2012年5月31日木曜日

帰ってきました!

どれが私でしょう?昨日のことのようなのにね

無事日本から戻りました。3泊5日の旅。行く前、帰ってからもやること盛り沢山で、気が張っていて、疲れすらも感じていないのですが、肌って正直です。今朝の私は山姥のような顔でした。
成田到着時に窓から見える早苗の青さにぐっと来ちゃったな。日本っていいですね、やっぱり。


着いてからは、病院にいる父のお見舞いと母のサポートに重点をおきました。サンフランにいる姉もかけつけ、兄とも沢山話し、最愛の初甥にも逢え、色々な感情の大波・津波の正味3日を過ごしました。父はすっかり弱っていて痛々しく、不安を目に溜めながら介護する母の姿も切なかった。あぁ、人生って、と思っちゃいますね、こういうときは。


不思議とパリに残してきた家族のことはあまり考えませんでした。義理の母と夫がしっかり守ってくれているだろう、我がママ友らがサポートしてくれているだろうという安心感がそうしたのでしょう。みんなありがとね。


日本にいる間は、久しぶりに娘、妹に戻り、何だか懐かしく。
そして帰りの飛行機の機内食についているチョコレートやビスケットをバッグにしまい、「明日の子猿のおやつにぴったり」と思い始めた頃からまた母猿の習性が戻り、「きっとあの人は洗濯とか、してないよなぁ」と妻猿にも変身し、パリに着陸。


明日から6月ですね、あぁ、時の流れるのが早いこと!
ちょっとしばらくはバタバタしそうだけど、頑張ります。みなさん応援をありがとうね!
身体を大切に、健康第一で頑張りましょうね!

2012年5月17日木曜日

パリ夜10時



パリは今午後10時。 
夫はめずらしくまだ残業中。子猿達には、先ほど「いやいやえん」を読みベッドに入れましたがまだ話し声が聞こえます。 
でもいいのです。 
フランスは明日から4連休のところが殆ど。うちもそうです。なので、気分はすでに金曜日。明日、子猿達が寝坊したっていいのです。 

今週は色々なことがありました。周りで困っている人達と接することが多かった。聞いただけでパニックしてしまうようなことなのに、それぞれの方達が冷静に受け止めている姿にあらためて人の強さを知りました。 

目の前のカーテンの隙間からは金星が見えます。10時過ぎなのに未だ群青色の明るい夜空に大きく、堂々と光り輝いています。「一人で輝いていても寂しくないの」って言ってるような、そんな静かな強さを感じます。 

明日も頑張ろうっと。 
(写真は随分前に撮ったものです)

2012年5月14日月曜日

子育てのポイント


この週末は、日本にいる両親のことを考えていました。
父が体調をこわしたことを聞いたから?
それとも、久しぶりに母の声を電話越しに聞いたからでしょうか。

うちは五人家族。両親(結婚記念日おめでとう)と兄は日本に、姉(お誕生日おめでとう)はアメリカに、私はフランスに住んでいて、帰省するのも隔年、と距離的にも密接な家族関係ではありませんし、私は早くに家を出たので、大人になってからの家族との想い出は数えても片手で足りるほど。

それでも、何かあると、母の手の肌ざわり、父の手の平の厚さを覚えている。最近まで、ほんとにつらいとき、得てして肉体的な痛みがあるときは心の中で母を呼んでいたと思う。
兄姉との楽しかった思い出も昨日のことのように思い出せます。

反抗期、災難、考え方の違いなど色々あったけど、今大人になると、親には感謝の気持ちしか残っていません。

一方の夫。彼も5人家族で、関係は密接といえば密接。母はしょっちゅう電話かけてくるし、歩いて15分の距離に家族らは住んでるし。でも、夫は彼らとは精神的な距離を感じている。

彼が子供の頃、義理の両親は仕事をしていたので面倒みるのはヌヌさん。ご両親が帰ってきても、「疲れているから静かに!」していなくてはならなかったそう。バカンスは子供はおばあちゃんに預けられ、両親はどこかに出かけるか、それか、お友達家族と一緒に別荘で過ごす、というパターンが多かったらしいです。お友達家族と一緒って楽しくていいけれど、確かに子供に対する密着度は薄くなりますよね。(それがプラスの面もありますが)
そして9歳から高校卒業するまで寄宿舎に入れられたのです。

