2020年9月23日水曜日

翼をひらくとき


つばさ初版

 初めて小説を書いたのは、今から11年前のことです。

読書が好きで、中でも小説が好き。ずっと読む側でしたが、夫が小説を書くこともあり、あるとき、私も書いてみようかしら、と思い立ち書いてみた、それが、この「翼をひらくとき」の第三話「シャルトルへ」です。

こんな風に言うと、「まあ、そういう書籍があるのね」と思われるかもしれません。いえいえ、上の写真の通り、手作りの小冊子があるばかり。

11年前に書いたときは、タイトルは「アラフォー・スチュワーデス物語」。実にライトに命名しましたっけ。
というのは、この短編集は、アラウンド30~50代のキャビンアテンダント達がヒロインなのです。七人のCAさんが主人公の、七話の短編集。各ストーリー、彼女達がターニングポイントに立ち、舵取りして進んでいく、そんな心のジャーニーを書いています。

初めての小説でしたが思いのほかサラサラと書き上げました。自分に文学的な感性や想像力が足りないということは哀しいほどに分かっている。だから気負いもなくて、友達に「職場にこういう人がいてさ、」と話しているような気楽さで書いたのです。
初めに「シャルトルへ」、その次は「ウィーンにて」、続いてロスが舞台の「風ニナリタイ」、と思いつくままに書くこと全7話。

こうして初めて書いた小説、少し経った頃に再度読んでみたら、もう唖然。そして自分の力量不足に愕然、でしたよ。
でも、それ以上に、ページの中のヒロイン達に「ごめんね、酷いよね」という申し訳なさを感じてしまって、手直し……というか書き直しです。

例えば「シャルトルへ」の早紀子。自分にも他人にも厳しいキツい性格と言う設定なのに矛盾がたくさん。
「早紀子はこういうときに、こういう笑い方しないよね」
「いや、待てよ。早紀子はそういう考え方しないか」
……こんな風に、早紀子の人格に入り込んでああでもない、こうでもない、と筆を入れまくり。

このように書き直すことが、この11年の間に幾度もありました。
初めて書いたときは42歳。
感動の味は知っている。涙の味も知っている。孤独だって覗いてしまったもの、知っていますとも。……と、そんな自信を持って書いたけれど Mais non!
書き直す度に、「分かっているつもりで分かってなかった、見えているつもりだったけど見えてなかった」と気づくことが多いこと! 

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さて昨今。
空の旅がままならなくなってしまいましたね。
今までは自由に旅のプランを立てられたのに、それを奪われてしまって何か悔しいな、と思っていると、
「でもさ、心の自由は自分のものよ。脳内ジャーニーはできるじゃない」
という声が。

早紀子達の声でした。
久しぶりに会う「早紀子」、前よりもっと深い悲しみを抱えていました。
「依子」は前より疲れていました。「ゆき恵」は崖っぷちにさらされていました。「薫」は、「マリエ」は……。
私も年を重ね、ヒロイン達の心のひだの一つ一つに入っていける、そういうタクティクスを少しは会得したのでしょうか。前回書き直したときより、踏み込んだ描写ができたような気がしています。
(ーーなんてね。本当のところは、忙しいのに私の悪文を読み込み批評してくれる友人らのコメントを反映したからです。Special thanks to 小雪!)

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この度はパリでワインサロンを主宰されている友人が、生徒さん向けに貸し出し文庫を作られる、と言うので、図々しく、早紀子達のストーリーを置かせて頂くことに。
タイトルも、今度は真面目に考えて、「翼をひらくとき」にしました。
せっせとプリントアウトして、製本する作業も楽しかった!
手に取って頂けるといいな。そしてコメントを頂けるといいな。厳しくても大丈夫。人間日々精進ですもの。

きっとまた数年後には、早紀子や依子達と再会し、ページの中の彼女らから、「ねえ、ここ辻褄合ってないと思うよ」「ここの描写、不自然じゃない?」などと厳しいことを言われるのでしょう。

いつの日か、本当に「翼をひらくとき」が来て書籍となり、より多くの方に読んで頂ける日が来るといいな。
……そんな夢を見ています。

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こちらの書籍も、書店で見かけたら手に取ってみて下さいませ。

2020年9月11日金曜日

思い出に寄せて


 

