2014年9月6日土曜日
親愛なる女性達へ
今週は、悲喜こもごもとはこのこと!な一週間でした。
夏の終わり……Insead時代の旧友が永眠についたのは何年前のことでしょう。
キャリア志向で頑張り屋さんだったヨウコさん。
ひょんなことから「久々に繋がったね!」と喜んでいたら、天に召されてしまった。
病院で再会した時は、ダイアモンドのように目をキラキラとさせながら、「ある意味、病気になってから『生きてる』と感じる」って言ってたっけ。
そんなことを思い出していたら、ヨウコさんの命日の翌日に、ヨウコさん同様、パリを愛してたもう一人の友人が永眠に就かれたという連絡が入りました。
カヨさん、「これから」って時だったのに。
闘病について、ユーモラスに語られてた。それでも、その端々から受け取るメッセージは「まだ生きたい」だったのに、早過ぎるわ。
それでも、ちょっと前の誕生日のメッセージには、「運命に感謝」とありました。
もう一人、若くして逝ってしまったバイト仲間のマコちゃんは、辛い辛い闘病だったのに、思い残すことが多すぎるほどあっただろうに、それでも「人生、良かった」と言って眠りに就かれたと聞いています。
「生きた」ことって、「生きる」って、そんなに素晴らしいことなのね。
頼もしいメッセージをありがとう。
……そんな中、先週は、女子大時代とANA時代のComarades(戦友?)たちとの同窓会もありました。
この歳で、この時代に、元気な姿で再会できるって、すごいことだね、ありがとう。
皆、幸せそうな笑顔で、また会えたことを喜んでいました。
目がキラキラしてたのは、きっとちょっと潤んでたからだよね。
でも、きっと、みんな、ちょっとした不幸も抱えてたりする?
だって、人生の折り返し地点まできたんだもんね。
だからこそ、再会できたことが嬉しくて、ありがたくって、笑っちゃうんだと思う。
女子大、新卒時代の小娘だったころは、幸せになれるのか、ちょっと不安もあったけれど、結構自信たっぷりだったと思う。幸せになれるにちがいない、「だってそういうものでしょう?」 って。
それが、世間の荒波に揉まれるうちに、「私、本当に幸せになれるんだろうか」と不安の方が大きくなった時期もあったような。
そして色々なハプニングを経験するうちに強くなって(図太くなって?)、だんだん、「ちょっとやそっとの不幸くらい、乗り越えてやるわよ」ってなって、その傍らで、小さな幸せを見つけるのが上手になったと思う。
もう、昔みたいにしょっちゅう会えないけれど、みんな、同じようなジャーニーを旅してきたんだよね。時折会って、お互いの無事を確認して、前途を祈る。
「一人じゃない、同志がいる」
がんばろうね。
「人生はよかった。」
「運命に感謝。」
「生きたよ、わたし。」
こう言える生き方をしよう。
こんなこと思うのも、みんなのおかげだね。
ありがとう。