そう、夫は「入れられた」という認識が強い。妹達は、いやだ!と拒否したので自宅通学したけど、夫は自分に拒否権などない、と思っていたようです。

今、大人になって義理の両親は一所懸命息子と交流を図ろうとしています。でも、夫としては複雑、負担でもあるよう。義理の両親にしても、もう年齢的に柔軟性がないので、息子を理解するのも大変そう。いつも会話はギクシャクです。特に義母は、距離感がわからず突っ込んでくるから、そばで聞いているだけでも夫を傷つけはしないか、義母を立腹させないか、とハラハラします。義理の妹らとも同じような感じです。もう同じフランス人、階層、世代なのに何、このカルチャーギャップは?って感じ。共有しているものが殆どない。

結論として思うのは、子育てのポイントは子供が子供の時ではないでしょうか(当たり前過ぎる?)
子供のときに如何に密接に、一緒に、「幸せ~♪」を感じる瞬間を沢山作るか。
あとで穴埋めしようとしても難しいと思う。
子供が子供なのは子供の間だけで、大人になったらもう子供じゃない、と思ったほうが無難だと思うのです、って、早口言葉みたいでわからないですね。
もう一度トライします。
子供と親の密接な距離で付き合えるのは子供が小さいうちだけ、大人になったら、親であろうと、それなりの距離感を持ってして接しなくてはいけない。
だからこそ、子供が小さいうちは沢山一緒に過ごす。専業主婦になれ、ということではないです。時間は量ではなくクォリティー。べたべたくっつき回れということではなく、必要なときにそばにいてあげる、話しを聞いてあげる、そうできないのならその事情を、自分の話をする、一緒に何かをする。

加えて思うのはスキンシップの大切さ。
私は子供の頃太っていたので、しょっちゅうぬいぐるみ代わりに揉まれ、抱きかかえられ、(踏みつけられて)いました。そのお陰で、家族の手の感触、匂いなど覚えている。こういう記憶って多分、文章化された言葉の思い出、映像としての思い出よりも長く覚えていられそうじゃないですか。

ということで、昨日は子猿達の誕生会の招待状作りをイニシエートしました。私が作り始めたけど、そのいい加減さに、子猿と夫は「そうじゃない、ちぎらないで!はさみ使って!あぁ、真っ直ぐじゃない」などと大騒ぎ。で、結局彼らにさせるという、母猿の戦略に見事に引っかかってくれたわけです。

子猿が一所懸命友達の名前を書いたり、シールを貼ったりしている姿に、私は自分の子供の頃を思い出し、夫はこんな喜びがあったなんて知らなかったけれど、子供と一緒にこのワクワク感を共有して、幸せ~♪、といいたいところですが、振り回され(父猿)後始末・掃除(母猿)で疲れましたとさ。

皆様、どうぞ良い一週間をお過ごしください~♪

2012年5月8日火曜日

それから

本文と関係ない写真です。
最近、夏目漱石を読み直しています。 

「三四郎」を経て、「それから」を読み終えました。漱石の思想・世相観を詳細に語っているのに、読んでいる方は、それが三四郎と代助の考え方としか思えないのは、人物の設定がばっちりだからでしょう。とても巧いです。 

それにしても「それから」における、漱石の日本の分析はまるで今を語っているようでその明晰さ・洞察の深さに感動します。 

「最近は『不安』という言葉が良く使われ、社会現象のようだが、あいまいな言葉だ。西洋では不安の原因がはっきりしていて、ロシアであれば天候の具合、フランスは不倫が多いため、イタリアは無制限の堕落による自己欠損が原因で不安になる。日本の文学者のように(西洋のまねをして)なんとなく不安という言葉を使うのはよくない」というような一説がありました。 
ほんとう、馬鹿よね、西洋かぶれしてかっこつけて「不安」なんていっているうちに皆本当に不安になっちゃって。 