その昔、ニューヨークで暮らしていたことがありました。

新卒以来働いていた全日空を退職し、ニューヨークに姉がいたので、渡米したのです。無計画で迷えるアラサーだった私。流れで4年ほどミッドタウンで仕事もしました。

最初は邦銀、その後米系の投資銀行部門へ移りました。この仕事運に喜んでいたのは束の間のこと。この世界では、私の日本の学歴や職歴は全く役立たないことを痛感しました。勉強嫌いなのですが、このままではマズい、と考え、MBA留学することに。
このように流されるままに、人生のコマを進めていますが、MBA留学が決まるまでも山あり谷ありでした。ようやくフランスにある、INSEADという経営大学から合格通知が来てからも留学費用を貯めるべく、ギリギリまで働いていました。2000年の夏のことです。

そんなときに、高校時代の同級生のスミさんがニューヨークに転勤で来ていることを知りました。たぶん、盟友あっこちゃんが繋いでくれたのだと思います。もうそのあたりは覚えていません。

私の高校はごく普通の都立高です。少子化前の世代ですので、各クラス40名はいたと思う。各学年8組までありましたから、一学年320名+。それでも、一年も過ぎると、学年の男子女子の名前と顔は一致できたのは若さゆえ、でしょうか。
スミさんのことは初年度から知っていました。鉛筆のように細く、ボタンダウンのシャツが良く似合う男子でした。国立校から来ただけあって、如何にも優秀そう。このように存在は目を引くのですが、穏やかで物静かな雰囲気で、ずっと好感持っていました。
でも、3年間クラスが一緒になることがなかったので、言葉を交わす機会もなく卒業しました。

「すみさんに連絡先上げていい?」
「もちろん、いいけれど、私なんかに会いたいかな」
高校時代に接点がなかったし、私のことメンドクサイと思っているに違いない。
「ううん、スミさん、すごく会いたいって言ってる」
「うん、じゃ、もちろん」
と答えつつ、すみさんは連絡しないかもな、と思っていました。

でも!
スミさんは、ちゃんとメールをくれました。早速「会おう」となり。
待ち合わせは、グランドセントラル・ステーションにある名物のオイスターバーに。私は牡蠣が食べられないのですが、あそこの雰囲気が好きなのです。スミさんは、「まだ行っていないけど、行ってみたかった」と。

15年ぶりに会ったスミさんは、立派な青年になっていて、それがとても嬉しかった。誇らしいといっても言いかも。変ですよね、同級生なのに。
オイスターバーも、「いいなぁここ。すごくいい」と喜んでくれて、それも嬉しかったな。
スミさん、私が溺愛している甥っ子に似ていたこともあり、すっかり叔母さん目線が入ってしまった私。「あれ食べてみて、これも食べて。子供がいるの?写真見せて、かわいい!」と煩い!
それでもスミさんは高校時代と変わらない穏やかな笑みを浮かべて私を受け容れてくれました。
私がもうすぐフランスに留学することもあっこちゃんから聞いていて、
「すごいよ、羨ましいな。オレもそれしたかったんだよ。INSEADも見てたんだ。でも、銀行がニューヨーク行けっていうから諦めたんだ。オレの分も楽しんでほしい」
と言われました。その率直な言葉が、すごく嬉しかった。私達は同志なんだ、と思いました。同じ時代を生きて抜くためにもがいている同志。

高校時代は、誰もがそうであるように、私も不安定なところがありました。自信がないから男子とは上手く交流できず、その上時折尖ったことを言うから、ちょっと距離を置かれていたと思います。
それが、時を経て、スミさんと再会し、高校時代に戻ったかのように話が出来て嬉しかった。
「うん、頑張ってくる。すみさんの分も楽しんでくるよ」
と答えました。

別れ際、すみさんは、大きな笑顔でもう一度、「応援しているからな」と送り出してくれました。あの時のすみさんの大きな白い歯、今も目に浮かびます。

9月11日、私はパリにいました。
あのニュースを見たときは、現実と繋がらず、私がまだニューヨークにいると思っている旧友らからの「大丈夫だよね?」というメールで、逆に、ニューヨークにいる家族・友人らが心配になったくらい、茫然としていました。

そんなとき、あっこちゃんから、すみさんの訃報を受け取ったのです。
まず同僚達を脱出させて、と活躍したそうです、すみさん。

当時もショックでしたが、何故か今年は一段とすみさんに想いが行きます。

運命って意味があるのかしら。
すみさんが若くしてこの世を去らなくてはならなかった、その意味は永遠に分からないけれど、
私とすみさんがあの時に接点を持ったこと。あれはどんなメッセージを持っているのだろう。
今日はそんなことを考えています。

すみさん、生きていたら、きっと穏やかで優しいおじさんになっていたに違いありません。
すみさんは、イタリアが大好きだったので、サルディニアに行ったこととか、話したかったな。

あの日の犠牲者の方々と残されたご家族の方々の鎮魂を心よりお祈り申し上げます。Love&Peace

2020年9月7日月曜日

フランスの今② Withコロナのバカンスを経て

 


すっかり秋めいてきたベルサイユよりボンジュール!

