2015年3月24日火曜日


ポップコーンのはじけ始めのようなソメイヨシノ殿
上の写真は、先ほど元町公園で撮ったものです。
でも、肌寒いパリ、そして諸外国にお住まいの皆さん、羨むなかれ。
「寒いよ~」って嘆いているのはアナタだけではありません。
見た目とは裏腹に、なかなかダウンを手放せない、肌寒い今年の日本です。
オキーフの絵のような構図ですね
それにしても、日本の春がこんなに芳しく、花だらけだったことを忘れていました。
というより、こんな豊かさは知らなかったというべきか。
若い頃は、東京でしたし、ゆったりとした気持ちで花を愛でることもなかったように思われます。
これはコブシ?それとも木蓮?
近くの横浜本牧通りは、街路樹にソメイヨシノとコブシと木蓮が平行して植えられているという贅沢さ。
近くの公園も、見て、この華やぎかた!
Allez, もう一枚!
このフリスビーは、この後、なんと、まさにサンドイッチを頬張ろうと
したある方に直撃して、お昼を台無しにしてしまったのでした。
本当に申し訳ございませんでした。

(そしてつい笑っちゃって申し訳ございませんでした)
こんな最近は、また読書に耽ってました。
ちょっと哲学めいた本を読んだあと、偶然手に取った「楡家の人々」が素晴らしくて、しばらくはもう北杜夫です。
秀作に出会うと、それがどんなに暗い本でも、希望が湧いてきます。こんな作品を生み出せる人間というものの可能性に感動するのです。
山鳩も美しいこと!
パリの山鳩と違い和風に見えるのは私の色眼鏡でしょうか。
偶然にも、読んだ本たちは、「死」に対する考え方、こだわりで通じているところがありました。

「楡家…」の第三部は、戦争末期、不肖の孫たちも戦争に捕られ、東京大空襲では次々とたくさんの人が死んでいきます。
北杜夫本人をモデルにしたと言われる孫の一人、周二というキャラクターは、いつもびくびくしている弱虫です。これからも生きるということを前提にしているから、不安が一杯なのです。
それが、皆死ぬんだ、戦争に負け、日本人は一人残らず死ぬんだ、とある日、気づき、思い込む。すると、急に生き生きしてくる。「どうせ死ぬんだから……」とどこかやけっぱちな感じだけど、自我を見せ始めるのです。

ちなみに、この周二は、終戦を受け「え、死なないの? 」と拍子抜けします。そういう選択肢があるとは考えてもいなかったのです。
こうして死なずに済み、周二は折角得た生を張り切って生きる!
かというと、そんなフェアリーテイルにはならず……。
人間ってフクザツですね。

……などなど、死ぬことに焦点を当てることで、生きるということの意味を考えさせられる本たちでした。

こんな本たちに出会ったのも季節的な必然だったのかもしれません。
春って、生と死の季節なんだと思います。
例えばイースター。
イエス様の死と復活。
お友達のお母様に頂いたお手製ひよこと
ちび猿製の和風エッグ

私はこの季節になると、以前、イースター前の四旬節コンサートのパンフレットでみた、「In the midst of life, we are in death」という一文を思い出します。

この一文を見たとき、「はっ」としましたっけ。
パンフレットを読みながら、この文のところでしばらくじっとしていた自分、Little Oratory のチャペルの床のタイルの凝った模様、聴衆の靴音しか聞こえない静かな空気……そんな情景が今も思い出されます。
「生のまっただ中に居ながらにして、私達は死んでいる」
生を受けたのに、真摯に生きていないという怠惰を戒められているように感じたのです。

でも、この言葉の真の意味は、分かるようで分かりません。解説読んでも、神父様の言葉を聞いても分かるようで分からず、なので放置してあります。
ダメですねぇ。
河津桜は週末に八分咲きとなっていました。
そして春といえば、桜。
桜もやはり、「In the midst of ……」の連想ゲーム上にあるのです。(私にはね)

わーっと咲いて、さーっと散る。実を残さずに散る。
「お茶の世界では、桜は死を連想させる花とも考えられているので、お茶席で桜柄などを使える時期は桜が咲く前まで」
と教えていただいた時も、やはり「はっ」としたことを思い出します。
あの頃は20代後半、まだ若くて、自分のことで頭がいっぱいでしたが、あの瞬間は、人生の翳りのようなものに、周囲の照度が落ちたような気がしたもの。

