花はいいですね。わぁ-、という気持ちになる |
どのくらい強く、そう思っていましたか?
私は特に何かになりたい、と思った記憶がないです。
「こういうのって自我がない」というんだよなぁ、あれ、そういえば自我ってなんだろう、と思ったところから、今朝の自己分析が始まりました。
「自我」で検索すると、まず、心理学的な意味の自我として、フロイトの考え方がトップにでます。
私の、「5分間ネットリサーチ」で、いい加減に理解したフロイトの自我論は以下の通り。
人間の性格・性質は、「エス」「自我」「超自我」の3層により作られている。ふむふむ。
学校のプレゼンテーションのために 兄猿が書いたスケッチ。(女性は私らしい) 「人は自己表現できないとどうなるか」 という、深く哲学的な題目だったけれど、 結論は、「ボクだって話したい」 という単純なものでした |
・「自我」というのは、エスの「~がしたい、欲しい」という欲求を、現実見据え、諦めさせたり、できる方法を探したり、という判断する機能らしい。
・「超自我」というのは、親や先生、社会から植え付けられる道徳観だそうです。
この3層が幼児期に発達し、精神形成をしていく、という……
なるほどねぇ。
ただ、果たして3種の自我はバランス良く相互作用しているのでしょうか。
たとえば、私はエスが強い人間だと思う。眠くなると我慢できないところとか、空腹になると機嫌悪くなるのとか。
こういうエス型人間って、周りに結構いない?
そうやって考えると、3種の自我のアンバランスさが性格の特徴となっているとも言える?
エス型--ま、私みたいな、動物的な人ですね。暴力を抑えられない人というのもエス型でしょう。
一説には、人が戦争をするに至る理由は、自我や超自我に押さえつけられたエスを解放したいという人間の本能がゆえ、といわれているようです。
自我型--「現実的な感覚を持っていて、自分の欲求を実現させてあげよう、と調整に努力する機能」を持っている人というのもいるいる。夫はこれだな。友達にもいるいる。
自我をしっかり持っている人は、現代の理不尽な社会の中で 自己実現に苦しむ宿命なんだと思う。頑張って欲しいです。
超自我型--親などの道徳観、価値観が強過ぎて、その呪縛に苦しんでいる人って、老若男女、国籍問わず、いると思う。
そして、子育て中の身としては、親の意見を押しつけ過ぎないようにしよう、と思いました。
さて、始めに戻ると、子どもの頃、なりたいものを聞かれ、漠然とイメージしたのは、家族を持つ自分でした。要は、主婦ってやつです。
それだけ。
自我がないでしょう? 心理学的にいうなら、まさにエス(子孫を残したいという願望)と超自我(親と同じようになろう)に支配されている感じ?
その後も、明確な自我を持たずに時間が経ってしまった。
これはイヤ、ああ言うのもイヤ、といった、否定の自我はあるんだけど、「こうしたい!」というのが中々見つからない。
いろいろと仕事もしたけれど、どれも良い経験ではあるけれど、でもがむしゃらさがないんだよねぇ、私って人は。
それが最近になって、書くことが好きってことに気づき、自分のエス(だらけたい、昼寝したい)をたしなめながら、せっせと書いています。
この年でようやく芽生えた自我ですからね、大切にしないと。
子ども向け児童書はこんな表紙の予定です |
上手に三層が機能しているタイプですか?