスクをし、手洗いを慣行していればそれなりに防衛できると再確認しました。

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サルディニアで少し自信をつけたこともあり、八月の終わりには、ベルサイユ宮殿、ルーブル美術館、そしてオルセー美術館を訪れました。ずっとこういう場所は避けていたのですが、何か勿体ない気がしてきたのです。

それでも毎回前夜に「感染者数が激増!」というニュースに、「行くべきか、取りやめるべきか」と悩みました。その度に「そんなこと言って、じゃあこれから二年、どこにも行かずに過ごすの?」と自分に問い掛け、決行することに。

どちらも、事前にインターネットでチケットを購入し、見学時間帯を予約する必要があります。
予約制だから人口密度をコントロールしてくれている、空いているって聞くし、と信頼することにしたのですが……。

ベルサイユ宮殿は、結構密だったのですよ!

この写真、左が本物の鏡の間です。下の部分のたくさんの頭にご注目を!
混んでいるでしょう?
一方、右の写真は、ベルサイユとパリを繋ぐ郊外電車RER C線の車内です。ベルサイユ宮殿仕様になっているのです。オルセーに行くときに乗りましたが、こちらはがら空きでした!

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いつものベルサイユ宮殿に比べたら少し空いているのかもしれませんが、「ちょっとちょっと!」と思いましたね。大ざっぱで、がめついところもあるフランス人だから、ソーシャルディスタンスをちゃんと計算せず、予約を受け容れているとみました。
しょうがないので、混んでいる部屋はささっと通り抜けるように心がけました。
大小トリアノン宮はがら空きですので、私はそちらを勧めます。

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一方、オルセー(↑こちら)とルーブル(ニケ像の写真を見て下さい)は確かに空いていて、ほっとしました。
どちらへも、電車とメトロを使っていきました。

マスク着用し、ラッシュアワーを避け、水、消毒ティッシュを持ち、三十分に一度は消毒。お昼はサンドウィッチを公園で食べて、と人ごみを避ける戦略で行きました。子猿達にティッシュを渡す度に、「またぁ?」と嫌がられましたが、最後の方はコメディのコントのよう。
いつか、チャップリンの「○×狂時代」シリーズのように、「『コロナ狂時代』のとき、ママが消毒マニアになってたね」と笑う時が来るに違いありません。

ちなみにマスクは、パリ市内は外でも着用義務あり。わがベルサイユ市はまだ屋外での着用は義務化されていませんが、自主的にしている人が多いです。

ここまでは、勇気を持って、バカンスも、美術館見学も決行してきましたが、今後、状況によってはキャンセルせざるを得ないこともあるかもしれません。そういう「勇気」も大切。
政府が提示するルールに添うというのは、もちろんですが、丸呑みするだけではダメだと思う。
行動していい、と言われていても、危ないと思ったら、家でジッとする。大丈夫だと思ったら慎重に行動する。
フランスの、義理家族や友達と話すと、同じように考えている人が多いように感じます。
以上、フランスのWithコロナについてレポート致しました。
皆さんの暮らしについても教えて下さいね。

どうぞStay safeで!!