あの頃は、人生は長いと思っていたけれど、
いやいや。
人生なんて、桜のように、あっという間に終わりの時が訪れそう。
瞬きしている間に、あの頃から20年経ってしまった今は、そう思います。

「歳月とは何なのか。その中で愚かに笑い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮らしてゆく人間とは何なのか」
と、「楡家の人々」の解説で辻邦生氏が書かれていますが、これって、まさに私の歳月です。

こんなんでいいのかな、いいのかな。

あぁ、物事を掘り下げて哲学的に考えることができない私。
せめて、「惰性的に暮らす」のは極力避け、どうしょうもないときは、がむしゃらに頑張ろう、というのがとりあえずの思うところです。

次回は、満開の桜の写真を載せますぞ。乞うご期待!




2015年3月10日火曜日

3月11日に想うこと



明日は東北震災が起きて4年目ですね。
被災者、残された家族の方々はどのような想いで明日を迎えられるのでしょう。
亡くなられた方々の鎮魂と、生きていられる方々の心の傷が少しでも癒えますよう、
心よりお祈り申し上げます。

先日読んだ工学者の小出裕章氏の記事に、3/11を機に、『ああ、本当に良い時代は終わったんだな』という認識が広まった、と在りましたが、本当にそうだな、と思います。
3/11で、原発の問題が露呈されたとともに、政治家の無能さも報道され、安全神話が根底から揺るがされ、不安になったところに、安倍政権。そしてウクライナ、テロ。日本だけでなく、世界でも平和に対するコミットメントが薄れているように感じます。
最近我が家の仲間入りした起き上がり小法師たち
なすびが兄猿に似ている
そんなことを憂いていたところ、こんなグラフを見ました。
英エコノミスト誌(3月7日号)、「未消化の歴史  Undigested history」という、昨今の日本の歴史認識問題に対する解説と提案(?)記事の中にありました。
ドイツのドレスデンにおける空襲は欧州ではよく語られていて、歴史を知らない私でも知っておりますが、日本の空襲の犠牲者の数は諸外国ではあまり知られていませんが、実にその何十倍。圧倒的で数です。これを広島と長崎を合わせると、ざっと、50万人の犠牲者です。ハーフミリオンです。その酷さを実感するために比較すると、4年前に私達にあれほどの涙を流させた東北震災の死者・行方不明者が2万人ですから、その25倍です。
更に、この犠牲者は一般市民です。戦争に携わっていた人ではないのです。
なんとむごい。
だからこそ。
だからこそ、だからこそ、だからこそ。
だからこそ、もうこの戦争のことはページを繰るべきだと思うのです。
この数字を胸に刻み、犠牲者の悲しみを忘れない。でもページは捲って前に進もう。

東京裁判が勝者による審判だった、とか、原爆を投下したアメリカは国家として謝罪するべきだ、とか、色々思うし、聞くけれど、もうそんなことはいい。
勝者による審判だったかもしれないが、それを正そうとして動いた他国の裁判官。弁護士らが居たことに感謝しよう。そして、負けたらこうなることを知った上で、戦争という愚行をしたんだから、しょうがない、とも思います。謝罪の気持ちがない人に謝罪を求めても、またされても意味がないとも思います。

そんな過去は「消化」し、こんな悲劇が二度と起きないように、日本は世界においてどういうことができるか、ということを考えるべき。それが敗戦国としてのプライドだと思うのです。
ぐじぐじしているところなんて、見られたくない。胸を張って前に進む姿を世界に見せつけてやりたい。

平和憲法はその一つ。世界に対して、戦争はするな、という強いメッセージを発信する、有効な手段だと思います。どこかで、平和憲法をノーベル平和賞に推薦していると聞きましたが、そんな宣伝活動も良いと思います。