フランスでは、学校が9月から新学年が始まることもあり、今週は明るい雰囲気が街中に漂っていました。
拙宅は、5校の学校が徒歩圏内にあり、毎朝コーヒーを淹れながら、子供達や若者らが、以前と変わらない明るい顔で通学する姿を、ほっとしながら、でもどこか夢の中の光景を見ているような、そんな気持ちで眺めています。

というのも、フランスのコロナの感染者数は増加していて、9月4日の発表では一日で9千人近くの方々が感染されたとのことです。フランスの人口は、ざっくり日本の半分です。ということは……です。新学期だからといって本当に通学させて平気なのかな、と少し心配。

フランス政府も第二波(と呼んでいいでしょう)は致死率が低いので、静観しているところがあります。
とはいえ、新学期一週間目にして、すでに22校にて感染者が出たため、一時閉鎖しているとか。この先どうなるのでしょう。

以下のグラフは、こちら Worldometers.infoより。フランスの日々の新規感染者数です。このサイトは、分析もしっかりされていて本当に助かります。

無題

この急増の理由は、バカンスが一つの理由でしょう。
私の印象としては、この夏も、フランス人はしっかりバカンスを楽しんでいたように感じます。
もちろん、大陸間移動はせず、国内や欧州圏内と、距離的にはこぢんまりしていました。
でも例えば、次男のボーイスカウトのキャンプは野営ということもあり、通常通り実施されましたし(それも3週間と長期間!)、ノルマンディやブルターニュのビーチに行けば、いつも以上に混みあっていました。

私は、「コロナ禍なのにバカンスに行く」ということが悪いとは思っていません。これから最低でもあと一年はコロナと過ごすことを考えると、上手に息抜きする必要はあると思うのです。

実は私達も、この夏、ビーチで一週間弱を過ごしましたが、バカンス=感染する、ではないんだな、と実感しました。海辺では人ごみを避け、人通りがあるところと室内ではマスクをし、手洗いを慣行していればそれなりに防衛できると再確認しました。

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サルディニアで少し自信をつけたこともあり、八月の終わりには、ベルサイユ宮殿、ルーブル美術館、そしてオルセー美術館を訪れました。ずっとこういう場所は避けていたのですが、何か勿体ない気がしてきたのです。

それでも毎回前夜に「感染者数が激増!」というニュースに、「行くべきか、取りやめるべきか」と悩みました。その度に「そんなこと言って、じゃあこれから二年、どこにも行かずに過ごすの?」と自分に問い掛け、決行することに。

どちらも、事前にインターネットでチケットを購入し、見学時間帯を予約する必要があります。
予約制だから人口密度をコントロールしてくれている、空いているって聞くし、と信頼することにしたのですが……。

ベルサイユ宮殿は、結構密だったのですよ!

この写真、左が本物の鏡の間です。下の部分のたくさんの頭にご注目を!
混んでいるでしょう?
一方、右の写真は、ベルサイユとパリを繋ぐ郊外電車RER C線の車内です。ベルサイユ宮殿仕様になっているのです。オルセーに行くときに乗りましたが、こちらはがら空きでした!

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いつものベルサイユ宮殿に比べたら少し空いているのかもしれませんが、「ちょっとちょっと!」と思いましたね。大ざっぱで、がめついところもあるフランス人だから、ソーシャルディスタンスをちゃんと計算せず、予約を受け容れているとみました。
しょうがないので、混んでいる部屋はささっと通り抜けるように心がけました。
大小トリアノン宮はがら空きですので、私はそちらを勧めます。

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一方、オルセー(↑こちら)とルーブル(ニケ像の写真を見て下さい)は確かに空いていて、ほっとしました。
どちらへも、電車とメトロを使っていきました。

