野生のオーキッド |
先週のブルターニュを加えると延べ一週間の義理両親との滞在は、若干の山も谷もありましたが、夫の仕事の都合で、急遽予定より早く滞在を切り上げることになったのはよかった。
ちょっと「腹八分目」くらいででバカンスを終了する方がいいものよね。これくらいの方が、私もココロが後でガザガサにならないし、みんな再会が楽し待ち遠しくなるってもの。(ホント~?)
野原はパクレット(この白い小花)で緑と白の絨毯みたいでしょ? |
春分の日以来、フランスの陽はずんずん伸びていて、8時過ぎてもまだ夕暮れ。日没寸前の、田園の緑が冷んやりとした蒼い空気に包まれていて、自然と落ち着いた気持ちになれるひと時です。
こんなときは、会話よりも、静かにしていること一番自然。
車の中、子猿たちも窓の外を見ながら、珍しく一言も発しません。
そんな中、私はさっき読み終わった、井上靖の「満ちて来る潮」について考えていました。
井上靖は歴史小説や自伝的小説で知られていますが、結構な量の現代モノも書いている。その一つがこの「満ちて来る潮」。
この要約が合っているとも思わないのですが、あらすじはこのリンクをご参照ください。
リンクに行くのがメンドクサイ方のために、この500ページ近い長編を超短くまとめると……
背景は高度成長期の50年代後半。
ゆとりある中流階級で育った美しい苑子は、見合い結婚で開業医の妻として暮らしているが、何か満ち足りないものを感じている。そんなとき、偶然知り合ったダム建設に情熱を燃やす紺野と道ならぬ恋に落ちるが、紺野が最後になって躊躇し、別れることに……。苑子は絶望して自殺未遂を図る。ラストシーンでは一命を取り留めた苑子が意識を取り戻す中、自分の中に潮が満ちてくるのを実感して終わる。
初めて読んだときは、「なんだ、不倫の話か」と思ったのですが、今回読み直してみて、もっと深い話だと思いました。
苑子という女性は「目覚める」機会なく大人になったが、持って生まれた知性のせいか、何かが違う、と直感的に感じている、まだ自分の人生を歩んでいない、と知っている。
それが紺野に恋することで、目覚め、別れることで、絶望を知り、「この悲しみは私だけのもの。誰も知らない、わからない」と考えるうちに、底知れない「孤独」というものを知った。それで、ついつい、死ぬという道に誘われたが、意識を取り戻す。
「孤独」を知ったことで、初めて「生きる」ことが可能になる、これから苑子は本当の意味で自分の人生を生きることになる……そういう風に解釈したのです。
読み終わったときは、ラストシーンの「苑子は自分の中に潮が満ちてくるのを感じて涙流す」というくだりが、苑子がこれから充実した人生を始めることを表しているのか、逆に人生の意味を悟って死ぬということなのか、わかりませんでしたが、車が薄暗い緑のトンネルをくぐる中、ふと、パズルの最後のピースをはめ込んだ時のように、全てが見えたのでした。
井上靖の小説全てに通じるのはこの「孤独」だと思います。
「孤独を背負って生きるのが人の宿命ならば、めそめそせずに、爽やかに、厳格に、ときには繊細に生きようぞ」
という、そんなヒーロー、ヒロインの生きざまストーリを聴かせてくれる作家さんだったのだと思います。
……すごーくどうでもいいことですが、この手の精神的自立を歌ったと思われる、ホィットニー・ヒューストンの「The Greatest Love of all」、大学生の時に何回も聴いたナ。
この歌を見事に歌い上げた彼女が薄倖な死を迎えたことは何という残酷な現実なのでしょうネ。
イースターを祝うテーブルセッティング、by義母 義母のイースターに関して、伯爵夫人のマナーブックにアップしています。 |
こんな風に、自由に想いを巡らせていると、「そういえば」と自分のことを思い出します。
初めて、「人って一人なんだぁ」と認識したのは、思春期たけなわの頃でした。
ある午後、家で窓をみながら、突然、そんなことに気付いたのです。
別に本を読んでいたわけでも、引き金になる事件があったわけでもないのですがね。
ふと、
「……ってことはサ、人って『一人』なんじゃん。親がいても、結婚したとしても詰まるところは一人なんだ」って気づいて、知らぬ間に涙がぽろぽろ流れ落ちていました。
きっと何かのコンテクストがあって、こういう結論にふっ、と辿り着いたのだと思うけれど、残念ながら詳細は思い出せません。
そのあと……
これが私のいいところでも悪いところでもあるのですが、あんまりこのことを考えていると身体によくない、と思って(たぶん、メンドクサカッタのだと思う)突然、考えるのをやめました。その先に、まだ解かなくてはならない問題があるように思えなかった、というのも理由の一つです。
これが私が哲学者ではなく、一介の読書好きの主婦である所以なのでしょう。
その後、大学生になり、CAになった20代は、折角「一人なんだ」という事実に気づいたのに、残念なことに「颯爽と生きる」ことなく、逆に孤独病というか、さびしん坊に憑りつかれました。
これが結婚願望というのに繋がって、若い身空で生涯の伴侶を求めたという……。
折角気の合うボーイフレンドができても、「この人とは生涯を共にできないと思う」という、ホント、良く分からない理由で別れたり。
若かったんだから、もっと自由な気持ちでたくさん恋愛すればよかったな~。
今の私は、家族ができて、孤独の意味を忘れかけている。 「ちょっとだらしないじゃなかいか、君!」 ってね、井上靖読むたびに喝を入れてもらってる感じ |
もうすこしだけ、静かにしてよっか。
道も空いてたし、気持ちのよいバカンスの終わりでした。
今年のイースターチョコは、George Larnicolの カリメロもどき。子猿たちは頭をガブリ。 遅まきながら、Joyeuses Paques! |