秋始まってますね。
先ほどはお風呂場にて蚊の死体を見つけました。25℃以下だと蚊は生息できないとか。
この調子、この調子……。
今夜は近くのパスタ屋に行くことを子猿たちに約束させられたので、家事からも解放され、お気楽な夕暮れです。
影法師も長くなり…… |
外食ウッシッシ、手抜きだウッシッシ、と喜ぶは私とは対照的な、女の鏡、働き者の代名詞、幸田文さんにはまっています。
幸田文といえば幸田露伴の娘さんです。
恥ずかしながら露伴を読んだことないのですが、幸田文さんの本は通して、読者に対し、「私は露伴の娘だというだけで、大した文筆家ではないのです」という明確な立ち位置を念押ししてきます。いやいや、露伴さんもすごいのでしょうが、文さん、素晴らしいです。
でも、そういう、控えめな姿勢が素敵。
「控えめ」であり「謙遜」スピリッツ蔓延なのですが、「自信がない、弱気」というのとは違います。
強いです、幸田文。この微妙な加減、すてきです。
そして、なんという才能なんでしょう。
ほとばしる感受性が一語一語にはじき出ている。
きっとその生涯においては、露伴の娘だから得られた縁もあったでしょうが、家族愛に恵まれなかった幼少があり、あの時代に子連れ離婚もしているし、けっして幸福なお嬢さん人生を歩まれなかったようです。
いつか、宮沢りえちゃんが、インタビューで「大切なものは何か」と尋ねられ、
「悲しいことがあると、嬉しいことがある、とても悲しいことのあとにはとても嬉しいことがある。この感情の振り子を大切にしたい」
と答えているのを聞いたことがあります。
感受性って、やはり悲しみの中で磨かれるのかな。
幸田文さん、端々から、自分に正直に生きること、愛情や誠実を表すことに真摯にだったことが伺えます。……それは、時には、献立を考える、料理をするという「女っぽい」ことを通してだったりで、グータラ主婦の私ですが、「わかる!」「あ、一緒!」と共鳴すること多々。
自分の感情を出す、抑える、抑えきれない、でも抑えなくてはいけない、という、明治の終わりに生まれ、戦争をくぐり向けた、当時の女性の日常の葛藤を鮮やかに書き記してて、ま、言ってしまえばそれだけなんですが、これが立派な文学となっていることに目がウロコです。
何がって、そうだよね、日常って、小説よりも奇なりというくらい、小さなドラマがいっぱいあって、振り返ってみると、結構すさまじかったりするもんね。それをこんなに美しく鮮明に書き記したら、それは立派な文学、芸術だよね。
奇をてらう、最近の暴力的だったり性的で世紀末的な小説より、よっぽどいい。
よく生きよう、しゃんとしよう、という気持ちになります。
毎度おなじみ三溪園! もうすぐこの深緑が色づいてくるんだろうな |
超不真面目な私をまた引き受けてくださった先生に感謝です。
第一回目のお稽古はこんな感じ。
先生、ごめんなさ~い! 真の枝を逆に入れてしまった |
鬱蒼とした緑、菊の香しさ、空の向こう側にまた小花が咲いている、そんな森羅万象が創られていく……私も歳ですかね、見てたら何だかグッときちゃった。
お稽古のあと、先生と二人で、「このお菓子、どう思う?」「この花器、素敵ですね」と、女ならではのトピックでおしゃべりする。もちろん、男の人でもいいんですけど、女の感性で意見を交わすときに、ドンピシャリな感じは、悪いけど、女同士ならでは。
あぁ、女っていい!
そんなことを思う初秋の夜。
明日からまた少し暖かくなるのかな?
いずれにせよ、どうぞ皆様ご自愛を~。