朝靄に包まれた田舎の家 |
こちらは現在秋休み真っ最中です。
先週は田舎の家で過ごし、夫とクルミを多分10キロくらい、栗は多分5キロくらい収穫しました。
落ちる寸前のくるみ |
たった一本の木なのに 拾っても拾っても追いつかないのです |
今年は栗も虫が付く前に拾えました |
兄猿の提案で、マロングラッセにチャレンジ中。 現在栗きんとん状態です。 もう少し乾いたら本当にグラッセ風になるの? 怪しい感じのDay3・・・腐る前に食べようと思います。 |
この従兄弟たちがまぁなんと愛らしいこと。
年は、うちの子猿兄弟より半年ずつ年上ですが、比べものにならない品行方正さで、
現在バカ丸出しの兄猿の下らないギャグにも反応して上げるし、
祖父母(私にとっての義父母)との遣り取りも、程よい子供らしさを残しつつ、賢いことを言ったり、感謝の意を示したり、と、大人の目から見ると理想的な子供なのです。
柑橘類はオランジェリーにて冬を越します |
とにかく見ていて本当に恥ずかしい。
なぜそんなに恥ずかしいかというと、まさに、昔の自分を見るようだから。
余計なことを言う。
ウケ狙いの冗談を言って外しまくる。
声がデカイ。
がさつで品がない。
内省するということがない
根拠なき万能感がみなぎっている。
少し前の私だったら、もうケチョンケチョンに叱るか、即退場させたと思うのですが、今は、あまりに周りの迷惑になっているとき以外は黙っているように心がけています。
こんなに人生ノリノリで、楽しいことはもうこの先そうそうないだろうし、
バカやって許されるのもこれが最後だろうし、
大人になって振り返ったときに、
「子供時代はバカやったけれど楽しかった」
と幸せを噛みしめてもらえるならいいかな、って思うのです。
田舎の家を発つときに、
従兄弟の一人が泣きそうになっていました。もっと遊びたかった、って。
うちの子猿たちは平気の平の字だったんだけど。
この従兄弟たち、子猿たちがいないと、いつもいがみ合っている。
私もその場にいたことあるけれど、パワハラ対モラハラみたいな、嫌な感じなのです。
話が飛ぶようですが、横浜のインターナショナルスクールは子供の裁量が大きく、そんなにガミガミキツキツではないのですが、時折、その枠を越えて羽目を外してケンカしたり、もめ事になったり、ということがありました。その原因となっているのが、意外にもフランス人児童だったことが多かったのです。「意外にも」というのは、フランスの学校では、先生が介入するレベルのケンカや問題があると、すぐに親や心理スペシャリストが呼ばれ厳しく処罰されるので、おとなしくしている子が多く、、よって、フランスの学校で問題のない子であれば、インターでは優等生扱いでしょう、と思っていたのです。
さらに話が飛ぶようですが、何年か前に話題になったPeter Gumbel氏の本では、フランスの子供たちは自信喪失していて、それは苛烈な学校での環境に問題がある、とレポートしていました。「苛烈」......例えば、学力を上げるため、成績を公表し切磋琢磨を促す学校、とか、先生は教える人であって、モラル面でのメンターではない、とか、グループで協力させようという風土はなく、友達もライバルという関係性を増長させる学校とか、だそうです。
そして、わが夫。
自分の子供時代は恵まれていたのにも関わらず、幸福だったとは言えないなぁと先日つぶやいていましたっけ。
今の兄猿がカボチャだったらこんな感じ |
バカなことをしたり、調子に乗ったりすると、叱責されるか、軽蔑される、もしくは処罰されるからぐっと我慢しているのではないでしょうか。
横浜のインターでは、フランスの学校のような抑圧がないから、箍が外れて、でも加減がわからないから、問題視されるようなインシデントを起こしてしまうのではないでしょうか。
妙に「良い子」な従兄弟たちをみて、そんなことを思ったりしました。
(単に私のジェラシーかもしれませんが! )
だから、今日も私は我慢する。
兄猿がどんなにバカなことを言っても、どんなにうるさくても、
楽しいならいいじゃないか。いつか、自ら自分のバカさにぞっとする日が来るに違いない、かつての私のように。それまでは幾ら外野がガミガミいっても、言われていることがわからず、唯々悲しくなるだけだろう。
ということでこの秋休みの標語は、
「耳は餃子で心は貝」
昔、ANAの新人時代に余りに先輩たちからあーだこーだ言われる同期が 「うるさ~い!」と逆ギレしないために創り出した標語です。
これを実践し、あと一週間を乗り越えたいと思います。
皆さん、良い秋をお過ごし下さい。