日本はずっとこの方向に進んでいたと思うのです。それが、不景気だったり、平和ぼけする中で、不幸な気持ちになってきて、その最中に3/11があって、その気持ちのやり場を外に、過去に向ける政治家やマスコミがいてメンドクサイことになっているんだと思う。
「いやーね、最近の日本」「ほんとほんと」
……と小鳥たちも言ってそうでしょ?
今日は東京大空襲から70年たった日だそうです。
そして明日は11日。
せっかく生きているんだから、まじめに生きなくちゃ、と思いました。
どうか、毎日こう思えますように。
すぐにだらけちゃったりしませんように。

(色々理解が浅いのに書きましたが、何卒お許しを)



2015年3月2日月曜日

インターナショナルスクール便り  ①アイスバーグ理論


もう3月!
って驚いている方は私だけではないでしょう。
いつの間にか、春が来てましたね。

「I blinked, and suddenly here I am」と、先日のアカデミー賞授与式にて、サウンド・オブ・ザ・ミュージックの50周年を迎えたジュリー・アンドリュースが言ってましたが、ほんとう。
10年、20年、30年なんて、瞬きしている間に過ぎ去ってしまうことを、この年になり知りました。
……ということで、チビ猿が8才になりました。
今年は、2月生まれのクラスメート、EくんとSちゃんと一緒にパーティ。
つい先日、7才の誕生日を祝ったのに、早すぎます、一年。
パリからこちら横浜に来て早9か月。
子猿たちがインターナショナルスクールに通い始めて6か月余り経ったところです。
いきなりフランス語環境から英語環境に放り込んで、大丈夫かなぁ、ま、大丈夫だよね、なんていい加減なことをしましたが、ま、結果としては大丈夫そうです。

メンタル面に関しては学校側のケアが手厚いことに助けられました。
一クラス12人前後と少人数制ですし、
サブ先生というのでしょうか、体育の先生、音楽の先生、英語の先生、休み時間に見てくれる先生、などたくさんの先生方が児童らを見守ってくれます。

英語に関しては、なんと言っても学校の言語は強い、というのが大きな引導力になっています。
友達と交わるためには英語が死活問題なことを、野生の子猿たち、本能的に察知し、一生懸命聞くわ、伝えるわで吸収が早い早い。

プラス英語はずるい。
子供にとっても英語は社会的な言語地位が高く、話せることはカッコいいのでしょう。
最初に覚えてきた言葉は「Oh my gosh!」。なにそれ、ですよねぇ。

兄猿は2ヶ月、チビ猿は4ヶ月でとりあえず読むのと話すのは80%OKになりました。
6ヶ月経った現在は、兄猿に関しては書くのも80%OKです。ちび猿は60%くらい。

一方の日本語の方は全然です。全く上手くなってない。
学校では週2時間授業がありますが、カタツムリのようなノッソリユックリな歩みです。
来る前は、日本に住んでいれば、それなりに上達するだろう、なんて甘いこと考えていましたが、ダメです。全くだめ。
このまま全く日本語が上達することなく、フランスに戻ることになると思います。

ああ、なんて残念、何とかならないの?と嘆く母猿、先日は学校の日本語の先生に、言語におけるアイスバーグ理論という考え方を教えて頂きました。
人の言語能力は氷山のように、見える部分は一部で、水面下に隠れている部分が大部分。
たとえ、話せる様になっても(見えてる部分)、根本にある言語能力がしっかりできていないとその言葉を使って考えることができず、学習力が付かない、ということでした。

先生曰く、「まずは英語においても氷山の下の部分、英語で考えることができるよう、応援してあげることが大切。」……英語で教育している学校ですからね。
「日本語は残念だけど、まぁ気長に、嫌いにならない程度に応援する、指導する、それが良いんじゃないですか」と。
でも漢字の練習はしようね!
そう納得したらもう焦らなくなりました(≈諦めた)。
それよりも、また瞬きしている間に終わるであろうあと1年余りの日本滞在中に、たくさん楽しい想い出を持ってもらって、少し大きくなったときに、
「日本語できるようになりたい」
と思ってもらえるよう、仕向ける方が得策よね。

日本に来たのに、英語にやられたぁ感がぬぐえなくもないですが、子猿たちにとっては日本語はラグジュアリー、英語は生きていくための便利なツール。(フランス語は生命線……かな? )
折角英語を体得する機会を賜ったのだから、頑張ってもらいましょう。

次回は、インターナショナルスクールでの勉強へのアプローチについてなど、お便りしたいと思います。