そして、今の日本の不安を問い正すと、西洋の不安全部が当てはまっているアイロニーに気づきます。 
天候(地震・竜巻)の不安、「不倫が文化(容認?)」となっている不安は信頼とか愛とかの意味がわからなくなっちゃった不安ともいえる?堕落が原因かはわからないけれど、自分を見失い自信喪失しているがゆえの不安もある。 
文明開化して近代化した結果がこれだとするとあまりにむなしいです。 

そう、漱石、素晴らしいけれど、困るのは読み終わった後に悲観的になっちゃうこと。漱石自身がこういう風にいつも悶々と暗い方向で物事を考えている人だったとしたら、どんなにいい人だったとしても付き合いきれないですね。影響受けやすいから一緒にウツになっちゃうわ。 
漱石のご夫人は強烈なキャラクターの人だったらしいけれど、そりゃ、そういう人でないとやってられなかったと思う。 

「門」はもっと暗かったように記憶していますので、時間を開けてから読もうと思います。 

2012年5月6日日曜日

ふと思ったこと、電力・原発・現代

日本はついに原発エネルギーゼロとなったようですね。 
思いのほか簡単にできたように感じてしまいます、海外にいるせいでしょうけど。夏には15%電力不足というけれど、24時間にしたら3.6時間分。病院や弱者の分を負担するとしたら5時間くらい?ちょっとした工夫で何とかなるような気がするのは素人だからでしょうか。 

今昼ごはんの準備しているので、手元にある塩を例に……
フランスの海塩の最高ブランド、ゲランドの塩。ちょっとウェット感が残り、塩の華、フルール・ド・セルという最上級の塩でも粒が大きくサラサラしていません。色も真っ白ではない。ちょっと海の色が残っている。昨今のゲランドでは売り上げを上げるために、電力で加熱してサラサラ+漂白加工するという動きもあるそうですが、それでは天然ミネラルも損なわれるし、「自然の塩、海の、太陽の恵みから生まれた塩なのに、そんな工業的な手を加えたくない」と反論する声も多いらしく、圧倒的にウェットでグレイの塩が市場を占めています。 

実際、使ってみると粒粒もすぐ溶けるし、ビフテキにかけたときなど、舌の上でまろみある塩が溶けて肉汁と一緒になってすっごく美味しく、加工する必要なんてないと思う。

一方、日本の海塩の多くは、サラサラだったり細かい粒子だったりする。我がままな日本人のニーズに応えた結果でしょう。 この加工のためにどれだけ電力を使っているのだろう。いいじゃない、サラサラな塩じゃなくても。ちょっとした不便さが生活を豊かにするというパラドックス、あると思うんだけどな。 

外野+素人ついでに発言すると、原発の賛否についても経済的・安全面の観点で討議するのはもっともなんだけど、それ以外はだめなのかしら。 
悪であれ、善(?)であれ、原子力にはノータッチ、というスタンスをとってもいいと思うんです、広島・長崎・福島という歴史を持つ日本としては。 
感情的?ヒステリック?原爆と原発は違うのにって?
そういうことじゃないと思う。生き方の問題だと思う。

さて、ここフランスは大統領決選の日。 
先ほど、サルコジ大統領が投票に来たようで、道では「ニコラ(サルコジ)」コールがすごかった。多分今回は社会党のオランドが選ばれるらしい。このオランド、ポプュリストっぽくってキライ!20年位さかのぼったような公約ばかりだし。暗黒の5年が来るのでしょうか、フランスにも。 

日本もフランスも、世界も、難しい時代だけど、今が踏ん張りところと思って、現代人、がんばって生きていきましょう! 

2012年5月5日土曜日

春休みのフォトログ


春休みはブルターニュ地方に行ってました。フォトログ、よかったら観て下さい
赤い部分がブルターニュ地方。
南部にある海塩で有名なゲランドの辺りにいました
この春悪天候のフランスですが、この辺りはミクロ気候とやらで晴れ間も見られました。
風が強かったこと!元気な波達
波、波、波!

波!

引き潮
どこだろ。

バターカップ?ちがうか。

海から切り離された湖のほとり

塩田に導かれる海水


納屋を改造した家
わらぶき屋根がこの地方の特徴です
牛①
牛②

牛③

少年
これがバターカップ

緑!


