フランスの6月は花盛り。普通の自転車道も花・花・花! |
こちらはベルサイユに越してきてから、2度目の初夏を迎えています。
気づくと、地元にも友達と呼べる人が何人も出来ていました。ベルサイエ(ベルサイユ人のことをそう呼ぶそうです)は、日本でいう京都の人のように、「コンサバよ、お高くとまっているわよ、外様は馴染めないわよ」と言われていたのですが、中々どうして、ベルサイエ・マダムは、オープンでフレンドリーなのです。
そんな中最近、友情というものについて、少し考えることがありました。
長くなると思うので、番号を付けます。小見出しも付けちゃおう。
普通のブログだったら3日分くらい書きそうな予感がしています。
6月生まれの兄猿。 パーティではスイカのポンチが好評でした。 親愛なるN家のレシピです。スイカとセブンナップ。 |
友情について考えた理由の一つ。
それは、先日読んだ村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」という小説に、ある記憶を呼び起こされたから。
私はアンチ・ハルキストなのですが、この人のストーリーテリングの巧さにはシャポーですね。好きでないのに読まされてしまう。
この小説を読み、ふと昔自分に起きたことや、友情の心地よさを思い出したのです。
主人公の多崎つくるは、高校のときに完璧なまでに気の合う仲良しグループに属していたのですが、大学に入ってしばらくしたときに、突然彼らより絶縁されたトラウマを持っています。
みなさんはそういう経験ありませんか?突然、仲良しに嫌われて、ワケわからないという。
私はあります。
その昔、その頃には15年も付き合ってきた仲良しの女友達に、突然、嫌われたのです。
すっかり分かり合えている仲だと思っていたので当時は本当にびっくりしました。
理由を聞いても、「自分の胸に聞いてみて」と、まるで小説の多崎つくると同じようなセリフを投げ渡されましたっけ。
何故嫌われたのかは未だにわかりません。
随分長いこと気になっていましたが、十年ほどすると、「しょうがない」と諦めることもできました。
多崎つくる風にいえば、
「スコッチの水割りを二回スターし、寂しい苦笑いを浮かべページを繰った。店ではビーチボーイズの ”God only knows”が流れていた(村上春樹風のつもり☺)」
今は彼女に対して、怒りや不愉快さもなければ、「知らずに傷つけていた」ことを反省する気持ちもありません。
ただただ、残念だという。
折角、縁あって15年も付き合っていたのに、ブツっと切れてしまったことが残念です。
このまま、すれ違ったままとなるか、それともまた縁あって再会できるかは、
ほんと、God only knows、です。
また、フランスは、学年始まりが9月、終わりが6月。 初等部卒業のチビ猿のために、こんなのを作ってみました。 何か分かりますか?アメリカの大学の卒業式風に、 学帽を被っているカップケーキのつもり |
②大人になると友情は難しい
小説に戻ると、多崎つくるにとっては、この決別が大きなトラウマになっている。そこで彼は、小説の後半で「巡礼」の旅にでます。5人グループだった4人のところに個別に訪れ、あの時はどうしてボクとの縁を切ったのか、尋ねるのです。そしてそれぞれと和解をします。
クロという女性とは、心のうちを全て明かし、つくるは自分の過去、今の悩みを話します。
そこの部分を読んでいたら、何とも温かい気持ちになりました。
若かったころはこんな風に、自分の全てを見せて話せる相手がいたなぁ、話す時間があったなぁ、と過去の友情が懐かしくなったのです。
今でも友達付き合いしていますが、とにかく、今は忙しいです。
皆それぞれ一生懸命なフェーズだし、私はフランスなんぞに住んでいるし、中々そういう時間が持てずにいます。
帰省したときには逢っていますが、学生時代のように、胸の内を上手に開くのは意外と難しく。
神様の思し召しというか、タイミングや気運、場所、時間が大切で、たとえ信頼している相手でも、言葉スムーズに出てこない、何か気が散ってじっくり話す気になれない、聞く心が持てないこと多々。
とにかく時間も限られているので、元気確認をしたところで、「また来年ね!」となります。
それはそうとして、友情って難しいな、と思います。
これからどんどん難しくなるんだろうな、とも思います。
友達関係って、慣れが必要なものなんだと思う。
子供のころ、そして学生のころ、職場によるけれど新卒のころは、しょっちゅう顔を合わせて、遊び、しゃべり、時間を共有するから、友達という関係にも「慣れてて」、自然に自分のことを話し、相手のことを知り、よって友情が更に育まれる。
でも大人になると共有する時間はぐっと少なくなり、
お互い知らない世界を築き、知らないしがらみがあって、
久しぶり逢うと、そんな知らない一面を見てしまって、でも、それを乗り越えて友情を継続しようと努力する。
でも努力って続かない。
いや、そんなことを言ってはいけない。
頑張ろう。
でも疲れる。
一人でいいっかな。
・・・・・・となりかねません。
写真を花にもどします。 今は薔薇が終わってシャクヤクの季節。 このシャクヤクは珊瑚という名前で、どんどん色が変化すると聞き購入。 マルシェで12ユーロ、換算すると1500円くらいかしら? |
さて、話変わって二か月くらい前のこと。
ある雨降りの火曜日、子どもが同じ学校に通う親御さんとして見知っているマダム、アンが、涙を流しながら歩いている姿を車窓から見かけました。
そのあと、アンの涙の理由が、そんなに親しくない私の耳にも入ってきました。