マスク着用し、ラッシュアワーを避け、水、消毒ティッシュを持ち、三十分に一度は消毒。お昼はサンドウィッチを公園で食べて、と人ごみを避ける戦略で行きました。子猿達にティッシュを渡す度に、「またぁ?」と嫌がられましたが、最後の方はコメディのコントのよう。
いつか、チャップリンの「○×狂時代」シリーズのように、「『コロナ狂時代』のとき、ママが消毒マニアになってたね」と笑う時が来るに違いありません。

ちなみにマスクは、パリ市内は外でも着用義務あり。わがベルサイユ市はまだ屋外での着用は義務化されていませんが、自主的にしている人が多いです。

ここまでは、勇気を持って、バカンスも、美術館見学も決行してきましたが、今後、状況によってはキャンセルせざるを得ないこともあるかもしれません。そういう「勇気」も大切。
政府が提示するルールに添うというのは、もちろんですが、丸呑みするだけではダメだと思う。
行動していい、と言われていても、危ないと思ったら、家でジッとする。大丈夫だと思ったら慎重に行動する。
フランスの、義理家族や友達と話すと、同じように考えている人が多いように感じます。
以上、フランスのWithコロナについてレポート致しました。
皆さんの暮らしについても教えて下さいね。

どうぞStay safeで!!

2020年8月20日木曜日

子育てについて

 

兄猿、ちび猿でお馴染みのわが愚息達、現在15歳と13歳。一歳半離れていて、日本だと年子になりますが、フランスの区切りだと2学年離れています。

この夏は、コロナが広がる前に、と、7月の中旬にイタリアのサルディニア島を訪れました。
巻頭と下の写真はサルディニア島で撮りました。透明度、素晴らしいでしょう? 
ちなみに島内のマスク着用率99%、その他のコロナ対策も徹底されていて感心しました。

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人が少ない海で、青魚のように泳ぐ子猿達を見ながら、母猿は頭の中で思い出アルバムをパラパラ。

この10年余り、色んな旅をしてきました。
海辺だけでも、ブルターニュ、コートダジュール、ノルマンディー、カタール、ハワイ島、オアフ島、湘南、葉山、伊豆、西表、琴引浜……。

友人の話やSNSで見かけた素晴らしい景色を見て、「うわぁ、私も子供のときにこういう自然を知っていたら、もっと感性豊かな人間になっていただろうな」と思ったら、次回の旅先はそこ、という。
好奇心が低く、面倒くさがりやの私にしては、色んなところに行ったものです。「母猿、エラい!」と、自分をほめほめ。

そうやって振り返ると、私の子育ては、「私が子供だったら……」という発想に駆り立てられているんだな、と気づきました。
「私も子供の時にこうして欲しかった、ぐすん」というのとは違うのです。自分の子供時代をやり直したい、というのでもない。
「もし今の私が子供だったら」、なのです。

私が子供だったら、たまには好きなだけピザを食べたいよね、とか、
私が子供だったら、たまにはとことん寝坊したいよね、と思うから、
子猿達にも時々そうさせて上げる、という感じ。

あと、
私が子供だったら、思いっきり走り回って、疲れ果てて一日を終えてみたいよね、とか、
私が子供だったら、地球の鼓動が聞こえそうな、そういう自然に触れたいな、と思うから、そういう体験をさせて上げる。

もちろん、教育的な「私が子供だったら」もあります。
私が子供だったら、今のうちに勉強する癖をつけておきたい。その方があとあと楽だから。
私が子供だったら、今のうちに倫理感を身に着けたい。その方が後々ブレ幅少なくて済むから。
私が子供だったら、人を虐めた、という経験を持ちたくない。後々後悔するから。
私が子供だったら、フランスとか日本とか、そういう枠組みを超えたところで将来を考えたい。子供のうちは可能性は無限だから。
私が子供だったら、将来のことを考えずに、興味が赴くままに好きなことをとことん追ってみたい。この先の世界がどうなるかわからないから。
エトセトラ、エトセトラ。

子育ての正解・不正解は、親が判断することではないので、私のやり方がどうこう言えません。

確実なのは、母猿たる私はかけがえのない時を過ごさせて貰っている、ということ。感謝の気持ちで一杯です。子育てを通して、子供時代をもう一度生きさせてもらっているようなところがあります。それも、私の場合は男子母ですので、未知の少年時代を疑似体験させて貰っているという。