・・・Doradeって何だろうと思って調べたらタイでした。
渋滞を恐れて一足早く帰ってきたらパリ、空っぽです。
あぁ、静か、あぁ気持ちいい!
雨続きの天候のおかげで生き延びたベランダ
人の姿まばらな春の海、ひっそりと建つ田舎屋で、静かな春休みを過ごすことができました。
ますます内向的傾向強まる我が家族。
レストランへの誘いも断り、電話をつなぐことも忘れ、インターネットもなく、新聞すらも読まない一週間。ベーコン・卵・ベークドビーンズの朝食、昼からワイン、昼寝、散歩とのんびりと過ごし、ふと気づくとジーンズがキツイ。
5月は飛び石連休だらけで、中々社会復帰が難しそうですが、何とか夏休みまでこぎつけなくては。(……ほんとに、いつ働くのでしょう、フランス)
フォトログ、お付き合いありがとうございました。

2012年5月3日木曜日

10年後の私



昔、受講したビジネス・スクールのキャリア・カウンセリングのクラス。
授業の終わりは、
「皆さん、目を瞑って、肩の力を抜いて……今日は、5年後の自分を想像してみてください」
とカウンセラー教授の静かな声で、自分の中のジャーニーに誘われる。毎回最後の部分が違っていてイメージするのは、10年後の自分だったり、5年後の職場であったり、逆に子供の頃の楽しかった思い出の場面だったり……。
要は、本当の自分を知る、本当の自分が望んでいるものを探るというエクササイズだったのだと思います。


あの頃は卒業後は投資銀行に戻るしかない、場所は日本だろう、と覚悟を決めていたのに、イメージする自分はスーツを着ていない。カジュアルな格好して見晴らしの良い窓際でPCを開いている。これは困った!と思ったものです。
今、その10年+が経ち、ジーンズで暮らす日々を送っているのは果たして偶然なのか、必然なのか。


そしてふと、この先5年後、10年後の自分はどんな風なのか、イメージしてみます。
どっぷりとアラウンド・フィフティーになっている私。髪はまだ染めているだろうから、白髪とは言わないけれど、確実に皺を刻んでいる私。どんな風なんだろう。どんな背景にいる自分なんだろう。


10年前に想像した5年・10年後の私は、姉をベースに加工していたように思われます。10年以上だった今、想像する5年・10年後の私は、母をベースに作り上げているような気がする。そういうモデルがいる自分は良運の持ち主なのだと思います。


さて10年後の私。
母のように眼鏡をかけているかな。やっぱりスーツは着ていないと思う。子猿達も大きくなっているだろうから、さびしくなって猫でも飼っているかな。なんとなく家にいるような気がする。在宅の仕事を見つけられるってこと?どこにいるだろう、今の家にいるかな、それとも……




この5年、10年後の自分がこの世に在るためには、健康に健全に、毎日を大切に生きていかなくちゃね。
春休みに撮った写真を整理しながら、ふとそんなことを思った木曜の昼下がりです。

2012年5月2日水曜日

また恋してしまった!

4月は何と慌しく過ぎてしまったことでしょう。イースター休暇、春休み、天候不安、子猿達の謎の湿疹、虫歯……春風のような小さなタービュランスにクルクル廻された母猿でした。

さて、そんな私。
春休みの間、夜スクリーンを通してこの人に会えるのを楽しみに一日頑張った。
"Name's Foyle"
フォイル警部を演じるマイケル・キッチン氏。
http://www.anthonyhorowitz.com/gallery/foyles-war/GU2A0717.JPG.php
「Foyle’s War」というイギリスのTVシリーズ、日本では放映されていないようですね。
第二次世界大戦下のイギリスの港町、ヘイスティングスを舞台に難解事件を解決するフォイル警部というのが、このマイケル・キッチンの役どころです。
フォイル警部は非常にDecentな人として描かれています。戦渦の中、何が正しくて間違っているのか、人々の倫理観は大きくブレていくけれど、フォイル警部は強く優しく真っ直ぐ。強いけれど繊細で、厳しいけれど優しくって、主張すべき時は主張するけれどとても静かなキャラクターです。

