2014年8月30日土曜日

進化する日本語


日本に来て2ヵ月余りが過ぎました。

子猿たちは先々週より、横浜にあるインターナショナルスクールにて、英語環境の中、勉学に励んで(ホントか)います。
インターナショナルスクールには、うちの子猿たち同様、日本と他国のハーフや、日本人家族の子女が多く見受けられます。
敢えてインターナショナルスクールに通わせる動機は、各家庭それぞれでしょうが、英語をマスターさせたい、というのはその理由の一つにあるでしょう。


インターナショナルスクールだけでなく、町中に、子供向けの英語教室がたくさんあることにも驚きました。


パリでは、日本語を継承させたい、と補習校に通わせるお母さんが多く、私もその一人だったのですが、本国 日本では「英語、英語」、なのがちょっとアイロニー……。ま、日本語は日本に住んでれば、自然と身に付くし、ということなのでしょう。

でも本当にそうなのか。
たった2ヵ月余りとはいえ、タクの子猿、日本語、全く上手になってませんよ~。
テレビも観ていないし、学校では英語ですし。母猿も読み聞かせさぼっているし。
日本語は、自然と身に付くほど簡単ではないようです。

それに、昔より難しくなったもの。

先日、銀行で待っていたときのこと。
あるお客が、銀行員の説明を聞いているのが聞こえてくる。
事体が理解できるまでは、聞き手のお客さんは、「はぁ」「う~ん」「えぇ」と低く硬い声で相槌を打っています。やがて、お客さんは状況を納得されたよう。最後には
「はぁい、わかりました。ではよろしく」と言って席を立ちました。

私、この「はぁい」というのに感動したのです。
「はぁい」のとき、ちょっとだけ柔らかく声のトーンも少し高くなり、今まで事務的だったけれど、急に春が来たかのようなほんわかした色の声でね、
ここに、このお客さんの気持ちが全部入っている、と感じました。
この客さんとしては、
「ああ、しょうがない。構えてたけれど、銀行の言っていることも筋が通っているし、面倒だけど、やるしかないか。ああ、でもこれですっきりした。銀行の方もお疲れ様です、ありがとう」
とでも訳したらいいのでしょうか。それくらい、表情豊かな「はぁい」だったのです。
こんな短い単語に全てを詰めて伝えるの、難しいと思いませんか。
それをきっと現代の皆さんは何気なく日々実行してらっしゃるのですよ。

「日本人って表情がなくってよくわからない」と外国人は言うって言うけれど、いやいや、日本語を深く理解されたら、こんなに表現力ある国民はそうそういないと思います。

日本人は、昔からこんな風に「はぁい」を言ってたのか。
私が海外生活が長くなり、久しぶりに生きた会話を聞くから、こんな小さなことに気づいたのか。
いや、もしかしたら、昭和の頃は、皆ぶっきら坊に、無表情に「はい」って言ってたのではないか。
あの頃は、相手に、銀行員なんかに自分の気持ちを伝える、なんて努力を怠っていたのではないか。今は、もっと相手に気遣いを見せないといけない社会になっているのではないか。
……などと、暇に任せて考えてました。

また、テレビを観て感じたのは、皆さん、すごく丁寧に説明をするようになりましたね。
お笑いでも解説でも、1つのことについて、その発言をテロップや字幕でも表し、その後にまとめ役の人が「何とかは何とかってことなんですねぇ」と、落としどころを、3度目の正直でまた繰り返す。
しつこいといえばしつこいけれど、確実と言えば確実。

そうそう、夏に大道芸人ショーを見たときのこと。
若い大道芸人さんは、軽快なトークと共に、次々と素晴らしい芸を披露されます。
そのトークが面白いというか不思議なの。
観客に話し掛ける時は、「~してね」「ありがとう」「よろしく!」など。
で、その合間には自分の感想、普通だったら胸の内で独りごちることをマイクを通して述べるのです。
例えば、「あれ?今日はノリが悪い」「ちょっと引っ張り過ぎたかぁ! 」「拍手がない~」とか。
自分の気持ちを述べる時は、体言止め風に語尾を切り上げ、独り言の形体だけど、でもやっぱり観客に笑いや、何かを要請している。ただそれが独り言風だから、あまり押し付けがましくなく聞こえるのです。
コミュニケーションの新テクニックなのでしょうね。

あと、一般の若い人の会話も興味深い。
昨日の電車の中の20歳前後の女性の会話はこんな感じ。
「自分、冷たいものが昔から好きなんだよね。なんでかは分からないんだけど。うちの母親も私のアイス好きにはびっくりしててさ(と客観的な意見を加えることを忘れない)。その中でも、自分、クリーム系に弱くってさ。だから、あそこのアイスは濃厚だしぃ、すごい好みって言うか...」
ってな具合。
対する聞き手も、「へぇ」だけじゃなくて、
「じゃ、どこどこのアイスも好きなんじゃない? 」
など、親切で的確な質問をしたりするの。
とにかく丁寧で、これだったら、いつか この人にお土産持ってこう、となったら、間違ってもかき氷系ではなく、ハーゲンダッツ系を持ってくだろうな、って隣で立ち聞きしながら感心していました。

この会話、昔だったら、
「このアイス、大好き」「私も!」
で終わってたよ。

せっかちな私にはこんなメンドクサイ話し方はできない。それに、大ざっぱだから、アイスも、クリーム系でもシャーベットでも、なんでもいいわ、ってなもんで。
これが忙しくて、余り色んなことに構えない、せわしい前時代の人間ってことなんでしょうね。

ネガティブに採るのなら、ここまで念には念を押した会話法が普及するのって、やっぱりストレス社会?
誤解されたくない、という不安感。
ちゃんと説明しないと相手は理解しないかもしれない、という不信感?
空気読めない、行間読めない人が多くなったから、バカでもわかるように説明しなくちゃダメになったの?

ポジティブに採るのなら、若い日本人、コミュニケーションが上手になった!
また、慎重だ、ともいえる。
自分の気持ちを理解して(あるいは理解しようとして)、相手に伝える、という努力・ステップを惜しまないところがエライ!
学業は易からずや
少年よ、日々精進したまへ
(学校は丘の上。毎朝113段の階段を昇ります)
めんどくさがり屋で物事を深く考えない子猿達が、こんな風に日本語を操る日は来ないだろうな。
やっとこさ、ひらがなを覚えた夫(フランス人)に、「これで、パパは日本語の達人だね」と言っているところから、自分たちもやることはやった、という認識がみられるし。
……とかく先行き不安な子猿たちです。


君達のことだよ!