こんなことを思うのも、兄猿に関してはあと3年、ちび猿は4年半で、子育て終了だからでしょう。
彼らが巣立つときは、「ああ、楽しかった、ありがとう!」と笑って送り出せる母猿でいたいです。

皆さんの子育てはどんな感じですか?
私と似ていますか?
それとも??
いつか教えてくださいね。

長文を読んで下さってメルシー・ボク-!
どうぞ引き続きStay Safeで。

2020年8月11日火曜日

フランスの夏②自然に寄り添う暑さ対策


暑中お見舞い申し上げます。

……もう立秋を過ぎたので、正しい挨拶は「暑中」ではなく「残暑」らしいのですが、日本もフランスも猛暑真っ只中。今週いっぱいは「暑中」の方がピンとくるのでこれでいっちゃいますね。

それにしても暑いですねぇ。
それでもフランスは、冷房が日本ほど普及していません。
最近になってこそ、「寝室用の冷房を買った」という方の声も聞くようになったけれど、私の周りではまだまだ少数派。
毎夏のように、カニクル(Canicule 熱波)が来るようになって久しいフランスなのに、何故普及しないのでしょう。

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一つには、カニクルは一週間くらいしか続かないことが多いというのがあると思います。酷暑も、トンネルの先が見えていると、耐えられるもの。
また、フランスの熱波はカラッとしているので日本の温度も湿度もという暑さと比べれば、ライト級と言えるのでしょう。

二つには、フランスは、外観に煩い、というのがあります。市やアパルトマンのルールで、空気孔を開けたり、外に装置をつけることを許さないところが多いようです。ブティックなどでも、大きめな空気清浄機のようなクーラーを使っているのを見かけます。

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フランス人は、クーラーなしで、どうやって暑さを凌ぐかというと、答えは明瞭。
都会を脱出して、海へ山へとバカンスに行くのです。
冗談ではありません。
フランス人のバカンスへの執着の強さは、異常なほど。よほど普段の生活がストレスフルなのかしら、などと考えてしまう。

政府も、今バカンス中断してロックダウンしろ、などと言ったら暴動が起きかねないと思って我慢しているのでは。(もしくは、自分がバカンスに行きたいから何も言わない、とか)
と言うのも、今や、コロナの新規感染者数はロックダウン中の4月下旬と同じレベル。海岸線の地方は特に感染者が多くなっています。

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暑さ対策に話を戻します。
都市でもバカンス先でも、やることは同じ。
朝、まだ涼しい間に窓を全開し、冷たい空気を家に取り込みます。そして、暑くなってくる前に(今朝だと9時頃)雨戸も窓も全て閉めるのです。うちは、雨戸の外にある、日除けも下げ、雨戸や窓が熱を室内に伝導するのをできるだけ避ける作戦です。

フランスの家屋は、鉄筋や石づくりのことが多く、昨今は、断熱素材を使うこと奨励されているので、この密閉作戦はそれなりに効果があります。

ただ、薄暗い、密閉した部屋で夕暮れが始まる七時頃まで、じっと過ごすのは気が滅入るもの。バカンスに出たくなる気持ちも分かります。

もしかしたら、パリの住宅に冷房完備がスタンダードになったら、バカンスに出る人が少なくなるかもしれませんね。

いやいや、頑固で、自然が大好きなフランス人のこと。夏は海へ、山へバカンスに出る! 家に居るときは閉めきり作戦を続け、じっと薄暗い中で過ごすんだ!と言い張りそう。

写真は、そんな閉めきった家の窓から撮りました。
いつもの景色も、窓から見ると物語のよう。
何か、自分の心の中を見ているような不思議な気分です。

晴耕雨読ならぬ、避暑内省? この午後は、自分の内側を散策してみようか、と思います。何か発見がありそうな予感。

皆様もどうぞご自愛されますように。

2020年7月27日月曜日

フランスの夏 ① コンセルヴ作り

フランスの、初夏の風物詩といえば、コンセルヴ作り。
コンセルヴ……長期保存できる、瓶詰やコンフィチュール(ジャム)のことです。

6月の終わり、もしくは7月のはじめになると、スーパーで、コンフィチュール用の、ペクチンが加えられたお砂糖が最前列に並べられます。
先日、買い出しに行ったときは、5キロパックの徳用サイズも出ていました。
それを見て、「もうそんな季節なのね」と、時の流れに想いを馳せて……