この静かさがいいの!台詞は少ない。大抵、
「Right(そう)」
「Precisely (そのとおり)」
「Perfectly」
「Well(……そう)」
といった短い一言しか発しないけれど、視線、身体の傾げ方、間のとり方などで見事に全てを表現するのですよ、フォイル警部を演じるキッチン氏は。

脇役達、ストーリーもとてもいい。
背景より1930年代終わりから45年まで英国がヒットラー率いるドイツ軍にぎりぎりまで迫られどれだけ追い詰められてたか、という、日本ではあまり知られていない欧州の戦渦の様子を垣間見ることができます。そして、絶対的な印象として戦争の無意味さを痛感させられる。
その中で殺人事件が起き、フォイル警部の謎解きで終わる。緊迫のシーンあり、静かな笑いあり、のどかさもあり、涙もある。

春休みの間にシーズン7まで全部観てしまいました。終わってしまって悲しいです。2013年に新しいシーズンが始まるらしいけれど、それまでどうしたらいいの?
……すぐドラマの主人公に恋してしまう母猿なのでした。

近年は縁あって、英国TVシリーズをよく観ていますが、凄いな、と圧倒されています。アメリカモノもいいのがありますが、英国ドラマの底力は凄いと思う。フランスモノ、日本はダメダメ。全然ダメ。(なんて観てもいないのに決めつけてますのであまり気にしないでください)

英国は、まず役者がいい。いい役者が山ほどいる。外見なんかどうでもいい。演技力でノックアウトされます。多くの役者はロイヤル・シェークスピアなどの演劇グループ出身のようです。どの役者も、労働者から伯爵だろうが、掃除婦も高級コールガールも演じ分けることでしょう。

そしてシナリオがいい。うそっぽくない。人格を見事に表現している台詞達。

舞台設定もいい。時代考証もいい。衣装もいい。制作費一体幾らかかってんだ!と聞きたくなる。(多分、そんなにかかっていないのでしょう、爆発シーンとか少ないし)

……これも経済効果から考えれば納得できることなのでしょう。英語圏、英国文化共有圏は広い。インド、オーストラリアなど、色々な国に売ることができるから、製作会社も投資のし甲斐もある。

はて、日本は、と考えると頑張ってアジア圏ってとこ?アジアで日本と似た文化を共有する国といえば韓国と台湾くらいかな。だからああいう作り方になる?

あと視聴者の成熟度という問題もある。

イギリスモノ見ている限り、視聴者は現実大のドラマを期待している、現実を否定せずに、それを多少脚色したようなドラマを期待しているのではないか、と思わされます。だから主人公が普通のおばさんで本当におばさんしている役者さんでもいいし、おっさんくさい役者さんでもいい。そのほうがいい。自分を重ねられるから。そんな自分のような人達が生むドラマが好き。

一方、日本の視聴者は現実から逃げるためにドラマを観るのではないか。
だから、やたら綺麗な女優さん、タレントが出ていればOK,演技力なんていいの、人物にそぐわない配役でもいいわ、現実性は期待していないから。そのキレイなお顔を見せてちょうだい、キレイな洋服と足を見せて、それだけでいいの。小さなファンタジーをちょうだいね。

ドラマに求めるものが、現実大・妄想のどっちでもいいのですが、私は、何か希望を残すものでないとダメ。エンターテイメントだけじゃ観終わったときに「ちっ、無駄な時間過ごしちゃった」と思うのです。
「人間ってこんな感動を人に与えることがことができるんだ!」と思わせてくれる、そういうTake away付きでないとダメ。欲張りなのでしょう。

そんなお勧めドラマをリストアップします。残念ながら日本語になってないのが多いですね。
・女警部ヴェラ 
・BBCのクライムサスペンスドラマ『Silent Witness』
警部モース
・警部ルイス
・警部ワランダー(ケネス・ブラナーのが好き)
名探偵ポアロ(David Suchet版)(DVDボックスだと49800円???高すぎる!)
シャーロック・ホームズ(Jeremy Bred版)
警部フロスト
NHKの「海外ドラマシリーズ」ってもうやってないのかな?是非上の番組の放映権買ってください。うちの母が観たがるだろうから。

さて、どうだっていい私の独断流ドラマ論にお付き合い頂ましてありがとうございます。
皆さん、どうぞよい一日を!