ちび猿は日本語のボキャブラリーが乏しいから、その分、鋭いというか、表現がストレートです。
今回も、一番苦しんでいるときには
「痛いの、もうだめだよぉ」
と痛みに向かって泣きながら怒っていました。
そして熱がとても高いときに、突然、落ち着いた声で、
「ぼく、しむの?(死ぬの)」
と聞きます。
幼い子が苦しむ姿を見ると心のどこかでそれを恐れている、そんなはずないと思いながら、どこかで恐れている。それを言葉にされて、心臓がひと脈飛んでしまいました。
「風邪で死ぬコなんていません!」
と、自分の動揺を、叱ってごまかす母猿でした。
で、もちろんちび猿は元気になり、風邪菌、来るかな来るかなと怯えてたら、週末に、来ましたよ、律儀に。私にしては少し高めの熱が出ましたが、なんだろう、身体の節々が痛い他は、気も体力もあって、元気な風邪ひきでした。
アラビアンナイトのお芝居 |
今日のお出かけは、市の劇場にいって、「千一夜物語、ある朝アラジン」というお芝居でした。
千一夜物語のオリジナルに忠実なナレーションが入り、アラジンとお姫様、そして魔法使いなどは大きなマリオネット、時には影絵にて演じられます。
でも詳しくは説明できない……寝ちゃったのです! だって盛り上がりに欠けるし、薬飲んでるし……。一言言えるのは、きれいだった、ということ。幻想的で、且つ、中東の妖しい美しさが、光、闇、影、そして色彩によって表わされていて、宝石箱のようなお芝居でした。
以前、やはり子猿の付添で、コンセルバトワールのコンサートを聴きにいったときにも思いましたが、フランスの芸術教育は、「美しいもの」「本物」を見せる、触れる、ってことなんだな、と思います。
子供用にアレンジとかしない。
真実の芸術を見せて、それに興味を持てた子、惹かれたコだけが芸術を愛でれば宜しい、そういうスタンスなのだと思います。
私はこの姿勢がキライではありません。日本で、学校の体育館のステージに道具持ち込み、テンパっているお兄さん、お姉さんのお芝居とか観たけれど、あれが私の情操教育に役だったとは思えません。
最近の日本ではどんなお芝居を見せているのでしょう。
兄猿はぼーっとして観てたようですが、何かを感じ取ってくれてたなら御の字。またお月様にいっちゃってたなら、Tant pis! (残念でした!)
Matilda! ロングランのようです |
Matildaという演目で、こちらは如何にもエンタメな感じ。インタラクティブだし、歌あり、踊りあり、笑いあり、乱暴なところもあり、と起承転結、喜怒哀楽、すべてある感じです。
少しびっくりしたのはあらすじがとてもアイロニーというか、よく考えると悲劇的だったこと。
マチルダは無責任な母親がうっかりはらんでしまって生まれたコ。お父さんも下らない人で、男の子じゃないマチルダを認めません。学校でも色々あり、担任の先生と空想の世界だけがほっとできるところ。この担任の先生は孤児で、オバサンから虐待されてたよう。すったもんだの末に、マチルダは親と決別して担任の先生と共に生きていく、ということでめでたしめでたしなのです。
昔の小公女などのお話から考えれば、そう驚くことじゃないのかもしれないけれど、マチルダの舞台が現代風なので、現実に置き換えて考えてしまってね。
親に愛されなかったマチルダは今後も心の傷を癒しながら生きていくんだろうなぁ、とか、虐待されてきた先生のトラウマはこの物語の中では一応救済されているけれど、やはり、時折思い出してはつらい思いをするんだろうなって。
こんな辛いところもある話を明るいコメディーにしちゃうロンドナーって、やっぱりすごいな、と思いました。苦しみに屈せず、必ずハッピーエンドに結び付け、時折古傷が痛んでも、勝者の顔をして生きていくんだ! そんなお国柄を感じてしまいましたよ。明るくって楽しいし、ロンドン大好きだけど、厳しいだろうな、こういう文化の中で生きていくのも。
教育的観点からいうと、とにかく完成度が高いので、フランスのとは違った意味で「本物」の芸術でした。
さてと、今週一週間が始まりましたね!
都知事選は本当に残念でしたし、こんな大切な時に投票率が低かったことが信じられないけれど、ここはマチルダ式に、振り向かず、明日を信じて頑張りましょう。
どうぞ良い一週間を~♪