本文と関係ない写真です。 |
「三四郎」を経て、「それから」を読み終えました。漱石の思想・世相観を詳細に語っているのに、読んでいる方は、それが三四郎と代助の考え方としか思えないのは、人物の設定がばっちりだからでしょう。とても巧いです。
それにしても「それから」における、漱石の日本の分析はまるで今を語っているようでその明晰さ・洞察の深さに感動します。
「最近は『不安』という言葉が良く使われ、社会現象のようだが、あいまいな言葉だ。西洋では不安の原因がはっきりしていて、ロシアであれば天候の具合、フランスは不倫が多いため、イタリアは無制限の堕落による自己欠損が原因で不安になる。日本の文学者のように(西洋のまねをして)なんとなく不安という言葉を使うのはよくない」というような一説がありました。
ほんとう、馬鹿よね、西洋かぶれしてかっこつけて「不安」なんていっているうちに皆本当に不安になっちゃって。
そして、今の日本の不安を問い正すと、西洋の不安全部が当てはまっているアイロニーに気づきます。
天候(地震・竜巻)の不安、「不倫が文化(容認?)」となっている不安は信頼とか愛とかの意味がわからなくなっちゃった不安ともいえる?堕落が原因かはわからないけれど、自分を見失い自信喪失しているがゆえの不安もある。
文明開化して近代化した結果がこれだとするとあまりにむなしいです。
そう、漱石、素晴らしいけれど、困るのは読み終わった後に悲観的になっちゃうこと。漱石自身がこういう風にいつも悶々と暗い方向で物事を考えている人だったとしたら、どんなにいい人だったとしても付き合いきれないですね。影響受けやすいから一緒にウツになっちゃうわ。
漱石のご夫人は強烈なキャラクターの人だったらしいけれど、そりゃ、そういう人でないとやってられなかったと思う。
「門」はもっと暗かったように記憶していますので、時間を開けてから読もうと思います。