2021年9月10日金曜日

喪失について


 

今朝、大失態を犯してしまいました。まだそのショックの中にいます。わが家のアンティークの置き時計を壊してしまったのです。

この度、暖炉の上の壁面に鏡をはめ込むことにしたのですが、職人さんが来る前に、その大きさを決めようと、ああでもない、こうでもない、と鏡代わりの薄い板を夫といじっていたところ、それが倒れて、マントルピース上にあった置き時計が床に落ち、壊れてしまったのです。

すでにひびが入っていた置き時計だったので、見事に木っ端みじんに飛び散りました。そのショック。心臓が痛いまでにズキッとして、さーっと何かが引いていく。一瞬、心の中が真空状態になったかのようでした。

これが喪失感というやつか、と思いながら、ふと、先日読んだ、石井麻依氏の『貝の続く場所にて』が呼び起こされました。
ドイツの幻想的な街に住む仙台出身の「私」が、震災で失った人への想いを昇華していく道行きが描かれている、と理解しましたが、それで合っているかな。
「言う」「聞く」「思う」といった動詞すらも暗喩で表現する濃厚な文章を追ううちに、震災や病で失われた命に宿っていた記憶たちの声が聞こえてくるようでした。(と、私も下手な比喩を使ってみる)
物語の途中、ドイツの森に、杖、縫いぐるみ、壊れたガラス細工、貝殻といったゴミが現れる、という下りがあり、いやでも津波が去ったあとの東北地方太平洋沿岸部が目に浮かびます。そういった「ゴミ」の一つ一つに、誰かの記憶が宿っているというのは、10年前のあの光景を見た人なら知っていること......。胸が掴まれたような苦しさを覚えました。

私も、今朝、置き時計の破片を拾いながら、そんな記憶に思いを馳せました。夫の祖母のものだった、と聞いています。どんな時を刻んできたのでしょう。それが、今朝、止まった。ごめんね、ごめんね。

それにしても、ものが壊れる、なくなるというのは、実にあっという間なんだな、と、今朝の小さな事故で知りました。あっ、と思った次の瞬間には、粉々に壊れている、という。何か、人生の教えを賜ったのではないか、と考えたり、同時に、この置き時計は夫のものでしたが、いつの間にか、私の中で「私達のもの」と認識が変わっていたことに夫婦というものを感じたり、失ってしまった哀しみを噛みしめると同時に、あまりの木っ端みじんな終わり方に、さばさばする気持ちもあったりと、色々なことが頭を巡っています。

そんな今朝の心のスクリーンショット。
波は続いていますが、Life goes on. 
買い物にも行かなくてはなりませんし、取り敢えず、コーヒーでも淹れることにします。
読んでいただき、感謝しつつ、
Allez, bon weekend!!

追伸:石井麻依氏の『貝の続く場所にて』は、今年の芥川賞の受賞作です。同時受賞の、李琴峰氏の『彼岸花の咲く島』も読みました。どちらも、物語性があって、個性があって、素晴らしかったです。