何やら旦那さんが出て行っちゃったらしい。それはお辛いだろうな、と同情しましたが、励ましの声を掛けるほどの仲ではありません。
私の中ではそれでおしまいでした。
それが、先月、図書室のボランティアに行くと、何やら雰囲気がいつもと違う。フランチェスカ、ガエル、アリアン、シルヴィ、ソフィー。いつもはワイワイにぎやかなメンツが、輪になってしんみりと話しています。見ると、そこにアンもいました。
私は木曜日チームで、その日は古くなった本の修理や、新書にビニールカバーを付けるという作業をします。他の曜日には子供たちに読み聞かせたり、先生と一緒にアトリエを手伝う日もあり、アンはそこで活躍している、と、そう言えば聞いていました。
だから、アンが図書室にいても不思議はないのだけど・・・・・・。
この日もアンは目を腫らして泣いていました。
今日は私は遠慮すべきかな、と戸惑っていると、
「ミキ、ほら、ここ空いているわよ。アンの話を聞いてあげて」
と図書室長で、皆の「ボンママン(おばあちゃん)」的存在のアリアンがいつもの優しい気配りで私を仲間に入れてくれます。そしてアンも、
「ミキも私のために祈って。もうくじけそうでね」と、そこで泣き崩れました。
言葉にならないアンの代わりに隣にいるクレールが、事の次第を説明してくれます。
うわさ通り、アンのご主人は「ほかに好きな人が出来た。君とは暮らせない」といって出て行ってしまったそうです。それが3カ月前のこと。今は弁護士も入って、養育権のこと、財産分与などについて話がつきつつある、と。
今の住居にアンとお嬢さんはそのまま住み続け、ただし、月に10日はご主人が娘と過ごすために来るので、その間、アンは家を明け渡さなくてはならないそう。
確かに、子供が移動するより親が動く方が正しいとは思うけど、アンにしてみると月の1/3は家に戻れないというのもむごいです。
この木曜日はアンが家に戻ってはいけない10日の五日目で、アンはご実家いても何をしたらいいのか分からず、気づいたら学校に来てた、ということでした。
なんという悲劇。ショッキングでもある。
「私が強くなれるように、祈って」というアンに、
「ええ、ええ、もちろん」と頷きましたよ。
……でも同時に、なんとオープンな悲劇なんだろう、とも思いました。
私が同じ立ち場だったら、こんな風に、みんなに周知したのだろうか。うわさに尾鰭をつけないためにはそうした方が得策なのかも?
これが上のシャクヤクのその後です。Day4とDay6。色がどんどん変化します。 もう今日で終わりかな。この淡黄色のが優しくてじつは一番好きかも。 |
拙書、「フランス伯爵夫人に学ぶ...」にも書きましたが、フランス人っていうのは、実に用心深いところがあります。
自分のプライベートな話や弱みを見せるような話を余りしません。
強気で、万事上手くいってるわ、と鼻高々なことしか話さない。
これがプライドの問題なのか、見栄っ張りと呼ぶべきなのかわかりませんが、とにかく日本人のように「正直ベースの話」など、滅多にしません。
そんな私の「フランス人観」を真っ向から否定するような、アンの公開悲劇。
超プライベートだし、超オープンに話すし、これは何を意味しているんだろう、と考えてしまいました。
それで思い出したのですが、実は、アンだけでなく、近所の方でも同じケースがあったのです。
そのマダム、旦那さんが女を作り家を出てしまった、と、近所の方のお宅で催されたコーヒー・モーニングで滔々と語られていました。
当時、私はベルサイユに引っ越して間もなかったので、「そんなプライベイトな話、聞いていいのかしら」とドギマギしましたっけ。
そこで、ふと思ったこと。
みなさん、実は寂しいのかな、と。
ベルサイエ・マダム達は、社交バタフライのように、いつも友達に囲まれているようだけど、じつは、多崎つくるとクロのような、心が通い合っている友達がいなくて、こういう大悲劇を前に混乱し、取りあえず誰かに聞いて貰いたい、と、しゃべりまくっているのではないか。
いや、昔の学生時代の友達にも聞いて貰ったけれど、変なときに電話かけてしまったのか、昔のように心が通い合わなくて、それで寂しさも増長してしまって、聞いてくれる人がいたら話しているのだろうか。
これが日本の紫陽花だと分かった人は フランス通。フランスの紫陽花は、水が違うのか土壌の問題なのか、 こういう蒼は出ないんです |
・・・・・・長くなってしまうのが私の悪い癖。
以上、最近友情ということについてポロポロと考えていたことをまとめてみました。
多分この先も、学生時代のように、心の内側を全部見せ合う、そして感情の最後の一滴までを見せ合う、そういう友情の育み方はできないのでしょうね。
けれど、年を重ねた人だけができる、互いへの労りと相手への理解をもって、友情を大切に継続したいな、と思います。
少し寂しい気もするけれど、寂しさは大人であることの必須条件でもあるわけで。
最後まで読んで下さってありがとう。
不定期となりますが、また行きます!
追伸 最近何故だか、私自身がコメント欄になにも残せないようになってしまって、コメントに返信出来ずに申し訳ございません!
追記2: 相変わらず、コメントを頂いてもお返事が出来ないという状況が続いています。
コメントには返信を心がけているのですが、折角記入しても消えてしまうのです。
心苦しいので、もしコメントを残して下さる場合は、etranger137@gmail.com までメールの形でお送りいただいてもよろしいでしょうか。
大変もうしわけございません!!!