2013年4月8日月曜日

子育てって難しい

このところ、気づくと子猿達を急き立てる発言が多い母猿です。
少しでも子猿達が遊んでいるのをみると、
「ピアノやった?」
「音読(日本語補習校の宿題)やろっか」
「フランス語の宿題、終わったの?」
「ひらがなやる?」
「ポエジーは?(小2の兄猿は週1のペースで詩を暗記しなくてはいけないのです)」
エトセトラ、エトセトラ。これが一回言うならいいのですが、子猿達は聞こえてんのか、聞こえてないのか、3回以上言って、4,5回目にやっと心の耳に届くという、不思議な聴覚を持っているので、もう本当にいつも「何々やった?」と急かしているのです。

本当はこうしたくないんだけど、フランスの学校は一日が長い上、今は仕事しているので学童にもおいてて、そうなると帰ってくるのが7時近く。それからお風呂入れたら夜ご飯、ご飯食べたらもう寝る時間です。
なので、その間あいだにある5分をも惜しんで、「ピアノ!」「ポエジー!」ってなっちゃう。

多くの日仏家庭なりバイリンガル家庭は似たようなものなのではないでしょうか。子供の学年が上がるに連れて、日本語教育に割く時間をキープするのが難しくなるという。

私のピアノと日本語教育のモーティベーションは、自己表現するツールを沢山持たせたいという親心からなのです。

英語と日本語、それぞれの言語で、本を読むとき、音楽を聴くときなど、その言葉でないと表せないニュアンスがあるなぁ、と確信しています。

NYで働いていたときなど、このストレートな表現は英語でこそやっていいこと、英語だからこそ伝えられる自分の気持ちなんだな、と思ったことがあります。
日本語に至っては、井上靖のシンプルでストレートなあの散文詩を他言語に訳することは不可能だろうな、と思うのです。日本語で、シンプルでストレートであるがゆえに厳しさとか、凍てつくような冷静さなどが伝わる、でもそれを例えば、英語にしたら当たり前の叙景的な文章になるだろうし。

子猿達が自分が思うことを余すところなく表現できたら、たとえ表現しなくても、自分の中で認識できたら、生きていて少し楽なのではないか、と思うのです。

で、音楽。
音楽で自己表現できたらいいな、ってきっと多くの人が思っていることですよね。
私も時おり、ギターを抱えて、何かメロディーを探しますが、全然ダメなの。せめてその時の気持ちにあった知ってる曲を弾ければいいのですが、それすらもできません。

兄猿は、ときおり、フラーッとピアノの前に座って、適当に指を動かしています。毎回思いつきのメロディーですが、割ときれいなメロディを奏でます。2,30分もそうすると、すっきりするのか、次の遊びに移る。ストレス解消なのか、暇つぶしなのか。でも、この行動にちょっと憧れる母猿です。
ちび猿は、楽しくなると学校で習った歌を歌ったりしています。その気持ちはよくわかる。私も今でも晴れた日などは「丘を越え、行こうよ、口笛ふきつーつ♪」と歌ってたりするもの。

彼らが思春期などになって、言葉にできない思い、フラストレーション、はやる気持ち、希望などをピアノでもギターでも通して表現できたら、いいのではないか、と思うのです。そのために、私のようにギターを抱えたけど、指をどこに置いたらいいのか、と こんがらがっちゃうことがないよう、ピアノで基礎を植え付けようとしているのです。男の子は口下手が多いから、音楽というツールも持てたらいいのでは、とお節介に思っている母猿なのです。

こんなに子猿思いで、クリエイティビティーを奨励したいと思って母猿なのに(お涙頂戴!)、現実は、教育ママゴンが如く、いつも急かして、急かして。「早く食べて!」「おしゃべりしないで!」「歯磨きして!」「靴履いて!」「ピアノ!」「宿題!」ってね。これじゃ、本来育つコミュニケーション能力も、クリエイティビティーも刈り取っているようなものですよね。
あぁ、何とか折り合う点を見つけなくては、です。

バイリンガル教育の研究をしている中島さおりさんがアンケート調査に答えて下さる方を探しています。フランスで子育てをしている日本人の親御さんが対象のようです。お子様に日本語教育をしている方、していない方、共に対象です。もしよろしかったらご協力してくださいませ。
詳細は、さおりさんのブログを見てください。

では、明日からまた一週間、頑張りましょうね!