……なんてゆとりはありません!
特に今年は、もう大変なのです!!
何がって?この写真を見てください。3年に一度の大豊作年なのです。
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こちらはミラベルです。たわわとはこのこと。
タイトルカバーのは枝を軽くゆすって落ちたもので、それだけで5キロほど収穫しました。これからの3週間くらいは、毎週末、この勢いで収穫することになるでしょう。
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そのほかにも、レンヌクロードというプラムも大豊作で、こちらも5キロほど収穫しました。
この写真に一つだけ混じっている赤い実、クエッチュ(プルーン)は、8月中旬が盛りとなるでしょう。イチジクも続々と熟れています。葡萄は八月終わりから少しずつ収穫し、盛りは9月終わりとなります。
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これらをどうするか、というと、もちろん風物詩のコンフィチュールも作りますが、そんなに作っても食べきれません。昨日だけで13個作りました。
すでに、フランボワーズのを20個ほど作りましたし、このあとブラックベリーも、クエッチュ、そして花梨も控えています。
友人らに上げるにしても、多くの方は、わが家同様、夏はコンフィチュールを作っているでしょうから、お裾分けするにも考えてしまいます。

そこで、登場するのが、コンセルヴ。
瓶詰にするのです。
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このような瓶を煮沸消毒し、別売りしているオレンジのゴムを付けます。
そこに、種抜きしたプラム類を詰め、ふたをしっかりと閉じます。
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この瓶を鍋に入れて、
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義母の別荘には、こんな大きなコンセルヴ専用の鍋があります。
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もう一段重ね、計10個。瓶が被るまで水を注ぎ、ふたをしてガスに火をつけ、100℃以上で10分ほど加熱するだけ。
火を止めたら、冷めるまで放置しておきます。
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水もお砂糖も加えません。年中涼しいカーブに貯蔵すると、一年以上保存ができます。
そのまま食べてもよし、タルトやケーキに使ってもよし。

夏は、ポタジェ(菜園)で採れた、トマトやトマトソース、ラタトゥイユも瓶詰コンセルヴにします。

一日がかりとなるので大変ではありますが、普段しない作業なので楽しくもあり。
また、天の恵みである果物や野菜を無駄にせず、美味しく保存できるのが嬉しくて、せっせと採って、ゆすいで、切って、詰めて、とやっています。

ジャムの空き瓶などでも同じようにできますのでお試しください。
「真空瓶詰め 作り方」などで検索すると、もっと丁寧な作り方が見つかると思います。
ふーっ。
一仕事を終え、ふと顔を上げると、空は茜色。
フランスの夏はこれからが本番です。
Stay safeしながら、できることをやっていきたいと思っています。
皆様も、どうぞご自愛くださいませ。

2020年7月22日水曜日

メイキング・オブ『どんな日もエレガンス』

この度、新刊を上梓しました。
どんな日もエレガンス』というタイトルでして、
りんどうの花のような、艶やかなのにしっとりとした、
それはそれはエレガントな青い本です。装丁・デザイン、そして編集の方々が、このように美しい本に仕上げてくださりました。

りんどうブルーのこの本、書店で見かけたら、どうぞ手に取ってパラパラとみてやってくださいませ。キンドル版もあります。
この本のメイキング・オブは、大和書房のSさんのご引導で始まりました。

実は、お話を頂いた時は、フランス貴族層のライフスタイルについては前作で全て絞り出したし、どうしよう、新しいことを書けるかしら、と迷う気持ちがありました。

でも、瑞々しくて誠実なSさんとお話ししていたら、沸々とやる気が湧いてきたのです。

新しいこと、面白いアングル、センセーショナルな話題を探すのではなく、フランスにおける日々の暮らしの中で、私の心に残っている一シーン、胸を打たれた出来事。
そこから考えたことを伝えたい。
そして、読者の方々と一緒に、人が人らしく生きていくためには、どうしたらいいのか、一緒に考えていきたい。
そう思い筆を執りました。

自信がないときは「とても良かったですよ」と励まして下さり、
間違った方向に走っているときは、「こっちですよ~」と呼び戻して下さる。そんなSさんのお陰で無事ゴールインできました。
伴走してくださる方がいるというのは、何と心強いことでしょう。
改めて御礼申し上げます。
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書き終えた今は、意外なほど、落ち着いています。素直になっている、と言い換えてもいいかも。

そして思いは一つ。
この本を手に取って下さった方が、最後の一ページを繰られる時、心の中にりんどうブルーのようなエレガンスが広がっていますように。
そう願うばかりです。