お正月を越えて、すでにエピファニーとなってしまいましたね。 昨日は初めてGalette des roisを焼いてみました フェーブは手持ちがなかったので、ナツメグを入れたら カレーを彷彿させる不思議な香りのガレットになり…… |
年末年始は如何過ごされましたか?
日本は寒かったのでしょうか。
ニューヨークは大雪で大変そうですね。
パリは雨が多い年末年始でしたね。
私はというと、なんと元旦の朝、クロワッサンを食べていたら、ゴロっと歯が落ちたのです!!
それも前歯のすぐ横の歯!
既に神経抜いてた歯で、落ちたのは差し歯だったから痛みがなかったのはよいけれど、私は一つ一つの歯が大きいので、かなり目立ち、はっきりいって間抜け面でした。
私は元来歯が悪く、何年か前に前歯を差し歯にしたのですが、そのとき以来時折、前歯が取れる夢をみるようになり、起きていても、「もし、今取れたら……」と、特に歯医者さんがバカンス中など、心のどこかで怯えていました。
それが前歯の隣の歯とはいえ実際に起きてしまった。それも元旦に……。来週(今日ですが)までは歯医者さんもお休みだろうし、それまではこの間抜け面か。
でも、ですね。
悪夢が実際に起きてしまうと、結構笑えたのですよ。ま、前歯よりその横だと、少しマシというのもあったのかもしれませんが、恐れていたより、気にしないでいられる自分がいたのです。
翌日、翌々日は友人らと会う予定があったのですが、それも「笑ってもらおうっと!」と気にしないでいいられました。
そして、「そうだ!」とばかりに、「週末に義理叔母あたりからお声かけがあるかもしれないけれど、私はこの顔だから欠席ね!」と口実ができて、シメシメと思ったりもして。
とにかく長年の呪縛から解かれたような、爽やかさを感じていました。
ただ、そう思ったのは私だけだったようで、翌2日、出勤時に夫は、「ダメ元でドクターに電話して」といい、子猿たちも「ママ、歯がないときれいじゃない」と、「電話したら?したら?」攻撃。どうせ留守電と思いながら電話してみれば、ドクターはいないけれど、歯科衛生士さんが出られ、事情を説明したらなんとかかりつけの歯医者さんが休日返上し、郊外から診療所までバイクで飛ばしてくださって、小一時間で元通りに治してくださりました。
「んまぁ!ありがとう」というと、「だってあの顔はないでしょ」、ですって。よほど間抜け面だったのね、ワタシ。
元旦に取れた歯が、2日に戻る、という超特急な事件の収拾に喜び一入。サービスのろのろ国、フランスでもこういうことがあり得るのですね。
そして週末は、12月ごろから行事・ちょっとした事件続きで実施の機会を得られずにいた、「本読んで昼寝してまた本読んで」という、私にとって最上級の週末であり、即効力抜群の疲労回復メソッドを実行することができました。
2014年の読み始めは、これ。
連日深夜までかかって一気読みしちゃいました。
新聞小説というサブタイトルのように、同作家の他の小説より世俗的だったけれど、(だったからこそ?)すごーく面白かった。ただ、高齢者の読者の方には厳しい描写が多いかも。
一方、介護を経験された方でしたら、とても共感もって読めるとも思います。
中心となるのは母と娘の確執、情愛についての話。
「母親は、娘に自分を投影して、自分ができなかった生き方を押し付けるところがある」というくだりでは、引き出しの上に飾ってある、子猿たちが幼児だったころに夫と三人で映っている写真立てに目が行きました。
女の子が欲しかったけれど、私みたいな母親には男の子で良かったのかも。
私は子猿たちに対し、自分の失敗から「こうした方がいい、こうしなさい」という考え方などを押しつけたりもしますが、そんなに固執してない。
「どうせ私と違う生き物だから違う生き方するし」という別物意識が自然とあるのは、これが男の子だから、ということがあると思う。
これが娘だったら、もう、もっとしつこく指導しちゃったりして、大変だと思います。
よくふざけて、「Mes trois garcons(私の3人の男の子たち)」と夫を含めて呼ぶことがありますが、本当に、夫と子猿たちが一グループで、私は部外者、という意識がどこかにある。
でも私みたいに、ベタベタでヨタヨタなのは、これくらい距離感があってちょうど良いのだと思います。
新年初のエントリーから、毎度がごとく徒然に綴ってしまいましたね。
パリでは今日から学校も始まり、平常運転が再開しました。
週末にしっかり充電したし、何が起こるか分からないけれど、
果敢に挑むぞよ、2014年!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。